いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

エリック・ル・サージュ ピアノリサイタル

2013年05月17日 | ピアノ・音楽

 今日は以前から生演奏を聴きたいと思っていた、エリック・ル・サージュ氏のピアノリサイタルに行ってきました。とても洒落た切れのいい演奏をするという印象があり、どんなにクリアな演奏を聴けるのかと思うと楽しみでたまりませんでした。

 曲目は以下の通りでした。

ドビュッシー作曲 子供の領分 (全曲)
 Ⅰ.グラドゥス・アド・パルナッスム博士
 Ⅱ.ジンボーの子守歌
 Ⅲ.お人形さんへのセレナード
 Ⅳ.雪が踊っている
 Ⅴ.ちいさな羊飼い
 Ⅵ.ゴリウォッグのケイクウォーク

ドビュッシー作曲 版画
 塔
 グラナダの夕べ
 雨の庭

ベートーヴェン作曲 ピアノソナタ第21番 ハ長調 ワルトシュタイン Op.53
 第1楽章 Allegro con brio
 第2楽章 Introduzione. Adagio molto - attacca
 第3楽章 Rondo. Allegretto moderato

休憩

シューマン作曲 幻想曲 ハ長調 Op.17
 第1楽章 "Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen - Im Legenden-ton - Tempo primo"(全く幻想的に、情熱的に弾くこと - 昔語りの調子で - 初めのテンポで)
 第2楽章 "Mäßig. Durchaus energisch - Etwas langsamer - Viel bewegter"(中庸に。全く精力的に - ややゆっくりと - 極めて活発に)
 第3楽章"Langsam getragen. Durchweg leise zu halten - Etwas bewegter"(ゆっくり弾くこと。常に静けさをもって - やや活発に)

ドビュッシー作曲 映像 第1集
 水の反映
 ラモーを讃えて
 運動

ドビュッシー作曲 喜びの島

アンコール

シューマン作曲 ダヴィッド同盟舞曲集op.6より第14番

シューマン作曲 子供の情景op.15より第1番「見知らぬ国と人々から」

 子供の領分でも幻想曲でもそうだったのですが、ピアノの前に来るといきなり弾き始められるという印象でした。しかし「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の出だしから音の粒が軽くクリアなのにはびっくり。もやもやと弾きそうな印象を持っていたこの曲に対する先入観を見事に覆してくれました。「お人形さんへのセレナード」などは題名の割には今までほとんど印象を抱いていなかった曲だったのですが、こんなにいい曲だったんですね。「小さな羊飼い」は少し弾いたことがあります。私はぼんやりふんわりと弾いていたような気がしますが、ル・サージュの演奏はこの曲でもはっきりとした輪郭で音が浮き上がった演奏をしており、適度な緊張感もありました。決してぼんやりふんわりではありませんでした。

 版画は実際には旅行したことがないドビュッシーが、東洋やスペインなどに旅行したつもりになって想像力を駆使して書いた作品です。解説によると「塔」はガムランの記憶が聴き取れるとありましたが、ル・サージュの建てた塔はまさに豪華絢爛でした。構造がしっかりしていて決して崩れたりすることのなさそうなしっかりした立体的な塔。「グラナダの夕べ」はハバネラのリズムとムーア人の歌が聴き取れるとありましたが、スペインの熱い血が感じられるリズム感のある演奏だったと思います。「雨の庭」はフランス童謡が聴き取れるとありました(このパンフレットを見て初めて知りました)が、確かに細かく素早い動きの中からフランスの歌らしき旋律が浮かび上がってきていました。弾くだけでも大変なのにそこまで形作られるのが見事だと思いました。版画というタイトル通り、くっきりとした版画を刷ることができそうな演奏だと感じました。

 ワルトシュタイン、本人はベートーヴェンに情熱的に取り組もうとされているようで、演奏からもほとばしる情熱が感じられました。しかし、勢いのあまりなぜか1曲内で速度が変わるところが多かったような気が。拍感からもちょっと自由でテンション高い流れるような演奏でした。非常に難しいと言われる第3楽章も花開くような華やかな演奏を繰り広げてくれました。ちょっと落ち着きがなかったような気もしたのですが、まず音楽を流れるようにしよう、という思いが前面に出ていた演奏だったような気がします。昔のピアニスト、例えばベートーヴェン全曲を初めて録音したピアニスト、シュナーベルのベートーヴェンにもそういうところがあった、と思えば、なるほどと思えてきますが。

