いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

みかんの皮むき

2011年11月22日 | 日記

 みなさんはみかんを食べるとき、表のだいだいの皮をむいだあとの、白いひものような筋をどのようにして食べられますか?職場でみかんを持ってこられる方で、白くてちぎれそうな筋がまったくなくなるまで取って食べる方と、残して一緒に食べる方とがいらっしゃり、そのような話になりました。私の場合、白い筋は味もなくておいしくないのですが、甘さを味わうことができるぐらい瑞々しくて甘みのあるみかんだったら、皮をつけたまま食べても甘さを味わえるし喉の渇きも癒せるのでいいか、という、どちらともいえない立場でいましたが、あの皮は栄養価が非常に高いらしく、本当は食べたほうがいいそうですね。

 ちなみに表のみかんの皮はそのまま食べたりしたら苦くておいしくないのですが、水分を含み瑞々しく香りもよく、大変魅力的な存在だと思います。お風呂に入れても美容によさそうだし、掃除でもおおいに活躍するとのこと。まだその力を活用したことはないのですが。もちろん加熱して甘く味付けしたら、おいしくいただくこともできそうです。

 なんと表の皮のむきかたについても、豊かな世界があることが判明しました。このような本がでていてしかも好評なのです!

小学館の公式サイト

あたらしいみかんのむきかた

Amazon

あたらしいみかんのむきかた

あたらしいみかんのむきかた2

 一見ばかばかしそうですが、見事だと思います。表紙の馬や鳩の美しさ。レビュー内容だけを見てもみかんの皮から芸術作品を作ることができる、ということがひしひしと伝わってきます。まだ実物の本を手にとってもいないのに、心の琴線に深く触れました。ストーリーも面白そうだし。時間がたつと乾燥してしわが出てしまうのは分かっているのですが、皮でここまで楽しいことができるのだったら、チャレンジしたくなってきます。図書館にあったら速攻で借りるでしょう。

 みかんの皮むきの世界は深いです。

「あたらしいみかんのむきかた」 でうさぎを作っています。

 

 


ウィーン・フィルでのラン・ラン

2011年11月21日 | ピアノ・音楽

 今日はウィーン・フィルを聴きました。昨日録った録画で、会場はサントリーホールでした。評判がとてもいいようだったので楽しみにしていましたが、まさにその期待を裏切らない演奏だったように思います。電波を通さない生音だったらさらにすばらしかったでしょう。指揮はエッシェンバッハ、そしてリストのピアノ協奏曲ではラン・ランが共演でした。そのラン・ランの動きの速さと的確さに圧倒と脱帽。どんなに速かったり音が飛んでいたり複雑そうなところも、ひとつもずれたりすることなくぴったりとはまり、しかも音楽の流れもしっかりできていて感情表現も豊か。噂どおり演奏時の表情も豊かでしたが。。。鍵盤もほとんど見ていないように思えました。音楽の世界にどっぷり入り込んでいて、ちょっと酔っている感じにもみえたのですが、そんな彼の指から紡ぎだされる音楽が自分自身ではなくて周りにもしっかり伝わるものになっていたのがすばらしい、と思いました。酔っているように見えても本当は酔っているのではなく、耳を研ぎ澄ませ音を聴いているのだと思いますが。水中で足をばたばたさせている水鳥のようです。

 その彼がコンソレーション2番をアンコールで弾きました。ゆったりした感じでとても繊細な演奏でありながら、音の間からも伝わってくるものが豊富そうな演奏でした。言外ではなくて音外の意味がたくさん含まれていそうな、含蓄溢れる演奏。素敵でした。ただです、そういう演奏に出会うと、ついつい真似したくなるのですが、経験上そう真似できるものではないと分かり、安易に真似するのは無責任だと思うようになってきた現在は一点を除いては真似しようという路線にいかないと思います。その一点は、今の私の状態のように音だけを前面に出した演奏ではなく、音外の世界も考慮して弾く、ということでした。その前に間違えないように弾くことでしょう、と突っ込まれそうなのですが、そういう気持ちでいたら、自然と音楽らしくなって間違えにくくなるかもしれません。しかしその含蓄がありそうに感じ取られる原因というのが、実は理想にもっとも近づきにくい要素である、鳴らし方や音色の要素の度合いが強いような気もしているのですが。

 その後のオーケストラのみの演奏の鑑賞も楽しみです。


発見

2011年11月20日 | ピアノ・音楽
ブログ、携帯から更新するの、久しぶりのような気がします。いや、そう久しぶりでもないのかな?
今日は弾きにくいコンソレーション5番の後半部分をはじめとして発見がありました。このところ、先生に言われてなるほど、と思う傾向が強くなっていて、自分から発見して考える、という傾向が少なくなっているような気がして、浮わついた取組の状態のように感じていましたが、ちょっと新たな手応えがあったかも。発見箇所は弾けていないところなのですが、発見成果を生かして弾きたくなりました。
アドバイスを有り難くうけながらも、自分でみつけてこうしていこうという気持ちを持って弾くことが大切だと、今更ながら感じたのでした。

