いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

懐かしの場所

2013年09月18日 | 気になる場所、風景

 後日私の実家に向かいました。広島駅前のFデパートの最上階からこのような景色が見えました。左の写真の奥から二番目の橋の上を通っているのが有名な路面電車です。

  広島市の中心街である本通りから少し北に入ったところに、レコードをかけてくれる喫茶店「一楽章 未完成」がありました。カレーやラッシーが美味しかった記憶があるのですが、少し引っ越していました。そしてもともとは「一楽章」という名前だけだったのが後で「未完成」と追加されたようです(ミニコンサートなどの生演奏もされるようになったのですね!)。S社をはじめとした海外のピアノを販売しているHピアノ社の近くになっていました。今回は入らずに前だけを通ったのですが懐かしかったです。ビルの二階なので中の様子もかなり変わったのかもしれませんが。

 路面電車です。

 広島市内の横川というところにあるチアスという喫茶店にこっそり行ってきました。音楽がかかっていたりときにはイベントなども行ったりするおなじみの喫茶店でしたが外見はほとんど変わっていませんでした。

 いや、変わっていないのは外見だけではなくて店内も。。。(顔が分からないように塗りつぶしています)バロックの美しい弦楽合奏がかかっていましたが残念ながら誰の何の曲か分かりませんでした。

 ブレンド珈琲を注文しました。そのときのその人の様子に合ったカップを用意してもらうのでそれが楽しみで注文したのですが、今回はこのような小花のカップでした。 大人しくなっていたのかな。

 どちらにしてもほとんど変わっていない喫茶店チアスに行くことができて本当によかったです。

 次に実家の近所で咲いていた花。右端の花は秋の薔薇ですね!

 時間が経過し帰りの新幹線。ラッキーなことに高速で走る車両内からなつかしのこの施設の写真を撮ることができました。練習室のピアノは健在でしょうか?ツィメルマンのリサイタルも開かれるなど、ホールも大活躍のようですね!

 今回は急遽決まったので一泊で事前報告なしの帰省になりましたが懐かしいものにたくさん巡り合うことができました。

 

 

 

 


山口県小野田市の南端

2013年09月17日 | 気になる場所、風景

 

 週末は主人と私の実家に帰省してきました。主人の実家に帰省中にちょっと出かけた場所の一つに、小野田市の南端にある岬こと本山岬という岬があります。その本山岬は公園となっており、かつては遠足でも行けるような開けた場所だったのですが、あまり人が来なくなったのか岬へと向かう道は草がぼうぼうと生えていました。

 しかしその草をかき分けながら道を歩んでいくとそこは砂浜と海が見えてきました。トンネルを抜けるとそこは雪国に近いものが・・・。天候がちょっとよくなかったのですっきりした景観ではないのですが興味深い眺めです。向こう側にある岬のトンネルみたいな穴が妙に気になります。

 トンネルのある岬方面に少し近づいてみると・・・美しい地層が見えます。この地層は礫岩層で、トンネルも含めこれらの地層は海水の浸食によってつくられました。

 もっと近づいてみました。古代遺跡のように見えます。とても自然の力だけによるものには思えないです。

  反対側を見て見たら、瀬戸内海が広がっていました。そこそこの波があったようです。

 しばらく散策した後、ふたたび茂みの中をとおって戻りました。その道中なんとこんなお方に出会いました!甲幅4cm、体長10cmぐらいで鮮やかな色をしていました。しかも仲間達にもたくさん出会いびっくりするやら・・・。みなさん本当に逃げ足が速く、きちんと撮れた写真はこの方のみでした。

 無事に茂みから脱出し、この本山岬に近い駅へと向かいました。JR西日本小野田支線の終点こと長門本山駅という無人駅です。長門とありますが山口県北部の長門市からは北と南でかなり離れています。現在は朝晩ごく少ない発着しかありませんが、2002年までは22時まで列車が設定されていたそうです。

 

