いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

もにょもにょな記事

2010年07月30日 | ピアノ・音楽
 恵みの雨がやみました。

 この時期、ピアノが弾きたくても弾けない、という方が多いようです。そういう方たちが多い中、こんなことを書いたら、石を投げつけられるかもしれませんが

 ピアノを弾く時間があってもピアノをあえて弾かない

ことがあってもいいと思うんです。
時間があってもあえて弾かない。弾く前に楽譜を見てしっかりイメージ作って考える、どんな曲にしたいかしっかりしっかり考える。そして思いっきり考えてこう弾きたいと思ったときに長時間でなくてもしっかり集中して弾く。
 それが私にとっては本当にきついことだったりするんですが(汗)

 さて、今から出かけてこよう。

間違えたくない症候群の大穴

2010年07月27日 | ピアノ・音楽
 待ちに待ったレッスン!譜読みした曲を持って行きました!二曲とも最後まで通したし、音の間違いもほとんどと言っていいぐらいないはず。「がんばって通したね」という言葉が待っているかもしれないと思いながら出かけました。

  しかし現実は・・・タッチおよび譜読みの大穴箇所の指摘、アンサンブルを始める上での留意点、そして私の覚醒とで時間が経過しました。
 タッチは今までの日記でも書いてきたからよいとして、譜読みの大穴箇所でもっとも指摘されたのは

 音の出ないところを大切にすること!

すなわち

 休符を大切にすること!

休符の長さのごまかし箇所が数か所発見。とくに四分音符のあとの四分休符の存在をなおざりにする傾向にあったようです。伸ばして弾いていてもなんとかなる、というごまかしがききそうなのですが、そういうところの甘さが曲の譜読みの甘さへとつながるということでした(汗)

そして

 休符は沈黙の音楽なり

という有難い言葉までいただきました。 ついつい鳴らす音のほうが気になるのです。なんといっても美しいし楽しいので。しかしそれだけでは音楽ではないのですよね。その上鳴らす音についてもリズムを間違えていたところを何箇所か発見。やっぱり私の「間違えたくない症候群」というものはかなり甘いものだったようです。タッチの確認もしました。結局「がんばって通したね」という言葉からは程遠い結果になりました。
 いや「がんばって通したね」に近そうな言葉はあったような気がします。それは「弾きたい曲があるということは素晴らしいことですよ」「のここさんはモチベーションがありますよね。それが一番大切なことです」いつもそれだけはあるのですが。

 でも「譜読みが甘かったですね」「譜読み段階から考えて弾きましょう」という真実も語られました。そちらの真実が重大ですね(汗)

 そういうわけで、休符も気をつけながらゆっくり練習していこうと思います。

現実?

2010年07月27日 | 日記
 暑いですね。今日も熱帯のような一日が始まろうとしています。
 そして私がこちらに来ることが分かってから1年がたちました。早いです。結婚してからの転勤が早かったので、次の転勤も早いかもしれないとも思うのですが、今のところそのようなことはなさそうです。主人も元気にがんばっているようで何よりです。
 社宅の人たちもいい方たちばかりです。ちなみに近所はベビーカーで出かけている若いお母さんが多いです。本当にこちらはベビーカーが多いんですよ。そして犬連れの人も多いです。びっくりです。そう思うと私もちょっと心揺れることもあるのですが、こればかりはもう。。。そのときそのときを生き生きと大切にしながら生きていきたいと思います。
 しかし昨日電話した職場、どうなのでしょう。日にちの融通がききそうだし、私でもできそうだし、興味の持てそうな仕事だとは思ったのですが、電話すると言われた時間からかなりたったのに電話がこないのでこちらから電話しました。それでも決まってほしい。。。でも決まらなくてもかりかりしたくないです。
 今日はレッスン、楽しみです。やっぱりピアノに救われていますね。

