箱根の強羅公園とその周辺に咲いていた紫陽花の花の写真です。こちらは名前が記してあり分かったものを載せています。「ダンスパーティー」、「スマイル」、「花火シリーズかれん」など、わくわくしそうな名前の花もあれば、「伊予の盃」、「小額うつぎとせとの月」のように土地の名前をあらわした名前もありました。名前がそれぞれの花の特徴を端的に表しているような気がしました。「くれない山あじさい」や「ピーコ姫」のように紅色がとてもかわいらしい花、人の名前を連想させる「ケーシィ」のようにふっくらとしたつややかな雰囲気の花、「アナベル」のようにレースのように繊細で清楚そのものの花と、同じ紫陽花の仲間とはいえ非常に個性が豊かでした。ちなみに私が一番好きな花は、最後に出てくる「藍姫」という花です。
箱根の強羅公園とその周辺に咲いていた紫陽花の花の写真です。こちらは名前がはっきりと分からなかった紫陽花の写真を集めています。美しい花ばかりで見とれていました。ついつい欲張ってたくさん撮りました。
今日の箱根行きの最大の目的は、登山鉄道に乗って紫陽花を観に行くことでした。しかし今日は私たちと同じ目的を持った人が非常にたくさんいたようです。箱根湯本駅から強羅駅に向かう箱根登山鉄道の前には長い行列ができており、遊園地で並ぶようにジグザグに進むようになっていました。電車内もラッシュ時に近い混雑ぶり。車窓からなんとかして紫陽花を観よう、そして写真を撮ろうと構えていましたが、今度は電車の進行にうまく合わせることができず、ぶれた写真ばかりになってしまいました。そのなかでも、まだましだと思えた写真があったので、こちらに載せます。このブレが電車の進行を表していると思っていただけたら幸いです。ぶれていない写真は電車が止まっているときに撮ったものであり、また、往復どちらも入っています。最後の写真は強羅駅にあった花時計です。久しぶりのフォトチャンネルです。真ん中の三角矢印をクリックしてください。ブレなどで見苦しいところも多いですがご了承ください。
箱根に行ってきました。昼食は箱根湯本駅から歩いて5分程度の、画廊喫茶ユトリロという所に行きました。高い天井で少し暗め、古いヨーロッパの住宅のような雰囲気でした。名前の通りユトリロをはじめとした絵がたくさんかざってあり、またフランス人形をはじめとした大きな人形もおいてありました。なんと四谷シモンの人形もあったのですね!とてもアンティックで独特な空間でした。店の紹介文にはクラシック音楽もかかっているとのこと。残念ながら今日は聴こえませんでしたが、人が多く、単に賑やかだったからだけかもしれません。店員さんもとても親切で、店内すべてが素敵な空間でした。
一週間という時間をかけてつくったというカレーと珈琲をいただきました。どちらも定評のある味とのことで、大変おいしくいただきました。カレーは長く煮込んだらしくまろやかなうまみがたっぷりで本当においしかったです。辛いのが苦手でなければぜひお勧めです。
今日はミハイル・プレトニョフ氏が指揮するロシア・ナショナル管弦楽団の演奏会に行ってきました。詳しい方から非常に心を動かす演奏をするという話をうかがっており、生演奏を聴いてみようという気持ちになりました。また、プレトニョフ氏といえば元来はピアニスト。ピアニストとしての彼も定評があり、CDやyoutubeで聴いた範囲では神業とも思えるような切れのある演奏をしていた彼が率いるオーケストラの演奏をぜひ聴いてみたいという思いもありました。ピアノのソリストもあの河村尚子さん。願ったりかなったりの予感。
曲目は以下の通りでした。
グラズノフ:組曲「中世」 作品79~前奏曲
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16 ピアノ:河村尚子
ソリストアンコール グリーグ:抒情小曲集より「君の足元に」
休憩
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36
アンコール グラズノフ:バレエ音楽「ライモンダ」より スペインの踊り
