いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

練習会から

2011年06月23日 | ピアノ・音楽

 日曜日は自然豊かな某湖のほとりで練習会がありました。とても素敵な会場でした。ぶっつづけ4時間、熱い演奏が続きました。久しぶりに会った方たちも多かったのですが、みなさん元気。曲も演奏も充実していてますますパワーアップされていました。ホールだから弾くのはステージの上なのです。ステージだけに照明が入っているので本番みたいです。ピアノもベー○ンド○ファーでさらに本番仕様。響きもばつぐんの美しさでした。その割にはあまり練習ができていなかった私。もっとしっかり練習していけばよかったです。でも本当に楽しかったです。そこでかなりの刺激を受けた私、これからピアノに燃えようと思ったのですが、そういうときに限って仕事が忙しくなり練習ができなかったりします。時間のやりくりを考えるのも大切だと思いました。

 しかし火曜日は歌に行っているのだから楽しんでいますね。一区切りの日だったので、好きな歌を前にでて歌って発表することになりました。(一人ではないですよ。何人かでです)はじめは恥ずかしかったのですが、「星とたんぽぽ」をはじめとしていつの間にか三曲歌っていました。来られている方たちには80代の方もいらっしゃるのですが、みなさん若々しくて素敵でした。

 


なんとか

2011年06月16日 | 日記

 仕事、今朝の事態からは脱出。対策効きました。ほかの人たちもそういう経験をしたことがあるとのことでした。帰るときの気分が日によって違うというのも・・・。新たなことができて貴重な経験をさせてもらっています。
 ただピアノ・・・弾かなくちゃ~(汗)


満開です

2011年06月16日 | 日記

 昨日は落ち込み~。仕事も私にとっては難しく(新しいことばかりやっているような気がします。それでも仕事があって平日一日でも休めるだけ感謝しないといけないのですが)このようなことを言わなければよかったしなければよかった、と顧みてはぐるぐる堂々巡り。言っているときはそのようなことはまったく思ってなくても、あのこともこのことも、と振り返っては自分を恥じるケースが。。。そうなるといけません、どんどん悪いほうへと思考が向かってしまうので。なんとかしたいものです。しかし対策を考えました。今日はいい方向に向かうかな。


 そんな中、さつきちゃんが満開になりました。咲く時期は年々遅くなっているような気がするのですが、かならず毎年きれいな花を咲かせてくれます。健気で愛しいです。見習いたいです。絵がだめならせめて写真でも。


新日本紀行のテーマ曲

2011年06月15日 | ピアノ・音楽

 本サイトの右にはNATIONAL GEOGRAPHIC(ナショナル・ジオグラフィック)のサイトの写真が載っていますが、今日の写真には驚きました。ミイラだろうかと思って調べてみたら、カリブ海の島国グレナダ近くにある海底彫刻公園だそうです。イギリス人の作った水中アートらしく、ほかにもいろいろな彫刻があるそうですが、まるで遺跡のようです。

  サラリーマンNEOのSEASON6が始まっていますね。この番組は大好きで毎回見ては笑っています。 今日は昨日の録画を見たのですが、この番組とはかけ離れた雰囲気の、懐かしくてたまらない音楽が流れてきたのでびっくりしました。あの音楽と拍子木が聴こえてきたとたんほろりとなって今日の疲れがたちまちとれてしまいました。新日本紀行という番組が30年ぐらい前まで放送されていましたよね。テレビからよく流れていました。大好きなんです、この曲。そういうことを言っていること自体私のお歳も分かりますが。そうおっしゃるみなさんの中にも、懐かしいと思われる方がいるに違いありません。演奏者は冨田勲氏、シンセサイザーの名手です。そんな曲は知らないという若い方も聴いてみてください。ピアノで弾いてみたらどのようになるのか気になってきました。息が長いので再現するにはかなりの技術が要りそうですが。

 このYoutubeには有名な部分以降も入っています。背景の写真もいいです。

 


