湯河原梅林に梅を観に行ってきました。まだ3分咲きでしたが、美しい姿をたくさん見せてくれました。写真は真ん中の三角をクリックしていただくとスライドします。
湯河原梅林に梅を観に行ってきました。まだ3分咲きでしたが、美しい姿をたくさん見せてくれました。写真は真ん中の三角をクリックしていただくとスライドします。
手作り感覚と野性味。ウィスペルウェイ氏のチェロリサイタルで、手に取るように感じた感覚であった。その曲に見合ったおそらく演奏者がとことん研究し考え抜いてこうしようと決めた成果を、羊腸(ガット)と木とを瞬間的に摩擦させながら、大胆に、勇気を持った形で、バッハやレーガーの世界に誘ってくれた姿に心打たれた。音が出るようにするまで、そして出てから音程を作るまで、そして音程が作られてからその音程を出し切るまで、区切れの見られない楽器でその過程をアナログ的な方法ですべて行っていて、それ自体がリスクに満ち溢れたものであるのだが、そのリスクぎりぎりの、いや、弓の動かし方から見たら、ぶつかったり離れたり、もうリスクを超えているのかもしれないような状態で手作りの音楽を聴かせてもらえた、ということにも心打たれた。音が踊り弾んでいた、そして呼吸していた、組曲には舞曲が何曲か含まれていたが、私には当時の人たちが靴音を立てながら軽やかに、または情熱的に、踊っている姿が目に浮かんできた。皮膚から体の奥底に実感をもって伝わってきた躍動感は決して忘れることはないだろうと思う。
曲についての予備知識もあまりなく、あまりよい聴き手ではなかったと思うのだが、こういう聴き方は今回しかできなかっただろうから、よかったのかもしれない。心もだが体にも染み入った演奏だった。彼の演奏に夢中になる方たちの気持ちが手に取るように分かった。私も夢中になったから。本当に、本当に、素敵な演奏会だった。
ちなみに無伴奏組曲第6番のガヴォットによく似たピアノ曲があったような気がしてならないのだが今思い出せない。どこかで聴いたことがある懐かしいメロディーだと感じたのだが。
「音楽は呼吸しているのだ」
昨晩のピーター・ウィスペルウェイのリサイタルから感じた第一の感想。その一週間前にアンサンブルで素晴らしい演奏を、そしてマスタークラスでは充実したレッスンを披露してくれた彼。そんな彼がチェロ一本で演奏を披露してくれるのだ。曲目は以下の通り無伴奏の名曲集の勢揃い。
レーガー 無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 Op.131c No.2
バッハ 無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV1012
休 憩
レーガー 無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 Op.131c No.1
バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009
レーガー(1873~1916)はドイツ後期ロマン派の作曲家で、バッハの影響を多大に受けた人である。彼の無伴奏チェロ組曲は聴いたことはなかったが、オルガン曲をottavaで聴いたとき、なんと壮大で魅力的な曲なのだろうと感じ好印象を抱いていた。そしてさらに最近知った事実はワーグナーのオペラ、トリスタンとイゾルデの「イゾルデの愛と死」をレーガーはピアノ曲に編曲していてその演奏が素敵だということ。リスト編曲の演奏でこの曲を知った私としては非常に親近感を覚えた。
そんなレーガーの無伴奏チェロ組曲。いきなり哀愁に溢れたバッハらしい雰囲気の出だしだが、半音階やジプシーのようなところが次々に出てきて、音楽に没入するのはこわいけれど没入しないと弾けるようにならないだろうと思えるところがたくさん。ウィスペルウェイは音楽の中にすっかり入り込んでいるように見えた。その後の曲も、解説には20世紀初頭と書かれているが、もっと古い時代の曲としてとらえてもいいのではないかと思えそうな曲がたくさんあった。初めて聴いた人はバロック時代の曲だと思う人も多そうだ(弦楽器に詳しくないから一概にそうとは言えないかもしれないが)
いけない、曲の解説になってしまっていた。彼の演奏やチェロについて書きたいことがたくさんあるのに。
