いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

珍しき雪景色

2014年02月09日 | 日記

 昨日は横浜、まるで雪国のように雪が降りましたね。このような雪を見たのは本当に久しぶり。移動された方の中には交通機関が止まって自宅に帰れなかった方もいらっしゃるようですね。私も実は移動があったのですが、幸い電車が止まる前に帰ることができました。今朝帰路の途につかれる方もいるかと思いますが暖かくしておすごしください。

 そういう中で不謹慎な気もするのですが普段撮れないような写真を撮ることが出来ました。

 雪帽子をかぶったポストです。珍しいものが突然乗っかってきてびっくりしているような気がします。

 ここはシベリアではありませんよ~横浜ですよ♪

 この木、どことなく怪獣に似ています。今にもむくりと動き出しそうな様子です。

 というわけで目を付けてみました。

 迫力がありますね、美しいですが凄味があります。ちょっとこわいですね。その後雪が木からどさっと降ってきそうですね。

 アップです。葉っぱも雪の重みに耐えながらもしっかり支えています。内心重い重いと言っているような気もするのですが。

 風が強かったのはきつかったですがこのような雪を見ることができたのは珍しくて思わず写真をたくさん撮りました。雪国出身の友人はなつかしいと言っていました。

 今日は横浜は雪もやみ少しは暖かくなりそうです。暖かくなったり、寒くなったりを繰り返しながら、徐々に、暖かくなり、春が近づいてくるのでしょうね♪

 


ピアニストの脳を科学する超絶技巧のメカニズム(2/2)

2014年01月30日 | ピアノ・音楽

 古屋晋一著『ピアニストの脳を科学する超絶技巧のメカニズム』春秋社のレビュー&要約の続きです。その後の文章は普通体で書きます。ここでいうピアニストは前記事と同様、プロの演奏家で巧みに鍵盤を操る人のことととらえていただけたらと思います。

良い耳の秘訣とは?

 同じ鍵盤を2回続けて押したとき、1回目と2回目との音色の違いが聴き分けられるだろうか。。。そういう響きの違いを聴き分けられることができて初めて「タッチの違い」を理解できる。そしてピアニストはそんな音の表情のほんのわずかな違いを聴き分けることが出来る。その耳の秘訣は?

 耳に届いた音の波は蝸牛で電気の信号に変換された後、脳幹での下準備、視床、聴覚野の順に送られる。聴覚野では音のピッチ(高さ)や音色、メロディの判別が行われるが、音楽家は、聴覚野の中の「ヘッシェル回」と呼ばれる脳部位の大きさが2倍以上であり、音の情報を処理するための神経細胞の数も多い。音が鳴った約0.02~0.03秒後に活動する聴覚野の神経細胞の反応は2倍近く大きく、ピアノの音を聴いた0.1~0.2秒後に現われる神経細胞の活動も音楽家のほうがそうでない人よりも大きい。そのことから音楽家は、音を聴いた時に働く聴覚野の神経細胞の数が多く働きが優れているので、音の様々な特徴を正確に処理したりさまざまな表情を聴き分けたりすることが出来る。そしてとくに自分の演奏している楽器など普段よく聴いている楽器に対してその現象は特に顕著である。ピアニストは高い音を聴いた時の方が、聴覚野や音を処理する脳部位である脳幹の反応が大きい。その原因として、音楽の要素で重要な「メロディ」が高音部で奏でられることが多いからというのが挙げられるだろう。

 また音を聴いた時に神経細胞の反応が大きくなるだけではなく、脳が素早く反応できることも「よき耳」のためには大切。音楽家は音が鳴ってから細胞が活動するまでの時間がより早くなっている。トレーニングによって脳細胞が活動するタイミングがそろうほど全体としての脳の働きが大きくなり、聞こえてきた音からよりたくさんの情報を処理できるようになる。

 違和感のあるメロディーやハーモニーを聴いた時に出される「あれ、おかしい」という脳波が出るのだがその脳波も音楽家のほうが大きい。訓練によってメロディや和音を認識&処理する脳の神経が発達したためだろう。

 そのためには音楽を多く綿密に聴くトレーニング、そして自分の体を動かして楽器を演奏する継続的なトレーニングが有効。

楽譜を読めるようになるためには?

 楽譜が読めるようになれば、楽譜に書かれた音符に対応した鍵盤を正しく押さえられるようになる。トレーニングを受けて音のピッチと対応したピアノの鍵盤を正しく押さえられるようになると、上頭頂小葉という脳部位の活動が強くなることが分かった。その部分は目から入った情報の中でも、空間に関する情報動きに変換するときに働く部位として知られており音楽家のはそうでない人ののよりも大きいことが分かってきた。楽譜上の音符を見て、どの鍵盤を押さえるべきかがスラスラ分かるようになるにつれて、上頭頂小葉の脳活動が強くなったり神経細胞の数が増えたりする。上頭頂小葉は音符を動きに変換する「読譜力をつかさどる脳」ともいえよう。また、楽譜が読めるようになると音符に対応した指を自動的にイメージできる、すなわち音符を指の動きに自動的に変換することもできるようになっている。楽譜→身体の動き への回路がスムーズに移行するようになってきている。楽譜を見て身体を使って音を鳴らす経験を通じて、楽譜→身体への回路をよりスムーズにすることが有効。

暗譜のメカニズム

 音楽家は、暗譜をするのに重要な、情報を蓄える働きをする海馬が大きいと言われている。

 音楽家は「視覚野」という目からは行った画像の情報を処理する脳部位も用いて画像として楽譜を覚えている。例えば「冬、医者、山・・・」といったいろいろな単語を耳から聴いて覚え、その覚えた単語を思い出しているときの脳活動を計測すると、音楽家の場合「視覚野」という目からは行った画像の情報を処理する脳部位の活動が起こっている。「耳から覚えた情報の一部を蓄えるために、視覚野の神経細胞を活用」すなわち、音楽家は、音の記憶には通常使われていない視覚野の神経細胞も使い、音を画像として覚えることによって優れた記憶力を実現している。

 また音楽家は個別の音としてではなく、複数の音を1つのグループとして記憶する傾向がある。和音、スケール、アルペジオなど何調のものが分かれば予測のつくもの、特徴のあるリズムなど繰り返し出てくるものについては、パターンとして予想をつけ、楽譜の情報を「圧縮」している。音楽を構成する「文法」を活用しているともいえよう。

 それプラス「指を動かす順番」も覚えている。連続して動かすことによって運動に関する脳部位である運動野が大きくなり活動も強くなる。ピアニストの脳には「指を動かす順番」を覚えるための貯蔵庫がたくさんある可能性がある。

 聴覚の記憶が最も強いものの、音楽家は視覚、聴覚、運動と言った様々な情報を脳内に記憶して暗譜を強固なものにしている。

初見演奏

 初見演奏の重要な特徴は3つ 

1)短期記憶 複数の音符を記憶する

ピアニストが初見演奏する際の眼球の動きを計測すると、今弾いている音符よりも先にある「これから鳴らす音符」を見ていることが分かった。そのことから、今弾いている音と、今見ている音の間にある音符群をわずかな時間の間記憶する必要がある。

2)周辺視 目が複数の音符の情報を一気に読み取る

ピアニストの眼は楽譜上の一点に焦点を合わせているときでも、その周囲にある音符をまとめて見ることができる能力、すなわち周辺視の能力がある。初見演奏の際、目が焦点の合っている音から先に2~4拍分程度の音符を認識できているようだ。

3)指使いの選択 適切な指使いを瞬時に選択する

打鍵する直前に前後の音を考慮に入れて適切な指使いを素早く決定する。

ピアニストの省エネ術

 ピアニストがより長時間筋肉を披露させずに、打鍵し続けることのできる秘訣は何か?