練習しなくちゃ~

2011年11月20日 | ピアノ・音楽

 私の生活の中で、ピアノをちゃんとがんばろうという気持ちが急上昇するときというのがあり、その一つが昨日の練習会でした。自分としてはせいいっぱい弾きましたがやっぱり課題続出。いつものことながら、いつ練習されているのだろう、と思えるような見事な演奏をされる方たちがたくさんいらっしゃいました。ひゃ~っ。そんな中で、よくなった、という感想をちょっとでもいただくとうれしいです。亀のごとしのあゆみでも、少しは進歩があるのかなと。


 ピアノを弾いている、と別のところで話すると、夢中になれる趣味があっていいね、素敵だね、という反応とともに、大変で面倒そう、という反応もよく返ってきます。一方他のことになると私もそのような反応を返したりもします。好きでないことは、だれにとっても大変で面倒そうです。好きなことでも、手間がかかりそうだったり、疲れていたりしたら、大変で面倒そうなのですが。。。やらなければならないことでなかったら、優先順位が下がったりもします。時間も手間もお金もかかるピアノは、普段の生活での優先順位の上下変動も激しいです。(心理的な優先順位はいつも高いんですけどね(^^))そのように優先順位が時によって上下しながらも、縁をずっと持ち続けていきたい、と思うのです。


 ちなみに今は優先順位をぐいと上げたい時期です。これで弾くの?ということだけにはならないように、練習しようと思います。


小さい手でも

2011年11月13日 | ピアノ・音楽

 昨日から今日にかけてふらりとでかけ、仲間の演奏を聴きに行っていました。限られた時間や条件のなかでも音楽にしっかりと向き合われて頑張られている方たちの姿に感銘。どのようなことがあっても、好きなピアノはやり続けたい、と感じた私自身のピアノ再開の原点に返らせてもらった感じです。さぼり心が頭をもたげてしまったときには、ステージや本番を思い出すようにしようと思いました。自分がどこまで弾けるようになるかは分からないし、限界があるというのも十分に分かっています。しかし、いざ弾く、というとき、さすがに十分に練習してよかったと思えないでも(これが思えたら理想ですが厳しい)、せめて、この曲が弾けて本当によかった、と思えるまでには、練習したいと思ったのでした。


 そして今日最後はとある公開レッスンに顔を出してきました。実はソロ演奏の公開レッスンの聴講はこちらにきて初めてだったような気がします。熱くて情熱的な内容だったのですが、私にとって最も参考になりそうだったのが、手の小さな人向けの内容でした。リストやショパンのような曲も工夫次第で弾けるとのことです。平行移動を行うこと、音のまとまりや和音としてつかんで練習すること、そして、ずっと同じ状態を保つのではなく、緊張したら緩める、その力の入れ方を曲の中で工夫して行う、ということが大切だ、と。リストのような曲を弾くときすべて力が入っていたらそれは大変なことになりますが、うまくゆるめることによって曲自体にもよき流れが生まれると。演奏者の方たちはみんな上手、先生はさらに上手。どうしたらあのように弾けるのだろう、と思ったりもしたのですが、それは日頃の積み重ね。地道に音を聴き続け少しずつ試し続けることが近道だということも話されていました。


 その後自分のリストを練習したのですが。。。速く弾こうとすると旋律がごちゃごちゃになるかぼやけたりして、歌えていなくてがっかり。どんなに大変でも旋律の部分は間違えたくないので、余裕をもって歌えそうな速さにしてやり直しました。そこからテンポアップでしょうか、どこまでアップできるかは今後次第。


いろいろ

2011年11月12日 | 日記

 仕事に関しては今週は(も?)アップダウンが多い一週間だった。自分はもうだめだ、と思った日と、ここまでよくやったよくやった(それでもおそらくわずかなものであろう。「私にしては」という枕詞もつきそうだし)と思えた日とが交互交互。こんなことなんかやってられない(涙)、と思ったときと、さらに向上心を持とうと思ったときとも交互交互。その、自分はもうだめだ、こんなことなんかやってられない、と思った最大の原因が、セミコロン(;)の書き忘れやセミコロン(;)とコロン(:)との書き違いのようなことだったりすると、笑うしかなくなってくる。それでも原因が分かった、ということで大きな進歩なのだが。