 休憩後後半は幻想曲。席に着くやいなや弾き始められました。さすが見事、ほとばしるように湧きでながらも細やかに音を紡ぐ演奏から張り裂けるような激しい演奏へとぐいぐいと引っ張って限りなく美しい幻想的な世界を作り上げてくれました。シューマンの憧れ、喜び、絶望的な悲しみ、希望など、よき感情も悪き感情も含め振れ幅が非常に大きく感じられました。第2楽章もすごかったです。ル・サージュ自身シューマンに格別な愛着を感じていたそうですが、そういう思いが演奏全体から感じられるような、そんな演奏でした。ものすごい難所も目じゃない、曲の根底にある心をしっかり引きだしていたように思います。しかし一番素敵だったのは第3楽章。この楽章自体素晴らしい曲なのですが、ル・サージュはスケールの大きさと曲の輪郭の把握と的確な表現によって、さらに曲の魅力を引き出してくれたような気がします。出だしから雄大で包みこむようなのです、こんな旋律だったのだと改めて認識。しかし歌っているのは主旋律だけではありません。低音の内声部で、このようなメロディーが入っていたのだと初めて気づくようなところもありました。隠れた低音の旋律が細かい音の間に浮かび上がるように聴こえてきて美しかったです。もちろん盛り上がるところでは力強く盛り上がり心の奥に訴えかけるような演奏でした

 ここから楽譜を見て演奏されましたが、ドビュッシーの映像もよかったです。「水の反映」、ゆったりした出だしから一転音がどんどん複雑に絡み合い、水が奔放にゆらぐようすが美しく描写されていました。版画ほど明晰な感じはしませんでしたがレースのように細やかで繊細な表情が出ていてしっとりした落ち着きも感じられました。旋律が見えない曲、分かりにくい曲が私は苦手で、苦手意識を克服したいと思っていたのですが、彼のドビュッシーの演奏を聴いていると、旋律から独立した音の純粋な響きあいから作られる美というものが存在するということが実感できたような気がします。「ラモーを讃えて」は初めて聴きました。ラヴェルのクープランの墓と思わず対比しそうになりました。こちらの曲はずっしり、ゆっくりとしたちょっととらえどころのない舞曲、噛めば噛むほど味わいが出てくるのでは、と思える曲でした。「運動」は一転、動きが軽く急速でリズミカル、途中で華やかな光が舞い降りてきたりもして楽しめました。細かく難しそうな動きがたくさんあるのですが安定していて安心して聴けました。

 「運動」が終わった途端最後の「喜びの島」へ!喜びの島であり極楽の島、ほとばしるような悦びが感じられ、夢のようでした。色と光が音からきらきらとはじけ出た豪華な夢の世界という演奏に酔いしれることができた幸せな瞬間でした。

  アンコールはシューマンの2曲でしたが、直前までのドビュッシーの雰囲気は一掃、愛しむような優しく柔らかい演奏で、温かい気持ちになれました。あれだけ丁寧な音色が紡ぎだせている、ということは音の隅々にまで耳と神経とが行き渡っているということでもあるのですが。。。見事な切り替え、そして終わり方でした。

  ル・サージュ、予想通り非常に高度なテクニックをお持ちの方だと感じました。曲の全体像、輪郭をつかむのが非常にうまく、つかんだ輪郭も立体的に再現していて、もちろん彼だからなのかもしれませんが、ピアノでもここまで表現することができるんだと感じました。聴きに行けて本当に良かったです。    


メンデルスゾーンとゲーテ (メンデルスゾーン基金日本支部の集まりより)

2013年05月14日 | ピアノ・音楽

 日曜日はメンデルスゾーン基金日本支部の企画に行ってきました。私も美しい音楽をたくさん作ったメンデルスゾーンについてもっと詳しくなりたいと思っていたところ、友人に会員の方がいて集まりのことを知ったからです。