 この線路の止まり方がいかにも終点らしさを表しています。都会ではまず見ることのできない貴重な風景です。

 最後に、長門本山駅周辺に咲いていた花です。

 

 

 

 


高い職場

2013年09月17日 | 気になる場所、風景

 一週間前の週末に出会った方たち。台車に乗って掃除をされています。台車の上は頑丈なロープでぶら下がっています。

 ちなみに彼らが掃除をしている場所は、東京スカイツリーの高さ450m地点でこのような眺望です。スカイツリーの中で我々が行くことができるもっとも高い場所である展望回廊です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  まるで飛行機から見下ろしたようです。このような高い職場でありながら、彼らは余裕を持って丁寧に掃除していました。中からもの珍しそうに見ている我々のような客たちにも余裕のありそうな笑顔を振り向けていました。恐怖感をはるかに乗り越えているのでしょう。プロの仕事のすごみを感じました。


ドレファミ やら 内声 やら

2013年09月03日 | ピアノ・音楽

 ただ今ショパンのバラード3番を練習しています。無謀なのもなにも承知なのですが、一生のうちにショパンのバラードを少なくとも1曲は弾くというのが夢だったので、その夢の実現に向かっているということになります。基礎的な力も中途半端なのは承知しているため、大曲に手を出すのは控えたほうがいいのでは、とずっと思っていたのですが、私が本当に上手な方のように弾けるようになるのは一生かけても無理だというのも分かっている今、むしろ憧れの曲を今弾かないでいつ弾く?と思うようになったのもあります。前の自分よりも弾けるようになる、その過程を楽しむのもありだと思ったし、なんといっても、憧れ曲を弾いたほうが練習へのモチベーションも上がりますしね。 

 そして弾き始めて数ヶ月。はじめはモチベーションも高かったのですが、ときどきあまりにも難しいのと、どこを直せばいいのか分からなくなったりするのと、ほかの曲が素敵そうに思えるのとが合わさったりして気移りすることもしばしば。しかし、やっぱり好きな曲なので練習が楽しいです。後半の難所はエレベストのようなのですけどね。。。。

 今回はそのバラードの中でなんとなく気づいたことがあったので書きます。誰も言ってなさそうなことである上に、重要度もあまり高くなさそうな気がするのですが、弾いていて気付いたことなので書くことにしました。

 前半部、第二主題から前半の最大の盛り上がりに移ろうとするところ、徐々にそして最後は思いっきり盛り上げるのですが、その盛り上げ始める箇所である77~81小節目の左手内声の「ドレファミ レミラ♭ソ ファ」が気になりました。

 

  以下のアムラン氏による演奏の動画でいうと、2分44秒から2分51秒にあたるところです。その後第1番目の盛り上がり部分になります。

 

 そしてその「ドレファミ レミラソファ」は95~99小節目でにユニゾンとなって再現し、その後ひとまず収束へと向かいます。先ほどの動画でいうと3分17秒から3分25秒になります。 

   この部分の「ドレファミ」すなわち「CDFE」で思い出したのが、モーツァルトの交響曲41番K.551ジュピターの第4楽章のテーマの「ドレファミ」「CDFE」でした。ジュピターで頻繁に使われているこの「CDFE」音型はジュピター音型と言われ、モーツァルトの他の曲、例えばK.192の「クレド」(以下の動画でいうと1番目の曲 )

 

やK.257「クレド・ミサ」の 「サンクトゥス」で使われています。彼にとってこの「ドレファミ」こと「CDFE」は一生かけてのテーマとなる音型だったそうです。そしてさらにさかのぼってハイドンの交響曲13番の第4楽章でも使われているそうです(これらの内容は詳しい方たちに教えていただきました)。

 また新しくはシベリウスの交響曲第4番の第4楽章に「ドレファ♯ミ」こと「CDFisE」という不気味な形となって登場しています(こちらも詳しい方による情報です)。出だしのチェロの独奏から印象的です。寒く厳しい北欧の夜を連想するのですが、シベリウスはこの曲を作るときにジュピターことモーツァルトの音楽を少しは頭に浮かべていたのでしょうか?