 職場においしいお菓子を持ってきてくださる楽しい方がいらっしゃるのだが、そのお菓子の作り主はなんと80代のお母様。お母様、専業主婦でいらっしゃったそうだが、60代になられて突然資格を生かして社会復帰され、今は引退されたものの自分で運転していろいろなところに行かれたり、いろいろなものを作ったりされて生き生きと過ごされているそうでさらにびっくり。やろうと思ったら、その気になったらいつでもなんでもできるんだ、と感心しながら聞いていた。そして大学生のお子様がいらっしゃるその方も明るくさっぱりしていて元気がでそうな気持ちになれる方なのだ。私もそのようなオーラがほしい、かつてからあったら人生変わっていた、などとちょっとしみったれな気持ちになることもあるが、今となってはその方にとある業務を教える機会が少しでも持てているのが心からうれしい。その方からたくさんのことを教えていただいているし。それにしてもこの私が人に業務を教える、というのが変な感じだ。(自分の年齢を考えたら、いや考えなくても業務を教えるケースはあるだろうし、それも当たり前だろうといえる話なのですが、なんとなく違和感があるのだ。今は若者くんにもだいぶえらっそうに?伝えられるようになりましたが。)


 ちなみにそのお菓子を持ってきてくださる方は西洋文化圏に過ごされたことがあるのだが、そこは自分が悪かったとは絶対言ってはいけないところらしく、鍛えられたとのことだった。自分が悪くなくても「すみません」と言っただけで本当に悪者あつかいされてしまうのだそうだ。日本での習慣が思わず出てしまうと大変な目にあいそうだ。謝ればいいわけではない、ということは確かにたくさんあると思うけれど、自分が悪くても相手がすみませんと言ったら相手を責めればいい、という文化はちょっとこわいなあ。ちなみにクラシック音楽も西洋音楽だから、「すみません」と言ったらそれだけで負けになってしまう世界なのだろうか。う~ん、そこについてはあまり考えすぎないようにしよう。


 話を元に戻します。今週もアップダウンの多い一週間だったが、今日はなんとかひと段落した状態で帰ることができた。ささやかなことで振り回されたりすることが来週は今週よりも少なくて済みますように。いや、それはおそらく無理だから、少しでもできるようになることが増えますように。


 そしてピアノ・・・ノーコメント。レッスンでは相変わらずたくさんの指摘をいただいている。いまいち達成感がないのだが、それでもピアノを弾くことができるのだから幸せだ。練習しなくちゃ~(汗)


 


ぶんぶく茶釜から脱線

2011年11月10日 | 日記

 うちであだ名について話をしていた。私の旧姓はある食べ物や動物と一文字違いだったため、実に多くのあだ名があった。「たまご」やら「たぬき」やら。私はそれらのあだ名をいやだいやだと言いながらもどうも無意識では受け入れていたらしく、小学生のときの交換日記には「ひよちゃん」というカリメロみたいなひよこや、「ぽん太くん」というたぬきのマンガを描いていた。


 そのたぬきからふと思いだした「ぶんぶく茶釜」という話。ものすごく悲しい話で、私の知っている昔話でもっとも悲しい話だという印象があった。茶釜に化けたたぬき、骨董好きの和尚さんに買われるものの、痛さにがまんできずたぬきの本性を出すはめに。気味悪がった和尚さんはくず屋さんにたぬきの茶釜を渡すが、今度は化けた茶釜はくず屋さんの食べ物を食べてしまい本性がばれてしまう。かといって山にも帰ることができないので綱渡りなどの見世物をすることになり、その見世物は大繁盛、くず屋さんも大助かりでめでたしめでたし、たぬきに返してやりたいと奮闘してもらったものの茶釜は病気にかかってしまい、亡くなってしまう。そしてその茶釜は和尚さんに供養してもらうことになる(参考ページ)という話。見世物の綱渡りのシーンが華やかだと思えば思うほど、その後の話の展開との落差が大きくつらいものに思えてくる。かわいそうすぎるたぬきの話だった。


 しかし、悲しい結末になるというのは一例であり、たぬきのはなやかに綱渡りなどの見世物は大繁盛、持ち主の古道具屋(商売の種類もいろいろです)が大金持ちになる、というところで終わるめでたしめでたしの話もあるようだ(参考ページ)ちなみにまんが日本昔ばなしもハッピーエンドのようだ。いろいろな説があるんだな。それにしても小さいころそちらのハッピーエンドの話だけを知っていたらどうだっただろうか。確かに明るくていいかもしれないが、そこまで印象に強く残らなかったかもしれない。


  ちなみにぶんぶく茶釜は正確には「分福茶釜」というらしい。そのタイトルには納得!どちらの終わり方にでもあてはまるし。たぬきがますますいとおしくなってくる。


 お話が入ったコンサート、というのにも出くわした。音楽とナレーションとがバランスよく組み合わさって、夢のある世界を作り出していた。お話の世界をさらに豊かなものとして表現するために作られた音楽。連弾での演奏だったが出演者の方たちの息があっていて、なによりも楽しそうで、いいなあ、素敵だなあと思ったのだった。(ソロの演奏も素敵でした)