 筋肉には、大きな力を発揮できるけれど、すぐに疲れてしまう速筋と、大きな力は発揮でいないけれど、長時間力を発揮し続けることができる遅筋がある。筋肉を収縮するときに発生する電気活動から、親指の筋肉で調べたところ、ピアニストは遅筋が発達していることを示すという結果が得られた。我慢強い筋肉の持ち主だということだ。

 それだけではなく無駄な仕事もうまく省きながら演奏している。「省エネ」しながら演奏して筋肉を衝かれさせないようにしている。同じように質の高い音楽を、より少ないエネルギーの消費量で創りだしている。この「脱力」と言われているこの働き、ピアニストは一体どのようにして無駄な力を省いてピアノを演奏しているのだろう。

 ハノーファー音大でのハイパースピードカメラや力センサー、筋肉の活動を計測できる筋電図を用いた実験例から分かったことは以下の通りだ。

1)無駄な時間に仕事をしない

 ピアニストは鍵盤が底に着いた後は力を加えていない。ピアノの鍵盤の底にセンサーを敷き、ピアノを弾いているときに、指先が鍵盤にいつ、どれだけの力を加えているかを調べた。対象はプロのピアニストとアマチュアのピアニスト。トリルを行ってもらい、その時に指先が鍵盤を押さえる力を計測した。その結果、プロのピアニストは、鍵盤が底に着いてから力を加えている時間が短いことが分かった。鍵盤が底に到達するやいなや、すぐに力を弱めていたのだ。ピアノは鍵盤が底まで底まで下りてしまった後には力を加えても音は変化しない。鍵盤が底に着いたあとに鍵盤を押さえるという無駄な仕事でピアニストは筋肉を働かせていない。

 ピアニストは長い音を出す際に最小限の力しか鍵盤に加えていない。鍵盤を押さえたままロングトーンを保持する際に親指、人差し指、中指が発揮する力を調べたところ、アマチュアのピアニストはプロの3倍もの力で鍵盤を押さえ続けていた。長い音を鳴らし続けるためには、鍵盤を押さえるために必要な最小限な力である約50グラムだけ鍵盤に加えておけばよいので、これも無駄な仕事。そういった無駄な仕事もピアニストは巧みに回避している。

2)フォームを工夫する。

 鍵盤を押さえようといくつかの指が動いているとき、残りの指は次の動作の準備をしていたり、何もしていなかったりする。その「何もしていない」指をどうしているかという観点で、親指と小指を用いるトレモロを演奏させてみたところ、アマチュアのピアニストは何もしていない指である人差し指と中指を高く持ち上げる無駄な動きのある状態で演奏していた。そのように指を高く持ち上げると筋肉が収縮し硬くなる。そして筋肉が硬くなると動きが正確になりやすいので無駄な動きをしやすくなるのだろう。狙った鍵盤を狙った速度で正確に打鍵しようと思うあまり何もしていない指を持ち上げ筋肉を固め、その結果エネルギー効率が悪い演奏になってしまいがちになる。本来ならば何もしていない指は何もしないほうが力の効率がよい。

3)重力を利用する

 打鍵の際は手を持ち上げるわけだが、ピアニストも初心者もひじを曲げる筋肉(上腕二頭筋)が収縮し手を持ち上げていた。

 ところがその後、初心者は肘を伸ばす筋肉(上腕三頭筋)を収縮させて肘を伸ばし、鍵盤を打鍵していたが、ピアニストの上腕三頭筋は肘が伸びているのにも関わらず、収縮していなかった。ピアニストは肘が伸びて行っている間肘を曲げるほうの筋肉 (上腕二頭筋)が緩んでいた。

  手を持ち上げた後音を鳴らす際、ピアニストは上腕二頭筋を緩めさせ、初心者は上腕三頭筋を収縮させていた。

  音量を大きくするためには肘の回転スピードを上げる必要があるのだが、そのための手段として初心者は筋力を使って力づくで腕を降ろしていたのに対し、ピアニストは重力の助けを借りて腕を落としていた。大きなエネルギーを出す際にこの差はエネルギー効率の面でも大きくなる。

 しかしなぜ初心者は重力を利用して打鍵しにくいことがおおいのか?その理由として、腕を使った自由落下では、狙った音を適切に鳴らすのが難しいからというのが挙げられる。狙った音量の音を鳴らすためには音量に応じてどのように力をゆるめるかを調節する必要があるのだが、我々の日常生活の中では筋力をゆるめて狙った速度で腕を落とすという状況がないため難しい。脳にとっては筋肉を収縮させるよりもゆるめるほうがより多くの脳部位が働き大変な作業だったりするから。

4)しなりを利用する

 重力だけではなく、慣性力や遠心力もピアニストは巧みに操っている。慣性力は車が急発進したり急ブレーキをかけたりするときに生じる力のこと。遠心力は車がカーブを曲がるときに身体が外側に引っ張られるように感じる力のこと。

 打鍵するために、手を持ち上げ、その後鍵盤に向かって腕全体を振り下ろしているところを想像する。その間、上腕も前腕も鍵盤に向かって下降しているがその途中で上腕に急ブレーキがかかると、前腕の下降動作はいっそう加速される。そのような「しなりの力」をピアニストはうまく活用している。

 プロのピアニストは肩の筋肉を強く収縮させることで上腕の動きにより強いブレーキをかけ、肘から先を加速させる「しなり」の力を増やしていることが判明。その結果、ピアニストの肘や手首は「なすがまま」加速するため、筋肉をあまり働かせずに打鍵することができる。上腕や前腕の筋肉をより強く収縮させることでより大きな音を鳴らそうと指先を加速させていた初心者と対照的。

 大きな音を鳴らす際に、ピアニストは腕の動きを減速させる「ブレーキ」の量を増やすことで、肘から先を強くしならせていた。上腕の動きにブレーキをかける分だけ、肩の筋肉の仕事が大きくなる。ピアニストはピアノ初心者に比べ、肘から先にある筋肉の仕事量が少なく、肩の筋肉の仕事は大きいということになる。太く疲れにくい胴体に近い筋肉を使うことで疲労から回避している。そのためには大きな音を鳴らすための練習をしようとするときには、大きさや音質、ミスタッチのなさを欲張っていきなり狙うよりは、まず大きな音を鳴らすことに専念した方がよさそうだ、ということである。

5)鍵盤から受ける力を逃がす

 鍵盤に力を加える際、鍵盤の指先を押し返そうとする力に負けないように、手や腕の筋肉は収縮させる必要がある。指で押さえたとき、指を伸ばしたときと曲げたとき、伸ばしたときのほうが、指先と関節までの距離が長くなるためそれを押さえこもうとして筋肉をより強く収縮させなければならず、筋肉に力が入りやすい。ということは、指を寝かせたままではなく、指先を立てる動作を加えるほうが、無駄な仕事がなくなるのではないかという仮説が生まれた。

 そして実際に高速度カメラで計測したところ、初心者は指を寝かした状態のまま鍵盤を降ろしていたのに対し、ピアニストは、指先が鍵盤を降ろしている間に徐々に指を立てていっていた。指を徐々に立てていくことによって、鍵盤から受ける力を「逃がしながら」鍵盤を押さえており、33%の軽減がなされていた。そして、ピアニストの指を徐々に立てていく動きは、疲れにくい肩の筋肉の動きから作られていることも判明。肩の関節が回転し、上腕と前腕が前に動くことで、指が回転していき鍵盤から受ける力を逃がしていた。

 また、筋肉は関節を囲むようについていて、片方が収縮すれば関節が曲がり、もう片方が収縮すると伸びるが、両方の筋肉が同時に収縮すると関節が動かなく硬くなる。そのような状態を「同時収縮」というのだが、プロのピアニストは打鍵の瞬間の筋肉の同時収縮の大きさが小さいことが分かった。ピアニストは手首の筋肉をあまり固めすぎず、むしろ筋肉そのもののクッションを利用して、打鍵の衝撃を逃しているのだ。

5)イメージしてから打鍵する

 「これから鳴る音をイメージしてから打鍵しなさい」とよくレッスンで言われるが、そうすることで指の動きがどのように変化するかについても調べられている。鍵盤と音とが対応しておらずランダムな音が鳴るピアノをあえて作り、鍵盤と音とが対応しているピアノを弾いた際とを比較することでそのような実験を行ったところ、鍵盤と音とが対応しているピアノ、すなわちあらかじめ音をイメージして打鍵したほうが、イメージせずに打鍵するよりも指先が鍵盤に衝突する瞬間の加速度が小さいことが分かった。必要以上に強い打鍵をしないためにも、頭の準備をしてイメージ作りをすることが有効。

超絶技巧を生み出すメカニズム

ピアノ演奏の際の手指の動きを詳細に調べた結果、無数にあるように見える手指の使い方には、いくつかの基本的なパターンがあることが分かった。ピアノを弾く際の手指の使い方には、どのような曲でも共通して見られる「ある決まったパターン」が隠されていた。そしてそのパターンは、親指で打鍵するときと、他の4本の指のいずれかで打鍵するときとで異なっていた。