 

 

しかし、この「ドレファミ」こと「CDFE」というジュピター音型の起源、実はグレゴリオ聖歌のHymn「Lucis creator」にあると言われています。音源があったので貼り付けておきます。確かに出だしから「ドレファミ」こと「CDFE」が聴こえますね!

 

 この「ドレファミ」パレストリーナも使っているそうです。探そうと思ったらきりがなさそうです。

 ちなみにショパンのバラード3番の「ドレファミ」ではその後「レミラ♭ソファ」と続き、ヘ短調となりますのでこの部分の前半をジュピター音型というのは多少無理があるかもしれないいのですが、それでも「ドレファミ」こと「CDFE」という音型には何らかパワーがあるのでは、というような気がしました。

 再びバラードに戻ります。ジュピター音型とは違う話題です。「ドレファミレミ♭ラソファ」の後の静まろうとしたシーン。こじつけもあるかもしれませんが、下の楽譜でいうと右手のソプラノもですが、内声の茶色で囲まれた部分も聴きながら弾くと、音楽が素敵になりそうな気がしました。先程の動画でいうと3分26秒から3分36秒のところです。

 

 そう考えてみたら内声の存在感の大きさを感じます。人によってはあまりにも聴きなれた曲が多く分かりきったように見えるショパンの曲、もっともっと発見できそうなことがあるような気がしました。 

 


ジョージ・セル&クリ―ヴランド管弦楽団 ライブ・イン・東京 1970 を聴きました

2013年09月03日 | ピアノ・音楽

  ピアノ以外の音楽、そして指揮者、しかも過去の指揮者については詳しくないのですが、ジョージ・セルという指揮者を固有の指揮者として意識したのはこの私にしては早い方かもしれません。それでも長年のファンの方たちからみたらにわかに聴き始めた私がここに採りあげるのはおこがましいのも十分に承知であり、その上あまりにもつたない感想なのですが、それでも印象に残ったものは残しておきたいので書こうと思いました。私のセルとの出会いはあるサイトでした。いにしえのよき演奏を公開したあるサイトで、ジョージ・セルにほれ込んだ筆者が並外れた透明感を持つ演奏だと大きく採りあげていて、こんなにすばらしい指揮者の演奏なら聴きたいと思い、無料でありながらもそのサイトの音源を聴かせていただいていました。そしてtwitterでもセル専門のアカウントを作られる方もいらっしゃるぐらい、クラシックファンに定評のある指揮者なのだということを知り、今度はCDを購入して本格的に聴いてみたいと思うようになりました。
 
 そして第一号に購入したのが、実は、セルにとっては最後の音源でもあった、1970年の来日時の東京公演でのライブ演奏である「LIVE IN TOKYO 1970」ジョージ・セル指揮、クリ―ヴランド管弦楽団による演奏という有難くそして畏れ多さも感じるようなラッキーなものでした。(実はY市の中古レコード店に置いてあったのです!そのときはそこまで感じていなかったのですが今となっては運命的な出逢いだったと思っています)ソニーの京須氏によるCDの解説によると、1970年の来日時には健康状態が思わしくなかったセルでしたが、音楽への真摯な取り組みは変わらず、殆ど観光はせず一にも二にも音楽、オベロン序曲でフルートかオーボエか、メンバーが一人足りないことに気付き団員が寝過ごしたということに判明すると「クビだ、帰国させろ!」と劣化の如く怒ったという、真摯でストイックな姿勢だったそうです。生涯最後の”初演作品”でもあったという「君が代」の試奏のあと、テンポの当否をしきりに周囲の日本人にしきりに問い、譜面を穴があくまで見ていたということでした。
 
