チェンバロフェスティバルの記事をかなり書き進めていたところぱったり消えてしまい、しかも保存もできませんでした。残念(涙)
また書きなおそうとしたら長くなりそうだ。。。。
でも3つだけ、書こうと思います。
中野振一郎さんが、フォルクレという作曲家の組曲第5番という曲を弾いたのだが、これが非常に印象的だった。まったく知らない作曲家であり知らない曲だったのだが、どの曲もかっこよくてしかもどこかで聴いたことがありそうな曲だったのだ。最初のラモー(威厳を持って)は本当に副題通り威厳にあふれていた。しかし最後のジュピター(節度を持って)はまったく副題とは違っていた。バッハにでてきそうな普遍性があるように思えた旋律が反復しながらどんどん発展していき、激しく盛り上がっていった。重厚な和音と装飾音も多くまさに荘厳なチェンバロという感じだった。チェンバロは繊細な楽器ではない、とこのとき感じた。ちなみにこのフォルクレという作曲家、マラン・マレとともに、フランス・ヴィオール界のヴィルトゥオーゾだったそうだ。優雅で暖かな美音を特色とするマラン・マレは「天使のようなマレ」と呼ばれたのに対して、フォルクレは表現衝動に富んだ鬼気迫る演奏から「悪魔のようなフォルクレ」と呼ばれたそうだ。気性が激しく、息子の才能に嫉妬して投獄や国外追放をはかったという話も残っている。しかしこの組曲第5番は、父親によって幽閉された息子が、クラヴサン用に編曲した作品からできているとのこと。父親にひどい目にあわされながら自分の作品を出版しなかった父親の作品が埋もれないように、と編曲した息子はできた息子だと思った。また、フォルクレ悪魔説については、崇高で威厳があるから、というのもあるが、今日の演奏からも、その通りのように感じた。いや、むしろ、悪魔、というイメージよりも、曲全体から普遍的なものが感じられた(私の感性は変なのだろうか)名前だけきいたらおっとりした作曲家のように思えていたが大違いのフォルクレ、忘れられない作曲家になりそうだ。
中野さん演奏のフォルクレの組曲第5番のジュピターのYoutubeを発見!どこかで聴いたことのありそうな激しくかっこいいモチーフが聴こえてきます。コーダあたりはまさに超絶技巧です。
村治佳織さん(ギター)と曽根麻矢子さん(チェンバロ)のデュオは、バロック以外の曲が演奏された。CDで聴いていた村治佳織さんは生でぜひ見てみたかったのもあるが、とても感じのよい素敵な人だった。ギターとチェンバロという、はじいて音を出す楽器どおしのデュオってどうなのだろう、と思えたが、実際に曲目自体が「ギターとチェンバロのためのソナタ ホ長調」とあるとおり、はじいて音を出す楽器どおしのための曲だったのもあるうえに、名手の二人だからだろうか、とても神秘的でいい感じの演奏になっていたと思う。どちらかといえば村治さんのギターのほうが、旋律を歌いこむような雰囲気になっていたような気がするが。それでもギターは旋律だけではなくチェンバロと同じく伴奏とともに演奏されていた場面もあったが。めったに聴けなそうなお二人、そして楽器どおしのデュオで貴重だった。
三つ目は帰る間際にちょっとのぞいた大人の生徒さんのためのマスターコース。途中で帰ることになっても入ってよいということだったので、途中まで聴かせていただいた。生徒さんは、非常に上手な方だった。ブクステフーデの曲を演奏していて、先生は武久源造さんだった。私から聴いたら、完璧のように、そして先生の要求にこたえようとされていたように思えたのだが、先生はもっと欲をだして粘って演奏しなければならない、と厳しかった。一音一音の表情のつけ方から綿密なアドバイスをされていた。音楽に流れをつけるようにと熱く語っていた。ブクステフーデは北ドイツの作曲家、一見生真面目なようだが、その中にひそやかなユーモアが含まれていたのではないか、という話をされていた。
先ほどの写真のチェンバロもさわることができた。出てきたチェンバロ奏者もそうそうたる顔ぶれだったし、ご無沙汰していたチェンバロに久しぶりにかかわることができて、貴重な一日だった。
帰宅後、リストの曲のダイジェストを集めた伝記つきのCDを聴いた。リストが作ったとは思えない、と我々両方が感じたのが交響曲の類。交響詩「前奏曲」、ファウスト交響曲なんか、まさに未知のリストの世界だった。ショパンのようにのどごしがいいわけではなく、ちょっと苦味がるところがリストらしいと思えた。それにしてもリスト、ピアノ曲だけでも知らない曲がたくさんあるのですが。。。かなり幅の広い、多面性を持った作曲家だと感じた。今日はちょっとしか聴くことができなかったが、少しずつ通して聴いていけたら、と思う。