弓を右から左に左から右にと擦って音を鳴らすチェロ。しかし彼は弓の擦り方を曲に合わせたものにしていた。おおざっぱな見方かもしれないが、プレリュードのような華やかな曲、ブーレ、ジーグのような快速な舞曲など、動きやスピードのある曲では右下から左上へ擦り付けるところと、左下から右上へ擦るところとを、明確に分けていた。拍頭は右下から左上で強く擦り付け、そしてそれ以降は左下から右上へゆるやかに擦るようなところが多いような気がした。曲の構造にあった弓捌きをしているような気がしたので、楽譜を見ながら聴いたらさらに面白いのではないか、と思った。その一方でラルゴのようなゆったりとした曲では、左から右へ右から左へと弓を弦から離さない状態を長く長く保ちながら美しいレガートを作り上げていたような気がした。弓を弦からつけたまま長い音を保っているとき、彼の呼吸はどうなっているのだろうかと思った。かなり長い息で演奏しているに違いない、少しでも下手な息をして右手がぐらついてしまうと、あのレガートはもろくも崩れ去ってしまうだろうだから。弓を動かしながらも一定の角度で支えるためには肩や腕の力が相当いりそうな気がした。
音楽の構造と弓の動かし方とに関連性がしっかり感じられたのがすごいと思った。弓の動かし方については楽譜には書かれていないようだから、曲の研究への成果が見られたのでは。
右手の弓だけではなく左手の指もかなりさまざまなことをしていたと思う。微妙な音程をぴったりと調節するために強さや角度も曲に合わせて変えていたのではないかしら。ちなみにチェロを習われている方の話によると、音程を作るのは左手、そして右手では音色とリズムということだが。あれだけの動きをする右手の弓で弦を擦りつけてもぐらつかない音程を保つためには、左指で弦をしっかり押さえないといけないだろう、こちらは指の力がかなりいりそうだな。その抑える細かい位置や角度によって、音程がかなり変わるということだから。
それからチェロは単音楽器のはずだがとんでもない。遠くの音、近くの音が明確にあり、立体的な建造物のようになっていた。直線的に遠近の線引きがされているところもあれば、ゆるやかに遠くから音が近づいてきたり、近くから音がどんどん遠ざかって行ったりと、遠近感がたくさんあった。しかもそれが彼を取り巻く空間からダイレクトに伝わってきたのがすごいと思った。楽器を取り巻く立体的な音空間があらゆる感覚器から感じ取れるなんて、なんていうことだ、もう。ちなみにレーガーには「フーガ」なんていう曲もある。単音楽器ではフーガなんかできないはず。確かに音数は鍵盤楽器のフーガよりは少なかったが明らかにこの曲はフーガだった。
バッハの無伴奏組曲は非常に難曲で高度な技術を要するものなのだそうだが、それぞれの組曲の味わいが感じ取れる演奏に思えた。音が開いたり閉じたり反り返ったり丸まったりと多種多様、音楽のベクトルに合わせて音の方向も多彩に変えていて聴いていて楽しかった。音程的に難しいところも本当にたくさんあるだろうなと思った。左手の指も的確な位置を押さえるのは並大抵ではないだろうにものすごい快速で微妙な位置の調整をとりながら音程をとっていたところもあった。鍵盤楽器ではあまり感じなくてもすみそうな音程への責任を伴うというのは相当なものだろうと思った(だから鍵盤楽器はもう一つの旋律や伴奏が必要なんだと思う)チェロでは左手を弦から離すこともあるのですね、それには驚いたが、開放弦といって実際の演奏でも行われるらしい。
彼には演奏を通して「こうしたい」ということがはっきりしていたような気がした。だから演奏から伝わってくるものもダイレクトで大きかった。メッセージをすべて受け止めきれたとはいえないかもしれないが、それでも、多くのものを彼から受け取ることができたと思った。疲れていただろうにサイン会でも笑顔で話を聞いてくださった。本当に彼の生演奏を聴けてよかった。また来日した折にはぜひ演奏を聴きに行きたいと思う。
いよいよ今週こそ絵はアウトだろう、と思われた皆さん、残念ながら(?)間に合いました。花瓶に花を生けたいと思ったのが運のつき、買ってきて生けました。しかしこの花、店には名前もちゃんと書いてあったのに何の花だったかすっかり忘れてしまいました。残念。お花の名前に詳しい人を尊敬する、だから自分も花の名前を覚えるようにするとかつて言っていた人は誰でしょう?もしこの花の名前がお分かりになった方は教えていただけるとありがたいです。
毎週というノルマは意外にきつく来週から本当にあてになりませんが、それでも継続的に描きつづけていきますので、よろしくお願いします!
