いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

う~ん

2012年10月26日 | ピアノ・音楽

 このごろ、ブログ、さぼってますね。楽しみに読んでくださっている人もいるというのに。

 

 ネタはあるのですが、頭が整理できていないのです。でも整理できていないなりに書きます。過去から順を追って。

 

 先週の今日はオケを聴きに行ったのでした。そのオケ、読売交響楽団がこれまた素敵だったのです。曲目は「マ・メール・ロワ」と「ダフニスとクロエ」のラヴェル特集。今年になって、どことなくオケを聴きに行く度合いが増えたのですが、ますます加速度を増している気が。しかもこの「マ・メール・ロワ」と「ダフニスとクロエ」CDでは聴いたことがなく、予備知識もちょっとWikipediaで読んだ程度。本当は本ぐらい読んできちんと臨んだ方がよいだろうと思っていたのですが、そういう余裕も余力もなく、あっという間に当日に突入。

 

 もう、夢の世界に誘われたような雰囲気でした。それぞれの楽器が大切に扱われていて、よりよき状態で鳴り響いていました。とても美しくて優しくて。曲の性質上、くっきりとした構成の分かれ目というのがなく、場面転換が流れるようになされているのですが、その場面転換ぶりが、まるで、劇を見ているような感じ。もちろん甘い世界ばかりではなく、裂け目を表しているようなどきりとする世界もくっきりと表現されていて、音の絵巻のようでした。「ダフニスとクロエ」でのぼりつめるところ、今でもリアルに思い出されます。演奏中でも、この瞬間が再現できたらどんなに素敵だろうと何度も思いました。そう、再現できないからこそ、いいのですけどね。指揮者カンブルラン氏の頭の中にはなんと深くて豊かな世界が広がっているのだろうと。。。

 

 うっとりしたままサインまでいただき、夢心地で終わったその日。かなりの人が来ていました。私もこの週は冒険をした気持ちになっていたのですが(結構やってます、よね)、それどころではないぐらい熱心に行かれ聴かれている方もいらっしゃり、さらに刺激を受けハイテンションで帰ってきたのでした。とにかく演奏も聴く方も、すごい人はすごくてエネルギッシュなのです。脱帽しっぱなしでしたが、私も少しでももっと生演奏を聴きたい、とその時思ったのでした。身近なところからでも足を運ぶべきかもしれません。

 

 聴いた演奏はきっと栄養になるはず、と思い、練習に励もうとしてきて数日。相変わらずのんびりした進歩ぶりですが。練習日記はまた続きに。そうそう、ピアノ弾きのくせに、と言われそうなのですが、突然、ヴィオラにあこがれるようになりました。ヴァイオリンと同じ構えですが、ヴァイオリンよりも明らかに低く、甘くて深みのある音色。内声の演奏によく使われる楽器のようですが、旋律楽器としても本当に美しいですよね。


エル・バシャ氏 ピアノ・リサイタル

2012年10月17日 | ピアノ・音楽

 今日はエル・バシャ氏のピアノ・リサイタルに行ってきた。彼の演奏に出会ったのは今年のラ・フォル・ジュルネ。マスタークラスの情熱的なアドバイスと次の日の息をのむようなすばらしいラフマニノフの演奏とがリンクし、彼の生演奏をぜひ聴かなければと思ったのだった。

 プログラムは以下の通り。

アブデル・ラーマン・エル=バシャ ピアノ・リサイタル
2012年10月16日(火)午後7時開演 紀尾井ホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第6番「デュルニツ」二長調K.284
ラヴェル:夜のガスパール「水の精」 「絞首台」 「スカルボ」

休憩

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調「告別」Op.81a
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調「葬送」Op.35

アンコール

ショパン:ノクターン嬰ハ短調遺作

シューベルト:4つの即興曲よりOp.90-2 変ホ長調

エル・バシャ:スザンヌのために

 

 前半にラヴェルが来てその後ベートーヴェン、ショパンが来るというところなど、プログラムの組み方から興味深く感じられた。そして一曲目のモーツァルトとラヴェルの間、ベートーヴェンとショパンとの間、舞台袖に一度も戻らなかったのも印象的だった。ピアノはベヒシュタイン。

 モーツァルトソナタの出だしは重厚で立体的な印象。当時の曲は音量の差や使用されている鍵盤の幅も限られていたが、その限られた中で繰り広げられる宇宙を最大限に引き出そうとしていたのが感じられた。ダンパーペダルもたくさん使っていたが、細心の注意を払って踏みかえていたからだろうか、全く音の濁りがなくペダルの効果が最大限に発揮されていた。楽章間の間の時間をしっかりとっていたのは次の楽章へ移行するための心の準備を丁寧に行おうとしていたからだろうか。プログラムによると第3楽章の変奏曲の演奏は技術的にも高度な書法と書いてあったとおり美しく聴こえさせるのが非常に難しそうな曲だと感じたが、彼はそこでも磨きのかかった演奏を繰り広げていた。途中の短調ではじまる緩徐部分の美しさにはぞくりとした。少ない音でもここまで密度が濃く訴える力のある演奏ができるのだと感じた。