レッスン

2011年06月14日 | ピアノ・音楽

 某本番終了後初のレッスンに行ってきました。先生に申し訳ない気持ちになっていましたが、講評をお見せしたところ、よいところに注目していただき、そこまで悪くはない、と言っていただきました。気を付けたかったところができなくて残念だったということを話したら、本番で練習の成果や100パーセントの力はなかなか出せないものだけど、中にはいつものように弾ける人もいる、少しずつ近づけたらいい、とのこと。先生の心優しさに感謝。家で弾いているのと同じような調子でステージでも弾けたらどんなにいいでしょうね。当日の過ごし方も大切だそうですが、午後本番だった先日のケースでは、私はあまりよろしくなかったようです。詳細はここには書きませんが。

 インヴェンション2番からいきました。テーマがやたらと長い、と思っていたのですが、そこまで長くはないとのこと。勘違いしていました。歌わせるところとそうでないところのめりはりをつけていくとよいとのことでした。

 ベートーヴェン第5番第3楽章は譜読みもあぶない状態でしたが、最初から曲を作り上げるという姿勢で行きました。強弱記号がついていないのに勝手にクレッシェンドしていたところがあったみたい。sfの解釈の再考もいりそうです。短いけれどもオーケストラみたいなところが多くいろんな楽器が登場しそうで楽しいです。レッスンでの指摘はなかったのですが、和音へと移行するときによく音をはずしていたので、正確に弾けるように短く区切って練習しようと思います。

 秋以降になりそうなものの、今年はリストイヤーなのでリストを一曲は弾いてみたい、という話をしました。そうしたら「せっかくですしね、ぜひ弾いてみてください。いろいろな曲がありますよ。超絶技巧練習曲のような曲と言わなかったら。」うっ、やっぱり最後はそうでした(汗)。一曲もリストをまともに弾いたことがなかったのでそれは当然だと思いますが。でもリストをまともに弾く機会が得られそうです。


超絶技巧練習曲第10番

2011年06月13日 | ピアノ・音楽

 リストの超絶技巧練習曲の10番目の曲にはまっています。あの副題のついていない10番です。今まで超絶技巧練習曲自体、すごすぎて自分とは無縁のように思え最後まで聴いたことすらなかったのですが、突如として聴きたくなりました。そしてはまったのがこの10番。まさにピアノの限界までいっていますね。しかも今年はリスト生誕200年という記念年だしな。リスト、一曲でも弾いてみたいけれど、本音に忠実になってこのような曲が弾きたいなんて私が思ったりなんかしたら腱鞘炎か「おとといおいで」と言うことになりそうです。弾かなくても楽譜だけでもこっそり買っちゃおうかな

ルガンスキーのかっこいい超絶技巧第10番


一昨日の講義ノート(後半)

2011年06月12日 | ピアノ・音楽

 岡田暁生先生は、私がおぼろげに疑問に感じていたことについても話されていました。なるほど、と感じたので書かせていただきます。なお、書き忘れていたのですが、岡田先生の出されている書籍一覧のリンクも張っておきます。

クラシック音楽は敷居が高い、格式ばっているというイメージを持たれることが多い理由は?

 それは歴史的なものも起因しているかもしれない。19世紀になり音楽は市民のものになってきたとはいえども、当時実際にクラシック音楽を楽しんでいた人たちの多くはブルジョアで特権階級の人たちだった。ピアノのレッスンを受けていた人たちの身分もかなり高かったのだ。音楽を聴くうえでも不文律のコードのようなものがあった。たとえばサロンのようなところでの生演奏の会場でも美しく着飾った紳士や貴婦人たちが集まり、たわいのない会話を楽しんでいたが、そこには厳格なコードがあったようだ。オーケストラでも生演奏を実際に聴けていた客は限られていたようだ(現在でも現地ではところによってはちょっとそういう傾向があるようだ)。当時のそのような状態が反映されてしまっているのかもしれない。
 しかしクラシック音楽そのものは貴族たちのなぐさみだけでおさまるようなものではないし、おさめておいてはいけないと思う(岡田先生はそのように主張されていましたが、私も同感です)。あらゆる人々の喜び、悲しみ、苦しみに深く寄り添い、心を揺さぶり、感動や勇気を与える力を持っている。作曲家たち自身が一人の生ける人間として必死に生み出した曲なのだから。