 メンデルスゾーンと言えば、無言歌をはじめとする、旋律の美しい曲をたくさん作ったお金持ちの作曲家という印象を受けやすいし、私もそのように感じていた時期がありました。しかし彼は14歳の時祖母からクリスマスプレゼントにもらったあの「マタイ受難曲」の自筆稿の写本を研究し、なんと20歳の時に「マタイ受難曲」を復活させるべく上演、すなわちバッハをこの世に広めたという偉業を成し遂げた人物なのです。ユダヤ人であったこともあり、死後他の作曲家などから不当な扱いを受けたりもしましたが、作曲面でも演奏面でも大変な天才であった上に視野の広い人物でもありました。彼のオルガン曲や協奏曲を聴くと彼の音楽の力強さ、深さ、骨太さを実感します。

 今回はゲーテの作った詩をもとに作られた歌曲を、姉のファニー・メンデルスゾーンが作曲した曲とともに紹介する企画でしたが、演奏前に第1部として、メンデルスゾーン研究の一人者である星野宏美氏の「メンデルスゾーンとイタリアとゲーテ」という講演、星野宏美氏、淡野弓子氏、淡野太郎氏の鼎談がありました。

 星野氏の講演によると、フェリックス・メンデルスゾーンは人生の多くの期間を旅していたとのこと。子供のころに訪問していたイギリス、スイス、フランスに対して、大人になって訪問したイタリアには、訪問前から大変な憧れを抱いていました。訪問前からゲーテと親しく芸術について深く語り合い、イタリア訪問の際にはゲーテ著の『イタリア紀行』を備えて旅立ったとのこと。ただそのゲーテの紀行文、イタリアへの感銘から失望という内容も含まれていたらしいそうですが。メンデルスゾーンのイタリア訪問、最初のヴェネツィアではゴンドラに出会い、フィレンツェは1週間滞在、そしてローマは長期的に滞在し、そこで人との交流も持ちゲーテと出会っていました。メンデルスゾーンはイタリアでオペラを聴いたりしたものの、オペラの中心が北方面になっていたのもありイタリア音楽から退廃が感じてしまい音楽面では失望を感じたそうです。そのような失望もあったのでしょうか、彼は自分の根源がドイツであることを自覚したのとイタリアへのよきイメージを保持したかったのもあり(実際美術など他の芸術では感銘を受けました)、二度とイタリアへは訪れなかったそうです。ちなみにフェリックスの姉のファニー・メンデルスゾーンも親から音楽教育を受け大変な才能を持っていた人物でしたが、当時は女性が作曲などの仕事をするということが一般的ではなかったためか父から音楽活動を 自粛し,弟のよき理解者になるよう勧められました。しかし才能も熱意もある彼女、その後も細々と音楽活動を続け自作も出版しましたが。。。

 ゲーテとの交流もフェニックスは5回であったのに対してファニーは1回のみ。しかもゲーテと深く交流できたフェニックスに対して話すことはほとんどなかったファニーでしたが、ゲーテの詩を大変愛していたうえにゲーテも彼女の曲を愛しており、作った曲からもゲーテへの憧れが感じられたということでした。

 星野氏、淡野弓子氏、淡野太郎氏との鼎談ではゲーテの詩に基づいた曲のいきさつや特徴が語られました。詩で伝えたいことがしっかり伝わるように曲を付ける詩の連や行を前後、反復させているという例として、「Erster Verlust 最初の喪失」が挙げられていました。いまた恋愛などの私的な内容を語った詩に付けられたことの多かった独唱曲は出版されなかったものの、自然を語った詩に付けられたことの多かった合唱曲は出版されたという事実から本来は人に知られたくないような心のひだを歌った詩に曲をつけたことが後ろめたいという感情があったのでは、という話や、音の流れや重厚な和音、そしてその変化から衝撃を受け、なぜそのような和音、響きのものをメンデルスゾーンは作ったのかということを追求しながら演奏していきたい、という演奏者としての抱負等、興味深い話をうかがうことができました。

