岡田暁生先生は、私がおぼろげに疑問に感じていたことについても話されていました。なるほど、と感じたので書かせていただきます。なお、書き忘れていたのですが、岡田先生の出されている書籍一覧のリンクも張っておきます。
クラシック音楽は敷居が高い、格式ばっているというイメージを持たれることが多い理由は?
それは歴史的なものも起因しているかもしれない。19世紀になり音楽は市民のものになってきたとはいえども、当時実際にクラシック音楽を楽しんでいた人たちの多くはブルジョアで特権階級の人たちだった。ピアノのレッスンを受けていた人たちの身分もかなり高かったのだ。音楽を聴くうえでも不文律のコードのようなものがあった。たとえばサロンのようなところでの生演奏の会場でも美しく着飾った紳士や貴婦人たちが集まり、たわいのない会話を楽しんでいたが、そこには厳格なコードがあったようだ。オーケストラでも生演奏を実際に聴けていた客は限られていたようだ(現在でも現地ではところによってはちょっとそういう傾向があるようだ)。当時のそのような状態が反映されてしまっているのかもしれない。
しかしクラシック音楽そのものは貴族たちのなぐさみだけでおさまるようなものではないし、おさめておいてはいけないと思う(岡田先生はそのように主張されていましたが、私も同感です)。あらゆる人々の喜び、悲しみ、苦しみに深く寄り添い、心を揺さぶり、感動や勇気を与える力を持っている。作曲家たち自身が一人の生ける人間として必死に生み出した曲なのだから。
う~ん、クラシック音楽が生まれていた当時のヨーロッパはそのような状態で、本当に敷居が高かったのですね。しかし貴族の前で演奏されていた音楽が貴族のなぐさみものとしてだけで消えてしまわずに、現在芸術作品として残っているという現実に着目したいです。人の心に共通して訴えるものがあったから、今もしっかりと残っているんだと思います。音楽だから音としては消えてしまうのに、ちゃんと残っている。その音楽に出会った人たちが、これは残しておかなければならないと感じ、楽譜が残され(写譜という形でも)世代を乗り越えて演奏してきた成果ですよね。ありがたいことです。ちなみに現在はクラシック音楽自体の敷居は19世紀よりは高くなくなりました。誰でもお金を払いちょっとお洒落をすればホールに生演奏を聴きに行けるし、生演奏でなくてもよいのなら、CD、テレビ、ラジオで楽しめるようになりました。きっかけはラジオからでもいいのですから(実は私のピアノ再開のきっかけはラジオでした。寝転がっていてもショパンが聴けたりするのだから)。最近では『のだめカンタービレ』の影響もありますます敷居の高さはなくなったような気がします。
クラシック音楽がなくなってしまった理由は?
最大の原因は第一次世界大戦なのではないだろうか。
19世紀の作曲家たちは当時の産業や経済が発展する社会の中で葛藤し、立ち位置を探っていた。そのようなロマンチックから程遠い社会に生きている人々の心の奥底に向き合うほどそのような苦しみを感じ、その結果人間の狂気やエロスのような暗黒面をつきつけ、社会を挑発するような作品をつくるようになってきた。ロマン派は、ロマンチックでなくなっている社会に対するアンチテーゼだったのだ。そして芸術は単なる娯楽ではなく、自分たちは芸術のために生きているのだという哲学や宗教に近い世界観が生まれた。音楽自体が宗教になったのだ。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽は、キリスト教の教えを伝えるのによき音楽であったのだが、たとえばマーラーになると、音楽自体が宗教の対象となり、祭壇に祭られるような存在になっていたという。自分はどこからやってきてどこに行くのかということについて考え続けていたマーラーは、音楽そのものが宗教、宇宙となるような世界を作っていた。
しかし第一次世界対戦が始まって事態は一変した。初めての近代戦ともいえる第一次世界大戦では、機械によって一度に多くの人を殺せるという方向に向かってしまった。作曲家たちは、どんなに音楽で何かを歌いたくても、多くの人たちの命が機械によって失われてしまえるような現実においては、そのような音楽はむなしいのではないか、と思い、19世紀のように深いものを歌えなくなってしまった。(一方19世紀に作られた曲が民族主義を強化させ戦争にも利用された、というケースも無視できないが)そして19世紀までのいわゆるクラシック音楽というものは姿を変えるようになった(フランスの印象派については述べられていなかったが、興味あるテーマだと思った)。それまでのように長大で深くて熱すぎず、しかし心をほんのりと動かして涙したい、という要望に応えるような音楽が望まれるようになり、ポピュラー音楽や映画音楽ととって代わるようになった。
第一次世界大戦の存在がクラシック音楽の消失のひきがねになったという考えは非常に興味深かったし、なるほどと思えるものでした。(著書『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?―音楽史における第一次世界大戦の前後』も出されているので読みたくなりました。)確かに第一次世界大戦は1914年から1918 年で、まさにクラシック音楽が消えようとしているときですよね。ヨーロッパにとっては第一次世界大戦は価値観を変えてしまうほどの大変な戦争だったのですね。ちなみに講義では言及されていませんでしたが、そのころフランスでは印象主義音楽が生まれていました。印象主義の音楽にはロマン派の音楽のように社会に向けて強く訴えるというような印象はみられないし、曲がつくられた時期から考えても、構想が練られたのは大戦前が多かったのでは、という気がするし(しかしそれは推測なのであてになりません。印象派については再検討がいりそうな気がします)第一次世界大戦が象徴した、産業化、効率化のもとに、無力感を感じてしまった作曲家たちは気の毒ですが、その影響は今後の音楽に向けても影響をもたらしたことになったのですね。
それにしても古い音楽も好きな私としては、バロックや古典派の時代の音楽の多くがキリスト教をつたえるのによき音楽だというだけでは収めたくない、人間の思いもちゃんと表現しているといいたかったのですが、確かにマーラーの交響曲第9番の第4楽章には圧倒されました。死の影におびえながらも精魂込めてマーラーが作ったこの曲、神がかっています。マーラーは今まで聴かず嫌いであまり好きでなかったのですが・・・・・すごいです!第4楽章だけでもリンクを張りたかったのですが、長すぎて張れないようです。小澤征爾さん指揮のボストンでのラストコンサートの全曲演奏が載っています。
最後に、先週のへたっぴ演奏ファイルは削除しました。