 う~ん、クラシック音楽が生まれていた当時のヨーロッパはそのような状態で、本当に敷居が高かったのですね。しかし貴族の前で演奏されていた音楽が貴族のなぐさみものとしてだけで消えてしまわずに、現在芸術作品として残っているという現実に着目したいです。人の心に共通して訴えるものがあったから、今もしっかりと残っているんだと思います。音楽だから音としては消えてしまうのに、ちゃんと残っている。その音楽に出会った人たちが、これは残しておかなければならないと感じ、楽譜が残され(写譜という形でも)世代を乗り越えて演奏してきた成果ですよね。ありがたいことです。ちなみに現在はクラシック音楽自体の敷居は19世紀よりは高くなくなりました。誰でもお金を払いちょっとお洒落をすればホールに生演奏を聴きに行けるし、生演奏でなくてもよいのなら、CD、テレビ、ラジオで楽しめるようになりました。きっかけはラジオからでもいいのですから(実は私のピアノ再開のきっかけはラジオでした。寝転がっていてもショパンが聴けたりするのだから)。最近では『のだめカンタービレ』の影響もありますます敷居の高さはなくなったような気がします。

クラシック音楽がなくなってしまった理由は?
 
 最大の原因は第一次世界大戦なのではないだろうか。

 19世紀の作曲家たちは当時の産業や経済が発展する社会の中で葛藤し、立ち位置を探っていた。そのようなロマンチックから程遠い社会に生きている人々の心の奥底に向き合うほどそのような苦しみを感じ、その結果人間の狂気やエロスのような暗黒面をつきつけ、社会を挑発するような作品をつくるようになってきた。ロマン派は、ロマンチックでなくなっている社会に対するアンチテーゼだったのだ。そして芸術は単なる娯楽ではなく、自分たちは芸術のために生きているのだという哲学や宗教に近い世界観が生まれた。音楽自体が宗教になったのだ。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽は、キリスト教の教えを伝えるのによき音楽であったのだが、たとえばマーラーになると、音楽自体が宗教の対象となり、祭壇に祭られるような存在になっていたという。自分はどこからやってきてどこに行くのかということについて考え続けていたマーラーは、音楽そのものが宗教、宇宙となるような世界を作っていた。
 しかし第一次世界対戦が始まって事態は一変した。初めての近代戦ともいえる第一次世界大戦では、機械によって一度に多くの人を殺せるという方向に向かってしまった。作曲家たちは、どんなに音楽で何かを歌いたくても、多くの人たちの命が機械によって失われてしまえるような現実においては、そのような音楽はむなしいのではないか、と思い、19世紀のように深いものを歌えなくなってしまった。(一方19世紀に作られた曲が民族主義を強化させ戦争にも利用された、というケースも無視できないが)そして19世紀までのいわゆるクラシック音楽というものは姿を変えるようになった(フランスの印象派については述べられていなかったが、興味あるテーマだと思った)。それまでのように長大で深くて熱すぎず、しかし心をほんのりと動かして涙したい、という要望に応えるような音楽が望まれるようになり、ポピュラー音楽や映画音楽ととって代わるようになった。

 第一次世界大戦の存在がクラシック音楽の消失のひきがねになったという考えは非常に興味深かったし、なるほどと思えるものでした。(著書『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?―音楽史における第一次世界大戦の前後』も出されているので読みたくなりました。)確かに第一次世界大戦は1914年から1918 年で、まさにクラシック音楽が消えようとしているときですよね。ヨーロッパにとっては第一次世界大戦は価値観を変えてしまうほどの大変な戦争だったのですね。ちなみに講義では言及されていませんでしたが、そのころフランスでは印象主義音楽が生まれていました。印象主義の音楽にはロマン派の音楽のように社会に向けて強く訴えるというような印象はみられないし、曲がつくられた時期から考えても、構想が練られたのは大戦前が多かったのでは、という気がするし(しかしそれは推測なのであてになりません。印象派については再検討がいりそうな気がします)第一次世界大戦が象徴した、産業化、効率化のもとに、無力感を感じてしまった作曲家たちは気の毒ですが、その影響は今後の音楽に向けても影響をもたらしたことになったのですね。
 それにしても古い音楽も好きな私としては、バロックや古典派の時代の音楽の多くがキリスト教をつたえるのによき音楽だというだけでは収めたくない、人間の思いもちゃんと表現しているといいたかったのですが、確かにマーラーの交響曲第9番の第4楽章には圧倒されました。死の影におびえながらも精魂込めてマーラーが作ったこの曲、神がかっています。マーラーは今まで聴かず嫌いであまり好きでなかったのですが・・・・・すごいです!第4楽章だけでもリンクを張りたかったのですが、長すぎて張れないようです。小澤征爾さん指揮のボストンでのラストコンサートの全曲演奏が載っています。

