昨日に続いて今日もいにしえの演奏家について書きます。今日はヴァイオリン編。またまたtwitterの友人を通して名前を知ったお方です。昨日のピア二ストも含めて詳しい方たちは本当に詳しいです。趣味でピアノを弾いている我々としては、そういう演奏家たちを知ったところで演奏家たちの真似をすればいいわけではないし、そのためにかける時間やお金の捻出も考えるというところがあったりもしますが、それでも、そういう素敵な演奏に触れておくことで心に宝物を得、幸せな気分になれるし、それが結局は自分の演奏を含めいろいろな面でプラスになると思うのでした。でもさすがに弦楽器まで手を伸ばさなくてもと思われる方がいらっしゃるかも。いや、それが、弦による曲の歌わせ方を知っておくことはピアノ演奏にとってもプラスになるのです、それもですが、とにかく弦の音色って美しいのですよ、この禁断の世界にはまったら抜けられない!?
前置きはそれぐらいにして、ダヴィッド・オイストラフ(David Fiodorovich Oistrakh 1908年- 1974年)というお方、Wikiによるとソ連(現在はウクライナ)のオデッサ出身のユダヤ系ヴァイオリニストで、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアン、ヒンデミット、ブラームス、チャイコフスキー、ブルッフ等、多くの録音を有するクラシック音楽の好きな方たちの間では定評のあるヴァイオリニストです。どのような演奏をするのだろうと思って閉店間際のTレコードに残っていたこのCDを聴いてみたところ、深みと包容力を感じさせるスケールの大きな演奏でした。もともとこのオイストラフ氏、学生時代はヴィオラを演奏しており、生まれつきのヴァイオリニストではなかったそうですが、1937年、ブリュッセルのウジェーヌ・イザイ・コンクール(現:エリザベート王妃国際音楽コンクールで首位をかち取り、世界の檜舞台にその名を轟かせたからヴァイオリニストとして名をなすようになりました。その後はモスクワ音楽院で教鞭を執るかたわら演奏活動を続けたが、ソ連が第二次世界大戦に参戦すると、最前線に出て慰問演奏を行ないました。
オイストラフ、CDはもちろんyoutubeにも多くの音源があるのですが、まずピアノでおなじみの月の光!こんな素敵な演奏になるのですね。
ちなみにオイストラフ演奏のCDで初めて聴いて心打たれた曲にブラームスのヴァイオリン協奏曲がありました。弦楽器のイメージの強いブラームスですが、Wikiによるとヴァイオリン協奏曲はこの1曲のみ、交響曲第2番の翌年に作られたそうです。そして、ベートーヴェンの作品61、メンデルスゾーンの作品64と並んで3大ヴァイオリン協奏曲と称されているそうです。
第1楽章はゆったりとした管弦楽から始まりますが、途中から情熱的なヴァイオリンが入ってきます。ブラームスらしい茶色がかった熱い音楽が次々と登場し、どんどん盛り上がっていきます。第2楽章はオーボエによる天から降ってきたような甘く魅惑的な歌から入るのですが、この美しいオーボエの出だしが原因で、サラサーテはこの曲を演奏したくないと言ったそうです。あの美しい旋律をオーボエが歌っているのをヴァイオリンは見るだけなのが我慢できないと。しかしその後はヴァイオリンが魅惑メロディーを引き継ぎ本領発揮!こんなに美しい歌があっていいのだろうかと思えるような夢の世界が広がります。第3楽章は管弦楽とヴァイオリンが同時に入ります。ジプシー風の力強いヴァイオリンの主題から突き進む音楽、凛々しくてかっこいいです。まさにここで決めてくれた、という感じで終わる第3楽章です。youtubeの演奏をこちらに貼り付けるのはどうか、という気持ちも少しあるのですが、曲自体知らない人もいらっしゃるかと思うので、曲紹介も兼ねて貼り付けます。Orchestre National de la Radiodiffusion Francaiseによる演奏、Otto Klemperer(オットー・クレンペラー)による指揮による、ブラームス作曲ヴァイオリン協奏曲の第2楽章です。
ところでオイストラフとほぼ同時代のヴァイオリニストで、ヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールというコンクールで若くしてオイストラフを破り、その後も数々の美しい演奏を残したヴァイオリニストにジネット・ヌヴ―(Ginette Neveu 1919年-1949年)がいます。ヌヴ―はWikiによるとフランスのヴァイオリニストで、母がヴァイオリン教師、父もアマチュアながらヴァイオリンを嗜む音楽一家に生まれ、若くしてヴァイオリンの才能に恵まれ7歳でブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番をパリのサル・ガヴォーで奏いたそうです。そして当時高名なヴァイオリニストであったカール・フレッシュに、「あなたは天から贈り物を授かって生まれてきた人だ。私はそれに手を触れてあれこれしたくはない。私に出来るのは、いくらかの純粋に技術上の助言くらいだ」と言わしめたそうです。「音楽上の」ではなくて「技術上の」です、それだけ彼女には音楽性が溢れていたのですね。そしてヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで180名の競争の後オイストラフを破って優勝、その際あのオイストラフ氏も彼女の優勝を認め、『悪魔のように』素晴らしいと誰もが認めるだろうと言ったそうです。そんなヌヴ―氏、ドイツ、ソ連、アメリカ、カナダで演奏活動を続けました。第二次大戦中は演奏活動を中止したものの、終わると演奏活動を盛んに行ったそうです。しかし、1949年、三度目のアメリカへの演奏旅行に向かうために乗った飛行機で事故に遭い、若くして命を落としてしまいました。遺体が発見された時彼女は愛器ストラディヴァリウスを両手に抱えていたそうです。
そのヌヴ―もブラームスのヴァイオリン協奏曲を大変得意としていました。名盤として知られる1948年5月3日のシュミット=インセルシュテット指揮、北ドイツ放送交響楽団の演奏によるライブ盤のCDを聴いたのですが、あまりの美しさに鳥肌が立ちっぱなしでした。燃えたぎるような情熱と豊かなでのびやかな表現、ライブならではのぎりぎりのところにまで挑む凛とした高貴さを感じることができました。こんなに素晴らしい演奏に巡り合えて心から良かった、一期一会という言葉があるのなら、このCDとの出会いは貴重な一期一会だったと断言したくなる、そんな演奏でした。
というわけで、こちらには彼女の別の演奏を貼り付けます。1935年演奏のDe Falla 'La vida breve’、スペイン舞曲第1番です!音質がいまいちって?それは当時のことを考えたら受け止められるでしょう、なんといってもその裏にある彼女の熱き情熱と表現が大切。
さて、こういうことにうつつを抜かしているようですが、自分の練習は?なんとかやってますが、本当はもっとちゃんと向き合わないとね。
それにしても今は昔の名演をこのようにたくさん聴けるのですから本当に有難いですね。