 後半の演奏では以下の曲が演奏されました。

独唱曲
Sehnsucht nach Italien イタリアへの憧れ 1822 曲:ファニー・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Nach Süden 南へ Op.10 曲:ファニー・メンデルスゾーン  詩:不詳
Venezianisches Gondellied ヴェネツィアのゴンドラの唄 Op.57-5 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:Th.モーア(独訳:F.フライリガート)
Erster Verlust 最初の喪失 Op.99-1 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Die Liebende schreibt 恋する女が書いていること Op.86-3 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Suleika ズライカ Op.34-4 フェリックス) 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ=v.ヴィレマー
二重唱曲
Suleika und Hatem ズライカとハーテム 曲:ファニー・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ=v.ヴィレマー
合唱曲
Auf dem See 湖上にて Op.41-6 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Die Nachtigal うぐいす Op.59-4 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ
Frühzeitiger Frühling 早すぎた春 Op.59-2 曲:フェリックス・メンデルスゾーン 詩:ゲーテ

演奏者
独唱:永島陽子、淡野太郎、淡野弓子
二重唱:柴田圭子、依田卓
合唱:メンデルスゾーン・コーア&ハインリッヒ・シュッツ合唱団有志
指揮:淡野太郎
ピアノ:山形明朗

 ファニー・メンデルスゾーン作曲のイタリアの憧れは彼女自身のイタリアへの憧れが切々と感じられるものでした。ヴェネツィアのゴンドラの唄は無言歌のピアノ曲にもありますが、淡野太郎氏のバリトンの響きがしぶく訴えかけるような感じでとても心を打つものでした。個人的には無言歌のヴェネツィアノゴンドラの唄よりも好きだった気がします。独唱曲と二重唱曲として作られたズライカの作詞者であるV・ヴィレマーは、晩年のゲーテがひそかに恋した若き人妻で、作品はハーテム(男性)とズライカ(女性)の詩のやりとりを描いた愛の章であったとのこと。おおっぴらにはやはり出版できない事情がこちらにもあったようですが、独唱曲、二重奏曲ともストーリー性のある美しい曲でした。

 出版されているうえに和声が重厚だとの説明もあった合唱曲の三曲は、メンデルスゾーン・コーア&ハインリッヒ・シュッツ合唱団有志
の方たちのアカペラでした。衝撃的な和声変化の発見まではちょっといけませんでしたが、ドラマ性が感じられる変化に満ちた堂々たる曲であることが伝わってきました。噛めば噛むほど感じられそうな味わい。曲の持つ力そして人の曲への愛情、声の力を実感しました。やっぱり人の声っていいですね!

 改めてよき集まりに行けたと思いました。メンデルスゾーンの音楽や生涯についてもっと知りたいと思いました。紹介してくれた友人に感謝です。その後会場近くの店を回り楽しみました。代官山いいところですね、あそこの某書店は極楽すぎて魔の空間です。

 おまけ

Felix Mendelssohn - Die Nachtigall うぐいす. opus 59, № 4 
演奏:TheArmChoir

 


練習会

2013年05月14日 | ピアノ・音楽

 お絵かきを入れる予定ですがその間に2記事(もう1記事入るかもしれません)音楽記事を入れます。

 先週末土曜日はピアノ練習会。練習したり、日ごろの練習の成果をお互いに披露&聴きあい、人前での演奏に慣れたりするために集まっています。始まる前にこう弾こうという目標を立てるのですが、大体思ったように弾けず、それでもメンバーたちの熱意と温かさのおかげで大きなエネルギーをいただき毎回励みになっているという集まりです。今回もそうでした。