黒い服に身をつつんだプレトニョフ氏、指揮棒のほかに目の前にあるのは演奏者たちのみ。楽譜を見られずに指揮されるようです。指揮者と言えば楽譜を見られるかたが多いという印象があったので、そこから新鮮でした。一振り、グラズノフに。はるかからやってきた弦のちょっと不気味で重厚な低音がたちまち会場に広がりました。中世というタイトルの曲らしく抑圧されたような雰囲気です。しかしそこからじわじわと温かいものが上へ、上へと向かっていき、輝かしい光へと。まさにそこに繰り広げられているのは中世ヨーロッパのロマンス。そこに広がるのは劇のような世界でした。
グリーグのピアノ協奏曲。河村さんが登場。彼女の演奏を生で聴くのはこれで3回目。今日も堂々たる美しいピアノでした。大人数のオケに対してまったくひるまず、少人数での室内楽の一員であるかのような存在感。そのときはオケのメンバーが減っていたため、オケのメンバーひとりひとりの存在感もさらに増していたような気がしました。河村さんやオケのメンバーたちが大切なところでしっかりと輪郭をなして発揮していました。プレトニョフ氏の向かおうとしている音楽がきわめて明確、方向性がしっかりとしているとともに、演奏者一人一人が彼の方向性に深く共感しているのだろうというのが伝わってきました。信頼関係のなした結果でしょう。
河村さんのアンコールでグリーグの抒情小曲集「君の足元に」でした。ゆったりとした曲だったのですが、一音一音、フレーズの隅々にまで心配りがなされていて素敵でした。音と音の間、そして音の重なり面でも、心地よく入っていけそうな自然なバランスで演奏されていました。私もせめてひとフレーズからでも、彼女のように、納得できるバランスで演奏ができるようになりたいと思いました。
休憩後のチャイコフスキーの交響曲第4番。この曲は有名な曲なのですね。しかし私は今日までこの曲を知りませんでした(ちなみに5番、6番は知ってましたが)有名な曲とはいえ、私にとっては分かりやすい曲とはいえない曲でしたが、そういう分かりやすさとは無関係に、この演奏には大変感動しました。音楽の世界に、頭ではなくて、体の奥底から引きずられてしまう、というのでしょうか、耳と体が感じ取るまま、進んでいき、そうしているうちに、なんとも言えず、温かく幸せな気分になれる、そんな演奏でした。流れている血の濃度が濃くなり流れにもアクセントが入ってきて、いつの間にかプレトニョフ氏や演奏者たちとともに、体を動かしていました。第3楽章の出だしの弦楽器のピチカートの魅力的なこと。幻想的な世界を表していたのだとプログラムにはありました。そして第4楽章!金管楽器の華やかなファンファーレからはまさに力強きロシアの世界。調べてみたら実際にロシア民謡「白樺は野に立てり」が使われていました。清濁併せ飲み、冒険も逸脱もまとめて包み込む。そのような包容力をしっかり持ちながらも伝えたいものや方向をメンバーにそして聴衆にしっかりと伝えていたプレトニョフ氏のスケールの大きさを感じました。彼が作ったオーケストラとはいえ、すごいことだと思います。第4楽章に入る前に、ちょっとしたハプニングがありましたが、そのハプニングも温かくほっこりするような雰囲気に。
最後のアンコール曲、グラズノフ:バレエ音楽「ライモンダ」より「スペインの踊り」もとても楽しくて楽しくて。幸せな気分で演奏会は幕を閉じました。プログラムにも書かれている通り、プレトニョフ氏、舞台にいるときはオーラの塊、まさに芸術監督。お見事でした。
会場に来た時点ではまっすぐ帰る予定だったのですが、急きょ予定変更。友人たちとプレトニョフ氏がでるまで待つことにしました。まず演奏中とは真反対のカジュアルな格好をしたオーケストラのメンバーたちからお目にかかることができました。そして最後まで待った結果、河村さん、そしてプレトニョフ氏にお目にかかることができました。本当に楽しくて充実したひとときでした。
昨日はステップ終了後初のレッスンでした。仕事終了後に行きました。(仕事の方も、残業が当たり前になっていましたが、できるだけ時間内に、能率的にやりたいと思うこのごろです。)
曲はフランクのプレリュードとフーガ、変奏曲。長く弾いている曲ですが、さらに深めようと思っていました。ステップ終了後の課題が分かった時点はやる気満々、細かく丁寧に練習しようと意気込んでいたのですが、いつのまにかたるみとだらけがでてしまっていました。自分でこの曲はさらに深める、と決めたのにもかかわらずに、です。