 親指で鍵盤を押さえるとき、残り4本の指は一斉にのばされていた。親指が打鍵する際には、残りの指は独立して動くわけではなく4本の指が同じように動いていた。親指の使い方には、鍵盤を押さえながら親指を曲げる (つかむ)か、伸ばす(広げる)の2つの異なるパターンがあった。親指の関節は、他の指の関節よりも多様な動きができるため、打鍵しながら曲げたり伸ばしたりすることで、演奏中の手の位置を左右に移動させたり、手のフォームを変えたりすることが出来る。親指を巧みに動かすスキルはピアノ演奏に特徴的なスキルであろう。

  親指以外の4本の指を使って打鍵する際は、いずれの指で打鍵する際も、各々の指はお互いに独立して別々の動きをしていた。鍵盤を打鍵するには、①指を持ち上げ、②打鍵するために指をおろし、③鍵盤から指を離すため再度持ち上げる という一連の動作があるが、それぞれの指が他の指につられず違った動きをしていた。中指や薬指は人差し指や小指に比べて独立して動かしにくいと言われており実際そうなりやすいのだがピアニストの場合は「中指や薬指の動かしにくさ」も見られず、それぞれ独立して動かすことができていた。各指を独立に動かせる能力を持ちあわせているといことになる。

 普通の状態で指が独立して動きにくい原因は、各指の腱がつながるという腱間結合があるということと、一つの筋肉が複数の指に付着しているためその筋肉が収縮すると他の指も同時に雨後してしまいやすいということが挙げられていたが、つながっているのは指そのものだけではないことが分かった。ある神経細胞Aが指令を送ると中指と薬指が一緒に動いたりするなど、脳の神経細胞同士も独立していないというのが原因とされている。

 しかしピアノを練習することによって筋肉や腱、腱間結合が柔らかくなるとともに、脳の動きもその指その指にあった働きがなされるようになるからではないかと言われている。今後の検証が楽しみとのこと。

 超高速かつ高精度な打鍵を可能にするスキル。ピアニストは最速で演奏した際、1秒間に平均で10.5回打鍵するという驚異的な速さで演奏するとともに、手指の使い方はゆっくりの場合からほとんど変化がなかった。同じ動きで早送りするためには、手指の動きをつかさどる脳部位の神経細胞の数がたくさん必要。

 また腕の動きにも顕著な特徴が見られた。トレモロを演奏した際、プロもアマチュアも速度が速くなるにつれて肘の回転速度が速くなり、プロの方が大幅に回転スピードが上がった。またプロもアマチュアも速度が速くなるにつれて指の筋肉をより固めて行っていたのだが、今度はアマチュアのほうが大幅に指の筋肉を固める傾向にあった。

 テンポを速くすると、鍵盤を持ち上げる準備を速くするために指先が鍵盤を降ろすために加速させる時間は短くなる、そうなると鍵盤の動きが遅くなりやすいのでそのままだと音量が小さくなってしまうのだが、そうならないためには鍵盤を打鍵する際に瞬発的にたくさんのエネルギーを伝える必要がある。その方法として、指先と鍵盤が衝突するスピードを速くするか、指先を硬くして鍵盤に伝達されるエネルギーの効率を上げるというのが挙げられるのだが、この増やし方において、プロとアマチュアで差が見られた。プロのピアニストでは、前者の「肘を回転させるスピードを上げる方法」をたくみに用いていた。速く弾こうとすると、鍵盤の下降動作を加速させる時間が短くなるため、どうしても指先を持ち上げる準備を始めるのが早くなるのだが、それに伴い音量が小さくならないために、肘を速く回転させることで補っていたのだ。音量を保ったまま、より早くトレモロを弾けるためには、より早くに指先を持ち上げる準備を始められて、より速いスピードで肘を回転させられることが必要だということが分かった。

 また脳から筋肉に送られる指令には神経細胞を無秩序に活動させるもととなるような「ノイズ」が混ざるのだが、ピアニストの場合、脳が筋肉を動かす指令に無駄なものが少ないため、ノイズが身体の動きを乱す影響を巧みに減らしているということが明らかになっている。

 レガート奏法のスキル。ピアノ演奏では、手指が鍵盤を押さえる長さを調節して音の長さを変えているが、ピアノという楽器の性質上、ひとたび指を鍵盤から離すと音は減衰しやがて消えてしまう。そのためピアノでは、音と音とをなめらかにつなげて、歌うようにメロディを奏でるために「レガート」と呼ばれるスキルがある。次の音を鳴らしてから前の音の鍵盤から指を離すことで、連続した2つの音を一部重なりあわせ、なめらかに音をつなげるのだが、重なりすぎては音が濁ってしまい美しさを失ってしまうので巧みな指のコントロールが必要。そしてハスキン研究所のレップ博士の研究によると、レガートでの音と音とが重なっている長さは高さによって異なり、低い音だと約0.07秒、中間の高さの音だと0.15秒、高い音だと0.17秒と、高い音になるほど重なっている時間が長いほうが美しくつながって聞こえることが分かった。高い音になるほど、音が減衰しやすいためにこのような結果になるのだろう。

タッチと音色

 ピアノという楽器は鍵盤への触れ方、すなわち「タッチ」によって、本当に音色が変化するのだろうか?

 ピアノの音は、鍵盤の動きと連動しているハンマーが弦を叩くことで発生する。鍵盤を速く動かせば、ハンマーも速く動き、弦を強くたたくため大きな音が鳴るが、音量が同じでも、音色というのは変えることができるはず。ピアノで音色を変えるには、ハンマーと弦が衝突するスピードを変えずに、それ以外の何かを変える必要があるのだが、それ以外というのが長年謎になっていた。

 しかし20世紀後半のいくつかの研究によって、ピアノのハンマーの動きが詳細に調査されるようになった結果、鍵盤の動きがどう加速するかによって、ハンマーのシャンク部分の「しなりかた」がわずかに変わることが分かってきた。打鍵のスピードが同じで音量が同じでも、鍵盤の加速のしかたによって、ハンマーのしなり方が変わるので、ピアノの弦とハンマーが違った当たり方をする可能性がでてきたのだ。すなわち、加速のしかたを変えることで音色を変えることができるということだ。

 千葉工業大学の鈴木教授は腕全体の筋肉に力を入れて硬く打鍵した場合と、筋肉をゆるめて柔らかく打鍵した場合とでピアノの音色がどのように変わるか調べた。硬く打鍵する場合は、鍵盤ははじめに急速に加速して、その後、減速していくが、やわらかく打鍵する場合は、鍵盤はゆっくり加速してその後も加速した状態になる。その結果ハンマーのしなり方にも違いがみられるはずとのことで。

 倍音というのは音色を決めるもので、同じ高さのラでもフルートとヴァイオリンの音色が違うのは音を構成する倍音が違うから。したがってこの実験でも倍音に違いが見られたかどうかを調べた。

 その結果、比較的高い音の場合、音量が同じでも、硬く打鍵するタッチの方が、柔らかく打鍵するタッチよりも、音の倍音の中でも特に高い周波数の倍音が大きかった。その違いは物理特性面でも明らかであり人間の耳でも聴き分けられる範囲であることが分かった。その結果、タッチによって、音色が変えられるということが証明された。

 またピアノの鍵盤への触れ方は無数に存在するが、大きく分けて、手を一旦持ち上げて指先を鍵盤から離して打鍵する方法「叩くタッチ」と、指先と鍵盤が触れた状態のまま鍵盤を押し下げる方法「押さえるタッチ」の2種類がある。叩くタッチの場合は、鍵盤の表面を指で叩くときに「バン」という雑音、タッチ・ノイズがなり、ピアノの音と混ざって聴こえる。そしてそのタッチ・ノイズの有無による音色の違いは、耳で聴き分けられることが分かった。その結果、叩くタッチによる音色の方が、押さえるタッチの音色よりも「硬い」音と感じられることが分かった。

 そしてそのタッチを使い分けるためにどのような身体の使い方をしているかというと、腕全体のしならせかたを変化させることで買えていることが分かった。叩くタッチの場合は、肩の筋肉を使って腕全体をしならせることで指先を加速させて打鍵、押さえるタッチの場合は手指と前腕の筋肉を瞬発的に収縮させ、そこで生まれた力を利用することで腕全体をしならせていた。叩くタッチの場合は力の動きが肩→肘・手指、押さえるタッチでは指→肩というように、反対方向の動きをしていたことが分かった。

