いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

ふと

2011年08月30日 | 日記

ふと思ったこと


人は過去を変えることはできないけれど


将来を変えることはできるんだよね


 


将来を変えることはできる、というのは希望が持てることであります。


だから時間を大切にしないと、と思いました。


 


そして音楽は時間の流れとともに作られる芸術だなあと。


演奏の開始は現在だとしたら、進むにつれて未来へと向かっていく。


 


時間芸術の音楽は、目に見えないし、時間がたつと消えてしまうので


空しいと思ったことがあります。


子供のころも、音楽は好きで、聴いた瞬間感動できる力を持っていながら


手でつかめないし目で見えないので


なんとなく信用できない芸術のような気がしました。


芸術に信用ということばを使うのは、おかしいのかもしれませんが、


目に見えたり手でつかめたりする空間芸術のほうが、実体として半永久的に残っているので


信用できる気がしたのです。


しかし、音楽はその瞬間瞬間に心を大きく動かし


そのときに聴いた音楽の残像や思い出は心の中に残っていて


明確な思い出としてよみがえってくる、そしてその思い出としてよみがえってくる度合いが


非常に強いことに気づき、音楽の力は大きい、と思うようになりました。


実体が見えないためかえって心の中でよみがえりやすいのです。


空間芸術は実体として半永久的に残っているとしても、人が味わうときは音楽と同じく限られているので


芸術として感じる時間は音楽と同じだ、ということにも気づきました。


芸術とは、芸術の対象だけをさすのではなくその人と芸術の対象との関係をさすのですね。


かなり昔にブログでそのような疑問(音楽は消えるので空しい、というような話)を持ちかけたとき、


何名かの人からそのような意見をいただき、なるほど、と思いながらも雲をつかむ話のような気がしていたのですが


ちょっとわかってきたような気がします。


 


背中のストレッチは前かがみ

2011年08月28日 | ピアノ・音楽

 昨日はもう一人の先生にピアノを診ていただきました。曲そのものというよりも弾き方メインです。

 とにかく私の背中の筋肉はがちがちでした。普段ストレッチしていても、弾くときになると硬くなるケースも多いとのこと。それから背中のストレッチといえば、背中をそらすというイメージがありますが、反対にじんわりと前かがみになるということがストレッチになるとのこと。猫背だからいけない、というわけではないのですね。たしかに背中の筋肉が伸びるのは、前かがみになったときですし。ただストレッチの後、血の流れが急に変化してぐらっとなることもあるので、頭は急にあげないほうがいいとのこと。

 私の演奏で、感情をこめようとしたところの瞬間、背中がそれたのですが、その瞬間アウトでした。指と手首の動きをやわらかくして出そうとのこと。ついつい無意識にやっていたのです。

 手が小さくてつながって弾けていないようでも、弾き方によってはつながって聴こえるように弾けるとのこと。一本や二本指でもレガートに聴こえるように弾けるのですね。指がつながっていなくても、音がつながって聴こえればいいんですよね。希望が!(ただそこに至るまでが大変ですが)


今週の仕事

2011年08月26日 | 日記

 仕事のことを久しぶりに書こうと思います。興味のない方はとばしてください。


 今小さな会社でソフト開発をしていますが、私の主な業務はWeb作成のデザイン分野です。遅かりしながら20代後半に一般企業に入り、パソコンを使う業務をやり始めたときは、会社でパソコン上に自分のアカウントやフォルダというものがあるということだけで感激するという間抜けぶりでした。Windowsがでてパソコン業務がやりやすくなった時期、そういうことは常識以前のことなのにこれではよくないだろうな、とは思いつつ、パソコンはダメでも会社には貢献できるはず、しかし何からやったらいいのか分からないので意見だけは述べるという状態でした。会社にとってはかなり困った存在だったような気がします。年下さんや年下くんからパソコンについて教えてもらいパソコンの知識を持っている彼らを尊敬していました。彼らは私のことをとろいおばさんだと思っていたことでしょう。


 その会社を辞め、次の会社に移るときにはせめてエクセルとワードはできるようになりたいと思い、パソコンを購入してエクセルとワードの講座に通ったのですが、新しく知ることばかりで本当に楽しかったです。学べるっていいなあと。そしてエクセルやワードがたくさん使えそうだと思った次の職場では画像ソフトを使うことが多かったです。忙しかったですが仕事そのものは楽しかったです。とはいいつつ、プログラミングとかができたほうが本当はいいだろうな、とも思っていました。パソコン苦手だった自分が気分だけは昇進していました。自分はしゃべる仕事よりもこのようにものを作る仕事のほうが向いている、とも認識。