その原因の一つに、音をちゃんと聴きながら弾くことはできない、という思いがありました。ピアノの前に座っていても、自分がどのような音を出しているのかが分からないのです。どのような音が出したいのかも、分かっているのか分かってないのかという状態に。ステップのコメントでも、ペダルへの注意と脱力についての指摘を受けました。実際に鍵盤の前で聴いている音と、ホールや部屋に響く音とは違う、となると、弾いているときには、自分が正確に出している音は、完全には聴き取ることができません。なので本当に、こうありたいというような音が、出せているのかどうかが分からないのに、聴きながら弾かないといけない、どうしたらいいのだろう、という気持ちになっていました。そのことについて、先生に話してみたところ、そうとはいえ、確実に自分が出している音は、鍵盤の前でも聴こえている、確かに聴こえる度合いは100%ではないが、それでも50%、いや70%以上は聴こえている、実際に弾いてみて、こうありたいという音のイメージをしっかりと思い浮かべれば、そして、鍵盤の前にいても、こういう音が望みという判別ができれば、鍵盤の前にいても聴きながら演奏できるようになる、ということでした。実際に、鍵盤の前で、しっかり耳を澄ませて聴いてみたら、こうありたいという音と、そうではない音との判別は、できました。鍵盤の前にいても、そして、私でもできるんだ、と思いました。ほっとしました。今度は自分が実際に曲を弾いているときにできたらさらにいいのですが現実は甘くなっている現状です。そしてまんねり、まずい、と。それを避けるために、注意すべきところの部分練習を勧めていただきました。曲ではなくて部分だったら、まだ判別がしやすいかもしれないですし。また、イメージ作りをもっとしようと思いました。
ちなみに昨日は、フーガがもっともきつく、変奏曲はかなり弾きやすくなっていました。変奏曲は弾けば弾くほど、心に寄り添ってくれています。しかしフーガは最後の部分が難しくて。。。あんなに重厚で堂々として素敵なところなのに。最後の部分はなんとなくごまかして弾いていました。しかし今回はしっかりと向き合おうと思いました。
雲のじゅうたんについで、嵐の後のおだやかな天気を連想させる曲を載せます。こちらはさらに古い歌です。昭和11年6月に、当時の人気歌手松平晃と歌う純情映画スター伏見信子がデュエットし、『花嫁日記』という新興映画の挿入歌として発売されました。太平洋戦争が始まる前ですが、流行歌のクラシックともいえそうなぐらい当時としては新しく気品に満ちたワルツです。ヨーロッパのワルツ音楽とも近いメロディーです。歌詞も、想いを寄せる人への気持ちを花にたくした表現です。当時の日本では、このような曲が作られ、歌われていたのですね!歌の教室のおかげでこのような歌を知ることができてよかったです。
花言葉の唄 西条八十作詞、池田不二男作曲 歌は加茂さくらさんとボニー・ジャックスです。埋め込みはできないようなので、リンクで紹介します。
昨日はものすごい風でしたね。あばれまくっていました。家の中にいてもゴーゴーと音がし窓ががたがた。何かが飛んだり落ちたりしたような音もついていました。地震のような揺れもついていて、このままだとどうかなるのではないか、と思いましたが、なんとか過ぎ去ってくれました。しかしいったんなくなったかと思ったら、かなりの時間の経過後、「俺を忘れるなよ」といわんばかりの風がまたびゅんと吹いたりして、はらはらさせられましたが。。。それでもなんとか過ぎ去ってくれて、今は雲の間から青空が見えます。被害に直接あわれた方たちもいらっしゃいます。お見舞い申し上げます。
学校をさぼりたいと思っていた子供たちはがっかり、親御さんはほっと一息、といったところかもしれませんね。
しかし次の台風がまたやってくるということで、油断はできません。梅雨の季節なので悟ってはいますが。。。
台風やものすごい雨の後になると真っ先に連想する歌がこれ。昭和51年に放送された連続テレビ小説の主題歌「雲のじゅうたん」のテーマです。なぜか音楽だけが強い印象で残っています。嵐の後のさわやかさを象徴したような雰囲気の本当にいい曲だと思います。ストーリーは、ヒロインが女性飛行士を目指す番組だったのですね。
古い歌なので、音源はないかもしれないと思っていましたが、なんと、アンサンブルの素敵な演奏を見つけました。記憶をたどって演奏したとのこと。お嬢さんがギター、お父さんお母さんがリコーダーでしょうか。アレンジも自分たちでしたのでしょうね。素敵だなあ!