 以下、ピアノを弾く者として私が特に興味深いと思われる部分を採りあげてみた。体の使い方やピアノの鍵盤へのタッチによって音色を変えることが可能だということを間接的ながらも知ることができたのが大きな収穫だった。

 他にもピアニストの故障、感情を込めて演奏するには、演奏と感動との繋がりなど、気になる内容がたくさん書かれていた。分かりやすい図やグラフもたくさん掲載されていて読みやすい本でした。 

 

 

 

 

 

 


ピアニストの脳を科学する超絶技巧のメカニズム(1/2)

2014年01月29日 | ピアノ・音楽

 本のレビューをブログに書くのは久しぶりです。

 

 今回は古屋晋一著『ピアニストの脳を科学する超絶技巧のメカニズム』春秋社。

 その後の文章は普通体で書きます。

 タイトルからして、美しい音色で難しい曲をピアノを弾けるようになるにはどうしたらよいのだろう、という疑問を解決してくれそうな気がした。著者の古屋氏は音楽演奏科学者で、脳科学や身体運動学の視点から音楽を愛する人が健やかで創造的な演奏活動ができるようにするための「音楽演奏科学」の確立に力を注いでいる。

 内容は、ピアニストの脳と身体が、いったいどのような働きをしているのか、様々な実験と調査を駆使して探究した具体的な事例に基づいたものになっていて、予想どおり面白くためになりそうなものだった。ピアノを弾く者にとって役に立ちそうな話も書かれているので興味深い所を要約して紹介する。なお、ここでいうピアニストはプロの演奏家で巧みに鍵盤を操る人のことととらえてほしい。そしてそんなピアニストの状態の分析結果を知ることが、ピアノの学習者である我々にとっても有効だと思った。なお、今回の記事は前半部分のみ。後半は次回に投稿する。

 ピアニストはなぜ左右10本の指を巧みに操って長大な難曲を弾くことができるのだろうか、という問いに対して、ピアニストとそうでない人との決定的な違いはにあるとのこと。

 同じ速さで同じ指の動きをしている場合、活動している神経細胞の数はピアニストの方が音楽家でない人よりも少ない。その原因はピアニストの脳はたくさんの神経細胞を働かさなくても複雑な指の動きを行うことが可能な節約の働きが進んでいるから。また、指を動かす神経細胞が集まった運動野の体積を測ったところ、動かしにくい左手の動きをつかさどる脳部位の体積は音楽家でない人よりもピアニストの方が大きいことが分かった。小脳の細胞の数も50億個近く多いとのこと。そしてその細胞数は楽器を演奏する訓練によって増やすことが可能。

 自分の身体の動きを頭の中で鮮明にイメージさせるイメージトレーニングは神経細胞の働きを向上させ演奏をよくするためにも効果的。

 ピアニストは左右の脳の間にかかっている脳梁の体積が音楽家でない人よりも大きい。そのため左右の脳の間でスムーズな情報のやりとりがしやすい。

 ピアノを弾くということは、手指や腕を動かすだけではなく、これから奏でる音楽を頭の中でイメージし、今奏でられている音楽を聴いている、すなわち、音楽の「未来」と「過去」を思い描きながら演奏すること。なので、頭に思い浮かべた音楽を演奏しつづけるためには、音のイメージに反応して指や身体が自動的に動き、さらには、聞こえてきた音にもとづいて、次の動作を素早く適切に修正する脳と身体の動きが必要。

 私たちが音を聴くときは、耳の上にある脳部位(聴覚野という)にある神経細胞が活動するが、ピアニストが音を聴くときは、指を動かしていなくても、音を聴くための聴覚野だけではなく、指を動かすための神経細胞も活動していた。すなわち音に身体が反応したり、指の動きによって音が想起される脳の回路が存在しているのだ。そしてその回路は、音楽家でない人でも訓練によってつくることが可能

 ミスの予知。ピアニストの脳は演奏中に「ミスを予知できる」という特殊な機能を備えている。ピアニストの場合、間違った鍵盤を弾くおよそ0.07秒前に、頭の前方にある脳部位から「ミスを予知する脳活動」が起こり、ミスタッチをする際に打鍵する力を弱めている。

 ミスの修正。ピアニストはミスをしてしまった後の脳の反応も早い。音楽家でない人も、意図しない音が鳴った0.3秒後に「おかしい」というミスを認識する脳波を発する脳活動が起こるが、ピアニストの場合は0.2秒後に脳活動が起こり、以下のようなリカバーを行っている。

1)リズムが崩れた場合、ピアニストは即座にテンポをスピードアップさせることで全体のテンポが遅れないようにとっさにリカバーしている。

2)音が遅れて聞こえた場合、ピアニストは一時的に強く打鍵することによって、打鍵の際に指先にかかる圧力を増やし感覚を鋭くし、打鍵動作のリズムが正確になるようにしている。

 またミスにも記憶が乱されやすいミスとそうでないミスとがある。聞こえてくる音が鳴らした鍵盤の音よりも1音だけ遅らせたりするような状態が起こると混乱&ミスタッチになりやすい。またテンポが速い曲よりもゆっくりの曲を演奏する方が1音のミスでも演奏中の記憶が乱されやすい。ゆっくりした曲ほど暗譜が難しかったり気を抜きにくかったりするのはそこにも原因があるかもしれない。

 続きは次回の投稿で!音色、譜読み、動かす部位などが書かれていて非常に興味深い内容です。


大磯の海

2014年01月02日 | 気になる場所、風景

 今日は1月2日、箱根駅伝の第1日目でした。ぜひ中継地点で間近に選手たちの健闘ぶりを見たいと思い、中継地点の大磯に出かけました。早速旗をいただき、道路沿いに立って待つこと数分。風が強かったのとかなり前に到着していたのもあり、かなり待ったような気がしました。しばらくしたら選手たちがやってきました。大磯は第4区間、平塚中継所を出たばかりの選手たちが走ってきました。東洋大学の選手がトップに、その後選手たちが続きました。噂には聞いていましたがさすが速いです、あっという間に目の前を通過しました。一瞬の間に旗を振りました。一生懸命走る選手たちの表情と姿に心打たれました。

 その後大磯駅に向かって帰路についてもよかったのですが、折角海沿いの町に来たからにはそのまま帰るのももったいなくて、大磯の海岸に向かうことにしました。

 国道の近くに海水浴場が近くにあるのですね、入口に来たとたん見えたのが「日本最初の海水浴場」という看板でした。たまたま出かけたところで日本最古の海水浴場に巡り合えるとは思っていなかったのでびっくり。ネットで調べてみたところ、大磯海水浴場は明治18年(1885)、初代軍医総監をつとめた松本順氏によって開設されたのですね。

 早速海水浴場に入ると目に入ったのは広い砂浜と広大な海でした。太平洋だからでしょうか、波もかなり激しく水しぶきを上げていました。地球の呼吸を間近に感じ取れる、そんな空間でした。昼前の時間、太陽の光の差し方も少しずつ変化し、海水の輝きもきらきらと変化していていました。

 まずこのような風景が目に入ってきました。太陽の光がまぶしすぎて人が影のようになっていたりもしますがそこに確かに人はいました。

 波が押し寄せてきました。

  少し離れてまた右側を見てみると。。。実は灯台のある岬の手前に島がありますね。その島は「かぶと岩」と言って名物らしいです。

 

 波をアップして撮ってみました。結構激しいですがサーファーたちが楽しそうに波に乗っていました。

 太陽の高さが高くなり、水面がきらきらと光りはじめ美しく見え始めました。このひととき残しておきたくなりました。近くに寄ったので「かぶと岩」がはっきりと見えます。

  美しい海ですね♪

  もう一度左を向きました。地球の呼吸を感じ取れる瞬間でした。

 帰り道、海水浴場近くに柱らしきものがあり、そこに子供による人魚姫の絵がたくさん描かれていました。バラエティ豊かな作品ばかりで、この海だからこんなにバラエティ豊かな人魚姫を連想したのだろうな、と思えましあ。そして思わず連想したのが今練習中のショパンのバラード3番。ポーランドの詩人、アダム・ミツキェヴィチの詩に登場する水の精・オンディーヌと若き騎士との物語とも言われています。若き詩人を魅惑する水の精オンディーヌ、最後は詩人はオンディーヌによって水の中へと引きずり込まれるというお話し、こわいですね。こんな美しい海からそのようなお話を連想してしまうのは、ふとどきな気もするのですが、たまたま練習中の曲がそういう曲だったのと人魚姫の絵が描かれていたのもあり連想してしまいました。

 しかし海に限らず水のあるところっていいですね!そういうところに行くと特にピアノが恋しくなるのでした。

 それにしても本当に美しい海でした。日本一古い、そして美しい海水浴場がこれからも永遠に守られますように!