 そして今の職場ではプログラミングが必要だと言われていますが、現実に私に回ってくる仕事は画像や画面のデザイン関係が多いです。訳が分からなかったhtmlも触っているうちに面白くなってきたのですが、やっぱり訳が分からないことも多く、作業に手間取ることも多いです。というわけで、一週間の気分もごらんのとおり変動があります。


 今週の私の仕事後の気分


月曜日:中間


水曜日:どん底


木曜日:少しアップ


金曜日(今日):アップ


 水曜日の「どん底」というのは、突然の新しい仕事で訳が分からないことが多く作業がほとんど進まなかったときでした。会社に何しに行ったんだろう、と思えたまま一日が経過。質問できる人もその日は会社にいなかったため、そのままブラックな気分で書店に向かい、マニュアルを見てはもやもや。。。しかし次の日になって急に解決し、それから少しアップ。毎日なにやら問題が見つかっては解決、という日々を過ごしています。問題もさらりとつきとめ、解決もスムーズにいけたらいいのですけどね。必ず問題に出くわすものだ、と覚悟しておくほうがいい感じです。


 新技術といえそうな分野に携わっていつつも、今もやっぱりとろいおばさんかもしれません。しかし仕事への愛情はちゃんとあるつもり。ピアノもそうですよね。


突然日本の歌

2011年08月25日 | ピアノ・音楽

 空気がほんのりと秋らしくなってきたような気がします。

小学生の時五本の指に入るぐらい好きな歌でした。長調の歌が多い中短調で、大人っぽい歌のように思えていました。作曲者は中田喜直さんだったのですね!

 

 

 中田さんの歌では先日聴いた「サルビア」「鳩笛の唄」という歌も印象的でした。塩谷靖子さんが歌われたのですが、非常に心に残る演奏でした。塩谷さんはリンク先から見ていただいたらわかるのですが、非常に立派な方でびっくりです。


現在の練習状況等

2011年08月22日 | ピアノ・音楽

 今の私のピアノの主な練習は譜読みと苦手な部分の部分練習です。曲はリストのコンソレーション数曲。苦手な部分には、弾いていて必ず間違えるところと、間違えはしないように思えるものの明らかにうまく弾けていないところとがあります。前者の典型には複雑な指使いのところ、リズムが複雑なところ、指を広げる上に動かすところ、交差するところがあります。後者の最大の典型がレガート。スラーがついているところは、次の音とスムーズにつなげて自然に聴こえるようにしたいのに切れ目やでこぼこができることがあります。指使いによっては指を広げたりするため、自分の手ではどうしても切れてしまいそうになるところがあるのですが、タッチ、強弱、ペダルを工夫して、自然に歌えているように聴こえるようにしたいものです。今週はレッスンがありません。その間に譜読みをもっと進められるかな?という思いと、今弾けていないところをきちんと弾けるようになっておかねば、という思いとがあります。間があくためちょっと気楽になっているのですが(汗)、解釈やフォームが乱れている状態になっている可能性もなきにしもあらず。

 今週末は某コンクールを聴きに行ってきました。ものすごく努力され、磨きに磨き上げた方たちの演奏ばかりで、ただただ脱帽するばかりでした。こんなに難しそうな大曲をいつ練習しているのだろうという疑問は相変わらずだし。爪の垢ではないですが、この方のこういうところをちょっと採り入れたい、と思えるところがいくつかありました。素地もピアノ歴も理解力も違うので(汗)、そうそう採り入れられるものではないのも明らかなのですが。。。少しでも音がちゃんと出ていて人に伝える力のある演奏ができるようになりたい、と思ったのでした。


いろいろ

2011年08月19日 | 日記

 昨日、ついに仕事が始まりました。いや、始まってしまった、という言葉に近い気分でした、昨日の朝は。体のすみまで夏休みボケが行き渡り、テンションも低め。しかも滝のような汗が不快な気分を助長していました。いけない、こんなのでは、と思いながらもなんとか仕事しました。