 このCDはその来日公演の中の、東京公演初日のプログラムで、音源自体もしばらく不明になっていたものだそうです。拍手も入っていてライブ感にあふれています。

 全体的に、とても濃密な演奏です。楽譜をとことんまで見通し深く厳しく追求したからこそ出せる音があつまっていて凄かったです。この演奏を生で聴いた方たちがうらやましくなる、そんな演奏でした。ぴしっとのりをつけてアイロンをかけた、楷書のようなしまり、曲の隅々まで見通し追求したような密度の濃さが感じられました。
 CDは2枚あり、下に書く1枚目とともに、2枚目にはシベリウスの交響曲第2番とベルリオーズのラコッツィ序曲があるのですが、今回は1枚目の感想を書くことにします。(ベルリオーズは言うまでもなく、有名なシベリウス2番を聴いたのも今回が初めてだったので、曲そのものへの感想になってしまいそうな気がして今回は避けました)

C.M.v.ウェ―バー 歌劇「オベロン序曲」
 「オベロン、または妖精王の誓い」という全3幕のオペラで、台本はヴィーラントの叙事詩「オベロン」の英訳をもとに「夏の夜の夢」と「テンペスト」の内容を付け加えたもの。結核に侵されていたウェーバーが自分の死期を悟り、15ヶ月の速さで作られ、絶筆となった作品。そしてこの序曲がもっとも演奏されています。
 冒頭はホルンでしょうか、厳粛な感じの始まり。その後弦楽器そしてフルートと思える管楽器が絡み合い、妖精がささやきはじめます。そして突然どんとなり、美しくわくわくする旋律のテーマとなります。どこかで聴いたことがありそうな楽しいメロディーが続きます。その次も甘くて優しく包み込むような音楽が続いたり、かと思ったら元気に飛び回ったり激しく情熱的になったりと、変化に満ちて聴きごたえがあります。これからの季節にぴったりな曲の一つのような気がしました。
 この曲もこのCDで出会ったので、感想を書くのはちょっとおこがましい気もするのですが、とても麗しい演奏で曲との素敵な出会いのきっかけになりました。華やかにはじけ、たおやかに流れる、色彩豊かな演奏でした。

交響曲第40番ト短調
第1楽章モルト・アレグロ 速いホグウッドに聴きなれてきた耳にはゆっくりした音楽に思えたのですが、音の隅々にまで丁寧に神経の行き届いた美しい演奏。速度が一瞬遅くなるところがあるがそのたびに音楽への愛情が感じられぞくぞくしました。その間の中にセルの愛情が込められているような気がしました。まだ音楽は続くはずなのだが最後に近くになるにつれて寂しさを感じました。

第2楽章アンダンテ 低音部や内声を大切にしているからか、厚みにあふれた音楽でした。のどかでゆったりとした感じでありながら、曲が盛り上がるところでは緊迫感がありどきどきさせてくれる。大きく曲をとらえた感じの演奏だと思いました。

第3楽章メヌエット・アレグレット 小悪魔的な雰囲気のこの曲、実はこの40番交響曲の中で私が一番好きな楽章です。変拍子で後半がちょっとずれて寸足らずな感じなのがおしゃれなのですがこの演奏もそういう洒脱を感じさせました。しまりのあるかっこいい音楽。外へ外へと向かう激しい気迫も感じられその気迫がずしんずしんと重力方面にも向かっている感じでした。

第4楽章アレグロ 目まぐるしく転調しめくるめく音楽が広がっていく様子にさらわれそうになりました。しかも濃密なので力強くひっぱられていそうな感じがしました。最後の再現部直前にゆっくりとなるところでふたたびぞくっとしました。一瞬気を抜いたのかな、とも思えそうなのですが、再現部に向かうまでのかけがえのない過ぎてほしくないひと時を感じさせるような気がしました。セルはこの部分に大きな思いをはせていたような気がしました。その後速度が元に戻った時点で駆け抜けるような潔い終わり方がかえって切なさを感じました。

 シベリウスとベルリオーズは余力があったら書けたら、と思っているのですがあてにしないでください。(シベリウスの交響曲第2番はさすが名曲だけあり素晴らしい曲でした。この有名な曲を今回まで知らなかったのは大きな損失だったと思っています。)