あけましておめでとうございます

2014年01月01日 | 日記

 みなさん、あけましておめでとうございます。

 今年がみなさんにとってよき一年になりますように

 


おさまりをつけたくて

2013年12月21日 | ピアノ・音楽

 最近のバラード第3番、主に部分ごとに分けて練習しています。今日はこの2箇所が気になってそこを中心に練習しました。その2箇所、レッスンで特に指摘をいただいたところではないのですが、弾いていて引っかかる思いが抜けないでいた箇所でした。ひっかった箇所も得た結論も自己流なので練習の参考になるような内容ともいえないかとも思うのですが、それだからこそ却って練習過程としてメモしておくことにしました。

 1箇所目は最初の盛り上がりとも言えそうな74~88小節目にかけての、85小節目の最初の音、ドミ♭ラ♭ド、赤字で書いたところです。その前から81小節目~82小節目の頂点に向かってぐんぐん盛り上がってゆき、84~85小節目は大切な問いかけを行っている箇所だと思うのですが、その問いかけの?マークに当たる84小節目の後半から85小節目の出だしの音へのつながりがうどうも凸凹した感じで気になっていました。特に85小節目の第1音!尻餅をつきたくないのについてしまうのです。かといってそこを弱くしたら収まりが悪くなります。

 84~85小節目にかけてのつながりに気を付け終止らしく聴こえるようにしたい、ということで左手に注目。結局今日の練習で得た結論は85小節目最初の左手のラのオクターブの指の位置を工夫することでした。この音で収まりをつけながらも次に向かって問いかけているようなイメージを作れたら、と思いました。

 2箇所目は136~144小節目のはじめにかけての、オペラのように伸びやかでダイナミックな歌になっている箇所です。ここは右手を伸びやかに歌わせながらも左手のバスも丁寧に弾きたいところなのですが、138~139小節目にかけての美しい箇所(赤字で書いたところ)が思うように弾けていないと感じていました。

 右手は楽譜に書かれた指使いに従い、旋律部分がつながって聴こえるようにその箇所の旋律部分を歌いながら、指の位置を工夫して弾くようにしたら少し思うように弾けるようになってきた気がしました。139小節目の左手のラ♭など、音楽をさらに優しく包み込むように作っているところも意識しながら。。。

 他にもそのような箇所がたくさんあるのですが、気づいたときにメモのような感じで書いていけたら、と思っています。


水彩色鉛筆の絵 花

2013年12月20日 | お絵かき

 少し前まで飾っていた花です。鉛筆で下書きだけはしていたものの色を付けるまでのハードルが高くなっていましたが、そこは思い切らなくてはと思い色を付けました。花の絵は輪郭を描くのが難しいですが、そこが楽しいところでもあります。久しぶりに描いたのでどことなくぎこちないのですが、それでもなんとか描けたということで、よしということにしましょう。

 それにしてもこのようなことをするたびに、毎日絵を描き続けたい と思うのです。今回も例にたがわずそのような思いがむくむくと湧いてきました。しかし大概他のことに座が奪われ実行できることはありません。しかもおそるべきことに今年の初めは高い目標を立てていたのですよ、なんと週一で描くという目標、我ながら立派だったと思うのですが数回で挫折しました。無理な目標は禁物ですね(^^;)

 しかし鉛筆で下絵を描くのも色鉛筆で色をつけて筆で溶かすのも普段滅多やらないことだからでしょうか、久しぶりにやったら純粋に楽しいです。音楽を聴きながらやったりしたら最高の気分です。ということで、これからは目標は立てませんが、よき題材を見つけたら少しずつ描いていけたら、と思っています。


水彩色鉛筆の絵 朝焼け

2013年12月20日 | お絵かき

 今週の月曜日の朝、東の空を見ると目の覚めるような美しい朝焼けが見えました。朝焼けが見えるとこれから天気が下り坂になることを示すようで、なんだかさみしい印象を持っていたのですが、朝焼けって、美しいのですね、この独特のグラデーションはなかなか目にすることができないような気がして、思わず写真に撮りました。(ちなみに朝焼けが見えると天気が下り坂と言われる所以は、西から天気が変わるのに対して東の空が晴れている、ということはそろそろ西側から雲がやってきそうに思える、ということから来ているそうです)

 一旦は写真に収まった朝焼けですが、思わず久しぶりに絵にしてみたくなりました。それでなくても絵のほう、さぼっています。よき題材には巡り合っていたのですがついつい後回しにしていました。実際写真でよかったと思う題材もあったので、後悔はしていないのですが、この空はどうしても鉛筆と筆を使って絵にしたいと思いました。私の絵は、はがきぐらいの小さなスケッチブックに描くので、時間もそこまでかならないですむのです。そして描きました。水彩色鉛筆で薄い色から大体の様子をつかみながら色を付け、最後に筆で溶かしました。朝焼けらしい雰囲気になっているでしょうか?


今日のレッスン

2013年12月10日 | ピアノ・音楽

 本ブログにレッスン記事を書くのはものすごく久しぶりのような気がするのですが、書きたくなってきたので書く事にします。

 現在ショパンのバラード第3番を部分ごとに細かく見ていただいています。今日は出だしのところ。

 最初のミ♭の出し方によって聴く人がその後も演奏を聴きたくなるかどうかが決まる、ということで、その前の呼吸から気をつけながらやってみました。腹式呼吸で吸ってゆっくり吐き出しながら音を出します、そして指でこすって止めるように。どんな色の音にするかというのも練習過程で変更してもいいものの演奏する際にはできるだけ明確にイメージして、ということでした。そして出してみたのですが私の場合肩で息をする傾向があり吐き出し方が弱いか急すぎるとのこと。膠着させずに循環させてなのね。腰から指が生えているみたいに弾こうとあるプロの方がおっしゃったという話も伺いました。

 そして緑色のまるで囲んだところですが、前の音から飛んでいるのし、音自体が華やかなため、ついついぴょんと際立ってしまいやすいのですがその前の部分と同一のフレーズ内だから出っ張らないようにすること。同一フレーズ内では音の方向性を守りながら出っ張ってはいけないところで出っ張らないように演奏することが大切なのですが、それがやりやすいところとやりにくいところとがあります。和音が続いていたり音程差があったりするとやりにくいのですがそこは見えない糸をしっかりと認識しながら自然に音楽がつながったように演奏したいものです。

 フレーズごとに「問いかけ」「応え」と書いていますが、出だし部分はまさに問いかけと応えとで成り立っています。これについては他のところでもよく言われているので割愛します。

 そして問題は2段目、9小節目の出だし、赤くて太い丸で囲んだ部分!ここを華やいだ明るい響きの音にするのが最大の課題のひとつ!足腰でしっかり支えて、姿勢から準備する必要があります。しかしこの部分、フォルテだからと真上90度からついついがつんと叩いてしまいやすいのですね。近くではものすごい迫力で音を出したように思えても遠くでは単に固くて響かない音しかでていない、ということらしい。その固くて響かない音で頑張って弾くのをなんとかして辞めたいものです。ちなみにこういう音を出すとき、ついつい肩をいからせたり、手首を高く挙げたりしてしまっていたのですが、それは最もいけないとのこと。肩をいからせないようには心がけていたつもりですが、手首はついつい上げていたなあ。ちなみに音だし直前に手首をくねくねと上げたり下ろしたりするのもかなり無駄な動きだとのこと。非常に耳が痛かったです。上げ下げをすると音が出やすいと思いがちなのがまずいですよね。むしろ手の平の内側の筋肉をしっかり使い、手の内側の支えをしっかりとさせ、鍵盤をつかもうとする動きで弾くのが望ましいとのこと。その手の内側の支えを作るために、別の手の指で下から支えたりするとかなり音が鳴りやすくなるのですが、こういう支えを自らの手だけで作れるようになれたらと思うのでした。なかなか道は険しそうですが。

 練習していても自己満足レベルの練習になっているとレッスンの度に感じます、練習中に自分でチェックできるようになれたらいいのですが。少なくとも叩いて膠着している音と響いている音の違いが演奏中でも判断できるようになりたいな。音の色や風景などイメージ作りも明確に。練習は耳をすませながら焦らずにやっていこうと思います。