 ちなみに今回の私の目標の一つは「休符に気を付ける」でした。たかが休符されど休符。ときにレッスンで指摘してもらう前には気づかない休符の中にも、入れることによって緊張感がもたらされたりする重要な休符があるのですね。休符のないときで音が飛んでいるときにはぎりぎりまで伸ばして瞬間移動 とか、休符のあるときにはその前の音をパシッと切るかそれとも余韻の有るような雰囲気で聴こえないようにするかという離鍵についてもこだわったりしたら本当にきりがないです。それプラス、まともな音楽らしく聴こえるようにする、となるとさらに難題が(汗 )ミスタッチも嫌ですよね、そのミスタッチ、歌いたい、と思ったところや、難所を通過した直後のようなところが危険だったりします。先日もそれでした、プーランクの「エディットピアフを讃えて」ここで歌わせるぞ~と言った場所のソプラノの出だしで見事に指が違うキーの上に着地しました。そうなったら最悪。内声や低音部でつじつまを合わせるように弾いていてもあきらかに大切な音が欠落していることには変わりない。どこも間違えたくないけれど、特に間違えたくない場所、というのが明らかにありますよね。そういう場所ではなぜか力みやすいのですが、そういうところでこそ正確に弾きたいですよね。(一方和声的に影響がなさそうなところはちょっと間違えてもなんとかなったり(ここは練習時にはできるだけ参考にしないほうがいい項目ですが、実際にはそういうことがあります) )着地箇所を正確にした上に表現豊かにするに不可欠なのは運動神経なのかしら。。。耳が痛いです。こまめな練習しかないのかもね。

 音を響かせるために重心を置く場所、というのもありますよね。背筋をもっと使うとよい、とあったし、実際そのようにすると、音も出ていたような気がするのですが、先日はそういう意識はすっかり吹っ飛んでいました。唯一明らかに存在していたのは格好つけて背伸びしたい妙な色気。そういう色気だけは自然と湧き上がり、想定外の曲も衝動で登場させ撃沈しました(汗)

 録音、今回はしなかったのですがしてみたらさぞかしどのようなものかが分かるだろうな。人様に録音を勧めたからにはそろそろ自分の恐るべき演奏、客観的に聴いてみなければと思いました。メンバーたちも課題や目標をもって臨まれていて、練習会の場を有効に活用されているようです。本当にまじめ、謙虚な方たちばかりでありがたいです。私も足元を見つめしっかり練習しよう、と行くたびに思うのです。本番を控えた方たちのご健闘、この場をお借りしてお祈りいたします(^^)


水彩色鉛筆の絵 南房総野島崎の巻

2013年05月09日 | お絵かき

 さぼりまくっていたお絵かきですが再開したからには描くことにしました。そうしたら楽しくなりました。

 ほとんど撮った写真をもとに描いていますが、描きやすいようにアレンジも加えています今日は前回までの記事に書いた南房総南端の野島崎の海と花です。

 岬の岩の上から眺めた海です。岩に向かって波が向かい、水しぶきを上げています。岩も波に打たれごつごつしています。

 美しい花が咲いていました。ヒルザキツキミソウです。

 

 浜にそって歩いていくと、まるで桜のようなかわいらしい花が咲いていました。しかし葉っぱの形はサクラとは違うし高さも桜よりもはるかに低いです。

 シャリンバイというバラ科の低木植物で、海岸近くに生息するそうです。そういえば、サクラも、バラ科でしたね。

 次は南房総内房編(洲崎)の予定です。

 


南房総 花と植物

2013年05月04日 | 気になる場所、風景

 南房総には美しい花がたくさん咲いていました。これらの花の写真を撮っていたらきりがありませんでした。マクロ設定にして撮ったものの、望遠レンズの付いた本格的なカメラが欲しくなりそうです。

 今回はフォトチャンネルにしてみました。コメントも入れているので砂時計を調整しゆっくり見ていただけたらうれしいです。

 海と花を絵にしたい、と夢だけは広がるのでした。

 


南房総 海、岬、灯台

2013年05月04日 | 気になる場所、風景

 二日目は鴨川から外房の海沿いに南に下り、西側に回って内房方向に回りました。房総半島を囲む海は太平洋ですが、外房の海は水平線の向こうには何もなく果てしなく行ったところ、はるか離れたところはすでに海外。海もより広がっているうえに、波も全体的に大胆で荒々しく、スケールの大きさを感じました。