 ラヴェルの夜のガスパール。モーツァルトよりも高い腕の位置から始まった「水の精」。いきなりとろけそうなピアニシモでどうかなりそうな雰囲気だったが、そのままどうかなりそうな演奏を繰り広げてくれた。あちらの世界にいってしまいそうな妖しくすれすれの感覚。崩壊寸前のところまでいきそうなぐらいアグレッシブに音楽を作り上げながらもしっかりとした軸足によって踏みとどまっていた。繊細なオブリガードも重厚な響きの音もその他の音もお手の物だと言わんばかりの幅広いパレット。スカルボだったか、低音で今まで聴いたことすらないようなタイプのもごもごとした音があり、この音に私の何かが奪われてしまうのではないかという予感に襲われた。ハーフタッチだろうか、独特の打鍵だったような気がする。とにかくこのような音をピアノで聴いたことはなかったといえそうな音だった。ピアノでも表現者によってはここまで多様な音を作ることができるのだと改めて感じ入った次第。ちなみにスカルボって3拍子の曲だったのですね。今まで圧倒されそうなすごい曲とすごい演奏という印象をもってでしかスカルボという曲を聴いてこなかったような気がしたのだが、エル・バシャは曲のある箇所であきらかにこの曲は3拍子の曲だと分かるように示してくれた。奥深い世界にダイブさせてくれながらも、曲の要や大切なことをしっかりと掌握して伝えてくれているという安心感が感じられた。

 ベートーヴェンの告別。曲の構成を掌握した演奏だったが音ミスがちょっとあったのが残念。この曲を完璧に演奏するのは本当に難しいことだと思う。また彼のベートーヴェンを聴いてみたいと思った。

 ショパンの葬送ソナタ。彼は他の作曲家とはまた違う視点からこの曲の魅力を伝えてくれた。聴きなれた楽譜とは違うところがあったが、これは彼の研究の成果だと感じた。第1楽章、がっちりと線が太く、しぶくて媚びのない演奏。この曲の野性的な力が顕な形となって出たような演奏で、心臓を素手でえぐられたような感覚だった。第2楽章でもそのような感覚になったところが何か所も。ショパンの音楽に彼の視点から真摯に向き合ってきたのがつたわってくる硬派な演奏だった。第3楽章はさらに研ぎ澄まされた感覚が伝わってきた。中間部の夢のような緩徐部分では涙腺が緩くなりそうだったし。。。その前後の重厚さは言うまでもなく。音の輪郭が明確に示されていて、指のコントロールが完璧になされているのだということが感じられる演奏だった。第4楽章は不気味な音の塊が投げ出され訳が分からず終了ということが多いような気がするのだが、彼はこの曲の拍子も分かるように、そう、訳が分かるように演奏していた。曲全体の不気味な感覚もちゃんと出しながら。実直にこの曲に向き合ってきたというのが演奏全体から感じられた。密度の濃い演奏だった。

 アンコールも素晴らしかった。有名なショパンのノクターン。中間部は他の方の演奏にはないような洒落た遊び心が感じられた。極めて濃厚な音でなにかをちょっとずらしたような感覚。どこからこのようなセンスが出てくるのだろう。

 シューベルトの即興曲Op.90-2を生で聴いたのは久しぶりだったが懐かしい気持ちになった。心が洗われそうな温かい演奏だった。

 そして三番目のオリジナル。短いながらもなんて素敵なんだろうと思っていたら彼のオリジナルだったとは。リサイタルでなければなかなか聴けないオリジナル曲に出会えたのも大きな収穫だった。

 5か月ぶりに聴いた彼の演奏は期待に応えてくれるものだった。彼の真摯で密度の濃い音楽への取り組みが感じられるものだった。じわじわと感動がよみがえってきている。まさに音の職人で表現者。ピアノってここまで奥深い楽器だったんだとまたまた感じ入ることに。新たに知り合った方とも感動を語れてよかった。これからの活躍がますます楽しみだ。今後も彼の演奏を聴き続けていきたいと思いました!