イーヴォ・ポゴレリッチのピアノリサイタルに行ってきました

2013年12月07日 | ピアノ・音楽

 今日はイーヴォ・ポゴレリッチのリサイタルに川崎ミューザまで行ってきました。昨年の春、彼の作り上げていた現実離れした世界に深く衝撃を受けたのです。今回はどんな世界に連れて行ってもらえるのだろう、という期待を込めて聴きに行きました。昨年春に聴いた彼のロ短調が大好きだったのです。

 曲目は以下のとおり、実は昨年の5月と一緒でした。どことなくスリムになった感じのポゴレリッチが舞台袖から出てきました。

ショパン: ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op. 35 「葬送」
リスト: メフィスト・ワルツ第1番

休憩

ショパン: ノクターン ハ短調 op.48-1
リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調

 ショパンの「葬送」始めはくぐもっていたような感じでしたがどんどん音もひらけていく感じになりました。第2楽章のえぐるような出だし、音が飛び散って血潮を吹いているようでした。その一方中間部のマズルカの優しく包み込むような歌。とろけてしまいそうでした。第3楽章の出だしは意外にインテンポで淡々と突き進むような感じでしたが、その乾き加減が一層寂寥感を感じさせるというか(実は昨年も乾いた感じの演奏だったようですね)そしてところどころの際立たせたい部分を引き出していたのも昨年通りでした。ショパンのソナタ2番の第3楽章は葬送行進曲というタイトルもありちょっと避けたい気持ちになる方もいるかもしれませんが、中間部のゆったりとした歌うようなところの素晴らしさを聴かずして嫌だというのは非常に勿体無いことだと思います。今日のポゴレリッチによるこの第3楽章の中間部、もうどこから音が出ているのと問いたくなるぐらい。天から星がきらきらと舞い降りてくるみたいでした。それから今回は第4楽章もインパクトを感じました。コーダ直前までモゴモゴした曖昧な雰囲気を徹底的に貫いていたのです。拍感が私の耳には明確に感じられなかったのですがそれが却ってこの曲の無調で廃墟のような雰囲気を端的に表していた感じがしました。

 リストのメフィストワルツ。出だしから抜群の躍動感と多彩なパレット、見事なノリでわくわくしっぱなし。音が玉手箱から飛び出してきたみたいでした。中間部の甘い囁きではぞくぞく状態。ピアノの魔法にかけられ魅惑の世界をたくさん覗かせてもらいました。この曲の美しさがとことんまで紡ぎ出されていました。前回の記事では特に書かなかったメフィストですが今回はきらきらしていてとても素敵に感じました。この演奏が聴けたのも大きな収穫だった気がします。

 休憩後ショパンのノクターンハ短調Op.48-1。前半部分の悲しくも重厚なところからなだれこむように激しいコーダに向かうところのエネルギーがすごかったです。畳み掛けながら渦を巻く和音に無意識のうちに巻き込まれた感じがしました。

 そしてプログラム最後のリストのロ短調!昨年はこの曲の演奏の後訳が分からなかったもののあまりにもすごくて呆然とした状態になったのだったっけ。確かに、時間は延長していたし、デフォルメもあったのかもしれませんが、それまでろくに聴いたこともなかったリストのロ短調が好きになったきっかけの演奏でした。今年もそれが聴けるなんて。。。どんなに長くても集中力をとぎらせたくない、と思って聴きました。そしてポゴレリッチはその期待に十分、いや十分以上に応えてくれました。出だしのヘビー級の練られた音からぞくぞく状態。壮大な嵐と竜巻はぐいと心を鷲掴みにし、そのまま音楽の世界にゆだねられたまま甘い甘いシーンへ。間の取り方のこだわりも感じられました。そして今回特に素晴らしいと思ったのがフーガ!それぞれの声部が美しくからみあいながら天へ天へと登っていく感じがしました。一緒に天に昇らせていただいていいかしら、という気分に、いやもう勝手に昇った気分になっていました。会場はもうホールではなくて天空でした、会場が暗かったのと彼の演奏姿がそのままでは見えるところにいなかったのもあったのですが、勝手に天空の世界を彷徨ったような気分になりながら聴きました。そして激しい出だしの部分が再現。再びエネルギーが爆発花開いた感じですがもうすぐ終わりだというさみしさも。これから一音たりとも聴き逃さないつもりで耳を澄ませました。そして最後のシ(ロ短調のロの音でした)で天空の世界はしゅるりと。またまたとんでもないものを聴かせていただいたという気持ちでした。音楽は終わったけれどこのまましばらくは地上に降りたくない気持ち。サイン会があるという朗報を耳にし勢いのままサイン会の列に並びました。会場には空席が見られたのですがサイン会の列は見事な長蛇。彼の音楽に連れ去れれそうになった方たちがこんなにいらしたのだと再認識しました。

 音楽が素晴らしかっただけではなくファンの方たちにもお会いすることができ、幸せなひとときでした。余韻に浸りながらまた日々の生活を楽しんでいきたいです。


鎌倉長谷寺に紅葉を観に行ってきました

2013年12月01日 | 気になる場所、風景

 先週大雄山最乗寺に行き紅葉の美しさにすっかりはまってしまいました。美しい姿を見ることが出来るうちに行けるところに行っておこうと思った矢先に白羽の矢が立ったのが鎌倉の長谷寺でした。長谷寺は江ノ電の長谷という駅から北に向かって5分弱ぐらい歩き左に曲がってすぐのところにある浄土宗のお寺で、天平8年十一面観音像を本尊として開山したといわれ、長谷観音という日本最大級の観音様でも有名です。

 この長谷寺ですが紅葉の時期には日没から閉山(17:30頃~19:00)まで紅葉のライトアップが行われるとのことで、ライトアップした紅葉を見に行きました。

 入口では山門とともに長谷寺と書かれた大きく赤い提灯が歓迎してくれました。

 入ったとたん色とりどりの紅葉が迎えてくれました。ライトアップされてはいたもののまだ日が暮れていない状態です。多くの人たちがこの紅葉の美しさを十分に味わおうとひしめき合いながら、記録に残そうとカメラを構えていました。

 少し近づいてみました。黄緑と赤とのコントラストが感じられます。フラッシュががたけたりたけなかったりという状態だったのですが、たいたほうがよかった場合とたけていないほうがよい場合とがありました。

 ちょっと迷い込んだような感じの風景です。実はその前にもものすごい人がいたのですけどね。

そういうときにはカメラを上に向けたくなります。そうしたら、まるで天井画のような美しい世界が見えました!

 そして反対にカメラを下に向けると、かわいらしいお地蔵さんたちが三人肩を寄せ合っていました。

 お地蔵さん周辺は暗く写っていますがまだこの時間帯は日が暮れていませんでした。赤と黄色とがグラデーションのようになっている紅葉の美しさには息を呑むばかりでした。

  階段を上まで上り、本堂こと観音堂の前に来ました。長谷観音を見たのは初めてでしたが、非常に大きいのにまず驚きました。しかしとても穏やかな顔をしていました。観音堂の写真です。

 観音堂の隣の阿弥陀堂の写真です。阿弥陀如来様も堂々とした風貌でした。

 

実はこの長谷寺、紅葉ばかりではなく竹も美しく生えていたのでした。

 そうしているうちに日が暮れてきました。目に入る紅葉の色合いにも変化が見えていました。

 この木の葉のグラデーションの鮮やかさと美しさ、遠くから見たら非常に目立ちました。

 近くからもうまく撮れたらいいのですが。。。

 降りながらも出来るだけ多くの撮りたいとばかり欲張ってしまいました。

 空が真っ暗になってきました。ライトアップの方法も変わったのでしょうか、紅葉の周辺がさらに輝き出しました。ちょっぴり夜桜みたいです。

 黄色や緑色も負けていません。

 秋限定の花火でした。

 日が暮れていない時間帯に上に向けたカメラ、暮れてからも向けてみました。天井画、中心が暗くなりましたが紅葉が美しく彩ってくれています。

 コースを一通り回り、紅葉に別れを告げました。素晴らしい姿を見せてくれて本当にありがとう、また会おうね、と。

 


大雄山最乗寺

2013年11月24日 | 気になる場所、風景

 ブログ、前回の更新から1ヶ月以上間が空いてしまいました。その間アンサンブルの本番、聴きに行く演奏会、練習会、お仕事お遊びいろいろありましたが、なんとか元気にやっておりました。