リコーダー、この曲はぜひやりたい、と思いました(そのまえに他の曲も練習しましょうね)もちろんピアノも大切ですが。
この記事、書こうかどうか迷っていたのだが、書くことにする。乏しい知識であるのは分かっているが、書かないでいたら、本当に書かないで風化させてしまいそうな気がしたので、やっぱり書くことにした。幸い出展作品リストもあったので、助けを借りながら書くことにする。
昨日は「世界報道写真展」を観に行った。会場は恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館の地下一階だ。展示会自体知らなかったのだが主人が関心を持っており、それならと思って出かけた。東日本大震災の爪痕を撮影した7名の写真家による作品も含め、124の国と地域、5247人の応募の中から厳選された報道写真、約170点が紹介されていた。世界の報道写真となれば最近の荒れた世界情勢を反映した生々しい写真が多そうな予感がしたので、それなりの覚悟をもってでかけた。海外の雑誌、少し読んでいたことがあったが、日本のメディアでは写さないと思われるような生々しい写真もそれなりに載っていたので、おそらくそれぐらいインパクトの強いものが多いだろうとも。
しかも今日本は岐路に立っていると思う。このような写真を観ることによって、世界のことを自分のこととしてとらえられるようになるかもしれないという思いもあった。
入口に入るなり、ほぼ裸でやせこけた息子を抱きかかえる母親の写真が目に入ってきた。大賞を受賞したイエメンのサヌアでサレフ大統領に対する抗議の最中に負傷した息子を抱きかかえる女性の写真だった。このような写真を観ると言葉を失う。
エジプトのムバラク大統領が講演をしたあとに、カイロのタハリール広場で叫び声、聖歌、悲鳴をあげる群集を撮影したデモ参加者たちの表情をうつした写真からは人々の激しい怒りが伝わってきた。
リビアの独裁者だったカダフィ大佐関係の写真もあった。独裁的なカダフィ体制に対する体をはった市民の抗議運動、カダフィ軍の攻防、そしてカダフィ大佐の遺体もあった。独裁体制をなくすためにここまでの戦いを経なければならなかったことに衝撃を受けた。
抗議運動が暴動へと発展した写真が数多くみられ、心が痛くなった。撮影した人たちも命がけだったにちがいない。実際受賞者のなかにはその後巻き込まれ命を落とした方もいたとのこと。
日本の東日本大震災の写真もあった。津波によって壊滅状態になった名取市の様子、墓の上に載ってようやくバランスを取り戻した電車、がれきの前で涙する女性、娘の卒業証書を持って笑顔を見せる母親の写真、福島第一原発の写真、避難区域内で飢え死にした牛の写真、福島第一原発から500m圏内を歩く動物保護運動家の写真があって、あのおそるべき日のことがたちまちよみがえってきた。政治家の方たちはこれらの写真を見るべきなのではないかと思った。
中国の毛沢東崇拝を表した写真、北朝鮮の金正日崇拝を表した写真も生々しかった。
児童結婚の写真もあった。女性は16歳以下で、なんと一桁の女性もいた。非常に美しい衣装で着飾られていたがそれだからこそかえっておそろしい気がした。国、地域、社会階級を問わず行われているのだという。
他にもある意味これが世界の現実なのだろうか、と思えるような写真がたくさんあり、あまりの衝撃に言葉を失いそうだった。
しかし、おそらく写っている本人は厳しい現実を過ごしていると思われながらも、人間のたくましさや希望を感じさせるような写真もたくさんあった。ウクライナの抗議運動の毅然とした女性リーダーの写真、コンゴ川の急流で伝統的な漁法で捕った魚を口にくわえる漁をしていた少女の写真、ラジオが主なメディアであるハイチのラジオ局で人生相談番組に出演している女性、HIV陽性で娘を育てる女性、ロシアの黒海東岸リゾート、ソチのレストランで歌う多くのアーティストたち、アイルランドのラグビーで泥まみれの試合をしている選手たち、男子200メートルバタフライ決勝で競い合う選手たちの写真からは、懸命に生きる人たちのたくましさを感じさせられた。他にも人々の日常を感じさせられるような写真も見られた。
予想通り、いや、予想以上にインパクトの強い写真ばかりだった。風景から、人々の表情から、背景の人たちの切実な状況が大きく伝わってくる内容だった。人間の弱さ、強さ、醜さ、尊さを丁寧に伝えていたと思った。写真による視覚面の伝える力の大きさを感じた。日本のメディアではおそらく出さないだろうと思える写真も多かったからこそ、観に行ってよかった。心臓にはあまりよろしくないかもしれないけれども、世界情勢を知り自分のこととしてとらえるためにも、足を運ぶ価値があったと思った。
ちなみに会期は6月9日~8月5日 (月 )とのことだ。まだ始まったばかりである。
前回の日記から、あっという間に一週間がたっていた。ピアノの本番も納期がきつかった仕事もひと段落。友達と遊んだあとの一週間は長いだろうと思っていたが、終わってみれば非常にはやかった。
まとまりはないものの、音楽ネタも実はあった。
ためていた録画を観た。ニコライ・ホジャイノフ氏のピアノ・リサイタルと、らららクラシックのラ・フォル・ジュルネでした。ショパンコンクールのファイナリストでもあったホジャイノフ氏の実力については話にはきいていたものの、実際に演奏を聴いたのははじめてだった。演奏された曲は、プロコフィエフのピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 作品83、ショパンのバラード 第2番 ヘ長調 作品38、シューベルトの幻想曲 ハ長調 「さすらい人」 D.760でした。非常に味わい深い魅力的な演奏で、たちまち惹きこまれた。特に印象的だったのはプロコとシューベルト。両曲とも私にはあまりなじみがなかったのだが、曲の魅力をふんだんに伝えていたと思う。らららクラシックのラ・フォル・ジュルネも盛りだくさんの内容だったが、