 


アップとダウン

2012年10月15日 | ピアノ・音楽

 昨日のアンサンブルで、弦楽器の演奏をピアノの演奏にも生かすことができるということを身をもって感じることがあった。その一つに、アップとダウンがあった。この部分を弦楽器で弾いたら弓を上へアップさせるかダウンさせるか、ということを考えながら弾くとよいとのことだった。

 このアップとダウン。ダウンは傾向として1拍目が強拍の時、アップの次の音、しっかり音を出したいときに息を吐きはがら出すとのこと。そしてアップはアウフタクトの時、ダウンの次の時、軽やかに弾きたい時息を吸いながら出すとのこと。たとえばスラーで長い音のあと短い音が来ている場合、長い音はダウン、その後の短い音はアップのことが多い気がする。(しかし昨日見たらららクラシックでの、名手たちのヴァイオリン協奏曲の演奏では、事態はそう単純ではないような気もしたのだが)

  曲の部分によってはアップの箇所を明確にさせることによって、たちまち表現が変わったと実感できたところがあった。

 

 ということは、どのような曲を練習する場合も、弦で弾いた場合アップとダウンどちらになるだろう、と考えながら練習するとよさそうに思えてきた。倚音や終止形などをとらえるとともに大切なポイントのように思えてきた。

 しかし・・・ショパンのエチュードOp.25-2の楽譜でそれをやろうとしたらたちまち路頭に迷った。本当は可能なのかもしれないが、この曲では非常に難しく感じた。細かいところが弾けるようになり大きくとらえられるようになったら見えてくるかもしれない。

 曲や部分によっても、アップダウンについての想像が向いているところとそうでないところがあるような気もした。


本日のアンサンブルステップ 

2012年10月14日 | ピアノ・音楽

 今日はアンサンブルのステップがあった。弾いた曲目はハイドンのピアノトリオHob. XV/25の第2楽章。昨年弾いた第1楽章に続いての第2楽章だった。ヴァイオリンとチェロの方たちはプロの先生で本当に上手な方たち。彼女たちとのアンサンブルは今回で3度目だった。

 このハイドンの、ピアノトリオHob. XV/25は旋律が美しい曲。しかも譜面は本当にシンプルで難しい所がない。なのですぐに音を出せるようにはなったものの、それからあとが本当に大変だった。私の苦手なアダージョの音出しという課題を克服するのによい、と先生に言われたのも納得。シンプルが故にマンネリにも陥ったりもした。。。勝手なものだ。

 まず出だし。音の出し方からやり直し。硬くならないように、そして輪郭となる音をしっかりと出すように、ということだったのだが、そこで障害となるのが間に入る装飾音。飾りの音で軽やかにしたいのに重くなりがちだったので、どのように弾いたら軽く、しかもちゃんと聴こえるようになるかというところでつまづいた。ここは最初から直前までずっと指摘されっぱなしだった気がする。指の支えの弱さを実感しながらも、なんとか第3関節がでっぱるように、指を見ながら弾こうと心掛けた。昨日の直前レッスンで秘訣の方法を教えていただき、いけそうな気持ちにはなれたものの、本番の今日弾けるようになったかというとまだまだ課題が残されたようだ。

 そして同じ出だし。ヴァイオリンの先生とぴったり合わせて始めるのも課題だった。弦楽器は弓を引いてからはじめて音の出るのだが、ピアノは鍵盤を押したら(「押す」や「叩く」本当はどちらもピッタリとこない)すぐに音がでる。なのでどうしてもピアノのほうが早く出てしまいがちなのだが、そのようにならないために、こちらは分かるように息を吸い、ヴァイオリンの方から出ている気を感じ取りながら、始めるようにするとよいというアドバイスをいただいた。私の場合息が浅いところがあるとのことだったので、特に出だしの部分は分かるように気を付けるようにした。

 各部の終止前。V7の和音で今から終止に向かうというところを示しているのだが、いまいちその示し方が弱いということだった。自分では意識していたつもりでも、そのように聴こえていなかったようだ。また終止前と言えば倚音(いおん)。和音の変わり目に跳躍進行して非和声音となり、順次進行して和音構成音に解決する非和声音のことを倚音というのだが、この倚音の響きは実に美しいのだ。なのでしっかり歌わせたいと思っていたのだが、歌わせ方が足りないという指摘もあった。しっかり歌わせたら本当に美しいと直前になって感じた。

 低音部。オクターブのところを中心にフレーズ感がまったくなっていなかった。チェロの先生からどのようにしたら低音オクターブのフレーズ感が得られるかということのアドバイスをいただいた。オクターブの低音部を特につなげようとするとよいらしい。そうしたら確かに歌わせやすくなった。

 その他奏法についても初めから終わりまで多くのことを教えていただいたのだが、なかなか教えていただいたことを身につけることができず、その上テンションが上がるのも遅く、直前まで不安になっていたのだが、具体的なアドバイスをぎりぎりまでいただき(しかも子供たちに混じってお菓子までいただいた)、ポイントをつかんで弾こうと心掛けたら、前日になって、がんばれそうな気がしてきた。 しかし、これでいいのだろうか、という不安は残されたまま。