 しかし少し足を伸ばし自然に触れるということは本ブログの前回の更新日、すなわち箱根以来やっていませんでした。今はまさに紅葉の美しい季節、しかも今日はフリーなひととき、この時を逃すわけはいきません。

 そこで小田原市から内陸部に入った大雄山というところにある、最乗寺という曹洞宗のお寺に行ってきました。天狗が住んでいるというお寺です。

 まず小田原から大雄山線に乗り、大雄山という駅に向かいました。小田原から内陸といえば箱根も思いつきますが、箱根が北西方向であるのに対して大雄山は北東方向です。初めて乗る大雄山線。午前中は人も少なくのどかでした。

 大雄山駅周辺は近くにお寺があるとは思えないぐらい平らで普通の市街地のように思えたのですが、そこからお寺に向かうバスがあったのでした。バスに乗ってしばらくすると道がどんどん狭くなり橋を渡ると市街地から森林の中に。この中だったら天狗がいてもおかしくなさそうな気がしてきました。

 バスから降りたとたん寒気が。やはり山間部なので気温が低くなっていたのですね。しかし目に入る風景はまさに森林。幻想ワールドへの誘いのような入口です。

 階段の向こう側から差している光が美しいです。登っていくとこのような門が見えました。

 おとぎの世界への入口みたいですね。いや、ここはお寺なのですけどね。

 さらに歩いていくと、ちらりと赤が見えました。いよいよ紅葉が見えてきたかしら。

 そうです、紅葉です!嬉しくなってどんどん写真を撮ってしまいました。

上を向くと優しい光が差してきて夢のよう。

 ちょっと近くに寄ってみると。。。まさに紅葉!嬉しいですね♪

  そして再び上を見ました。赤と黄緑とのコントラストが美しいです。

 右に曲がると本堂へと向かう階段が見えました。

 手前の赤いもみじを下からアップして撮りました。

 本堂に入りお参りをして、さらに登ろうとしたところでまた美しいもみじが目に入りました。もちろんお参りもちゃんとしたのですが、写真はどうしてもこちらのほうが多くなってしまいまして。。 

 

 最も奥にある御真殿に向かっています。途中で見える多宝塔と滝が美しいです。 

 そしてさらに登っていくと山の住民こと天狗たちにお目にかかることに。

左にあるこちらの天狗が小天狗。鳥のようなくちばしを持っていて烏天狗とも呼ばれています。凛々しいです。

 そしてこちらが大天狗。いわゆる普通の天狗と呼ばれる天狗に近い鼻が長い天狗です。

 彼らが御真殿の前に立ちはだかって守っているようですね。

 そして御真殿に到着。

 鐘を叩いてお参りし中にも入りました。中にもさらに大きくて威厳のある天狗たちがいてさらに奥の仏様を守っていました。

 中から出てしばらくすると、お坊さんたち何人かがこの御真殿にすたすたと入っているのが見えました。何かが始まりそうな気配です。部屋の中もたちまち人が増えました。私たちも物珍しさもあってもう一度中に入ってみたとたん、読経が始まりました。しかしその読経、今までよく聴いてきた一定速度の比較的ゆっくりとしたものではないのです。太鼓が高速で叩かれその速い拍に合わせてお経もものすごい速度、激しい調子で読まれていました。そして速度変化も激しく、速くなったり遅くなったりという状態が繰り返されました。しかもお坊さんたちは何かをひらひらとさせており、踊っているようでした。その読経とお坊さんたちの動きの迫力が薄暗い仏壇の前で繰り広げられていて、まるでそこから火が出ているような凄みを感じました。お経を聴いてかっこいいと思うことは今までほとんどなかったのですが、かっこよかったのです。曹洞宗のお経を聴いたのは初めてなので、それだからだろうかと思ったのですが、曹洞宗そのものとは関係がないようです。たまたま時間帯がよかったのですね、貴重なものを聞くことができて本当に良かったです。ちなみに最乗寺の読経を録音した動画もあったのでリンクを貼り付けておきます。

最乗寺修行僧の読経

 御真殿周辺の紅葉も美しかったです。

 さてさて帰る方向に向かうのですが、なにしろ目当ての紅葉たちを堪能しないわけにはいきません。気に入ったお姿を見かけたら全部シャッターを切りまくりました。 

 

 どんどん下っているのですが、そうなればなるほど最乗寺の紅葉の美しさを大切に残しておきたくなるのでした。別れを惜しんでいるのか紅葉たちも艶やかな姿を見せてくれたのでした。

 さみしいです、もう本堂の門も出てしまいました。

 来年できたら再会したい、と思えるような素晴らしい歴史と自然を楽しむことができました。最乗寺についてもっと調べたほうがよさそうなのですが今回はこの写真でおしまいにします。ありがとうございましたヽ(´▽`)/

 


箱根に行ってきました

2013年10月14日 | 気になる場所、風景

 さわやかな青空が広がっていた本日、自然に触れたくなり箱根に行ってきました。最初に芦ノ湖スカイラインを通ってふたつの峠に行きました。

 標高1030mの杓子峠です。自然が美しいところですが彼方に見えるのはなんと。。。

 富士山でした!雲より高い頂上をしっかりのぞかせています。県外とはいえずいぶん近くにあるように見えます。

 もう少し標高が高く、芦ノ湖スカイラインでは絶景が見えるといわれている三国峠に向かいました。標高1070mです。右側奥に何かが見えますね。

 くっきりと見えました!富士山よりも低い雲がさらに近づいているように見えます。前景の緑とよきコントラストをなしています。

 そして今回は秋の風物詩であるすすきを手前にして眺めることもできました!

 富士山を見た後はポーラ美術館へと向かいました。今回はクロード・モネ(1840-1926年)の風景のとらえ方の特徴をテーマにした「モネ、風景を見る眼」という特別展を開いていました(会期は11月24日まで)。好きな画家だったのでうれしかったのですが、今回はモネの絵の特徴を以前よりも具体的にとらえられたような気がしました。創作当初はミレー、コローを代表としたバルビゾン派の影響のもとで風景を写実的に描いてきましたが、次第に色彩は明るくなり移ろいゆく光、空気、水を描いていくようになりました。人物の描写も、筆者の思い出やストーリーを懐かしみ主観的に捉えて描いた他の画家たちにたいして、人物も自然や風景と一体化し溶け込ませ、絵を見る者たちが風景の中に入り込めそうような絵を描きました。当時の社会情勢が感じ取れ、まるで自分も100年以上昔のその場にいるような気持ちになれました。

 左から「貨物列車」1872年、「ジヴェルニーの積みわら」1884年、「雪のアルジャントゥィユ」1875年です。

 

 その後ますます移ろいゆく光を端的に捉えた美しい絵を描くようになりました。ボートを漕ぐ女性たちの絵を描いた「舟遊び」1887年、「バラ色のボート」1890年、日没の赤い光がたまらなく美しかった「セーヌ河の日没、冬」1880年、光を描いたモネを象徴する名作「ルーアン大聖堂」1892年、「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」1900年、「睡蓮の池」1899年、「睡蓮」1907年等有名ともいえる絵も展示してあり、すっかり幸せな気分になりました。

 ちなみに先ほどあげた絵ほどは有名ではないかもしれませんが、今回もっとも強く惹きつけられた絵がこの絵でした。1882年に描かれた「ヴァランジヴィルの風景」です。海とともに地平線が見える風景の手前にどんとそびえている五本の木の存在感がただものではありませんでした。色も明るく一層存在感が感じられました。解説によるとこの地方は海に面する断崖と渓谷がみられる絶景だそうですが。。。日本の浮世絵の構図を採り入れたのではないかともありました。

 これらの作品を見て充実した気分になったのですが、

 さらに芦ノ湖畔の美術館に足を伸ばしたくなりました。日本画を中心に展示してある成川美術館に行ってきました。

 館内からは芦ノ湖や箱根神社の鳥居が見えてなかなかの景観です。空が晴れていたら富士山も見えるのですが、この時間では厳しかったですね。

 

  前回初めて行った時は点数はそこまで多くはないもののセンスのよい日本画が展示してあって好印象を抱いていました。院展の作家さんの名作や漆芸の第一人者の方の渋くて素敵な作品が展示してありました。他に今回はどのような特別展が開かれているのか知らずに行ったのですが、その特別展「小笠原元 風景との語らい」の作品が私にとっては嬉しい出会いになったようなのです。