 休憩場所はできるだけ海が見渡せて景色のいい所。先端で灯台のあるところときたらまさに期待通り望み通り。房総半島南部はそのような期待に応えてくれそうなところが何か所かあります。南端の南房総市白浜町にある、野島岬、そしてその頂上にある野島埼灯台がまず挙げられるでしょう。千葉県および関東地方(伊豆諸島・小笠原諸島を除く)の最南端で、野島埼灯台は太平洋から東京湾に入る重要な航路を移動する船舶に情報提供を行っています。この灯台を建設した人は横須賀製鉄所雇フランス人首長フランソワ・レオンス・ヴェルニー氏です。なんと横須賀港に面したバラで有名なヴェルニー公園のヴェルニー氏です。

美しき野島埼灯台です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

房総半島最南端の地と書かれた碑が近くに立っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして灯台の上から見た岬の美しいこと海の雄大なこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海に突き出ていて岬らしい形です。

房総半島最南端の岩がしっかり見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

灯台から降りて岬の上を歩いてみました。

ごつごつした岩が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごつごつした岩に波が激しくぶつかり水しぶきを上げています。

岩の向こう側にはとてもじゃありませんが行けません。このような海が大好きな私としてはうれしくてたまらなかったのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

岩の向こうには行けなくても、ありがたいことに登れる岩があったので登ってみました。そうしたらごうごうという波の激しい音がダイレクトに聴こえてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと美しく、豪快な海なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩の上に南房総白浜サンライズポイントと書かれたしるしが立っていました。日の出の美しい所なのですね!

 

野島埼灯台から西に内房方面へと向かい、さらに北西方向に向かう通りから見える海は見違えるように青くて美しいです。

そしてその途中に洲崎という岬があり、その岬に建てられた洲埼灯台に行ってきました。三浦半島の剱埼灯台とともに浦賀水道の入り口として重要な役割を果たしているそうです。残念ながら中には入れませんでしたが、美しい景色を楽しむことができました。

洲埼灯台です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灯台周辺の風景。穏やかな海が美しいです。

白い花が咲いています。なんの花でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな海をずっと見ていたら心も広くなれそうです。

そして上を見ると行先を示す灯台が再び見えました。

心に太陽を持て、という有名な言葉がありましたが、心に灯台を持て、と思わずつぶやきたくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 


南房総 鴨川シーワールド 楽しい方たちいろいろ

2013年05月02日 | 気になる場所、風景

 哺乳類のショーだけではありません。他にも楽しい方たちに出会いました。

 

愛嬌いっぱいの亀さん。

 

 

 

 

 

 

 

おっほん、かっこいいだろうこの牙、

 

威厳というものは俺様セイウチたちのために作られた言葉なり、フオッホッツホッ!

 

 

 

 

 

 

それにしても水族館でこのようなことがあっていいのでしょうか?あまりの衝撃に目を丸くしました。

吾輩ペリカンたちの行進でござる。

この方たち、人間にすっかり慣れていらっしゃるようです。

どうだ、かっこいいだろう~

 水族館の鳥と言えばやっぱり忘れていけないのがこの方です。ペンギン!

 フンボルトペンギンのコーナーに向かいましたが

ごろんたするのがいいんです。。。

 くたびれているかたも多いようですがその中で目を引いたのがこの方です!

 池を凝視しています。後ろの何かを口に加えた方も、もちろん憎めないのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその後、池へ向かって。。。。

足から飛翔!!!

 じゃじゃじゃぁ~んじゃじゃじゃじゃじゃぁ~んじゃ

そして池の中をそそくさと進み反対岸へと向かったのでした!

この一フンボルトペンギンの足から飛翔という決定的瞬間を見、そして撮影することができて本当によかったです 。

ちょっとぉ~フンボルトばかり採りあげているけど

ぼくを忘れちゃだめだよ~

 

この美しい色使いと堂々たるいでだち。黄色と橙色が示す威厳と高貴さ。

 

寒い中で群れをなしけなげに生きている姿。

 

 

 

 

向きを変えました。えっへん、素敵でしょう。

 ところで水族館の主役は普通は魚ですよね、なのにここで登場しているのは哺乳類と爬虫類と鳥類ばかりではないですか!いったいそれはどういうこと!