 そして夜は友達に会いました。楽しかったです。昼よりも夜のほうがはるかにテンションが高かったです。

 今日さえ行けばまた休みがやってくるという不純な気持ちで出勤。しかしちょっと今日は昨日よりも調子がよかったような気がします。この休み私のしたことはただ遊んだことですが、実家に帰った人もたくさんいたようです。茨城出身の友達は実家から野菜をもらったそうで、どうしようかと思いつつもいただいたと言っていました。福島の親戚のところに行った方は今まで子供が遊んでいた公園で子供が遊べなくなってかわいそうだった、けれども危ないしね~と言っていました。その人たち本当にものすごくいい人たちなのです、そう思えば思うほど現状は理不尽すぎる、なんとかならないか、と思うのです。

 地震も思い出したかのようにやってきたし。でもだいぶ免疫がつきました。少々の揺れではびくともしません。一番怖かったのはやっぱり3月でした。今は私たちは普通に生活しているので、思い出したときにはぞっとはするものの、その日のことについてはだんだん風化しつつありますが、現実に今大変な思いをしている人たちもたくさんいます。そう思えば思うほどあの日のことを忘れてはいけない、そして日々を大切に過ごさなくてはと思ったのでした。


やっと

2011年08月17日 | ピアノ・音楽

 今日は夏休みの最終日。そして夏休みで一番ピアノに触った日でありました。一昨日は触ったもののでかけたので時間は短かったし、昨日は東京都内のダムにでかけてまったく触らずでした。夏休みに入る前はしっかり練習したいと思っていたのにです。ピアノの練習について「一日弾かないと・・・」というような脅しの言葉が子供に向けられることがありますが、そのような言葉がひょいひょいと浮かんできました。精神衛生上悪いです。(確かにピアノには継続練習が欠かせませんが、「一日弾かないと・・・」というようなことは当たらないそうです。集中力が大切です。)

 お相手はリスト様。よちよち譜読み段階。表現の「ひ」もない段階です。指を広げたりリズムがややこしかったりポリフォニックだらけになっていたりダイナミックな和声になっていたりと、リストらしく思えるところがいろいろとありました。先日の記事で書いた指の開き方なんかまだかわいいものです。本当に練習者泣かせの作曲家でありますが、そのために聴きごたえのある音楽になっているのも事実なので、ついていけるところまでついていきたいと思いました。しかしですね。9度以上開いてポリフォニックなところって、どうやって弾くのだろうとやっぱり思います。そのような曲もさらりと弾いている子供たちもいるのですから、本当にたいしたものだと思います。

 片手づつ練習してきた曲に向き合って、弾けるようになるまで〇時間、しかも気持ち悪い状態です。片手と両手でゆっくりゆっくり練習してなんとか弾けるようになった感じです。譜読みの遅さも感じます。しかしやったという達成感はありました。日頃からこのように練習していればいいんですよね、ようし、と思ったのでした。


エスニックなお味

2011年08月15日 | 日記

 今日、汁のない担々麺というのをいただきました。味は適度に辛くて濃い味でまあまあというところ。どちらかといえば私は汁のあるほうが好きだということも分かりましたが。。
 そのとき店員さんに「パクチー」もいるかと訪ねられました。なにかわからないけれど香辛料のようだ、香辛料なら美味しいに違いないと思い、「いります」と伝えました。そして「パクチー」という名で紹介されたのが、みつばみたいなごくごく普通のみかけの野菜(リンク参照)。なんだ、これなら楽勝で食べれそう、美味しいかもしれない、と思っていたのですが一口入れたとたん

やってまいりました、独特の強烈なにおいが~(汗)

君だったのか、タイ料理などのエスニック料理にときどき参入し、好き嫌いがなかったはずの私をすさまじいにおいでさんざん困らせ続けてくれたのは。

 みかけはみつばのごとく繊細なのですが、におい、ではなく香りはカメムシにも例えたくなるような強烈なものでした。忘れることのできないものであります。
その結果ついに、嫌いな食べ物リストの新メンバーとして「パクチー」が加わってしまいました。「パクチー」好きな人にはたまらないほど支持されているそうですね。なにしろタイ料理をはじめとしたあの独特なかおりの根源ですからね。エスニック料理の代名詞的な位置を占めていなくもないです。しかしエスニック料理の悪の正体が分かったのですっきりしました。突き止めたところで次は慣れていくことでしょうか。しかし私にとって、カメムシ草ではなくて「パクチー」への慣れと苦手克服にはかなり時間がかかるでしょう。しかしそういうものを料理にかならず入れる東南アジアの人たちは子供のときからそういうものに慣れているのでしょうね。見事なことです。