先日みなとみらい大ホールで行われた国際音楽祭の「諏訪内晶子&ウィスペルウェイ&江口玲アンサンブルコンサート」にNHKのテレビ収録が入りました!こうなったら見ないわけには行きません。
3月17日(日) 午後9:00~ Eテレ 「らららクラシック」
3月27日(水) 午前6:00~ BSプレミアム 「クラシック倶楽部」
全体を聴くのだとしたら27日の方がいいと思いますが17日でも一部は聴けると思います♪
そして第2弾は音楽祭出演者によるマスタークラス。ピーター・ウィスペルウェイ氏による室内楽クラスと諏訪内晶子さんによるヴァイオリンクラスで、私はウィスペルウェイ氏による室内楽クラス2クラスと諏訪内さんによるヴァイオリンクラス1クラスを聴講した。ウィスペルウェイ氏の室内楽クラスではショパンのチェロソナタとシューマンのアダージョとアレグロだったのですが、ピアノを弾く人にとっても参考になる内容でした。短い音ほど面白い、とか、フレーズの終わりの扱い方は非常に大切だ、とか。チェロにもピアノにも共通してアドバイスしていた内容が終わりの音は決して強くなりすぎないように、そのためには気を抜かないこと。気を抜くと尻もちになることも多いという話もされていた。弓をはじからはじまで使う、ということは弦楽器を弾く人にとっては楽器が鳴るためにも大切なチャレンジだったのだ。音程を外さないとか音を間違えないために、そして体の硬さもからんで弓の一部だけ使ってしまう、というケースが多いのだが。ピアノで言うと弦を最大限に鳴らすような動きをする、ということにつながりそうだ。ちなみにその後のトークセッションで、ウィスペルウェイ氏はあのジャクリーヌ・デュプレの師であるウィリアム・プリースの薫陶を受けたという話をされていた。
そして第3弾が今日。横浜美術館での美術館コンサートと音楽祭最終演奏会のアンサンブルコンサートでした。美術館コンサートはロビーで2回ありました(しかも無料)江口玲氏のピアノソロ、そして諏訪内晶子、ピーター・ウィスペルウェイ、江口玲のトリオだったのですが、ときどき開く自動ドアの間から入ってくる冷気の冷たさを感じた以外は非常に充実、本番前なのにこんなに興奮してしまっていいのと思えるぐらい見事な内容でした。本番になかったプログラムは江口玲氏のピアノソロで以下の内容。
ルービンシュタイン ペテルブルグの夜会よりロマンス 作品44-1
シューマン トロイメライ 作品15-7
リスト バラード2番 ロ短調
1番目の曲の作曲者であるルービンシュタインはショパンの演奏などで有名なポーランドのアルトゥール・ルービンシュタインではなくて、へ調のメロディー で有名なアントン・ルービンシュタイン。このペテルブルグの夜会よりロマンスもメロディメーカーのルービンシュタインらしくささやかながらも優しく心あらわれそうな曲であり、演奏であった。そしてその後の二曲。表現力の豊かさを表してくれた。リストのバラード2番は最近聴く機会が多いような気がするのだが、まさにダイナミックでドラマチック。江口氏のピアノのスケールの大きさを実感。扉の開閉もこの瞬間は気にならなくなっていた。 そしてその後は諏訪内晶子、ピーター・ウィスペルウェイ、江口玲のトリオによる、演奏会本番曲3曲が演奏されたのだが、これが大当たり、ちょっと朝早くても行ってよかったという内容だった。演奏者の呼吸や演奏の臨場感、楽音そのもの+αが手に取るように伝わってくる上にその多彩さが半端ではなく、本番前なのに私の気持ちとしてはもうすっかり出来上がってしまっていた。特にラヴェルのヴァイオリンとチェロのソナタには仰天。曲自体の妖しくなまめかしそうな、それでありながらどことなく野生味のある雰囲気と挑むような弦楽器同士の掛け合いにぞくぞくさせられっぱなし。特にウィスペルウェイ氏のチェロの音域の広さとダイナミクスの大きさ、技術の巧みさには魂を奪われぱなしだった。彼の使っているチェロはピッコロチェロといい、高い音域も出ており、チェロの音域がここまで広くていいのだろうかと思った、もちろんずんずん響く低い音域もしっかり出ており楽器全体が鳴りまくっていた。こんなにすごいものを本番前に聴いてしまっていいのだろうかという想いもよぎってきた。もう一度聴けるなんてなんて贅沢で幸せなのだろうと思いながら会場に。
そしてみなとみらい大ホールでのアンサンブルコンサートのプログラムは以下の通り。