MONOの夢

2010年07月27日 | ピアノ・音楽
 今朝見た夢です。私たちは仲間(しかし知らない人たちでした)と横浜の路面電車に乗っていました。横浜には路面電車はないはずなのですが、それは夢だということで。乗り換えで新横浜方面の坂に登る電車に乗りました。箱根登山電車の様子が頭に浮かんだのでしょうか。私の住んでいるところは新横浜よりもかなり先のところでした。
 乗り換えても相変わらず混雑した車両です。しかし私は秘密兵器を持っていました。ラジカセです。そのときの私はラジカセを持っていることを誇らしく感じていました。乗るやいなや、カセットテープに入っている、MONO(モノラル)録音のジャズの曲(曲名は記憶にありません)をかけようとしました。カセットテープでは曲の頭出しは大変なはずなのですが、そのときはすぐに頭出しが出来ました。人混みの中に嵩張るラジカセ、迷惑行為以外の何物でもなかったと思うのですが、そのときの私は人様のことなどどこ吹く風のような大胆さでした。MONOの古い曲をかけるという意気込みだけだったような気がします。しかしかけるかかけないか、という段階で目が覚めました。
 しかし夢の中にMONOという文字が出て来るなんて。今はCDでも古いというような時代かもしれませんが。現在のSTEREO録音になる前のMONO録音、この四文字をみただけで、古い録音だと分かります。そして録音された年代や演奏者の状況を想像しては感慨にふけりたくなります。ちなみに私が覚えているMONO録音デビューは、ジャズサックスの演奏を集めたカセットテープでした。ジャズピアノを聴く前です。ジャズというのがどのような音楽か興味を持ったとき、まずオムニバスから聴いてみようと思ったのです。そのときに驚いたのは、モダンジャズと言っても古いということ。私が生まれる前の録音が多かったのです。クラシック音楽と比べたら新しいのかもしれませんが。しかしカセットに入っていたジャズサックスの演奏は古さを感じさせない生き生きとした洒落たものでした。当時のアメリカの黒人音楽の豊かさにびっくりしました。その中で特に印象的だったのが、チャーリー・パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」という明るく弾んだ曲。アルトサックスの透き通った音色と絶妙なリズム感がすごいと思いました。そしてまたびっくりしたのはチャーリー・パーカーが亡くなったのが1955年だったということ。今から55年も前です。あのチャーリー・パーカーははるか彼方の地というだけではなく、はるか昔にあの躍動感あふれる「ナウズ・ザ・タイム」を演奏したのです。1950年代、いやひょっとしたら1940年代にMONO録音で録音されたのかもしれません。ビ・バップというすさまじいエネルギーで演奏されたジャンルだそうです。この事実を知ってからは、ちょっとおっかなびっくりな気持ちで偉大なサックスプレイヤーの演奏を聴いていました。
 それからMONO録音鑑賞の対象はジャズピアノ、そしてクラシックにも向かいました。いつの間にか第二次対戦前の1930年代も入っていました。これらの音源、MONO録音だけでなくもともとのレコードもSPかもしれません。音は狂っているし、ちょっとせっかちな傾向も見られますが、なんとも言えない香り高さを感じます。おっかなびっくりで聴いているのですが楽しいです。古くて偉大そうだというだけで弱くなってはいけないのですが、ときにはそういう演奏を楽しむのも悪くないと思いました。 
 ただ、残念ながらチャーリー・パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」の入ったカセットテープの行方は分からなくなってしまいました。カセットテープの再生ができる機械も今はありません。時の移り変わりを感じます。

間違えたくない症候群

2010年07月26日 | ピアノ・音楽
 明日はレッスン。久しぶりに新曲を持っていくので張り切っています。
 しかし思い出してみたら今まで弾いていたメンデルスゾーンの2曲も、本当に長い間弾いていたとはいえないように思えてきました。1年以上も同じ曲に取り組み続けるという方もいらっしゃると思うと、私のメンデルさん2曲の取り組み指数はひよこ段階だと思えてきました。というわけでこの2曲、折を見ては弾いていこうと思います。そしてまたどこかで弾けたらと思っています。
 とにかく新曲。第一号はシューマンの「楽しき農夫」ベートーヴェンよりも優先順位が上がっているのはこちらの本番が先だからです。レッスンで他楽器とのアンサンブルをしてみませんかという話が出たので二つ返事でOKを出しました。今の私にはレッスン以外ではこのような話を持ちだす勇気も実力もないので、先生からこのような話を持ち出していただけるとこんなにありがたい話はないというわけです。そのためのレッスンもしていただけそうだし。本当はもっと難しそうな曲をやってみたかったのですがそこは初心者の私に合うという選曲に。しかし「楽しき農夫」原曲をかなり引き延ばし、雨まで入るというドラマチックな展開になっています。編曲者の方のイマジネーションがすばらしいです。
 そして第二号はベートーヴェンのソナタ5番第1楽章。ハ短調で始まったかと思ったら1ページの中でも変ホ長調、へ短調、変二長調、そして第二主題は変ホ長調へと転調していてめまぐるしいです。ちなみにこの曲、第一主題はあの和音で始まるドラマチックな打ち上げ花火箇所で、第二主題はなんと56小節目だったんですね~。もっと前の32小節目からだと思っていました。図書館で見た解説書によると32小節からは第一主題から第二主題へと移行する推移部らしいです。よくよく考えてみたらそうなのですが、この32小節目から52小節目があまりにも美しいので、推移部というような中途半端な立場にしたくない思いもあるんですよね。しかし、移ろう推移部だからこそ生じる美しさがこの20小節に込められているのかもしれません。本当にこの部分好きなんですけどね。そして56小節目からの第二主題、思わず単調な感じで弾いてしまいそうだったのですが、大切にしてしっかり考えて弾かないといけませんね。そしてそれ以降はさらに面白い展開ですが。。。オクターブを始めとして、どのように苦手としているところを弾くかです。
 他にもシューマンがあるのですが。。。まともな練習には至っていません。選曲段階です。他の曲はさらにコソ段階です(というか、譜読みしすぎですかね)。なので明日のレッスンはこの2曲だけになると踏んでいます。
 それにしてもコンクールの影響でしょうか、少なくともレッスンに持っていく曲については「間違えたくない」という思いが強くなりました。まだ今の曲は始めたばかりだし、自分だけでは楽譜を見る目にも限界があるし、間違えないように弾くまでの力がつききれていないところもあるのですが、それでもゆっくりでもいいからとにかく間違えずに弾けるようになりたいと思うようになりました。後で大変な目に遭わないためにも、とにかく練習段階でできるだけ間違えずに譜読みしたいと思うようになったような気がします。ただ、今はそのように思っていても、きっとレッスンではいろいろな間違いを発見してもらう羽目になるのだと思いますが。。。