 そして今日の直前リハ。時間がさしせまっており、途中までしか演奏できなかったのだが、弦の先生によくなったと言っていただき、平常心で弾けばなんとか弾けそうな気がしてきた。

 本番。今回は開始前は全く客席に向かうことなく舞台袖から出ることになった。挨拶は弦の方たちの間からするようになっていたもののなんとなく違和感を感じた。そう感じながらもひとまず挨拶し、椅子の高さを調整して弾き始めた。出だし、うまくいった。細かいところはきまったところと失敗したところとがあったが、全体的に、落ち着いて演奏出来たような気がした。もちろん満足というものではなかったが、始めたころの手に負えなそうな状態からは明らかに脱出できたと思う。苦手なアダージョの音だしも、少しは克服できたかもしれない。

 ちなみに他にも社会人の方がいらっしゃり、その方と話が盛り上がった。堂々と演奏されていて素敵だと思っていたら合唱の伴奏もされている方だった。

 終了後。先生方からの講評をまとめると以下の通り。

息をよく合わせて弾いている。せかせかした感じでないのもよい。音の響きがかたくならず、打鍵のスピードが速すぎずに、ペダルをもう少しうまく使うとよい。弦楽器の音の跳躍に合わせてピアノのメロディラインを歌わせてみるとより音楽が美しくなる。

左手の伴奏が少し焦って聴こえる。先に先にという気持ちではなく、伴奏の響きの変化をもう少し聴いてもよい。

細かな装飾音はキュッとつまらぬよう、幅広く弾いてみてもいいかも。

 

非常に短い時間だったのだが終わったらぐったり。結構今回は集中したのかもしれない。しかしもっとスタミナをつけたほうがよさそうな気がしてきた。

とにかくひと段落してほっとした今日一日だった。

演奏の録音です。(弦の方たちは本当に上手です。彼女たちに支えられたと言っても過言ではありません)


河口湖畔と月江寺周辺 

2012年10月06日 | 気になる場所、風景

河口湖畔と月江寺周辺 

 今日は富士山の山梨県側である河口湖畔に電車で行ってきました。

 河口湖からロープウェイに乗ってかちかち山展望台にまで行きました。天気がよければ河口湖とともに富士山を臨むことができるのですが、残念なことに雲が覆いかぶさっていて富士山はしっかり見ることができませんでした。しかし美しい河口湖を臨むことができたのと、かわらけ投げができたので満足。カチカチ山とあるように、ロープウェイと展望台のあるこの山は昔話かちかち山の舞台だったそうです。

 その後湖畔でランチ。富士五湖汽船に乗って河口湖内を周遊しました。富士山も臨めるということですが、天候がいまいちで雲がかぶさったまま。しかし、船内から見た湖と山々、そして雲の間からそこにさしている光はめったに見ることができないような凄味のある忘れられないものでした。この風景を見ることができただけでも、河口湖に来て本当によかったと思いました。

 河口湖畔の観光地も気になっていたのですが、富士吉田市の月江寺界隈に古くてレトロな街並があるとガイドブックに書かれており気になったので途中下車していくことにしました。今は人気が少なくさびれていますが昔は絹織物産業でさかえたそうで、当時の名残が遺されている街並みにも出会えました。大正時代に建てられたというカフェ月光でジャズをバックに珈琲とケーキでくつろぎ、向かい側の古本屋で本以外の愉快なお土産に出会えて満足。フォトチャンネルのベトナムの千代紙と缶ビールの富士山は見ものです。

 連休の初日。心身ともにデトックスできた満足のプチ旅行でした。


落葉松

2012年10月02日 | ピアノ・音楽

 ブログで歌を紹介するのは久しぶりです。あまりの美しさに惚れてしまいました。


落葉松


作詞 野上彰


作曲 小林秀雄


落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる
落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる
落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる
落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる
 私の乾いた目がぬれる 目がぬれる
落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる
落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる

落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる
落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる
 私の乾いた目がぬれる 目がぬれる
落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる
落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる


 歌の先生の話によると、野上彰氏が亡くなった時、たくさんの詞が遺されていたのを奥さんが見つけたそうです。それらの詞に曲をつけてくれるように何人かの作曲家たちに詞を分配したそうです。それらの詞の中にこの「落葉松」もあり、たまたま「落葉松」は小林秀雄氏のところにいったとのことです。作曲家たちの中には湯山昭氏もいたとのことなので、もし「落葉松」が湯山氏のところに行ったとしたら、全く違う歌になっていただろう、と小林氏が話していたということです。


 それにしてもこんなに美しい歌が日本の秋の歌にあったのですね。「小さい秋を見つけた」「里の秋」「秋の子」「紅葉」など秋の歌には好きな歌が多いのですが、この「落葉松」は断トツに好きな歌になりました。


  宮本智子さんによる歌です。