ブラームス ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 作品8
ラヴェル ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49
当然だが美術館よりもフォーマルな雰囲気、しかも大ホールであったのもあり舞台からの距離は一気に遠ざかり美術館で感じられた臨場感が感じにくくなっていた。2階席だったがもっと近い席をとればよかった。(それでも今回はちょっと奮発したのだがそうするのだったらもっと方法があった気がしている)ブラームスのピアノ三重奏曲、第二楽章に非常に心惹かれた。残念なことに何がよかった、と今は具体的に言えないのだが、この第二楽章をもう一度頭の中で再現できないだろうかという想いがある。
ラヴェルのヴァイオリンとチェロのためのソナタは美術館で聴いたから衝撃的な感動は少しなくなっていたが、それでもすごい演奏だったと思う。曲自体の力もあると思うが、弦を解放し表現力の限界に挑んでいたのが遠くにまでしっかり伝わってきた。音の鳴らし方弓の動かし方も多種多様、ときには楽器本体に弓がぶつかったりもありなのだが、この曲のここではこう来るしかないだろうというか。美術館でのウィスペルウェイ氏のこの演奏にはまってしまった私だが本番でもその勢いはとどまることを知らず。もっと近くで聴きたかった。
そして個人的にもっとも馴染みがあり楽しみにしていたメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番。第1楽章の出だしで江口氏のピアノに誘われてウィスペルウェイ氏のチェロの語りが登場、どろどろと地の底を這いまわるような世界を。ピッコロチェロではなくてファゴットチェロかと思えるような感じ。長調部分に入り浮き立つ気持ちに。気持ちを奪われたまま大好きな第2楽章へ。出だしから江口氏のピアノ大活躍、くっきりとしたフォルムでありながら甘く官能的な音楽。あまりの美しさにとろけそうに。そして弦楽器の壮絶に美しい重奏が加わって夢の世界に。そして第3楽章のヴァイオリンとチェロとの掛け合いが面白かった軽やかな踊りを楽しんだ。アグレッシブな世界が作り上げられていた。そしてジプシー風の激しい出だしが印象的な第4楽章に突入。激しい部分もよかったのだが、個人的には途中で登場する光がさす部分に非常に心惹かれた。高貴で包み込むような音色でチェロで歌い上げられピアノが続いたあの瞬間が。コーダにも登場したこの光、第2楽章に次いで印象に残り帰り道もその部分がロールバックしていた。すごかったなあ。
ぐいぐいアンサンブルを引っ張り、表現力の豊かなチェロを聴かせてくれたウィスペルウェイ氏のバッハの無伴奏のCDを購入しサインをしてもらおうとおもったものの、サイン会は人がたくさん並んでおり帰りが遅くなりそうだったので今回は並ばずに帰宅。(実はもう一度聴きに行くのです、ふっふっふ。期待大。)表現ということについて多くのことを教えてくれた気がした。
演奏もでしたが情報を教えてくれご一緒できた友人にも深く感謝。話題の豊富さと深さ、そして忙しい中でも時間を作り横浜に通い続けた熱意とバイタリティに脱帽でした。
先週の連休からみなとみらいホールに三度通った私。国際音楽祭NIPPONという音楽祭の開催地が横浜と仙台であることをtwitterからの情報で知り貴重なチャンスだとばかり出かけた。
先週の土曜日第1弾は大ホールにてエサ=ペッカサロネン氏によるレクチャーとシンポジウム、演奏会のリハーサル、エサ=ペッカ・サロネン氏指揮、フィルハーモニー管弦楽団、曲によってはヴァイオリンソロの諏訪内晶子さんが加わるコンサートだった。曲目は
ベートーヴェン 劇付随音楽「シュテファン王」作品117序曲
シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調作品47
シベリウス 交響詩「ポホヨラの娘」作品49
サロネン ヴァイオリン協奏曲(日本初演)