P.S.上のベートーヴェンのソナタ5番の譜面、拍子記号と調性記号が抜けています。4分の3拍子でシ、ミ、ラに♭がついています。

図書館にて

2010年07月24日 | ピアノ・音楽
 暑いですね~、本当に。歩くだけでエネルギーがいりそうに思えるのはなぜでしょう? 
 特に私が苦手なのが陸橋や歩道橋。ふらふらと揺れているような気がするのです。下を車が通っているから本当に揺れているのかもしれませんが、このごろその揺れをやたらと感じてふらふらします。暑さゆえに敏感になっているのか、または本当に暑さによってコンクリートなどの材料に変化があって橋が揺れやすくなっているのかもしれません。

 しかし図書館という身近な避暑地に行きました。借りていた本を返し、楽譜や視聴コーナーへ直行。楽譜コーナーでは練習している曲の楽譜や私には高望みだと思えそうだけどあこがれている曲の楽譜を見ました。いつも思うのですが、同じ曲でも版によって指づかいもペダルも違います。持っている楽譜の指づかいが私にとって弾きやすいとはいえないこともあります(単に力がないだけなのかもしれませんが)楽譜を見るたびに一冊を信じればいい、というほど、単純ではないといつも思います。作曲家に「どういう意図で書かれたのですか」と質問できたらいいのでしょうけどね。
 視聴コーナーでは3枚のCDを聴きました。時間がなかったのですべては聴けませんでしたが。。。聴いた演奏は舘野泉演奏のシューマンの森の情景、アシュケナージ演奏のシューマンのアベッグ変奏曲、ウィーンの謝肉祭の道化、クン・ウー・パイク演奏のフォーレの夜想曲第6番と第13番でした。舘野泉氏の演奏は音の隅々まで心が配られていて表情豊かな雰囲気。アシュケナージ氏の演奏はメリハリがついていてしかも見事な技巧。クン・ウー・パイク氏の演奏はとても繊細、詩的で透き通った演奏でした。どの方の演奏も個性は違うものの見事でした。聴かせどころを心得ているのだと思いますが。。。こういう演奏を聴くと私はだまっていたほうがよさそうにも思うのですが、心打たれたということを書いておくのならいいでしょう。シューマン、あのように弾けたら本当に楽しいだろうと思います。私にとってははるかかなたの世界ですが。。。フォーレの曲はほとんど知らなかったのですが、渋いですね。内省的で聴くのも一筋縄ではいかなそうですが、深いものを感じます。ほとんど聴いたことがないけど気になる作曲家のCDも何枚かありました。慣れていないから、と決めつけずに、もちろん弾く、弾かないとも関係なしに、いろいろ聴いて世界を広げていきたいです。

久しぶりにピアノ

2010年07月20日 | ピアノ・音楽
 旅行から帰って久しぶりにピアノに向かった。
 最初に弾いたのがメンデルスゾーンの浮き雲とプレストアジタート。ものすごく弾きやすく感じた。特に浮き雲。本番前まではきつくてきつくてたまらなかったのに。それらしき風景に多く巡り合えたからだろうか。普段から豊かな心や想像力を持つことが大切かもしれない。その度に相模湖や軽井沢や白川郷に出向く、なんていうことは出来ないのだから。
 それらしき風景と言えばシューマンの楽しき農夫。アンサンブルでやることになりそうなのだ。なんだか相当編曲がほどこされていてかなり難しそうに思えたのだが、あの風景を思い出したらテンションがあがりそう。シューマンの農夫はどちらかと言えば酪農や畑作というイメージのような気がするから、寒冷地の養蚕、米作中心の白川郷とはちょっと違うかもしれないが。
 ベートーヴェンは無茶して速く弾いたらたくさん間違えた。まだまだスピードは上げるな、ということですね。

白川郷 展望台から②

2010年07月20日 | 気になる場所、風景
 さらに広く見渡してみました。庄川という川が流れていて、飛騨の山が広がっています。川にかかっているつり橋の名は「であい橋」でした。「であい橋」は多くの人が渡るため揺れていましたが、相当強い力で引っ張られているのでしょう、しっかり両端から支えていました。昔の日本はこのような風景に近かったのでしょうか?世界遺産になるのも分かります。こんなに素敵なところがあったなんて。

 梅雨明け早々日常生活から離れ、いい思いをすることができました。それにしてもちょっと写真載せすぎたかな?のどかさを味わってもらえたらと思います。
 これから暑い夏ですが、がんばって乗り切りたいものです。