今日は以前から生演奏を聴きたいと思っていた、エリック・ル・サージュ氏のピアノリサイタルに行ってきました。とても洒落た切れのいい演奏をするという印象があり、どんなにクリアな演奏を聴けるのかと思うと楽しみでたまりませんでした。
曲目は以下の通りでした。
ドビュッシー作曲 子供の領分 (全曲)
Ⅰ.グラドゥス・アド・パルナッスム博士
Ⅱ.ジンボーの子守歌
Ⅲ.お人形さんへのセレナード
Ⅳ.雪が踊っている
Ⅴ.ちいさな羊飼い
Ⅵ.ゴリウォッグのケイクウォーク
ドビュッシー作曲 版画
塔
グラナダの夕べ
雨の庭
ベートーヴェン作曲 ピアノソナタ第21番 ハ長調 ワルトシュタイン Op.53
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Introduzione. Adagio molto - attacca
第3楽章 Rondo. Allegretto moderato
休憩
シューマン作曲 幻想曲 ハ長調 Op.17
第1楽章 "Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen - Im Legenden-ton - Tempo primo"(全く幻想的に、情熱的に弾くこと - 昔語りの調子で - 初めのテンポで)
第2楽章 "Mäßig. Durchaus energisch - Etwas langsamer - Viel bewegter"(中庸に。全く精力的に - ややゆっくりと - 極めて活発に)
第3楽章"Langsam getragen. Durchweg leise zu halten - Etwas bewegter"(ゆっくり弾くこと。常に静けさをもって - やや活発に)
ドビュッシー作曲 映像 第1集
水の反映
ラモーを讃えて
運動
ドビュッシー作曲 喜びの島
アンコール
シューマン作曲 ダヴィッド同盟舞曲集op.6より第14番
シューマン作曲 子供の情景op.15より第1番「見知らぬ国と人々から」
子供の領分でも幻想曲でもそうだったのですが、ピアノの前に来るといきなり弾き始められるという印象でした。しかし「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の出だしから音の粒が軽くクリアなのにはびっくり。もやもやと弾きそうな印象を持っていたこの曲に対する先入観を見事に覆してくれました。「お人形さんへのセレナード」などは題名の割には今までほとんど印象を抱いていなかった曲だったのですが、こんなにいい曲だったんですね。「小さな羊飼い」は少し弾いたことがあります。私はぼんやりふんわりと弾いていたような気がしますが、ル・サージュの演奏はこの曲でもはっきりとした輪郭で音が浮き上がった演奏をしており、適度な緊張感もありました。決してぼんやりふんわりではありませんでした。
版画は実際には旅行したことがないドビュッシーが、東洋やスペインなどに旅行したつもりになって想像力を駆使して書いた作品です。解説によると「塔」はガムランの記憶が聴き取れるとありましたが、ル・サージュの建てた塔はまさに豪華絢爛でした。構造がしっかりしていて決して崩れたりすることのなさそうなしっかりした立体的な塔。「グラナダの夕べ」はハバネラのリズムとムーア人の歌が聴き取れるとありましたが、スペインの熱い血が感じられるリズム感のある演奏だったと思います。「雨の庭」はフランス童謡が聴き取れるとありました(このパンフレットを見て初めて知りました)が、確かに細かく素早い動きの中からフランスの歌らしき旋律が浮かび上がってきていました。弾くだけでも大変なのにそこまで形作られるのが見事だと思いました。版画というタイトル通り、くっきりとした版画を刷ることができそうな演奏だと感じました。
ワルトシュタイン、本人はベートーヴェンに情熱的に取り組もうとされているようで、演奏からもほとばしる情熱が感じられました。しかし、勢いのあまりなぜか1曲内で速度が変わるところが多かったような気が。拍感からもちょっと自由でテンション高い流れるような演奏でした。非常に難しいと言われる第3楽章も花開くような華やかな演奏を繰り広げてくれました。ちょっと落ち着きがなかったような気もしたのですが、まず音楽を流れるようにしよう、という思いが前面に出ていた演奏だったような気がします。昔のピアニスト、例えばベートーヴェン全曲を初めて録音したピアニスト、シュナーベルのベートーヴェンにもそういうところがあった、と思えば、なるほどと思えてきますが。
休憩後後半は幻想曲。席に着くやいなや弾き始められました。さすが見事、ほとばしるように湧きでながらも細やかに音を紡ぐ演奏から張り裂けるような激しい演奏へとぐいぐいと引っ張って限りなく美しい幻想的な世界を作り上げてくれました。シューマンの憧れ、喜び、絶望的な悲しみ、希望など、よき感情も悪き感情も含め振れ幅が非常に大きく感じられました。第2楽章もすごかったです。ル・サージュ自身シューマンに格別な愛着を感じていたそうですが、そういう思いが演奏全体から感じられるような、そんな演奏でした。ものすごい難所も目じゃない、曲の根底にある心をしっかり引きだしていたように思います。しかし一番素敵だったのは第3楽章。この楽章自体素晴らしい曲なのですが、ル・サージュはスケールの大きさと曲の輪郭の把握と的確な表現によって、さらに曲の魅力を引き出してくれたような気がします。出だしから雄大で包みこむようなのです、こんな旋律だったのだと改めて認識。しかし歌っているのは主旋律だけではありません。低音の内声部で、このようなメロディーが入っていたのだと初めて気づくようなところもありました。隠れた低音の旋律が細かい音の間に浮かび上がるように聴こえてきて美しかったです。もちろん盛り上がるところでは力強く盛り上がり心の奥に訴えかけるような演奏でした
ここから楽譜を見て演奏されましたが、ドビュッシーの映像もよかったです。「水の反映」、ゆったりした出だしから一転音がどんどん複雑に絡み合い、水が奔放にゆらぐようすが美しく描写されていました。版画ほど明晰な感じはしませんでしたがレースのように細やかで繊細な表情が出ていてしっとりした落ち着きも感じられました。旋律が見えない曲、分かりにくい曲が私は苦手で、苦手意識を克服したいと思っていたのですが、彼のドビュッシーの演奏を聴いていると、旋律から独立した音の純粋な響きあいから作られる美というものが存在するということが実感できたような気がします。「ラモーを讃えて」は初めて聴きました。ラヴェルのクープランの墓と思わず対比しそうになりました。こちらの曲はずっしり、ゆっくりとしたちょっととらえどころのない舞曲、噛めば噛むほど味わいが出てくるのでは、と思える曲でした。「運動」は一転、動きが軽く急速でリズミカル、途中で華やかな光が舞い降りてきたりもして楽しめました。細かく難しそうな動きがたくさんあるのですが安定していて安心して聴けました。
「運動」が終わった途端最後の「喜びの島」へ!喜びの島であり極楽の島、ほとばしるような悦びが感じられ、夢のようでした。色と光が音からきらきらとはじけ出た豪華な夢の世界という演奏に酔いしれることができた幸せな瞬間でした。
アンコールはシューマンの2曲でしたが、直前までのドビュッシーの雰囲気は一掃、愛しむような優しく柔らかい演奏で、温かい気持ちになれました。あれだけ丁寧な音色が紡ぎだせている、ということは音の隅々にまで耳と神経とが行き渡っているということでもあるのですが。。。見事な切り替え、そして終わり方でした。
ル・サージュ、予想通り非常に高度なテクニックをお持ちの方だと感じました。曲の全体像、輪郭をつかむのが非常にうまく、つかんだ輪郭も立体的に再現していて、もちろん彼だからなのかもしれませんが、ピアノでもここまで表現することができるんだと感じました。聴きに行けて本当に良かったです。