サロネン氏のタクトから流れる音楽は多彩で非常に豊か、タクトの先から流れ出る音楽は生き生きとしていて生命力に溢れていたものだった。楽器の使い方も実に巧み。金管木管ハープ打楽器弦楽器、それぞれの楽器がすべていい味を出ていて音楽で表せるものはここまで多彩で深かったのだと感じさせるものだった。特に後半に繰り広げられた心湧き立たずにはいられないポホヨラの娘。そしてサロネン作曲の楽器の機能総動員の想像力の宝庫のようなヴァイオリン協奏曲。サロネンのヴァイオリン協奏曲は短い第二楽章の究極的なバイオリンと背景のオケ、第三楽章の多様な打楽器を用いた激しい躍り、そして別れの第四楽章。コーダに近いところのバイオリンソロにたまらなく泣けそうなところがあり、印象深いものだった。その前のシンポジウムで話題になった、クラシック音楽と現代音楽についての定義づけがよみがえってきた。シンポジウムに同席していた西村朗氏の話によると、クラシック音楽は古い音楽というわけではなく、古くても新しくても伝統的に受け継がれた様式を守っている音楽のことを指し、いわゆる現代音楽と言われるジャンルも新しい音楽というわけではなく、第二次大戦後に使われた前衛的実験的な音楽のことを主にさす、と。サロネン氏も異種のものを採り入れることについて興味深い話をしていた。もし異種のものを採り入れたとしても作曲家は自分だけの有機的なものを産み出さなければならないという闘争がある。つまり一音一音の吟味から始まる職人的な仕事だと。その作曲家、そして音楽つくりのプロとしての彼の成果が形となってあらわれたものが今回の演奏だったのではないかと思った。サロネンという指揮者とフィルハーモニー管弦楽団というオケ、この日まで知りませんでしたがよき指揮者&オケだと思った。(主人も聴きに行ったのだが、よかったと言っていた。サロネンのヴァイオリン協奏曲も面白いと)曲も少し聴いたことのあったシベリウスのヴァイオリン協奏曲以外はまったく知らない曲ばかり、新鮮な空気が入り貴重な出逢いのひとときだった。
あっという間に2月も中旬になろうとしています。この勢いだとあっという間に春、いや1年がたってしまいそうです。この連休はオーケストラとマスタークラスを聴きに行きました。こんなに畏れ多く素敵なものをお聴きしてもいいのだろうかと思えるぐらい充実していてそれらの感想もぎっしりあるのですが、今日はその前に継続脱落寸前になりそうだった色鉛筆の絵を描いたのでアップします。先週は飛行機雲、そして今週は題材見つからず、いよいよ脱落だ、と思った矢先、台所で出会ったトマトたち。お弁当をいつも華やかにしてくれる大切な助っ人たちです。細長バージョンで多数勢揃い賑やか。品種はあいこというまたまた愛らしい名前。身近に貴重な材料があったのに見逃すわけには行きません。今週の更新をあきらめていた昨晩から一転し一気に描きました。それぞれ個性が見られます。
ちなみにこれらのトマトの名前「あいこ」の由来は皇太子殿下の愛娘、愛子さまにちなんでいるということです。
寒空を飛行機雲がくっきりと。既に姿が見えない飛行機、人の想いや夢を乗せて旅たとうとしている。行ってらっしゃい!
先週はお休みした絵、今週は描こうと思ったものの、なぜか輪郭のある絵が描けない気がしました。そこで最近よく見る飛行機雲を描きました。いつもは描いた後色を水で溶かすのですが、今回は溶かしませんでした。空と雲とのコントラストをはっきりとさせたかったので。雲だけが真っ白であとは真っ青だった空、その雲と空とのコントラストがとても印象的でした。手抜きに見えますが、想いだけは込めています。
コンスタンチン・リフシッツ氏のベートーヴェン後期ソナタ3曲という濃い濃い演奏会に行ってきたのだった。
重量級の演奏会だった。演奏技術も見事だったのだが、なんといっても人間味のあふれた演奏だった。バッハ演奏にも定評のある彼、解釈もとことん研究尽くされ考え抜かれたもののような気がした。彼の味が前面にでていて、賛否両論あるだろうと思う。私はこの曲をこのようにとらえました、なのでこのように伝えます、という想いがダイレクトに伝わってきた。ステージの上の演奏家、というよりも、人間リフシッツと人間ベートーヴェンとの出逢いと関わりを私たちに伝えてくれているような。
演奏することは、曲だけではなく、その曲を作った作曲家と関わることでもあるのだなあと思った。
私はそのような思いをもって今の曲を演奏しているだろうか。
一昨日のレッスンではひとまず練習の成果はでたものになっていたが、こう弾くべきという技術だけで精一杯でそれどころではなくて。音楽が流れのあるものにするためには、自分ではこう思えなくてもこう弾いたほうがそのように聴こえる、ということもあるのだと感じた。自分で聴いてこうありたいという音と、自分が客席にいるのだとしてこうありたいという音と、できる限り一致したいものだが。