実は魚の写真でいいのがあまり撮れなくてこのようなことになってしまいました。

南房総続きは後日に

 


南房総 鴨川シーワールド かしこい海の哺乳類たち

2013年05月02日 | 気になる場所、風景

 シャチの見事なショーに酔いしれた後はアシカのショーとベルーガのショーを見ました。

 

アシカは仲良し4人家族が登場。調教師とアシカたちの息の合ったコメディタッチの解説と動きが非常に魅力的した。写真では表せなかったのですが、調教師たちの解説とアシカの動きの間合いが味わい深かったのです。

 

前足だけで支えながらボールを運ぶアシカさん。美しいです!

 

 

 

 

 

 

実はこの方たちボールをパスしあっているのですよ!

 

楽しく遊べて大満足。

 

お父さんアシカ、最後にこんな素敵な笑顔を見せてくれました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベルーガは北極圏にいるクジラの仲間の大きくて白い哺乳類で、シロイルカとも呼ばれています。

 

とても大きくて歌がうまく、人の声もその通りに真似てくれます。

 

そして人の視覚による指示もその場で読み取り、それに合わせた動きをすることもできます。

 

ベルーガが指示を把握するのは目。その内容を読み取りしたがって動くことができます。したがって目隠しをされたベルーガは、目の前で調教師さんがどのような動きをしても、反応することができません。

 

しかし目隠しをされたベルーガも仲間が指示に従って動いているのを知ると。。

 

一緒の動きをとることができます!

 

 

 

実は目隠しをした右のベルーガに左の仲間が音声を発して

 

指示内容を伝えているのです、見事な協力体制です!

 

 

シャチの次ぐらいに大きいベルーガでしたが動きはとても愛らしくすっかりファンになってしまいました。


南房総 鴨川シーワールド シャチとすばらしき調教師たち

2013年05月02日 | 気になる場所、風景

 南房総に行ってきました。最初に行ったところが鴨川シーワールドという水族館。海の近くでとても景観のいいところです。

 

 シャチのショーが見もののだということだったので早速観に行きました。シャチといえば、英語ではKiller Whale「「殺し屋クジラ」、別名「海のギャング」とも呼ばれている獰猛な動物だという印象があるのですが、そのシャチがなんと人の指示に従ってショーをするのです、よくよく考えてみたらすごいことだと思います。前方の席では水を浴びるとか、どんなにすさまじいショーなのでしょう。

 

 開始前プール内を泳いでいるシャチの姿を見てあまりの大きさにまずびっくり。5~6mぐらいあったような気がしました。イルカの仲間では最大なのだそうです。

 

 ショーが始まりました。なんと調教師のお姉さんたち、満面の笑みを浮かべてシャチが泳いでいる後を追うようにプールに飛び込みました。怖い、なんていっている場合ではありません、彼女たちはシャチとともに泳ぎ始め。。。

 

 なんとシャチに乗りました。「馬に」ではなくて「シャチに」です!

彼女たちはシャチと、共存しているのです!

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも、彼女たちが乗る場所は、シャチの背中だけではなく

 

口のてっぺんにも!!!

 

大丈夫なのだろうか、という心配はよそにショーは進んでいきます。

 

 シャチは潜っては勢いよくジャンプします。

 

この華麗なジャンプの瞬間のなんと美しいこと。

 

この飛翔の瞬間前列には激しく水がかかりました。

 

しかしジャンプするのはシャチだけではありません。

 

 

 

シャチとともに調教師さんも!

 

写真を撮ったときには気づきませんでしたが、こんなに高くジャンプしていたのですね、調教師さん。

 

シャチは知力、運動能力とも抜群です。

 

高いところにあるボールも一蹴りで命中。見事なものです!

 

あまりにも素早い動きだったためぼやけてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 こんなに見事な動きを見せてくれたシャチたちと調教師さんですが、最後には陸にあがってひれを振って挨拶をしてくれました。

ありがとう、ばいば~い!

本当に、お疲れ様です。シャチもですが、こんなに獰猛と言われる動物を見事に躾け共存し、激しく素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた調教師さんを心から尊敬したのは言うまでもありません。