 ちなみに「パクチー」は「コリアンダー」のことでもあります(リンク参照)。カレーによく入っている「コリアンダー」の正体はあのカメムシ草、ではなくて「パクチー」だったのですね。あんなに好きなカレーにも必ずといっていいほど「パクチー」が入っていたという事実にも衝撃を受けました。また「パクチー」は「香菜」とも呼ばれています。みかけは普通っぽい雰囲気で袋におさまったりしています。ますます紛らわしいですね。「香草」は青梗菜とともに中国から入ってきたそうですが、癖の強かった「香菜」は日本ではすぐには受け入れられず、エスニック料理で使われる香味野菜「パクチー」として別ルートから受け入れられるようになりました。

 「パクチー」、一度召し上がってみてください。タイ料理などにでてくるあの香りの正体ですから。私は苦手ですが好きな方もいらっしゃると思います。なんと専門店や銀行さらには検定もあるようですしね(私は行かないよ)。愛されていますね。どちらにしても「パクチー」を意識することによって自分の味覚の広がりが感じられるような気がします。「パクチー」、納豆に負けず劣らず話題の種になりそうです。


リストコンソレーション4番(その1)

2011年08月15日 | ピアノ・音楽

 リストのコンソレーションで、1番と同じくゆったりとした讃美歌風の曲が4番です。

 マリー・ダグー伯爵夫人と別れたのち、ロシアに演奏旅行をしたリストは、カロリーネ・ヴィットゲン伯爵夫人と知り合い、恋に落ちました。まわりから認められる恋でなかったこの恋を、ワイマール大公妃マリア・パヴローヴナは理解を示しました。リストはそんな彼女に感謝の気持ちをこめてコンソレーションを作曲し、ワイマール大公妃マリア・パヴローヴナに献呈しました。それがコンソレーションの生い立ちです。(PTNAピアノ曲事典より)

 そしてこの4番、実はリストのコンソレーション作曲上では重要な位置を占めていました。リストがこの曲を献呈したワイマール大公妃の作曲したテーマが用いられているのです。最初の3小節がそのテーマでしょうか。落ち着いた雰囲気のテーマです。

 ホロヴィッツさんの名演がYoutubeに入っています。

 Edith Faraudiさんの演奏もあります。こちらはさらりとしています。

 

ただです

 

 ワイマール大公妃やリストには失礼なうえに、またこじつけが始まっているのですが、この曲、一部がどことなく

ベートーヴェンの熱情第2楽章

 

 

シューマンのクライスレリアーナ第6曲

 

 

ドヴォルザークの交響曲第9番(新世界)第4楽章(のこのカラヤン指揮のベルリンオケでは2分21秒あたり)

 

 

似ているような気がします。

 そして他にもコンソレーション4番に似ている曲がありそうな気がしてならないのは単なる気のせいでしょうか?


イタリア大使館別荘記念公園

2011年08月15日 | 気になる場所、風景

 日光の中禅寺湖湖畔には、明治中頃から昭和初期にかけて各国の大使館をはじめとし、多くの外国人別荘が建てられました。昭和3年にイタリア大使館の別荘として建てられ、平成9年まで歴代のイタリア大使によって使用されていたイタリア大使館の別荘が一般公開されています。建具、家具などできるだけ再利用して復元し、とても美しい建物となっています。(パンフレットを参考にしました)駐車場から少し歩くのですが、湖が見える並木の遊歩道は情緒にあふれています。中に入ると係員の方が親切に案内してくださるうえに、中禅寺湖の美しい風景を楽しむことができます。家具も写真にあるように色彩豊か。夢のような書斎と寝室です。写真には写っていませんがキッチンもイタリアのような楽しい雰囲気です。かつてここを拠点にマス釣り、ヨット、和船のレースなどのイベントが行われました。副邸では1920年代に録画された当時のフィルムも放送されていて見ごたえがありました。

 この邸宅の、中禅寺湖を望む縁側のソファに座っていたら時を忘れそうです。真ん中の写真が縁側からの中禅寺湖です。