 部屋に入るなり大変美しく細やかに描かれた絵が展示してありました。作者は小笠原元氏(1954年~)、Wikiにも載っていないし名が通った方でもないのですが、絵の美しさとその横にあった本人の飾らないコメントに惹きつけられました。具体的な言葉はちょっと違うかもしれませんが、「ぜひ描いてほしいと言われたので訪問した」「非常に寒くて少ししかその場にいることができなかった」「夏だったので1時間しかそこで描くことが出来ず何度も通った」「とても心に残る風景だったので再度取材したい」というようなコメントだったでしょうか。あまりにも飾っていないコメントに対して描かれた絵の細やかさと誠実さとのギャップが大きすぎてたまりませんでした。この人はこれらの風景が本当に気に入り、大切に思って描いてきたのだというのが絵全体から伝わってきました。購入した絵葉書からスキャナして紹介です。

 左は「春の訪れ」、右は「駒ヶ岳」です。どちらも大きな作品で屏風になっていました。駒ケ岳は今日見た風景と一緒のはずですが、この絵の季節は冬でしょうか。

 

 左は「忍野」右は「浜」です。「忍野」は山梨県の南東部、富士北麓に位置するところなのですね。大変気に入ったらしくもう一度訪れたいと書かれていましたが、私はこの「忍野」の絵全体から伝わってくる富士山の神がかった凄味にやられてしまいました。「浜」は中々雪の降らない地域(すみません、どこか忘れてしまいました)に短時間だけ雪が降ったらしく、その短時間を描写したという絵だそうです。

 そして噂できいて出かけたものの予想よりもはるかにすばらしく感じたという尾瀬を描いた作品「尾瀬」です。まるで桃源郷のようです。この絵を見ただけで実際に尾瀬に行きたくなってしまいました。

 あまりにも素晴らしい絵に巡り合い温かい気持ちになっていたところさらに衝撃の事実を知りました。なんと作者の小笠原氏、取材にカメラを一切使用せず自分の五感だけで自然に寄り添い対話しながら描いていたのだそうです。だから「寒くて帰った」というようなコメントもでてくるのですが、それでここまでの絵が描けるのです!衝撃です。ちょっとしたスケッチを描くのでも写真を撮らないと安心できない者としてはただただ頭が下がるばかりでした。写真に大いなる恩恵を被っている今、彼を見習うことはとてもじゃないけどできませんが、物事にまっすぐに取り組む姿勢から教えられることが多かったです。

 嬉しくなった気分のまま、美術館を後にし、芦ノ湖畔に向かいました。夕方、日没前の日の差した水面が美しかったです。しっかり写真ですが。

  

 


チェロとピアノの演奏会に行ってきました

2013年10月12日 | ピアノ・音楽

 今日は歌の仲間達との集まり。連弾したりリコーダーしたり歌を歌ったりして楽しみました。その後昨日に引き続き演奏会に行ってきました。若手二人によるチェロとピアノのデュオ演奏会です。

演奏 チェロ:神谷勝 ピアノ:小林真央

プログラム

バッハ作曲 ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第3番 ト短調 BWV1029

バルトーク作曲 ルーマニア民俗舞曲

ヒナステラ作曲 パンペアーナ第二番

~休憩~

ベートーヴェン作曲 モーツァルト『魔笛』の主題による12の変奏曲 ヘ長調Op.66

フランク作曲 チェロソナタイ長調

<アンコール>

シューマン作曲 トロイメライ

 大変意欲的で充実したプログラムでした。バッハのヴィオラ・ダ・ガンバは古い楽器をもとにした曲でありとても難しそうに思えたのですが、特に第二楽章でうっとりと。バルトークのルーマニア舞曲やヒナステラのパンペアーナ第2番は細やかで難しい動きがたくさんあったのですが色彩豊かな音色と民族の熱き血を感じさせる演奏でわくわくしました。ピアノと違い弦が外に出ている弦楽器、空気に触れている度合いがピアノよりも多く音もそのために移ろいやすそうな気がしたのですが、その移ろいやすさがうまく生かされて生き生きとした味わいが出ていたような気がします。

 後半も楽しませてもらいました。フランクのチェロソナタは難曲だと思うのですが、とても血の通った音楽で、最初から音楽の世界に惹きこまれ、ぞくぞくしぱなしでした。チェロがピアノが表情豊かにのびやかに歌っていました!なんてすばらしい音楽なのでしょう!終わったあとに感じたのはまさに希望そのものでした。素敵なものを聴かせていただきました。

 今後のご活躍を楽しみにしています!


エル・システマ・フェスティバル 2013

2013年10月12日 | ピアノ・音楽

 昨日は日本・ベネズエラ外交樹立75周年記念事業として開催された、エル・システマ・フェスティバル2013に行ってきました。会場は東京芸術劇場のコンサートホール。19:00の開演から盛りだくさんの内容で堪能してきました。

演奏:エル・システマ・ユーズ・オーケストラ・オブ・カラカス       

指揮:ディートリヒ・パレーデス

ピアノ:萩原麻未

曲目は

ヴェルディ作曲 オペラ『運命の力』序曲

グリーグ作曲 ピアノ協奏曲イ短調Op.16

<アンコール>

バッハ/グノー作曲 アヴェ・マリア

 ~休憩~

チャイコフスキー作曲 交響曲第5番

<アンコール>

サン=サーンス作曲 『サムソンとデリラ』より パーカッション

セキーニャ作曲 ティコティコ

バーンスタイン作曲 『シンフォニック・ダンス』より マンボ

 噂には聞いていたエル・システマ。どのようなステージなのだろうと期待していました。とにかく最初から最後まで圧倒されぱなしの3時間でした。終わった時にはすっかりラテンの祭りのルンルン気分に、音楽とはこうあるべきなのでは、と語ってしまいそうでした。

 最初のヴェルディ、オーケストラのメンバーがステージに溢れかえりそうな状態になっていました。コントラバスが10人、フルートが8人はいたでしょうか。弦楽器もたくさんいました。エル・システマの教育を受けた若々しい演奏家たちが表情豊かな音楽を奏でてくれました。音程もしっかりしていました。場面転換も鮮やかでまるで絵巻物を見ているようでした。

 次のグリーグではオーケストラのメンバーが激減。萩原麻未さんによるピアノが入りました。萩原さんの演奏を初めて聴いたのは彼女が中学生のときでしたが、そのころから地元のオーケストラをバックに協奏曲を堂々と演奏していてさすがだと感じた記憶があります。そのころから世界的な大ピアニストへの道筋へとつながっていたのかもしれません。グリーグ、オーケストラとも堂々と掛け合っていてダイナミックな演奏でした。第2楽章の中間部の夢見るようなところでのきらきらした輝き。第3楽章では一転して切れの良い演奏を聴かせてくれました。メンバーが激減したオーケストラのメンバー、しかし音の厚みがほとんど変わらなかったのがすごかったです。管楽器の音がのびやかに出ていました。

 その後萩原さんによるアンコール、アヴェ・マリアだったのですが、繊細なピアニシモが2階席にもしっかりと届いていました。細やかな真珠のような演奏。ピアニシモとなると音すら出なくなりやすいのに、さすがです。しびれました。

 休憩後はチャイコフスキーの交響曲第5番。大好きな曲なのですが生演奏で聴いたのは初めてでした。再び大所帯のオーケストラによる演奏。曲が曲だったのもあるのですが、どこかへ連れて行かれそうな圧巻の内容でした。第2楽章の有名なところでは空に舞い上がったような気分に、第3楽章では曲に合わせて頭を振りながら、第4楽章ではアドレナリンが放出しっぱなし、あの疾走しそうな場面ではこんな演奏をするのかと再認識。今でも口すざめそうです第4楽章。音楽よ永遠なれ、と口走りそうな状態でしたが、演奏者の方たちはそこで収まるような方たちではありませんでした。

 壮絶のアンコール3曲!!!ラテンのエネルギー爆発といったような状態でした。抜群のリズム感、超絶なパーカッション、立ったり座ったりトランペットや弦楽器の軸が上下したり回転したりと、噂にきいていた世界が目の前で繰り広げられました。最後のマンボまでイケイケドンドン、なんといっても演奏者の人たちがとても楽しそうで、これぞわれらの音楽だと体全体で表してくれました。ステージと客席が一体になり熱きラテンの渦に。楽しく興奮に溢れたひとときでした♪