 最後に、先週のへたっぴ演奏ファイルは削除しました。


昨日の講義ノート(前半)

2011年06月11日 | ピアノ・音楽

 昨日の岡田暁生先生の講義内容をまとめてみました。ロマン派の時代は作曲家の葛藤が見られた時代ですがまことに豊かな音楽が生まれた時代といえるでしょう。

 いわゆるクラシック音楽と言われている音楽は主に18世紀末から19世紀にかけてのヨーロッパでの芸術音楽のことをさし、音楽史ではロマン派といわれる時代に重なる。バッハはもっと前ではないか、という説もあるかもしれないが、バッハの音楽が発掘され再評価されたのは19世紀だから。その時代は歴史の中では市民革命産業革命がおこり、市民が勃興した時代である。クラシック音楽は勃興した市民のための音楽文化のはじまりとして位置づけることができそうだ。

 ロマン派の音楽にみられる特徴をあげてみる。
 まず独創性の追求とベートーヴェンコンプレックスとの闘いだ。バッハやモーツァルトの時代では、個性らしきものはみられているものの定型的なものに基づいている面が多かった。音楽家は型に収まった曲をきちんと作ることができるという職人的な技術がより求められていたようだ(この見解については異議がありそうな気がしたが、やっぱりそうなのかもしれない、と私は感じた。もっと彼らの曲をたくさん聴く必要がありそうだ)。個性をどのようにとらえるかにもよると思うが)。ところがベートーヴェンは前回自分が作った曲やほかのどの人が作った曲とも似たような曲は作らないようにし、突出した自分の個性を発揮しメッセージを伝えた。しかもベートーヴェンは自分を打ち出しながらも、ソナタ形式などのように型も作ったのだから大きな仕事を二つもしたと考えられる。彼のために彼以降の作曲家は型から解放され、自分の個性を否応なしに打ち出さなければならなくなってしまったのだ。しかしその個性というのが大変だ。どのような方向にいけばいいのか、自分で決めなければならないのにもかかわらず、その前には非常に大きなものがそびえているのだから。その後のロマン派の作曲家といわれる人たちにとっては、ベートーヴェンの作り上げた偉大な音楽文化をいかに引き継ぐか、ということが課題となった。偉大なベートーヴェンにどのように太刀打ちするか、ベートーヴェンをいかに超えるかという点において、多くの作曲家は苦闘した。そしてその結果、ロマン派の作曲家は自分の独創性を発揮した多様な方向へと向かうようになり、主に以下のように枝分かれした方向に向かった。終われない曲を作った作曲家(ワーグナー、マーラー等)、夢想空想の世界を大切にし美しき小品に向かいやすかった作曲家(シューベルト、シューマン、ショパン等)、古典的な図式を踏襲した作曲家(ブラームス等)だ。
 次に音楽の大衆化やハイテク化による、カリスマ的な存在の誕生だ。聴くと興奮状態に陥りそうな曲、演奏により高度な技術を求められる曲が作られるようになり、技術によって支えられる音楽文化が誕生した。その代表選手がリストとパガニーニだ。自分の体を機械のように鍛え上げ、その成果生じた見事な演奏で聴衆を酔わせるという世界が誕生したのがこのロマン派の時代だ。そしてリストのようなカリスマ的スーパースターが初めて登場した時代だとも言えるだろう。ちなみにリストはマイケル・ジャクソンと共通しているという見解があったが、私も賛成だ。