 音楽も本当は音楽だけだと独立したものとしてとらえすぎないほうがいいかもしれない。作曲者の意図も大切であるとともに、その音楽を自分のものとしてとらえるために、お話をつくれるといいかもしれない。どうしてもお話を作るのが大変だったら絵や漫画からでも。子供のころ私が楽譜にしていた落書きは、曲に関係のある王子様王女様、お城、白鳥、ドレスを着た踊り子だった。そう思ってみたら私はピアノはちゃんと弾かなかったけれどもそこまで不良生徒ではなかったのかも(苦しい言い訳)


 ピアノだけの本番でも、お話や絵を描いたり、自分以外のだれかを演じたりすることもできるのかもしれないな。現実は、間違えたら、忘れたらどうしようという緊張や不安、うまく弾きたい言われたとおりに弾きたいという見栄ともとれそうな願望、演奏とは全く関係ない現実のもろもろ、で頭がいっぱいになってしまいやすいのだが。


 ほんの思いつきだが、ぶんぶく茶釜の物語を音楽で表せたらどのようなものになるだろう、と一瞬思ったのだった。


パソ言語についてかじったかかじってないか分からないもののつぶやき

2011年11月03日 | 日記

 仕事のことはあまりブログで書かないようにしようと思っているのですが、今日はすみません、書いています。実はこのところ、仕事が忙しくなっています。(しかも納期はあるのに残業はしないで、という話が出たりもしていてちょっと矛盾もしているのですが、そういうところも多いみたいですね)きついなあ、とは思いつつも、恵まれていると思わないといけないと思っています。必要とされている、という点で。一番つらいのは、職場に行っても仕事がないこと。全体的に仕事がなくて、何をしているかと言えばおしゃべりと一服。そちらの時間のほうがあきらかに長く、だんだん職場に行くこと自体が辛くなり。。。という経験もありました。そう思えば現在の状況に感謝です。


 仕事では謎解きの面がかなり多いです。毎回何かにぶつかっては力技で解決、という感じです。ちなみに目下の課題はITでも日本語表記のものがもっとあればいいということです。業界的には実はそう新しい内容ではないのかもしれませんが、Web上の今探しているものについては、どこのサイトを探しても日本語で参考になりそうなものが見つからない状況。Webなどの言語って、英語で書かれていますよね。裏での言語はまだそれでもいいとしても、表に出すものについては、英語よりも日本語表記で出てくれるほうがいいわけです。しかし、そのパソ言語(JQueryといいます)でのWebに貼り付けられるスケジュールアプリは私の望んでいるものの日本語表記のものがありません。やってくれている人がいないんですね。おそらく曜日の計算も英語でされているので、それをコード上で日本語に翻訳するのが厳しいのかもしれません。それ以前にJQuery自体私にとっては新しいものですが。。。。基本的にそういうことは自分達でやってね、だったりして(汗)JQueryでやらずに、もっとやりやすい方法で行こうか、それとも英語表記のまま「かんべんしてね」で通すことにするか、です。(もしお分かりの方がいらっしゃったら、メッセージ欄からお願いします。)しかしそれにしても、私がこのようなことに携わるとは、というのが一番言えそうなことなのですが(汗)大学時代Basicという純正プログラム言語を少し学んだのですが、さっぱりだったので、そちらの業界には縁がなさそうだと思っていました。また学校卒業後や結婚後しばらくは教育関係の職種に関わっていたし。。。人生というのは分からないものです。ただ私の好きなパソ言語(どうもプログラム言語ではなくマークアップ言語というものらしい)は、どちらかと言えばすぐに画面上に出てきて結果の分かりやすいものです。なのでそういうプログラムプログラムしていないパソ言語やお絵かきソフトがこの世に登場してくれたことが最もありがたいことなのかもしれません。


 ちなみにパソ言語、プログラム言語には日本語のものがないのかなあ、と思っていたら、あるんですね。 「なでしこ」「ひまわり」、「Mind」とか。業務で使われることはほとんどないのですが、それでもデータベースなどのお仕事もちゃんとしてくれるようです。もっとも有名で、サッカーチームの名前とも一緒だったという「なでしこ」はめでたくも10周年記念なんですね。その記念を兼ねてなでしこデビューしてみようかしら。いやいや、今は言語に限ってはJのつくほうが大切だし、それ以前に実はパソ関係では頭がパンク寸前だし、パソ以外にも大切なことがあるし。。。


 今日は文化の日だし!


 とは言いつつ、「なでしこ」の命令一覧を面白いなあと思いながらみているのですが。「母艦再描画」なんてあやしすぎるし。


補足)用語の用いかたで正しくなかった箇所が数ヶ所あったので修正しました。ちなみにパソ言語はほぼ自作の用語ですが(汗)