 ちなみに前半に述べた自由や個性の解放、というのは実は底なしのおそろしいものが含まれていた。安定から離れ、社会から疎外され、孤独と戦わなければならない。世間に対して何の役に立っているだろうと感じることが多々あった。当時の芸術家の立場はまさにそのようなものであった。そして同じような立ち位置にいると思える存在が当時の娼婦だった。ちなみに当時の娼婦は教養もあり今でいうと女優に近い存在だった(女優の社会的地位は当時は非常に低かった)。市民社会や技術が発展し、世の中からエロス的なものは排除されたように見えたが、それは表の面であり、表の面から抑圧されたように見えた人間の本質的なもの生と死、エロス的なものは裏の世界でうごめいていた。そして音楽家は娼婦と同じくそのような裏の世界を扱った人たちといえるだろう。(実際に梅毒にかかった音楽家はたくさんいる)市民社会の向こうの異界だからいかがわしいのだが、いかがわしく正統ではないがゆえに輝いてみえるのだ。だから音楽を単に美しいものだ、という一言で収めてしまってはいけないのだと感じた。そのような芸術家の話として、ホフマン物語の娼婦ジュリエッタに夢中になる詩人ホフマンの例があげられていた。あの有名なホフマンの舟歌だ。音楽は美しいがまわりの雰囲気はまことにいかがわしい。


 

 

 後半は私が疑問に感じていたことで岡田先生の講義でなるほどと感じた点から書こうと思います。


刺激的な講座を聞いてきました

2011年06月10日 | ピアノ・音楽
今日は岡田暁生氏の西洋音楽史という講座を聞いてきました。岡田氏の著書が大変面白かったため、聞ける機会にぜひ話を聞きたかったのです。幸い講座があったので、会社を休んで聞きに行きました。今日はロマン派の音楽の歴史的な意味を解説されました。非常に分かりやすく本質を突いていて刺激的でした。オフレコ的な話もよかったです。ツボにはまり、ノートにたくさん書きすぎてまとめるのが大変です。もっといろいろなことを吸収したくなりました。今日登場したオペラを観たく音楽を聴きたくなりました。オッフェンバッハのホフマン物語を観たくなり、マーラーの交響曲9番が聴きたくなりました。最近ご無沙汰している音楽関係の本も読みたくなりました。ついでに私のピアノにも風穴があくかなあ。受講生も多かったのも納得できます。

内容が濃い上に考えさせられる講座でした。岡田氏は整理して話されていて、共感できそうな点がたくさんあったのですが、その内容を書けるためにはもっと実感が伴う必要がありそう。ベートーベンは個性の確立をはかり独創性を大切にした作曲家であったため、模倣もせずどの曲も新しく産み出しました。したがって以前の作曲家よりもはるかに数少ない9曲の交響曲しか書かなかった、という話も印象的だったのですが、私も「そうだ、ベートーベンはそれぞれの曲がこういうわけでそれ以前の作曲家と比べても全部独創的だ」と断言できそうなほど交響曲を聴いていないし。。。もし少しでもまとまりそうに、そして実感を伴えそうになったら、記事にしようと思います。

とにかく岡田暁生氏の書籍や講演はイチ押しです。

6月9日のさつきちゃん、そしてインヴェンション2番を始めました

2011年06月09日 | 日記

 今日のさつきちゃんです。咲いている花の数が増えました。久しぶりに絵をかいてみたいな~。今までもこのようなことを書いているような気もするのですが。


 ピアノですが、バッハのインヴェンション2番、両手で半分弾くだけで1時間近くかかりました。まことにトロいです。片手だけでも気になりだしたら気になって出だしのところを繰り返している羽目に(汗)最初が肝心、レッスン対策も兼ねて、とはいえ、時間も限られているのだからバランスも考えたほうがよさそうです。ベートーヴェンやほかの曲も練習したいのに。


 インヴェンション2番は小学校6年生の時に習いました。中学校のときと違ってそこまで勉強といわれなかったため(中学受験とは縁がありませんでした)、男の子も含め友達と夕方までよく遊んでいました。そしてそんな楽しかった時期に習っていた曲がこのインヴェンション2番。ほかに習っていた曲はチェルニーとソナチネだったのですがまるで印象がありませんでした。その中できらりと異彩を放っていたのがバッハ、そしてその中でも断トツ好きだったのが当時私が弾いていた曲の中では最も大人っぽく感じたインヴェンション2番でした。当時の私にとってはこの2番はしぶい曲という印象はまったくなくまさに「大人の曲」でした。でも当時の私だから絶対に大人っぽくは弾けていないと思います。今度こそ大人っぽくしっとりとしたインヴェンション2番を目指したいです。


 まずグールドの演奏から。さすが彫りが深くて味わい深いです。