いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

フォトチャンネルにお絵かきに

2011年10月28日 | お絵かき

 gooブログにはフォトチャンネルというのがあるみたいです。しかも貼り付けてもいいみたい!早速ちゃっかりと貼り付けさせていただきます。マイペース人生というブログの「花」という作品です。

 こういうのって素敵ですね。私も写真を撮ったらこのようにまとめてみようかな。

 水彩色鉛筆を持って絵を描いていたこともありました。カルチャー教室に水彩色鉛筆の1日講座がよくあるのですが、日程が合わなかったり満員になっていたりしてまだ縁が持てていません。でも教室とは縁がなくても描くことはできるのですよね。大体1日で完成させなくては、と思うから描けないのだと思います。そういえばピカソは絵を完成させてしまってはおしまいだと言い、最後の奥さんの絵を繰り返し修正していました。ローペースでやってみようかな。 

 箱根の彫刻の森美術館にピカソ館というのがあり、先日行きました。見ていて心が温かくなりました。顔を描いた皿がたくさん並んでいたのですが、どの作品も表情豊かでほのぼのしました。そんな素敵な顔が描かれた丸い形の絵葉書も買いました。一番好きなのがこちらに載せた『昼寝』です。


グリーグ ホルベルグ組曲

2011年10月26日 | ピアノ・音楽

 私にとって集中力は大きな課題。ピアノ曲については、自分が練習している曲以外の曲にはまったり紹介したりすると、集中力がなくなるかもしれない、とも思います。しかしそれでも素敵なものは素敵。そういう曲や演奏に出会えた瞬間幸せを感じます。

 youtubeをうろついていたら見つけてしまった素敵な曲と演奏。私にとって田部京子さんはソナタOp.7をはじめとして、グリーグのピアノ曲と出会うきっかけを作ってくださった方でもあります。このホルベルグ組曲もそう!さわやかで心が洗われそうな演奏です。ペダルを踏まずにここまで美しく演奏されること自体すばらしいとのコメントがありました。うっ、私のリストの某箇所は間に合わせるためにペダルの助けを得ましょう、ということになったばかりなのに・・・。さすがです。田部京子さんのリサイタルは要チェックです。(そうしているうちに要チェックピアニストがどんどん増えていきます。。。)

 ちなみにこの曲、某コンクールの入賞者コンサートで小学生の女の子がちゃんと弾いていました。すごいっ! 

 楽譜を見たら細かい動きの伴奏と美しいメロディー、そして苦手な左右のうけわたしを発見。大変そうだが私もいつか弾くのだ、と妄想にひたるのでした。

 


食べ物と音楽記号をみようという話

2011年10月25日 | ピアノ・音楽

 昨日は仕事帰りにまったりと飲み会。幸せなひとときだった。韓国料理の店で、キムチ、キムチ鍋、キムチと豆腐とゴーヤの和え物が出てきた。辛い物好きな私にとってはうれしい品ばかり。辛い物ばかり食べると頭が悪くなるよ、と子供のころよく言われていたけれど、今は本当にそうなのか疑わしいと思っている。だって辛い物を子供のころから食べる国だってあるしね。コーヒーを飲むとよくない、というのも子供のころに言われたなあ。この話の信憑性も疑わしいと思っている。反対にネギを食べると頭がよくなる、という話もきいたことがあり、子供のころいやいやながら食べた記憶がある。こちらの信憑性はいかがなものだろう。しかし今は大人の味とも言えそうなネギが大好きで、子供のころにいやいやながらでも食べていてよかったと思っている。


 今日はレッスン。演奏そのものもだが、楽譜と音楽記号をくまなく見る、ということが今日の私にとって最大のテーマだった。今の曲は最後まで間違えずに弾くだけで必死になっており、あまたに書かれている音楽記号をいくつかすっ飛ばして弾いていた。恥ずかしいことに原点を忘れていた。音楽記号、じっくり眺め、調べてみるとなかなか面白い。個性的な言葉を発見。


cantabile con divozione 


カンタービレは「歌うように」でわかりやすいが、ディヴォッツイオーネとはなんぞや、という状態だった。「信仰深く」という意味だった。う~ん、信仰深くとは、相当内面にまで迫った用語だ。英語でいうところのdevote(ささげる、ゆだねる)ともなんだか関係がありそうだな。どのように弾いたら信仰深く聴こえるだろう、「強く」、「弱く」、「速く」、「ゆっくり」、「切って」、「なめらかに」、「軽く」、「重く」の中で、ここでは「ゆっくり」「重く」を組み合わせたらよさそう、というところまではいったのだが、そこから先にすすめてイメージを作り自分で納得できる「信仰深さ」を見つけないといけないということだな。ひゃ~、かなりの難問だ。


 音を間違えない、という段階でひいひい言っているのが現状。。。。。効果的な練習方法を探ることが最大の課題のようだ。


チェンバロフェスティバル

2011年10月22日 | ピアノ・音楽

  チェンバロフェスティバルの記事をかなり書き進めていたところぱったり消えてしまい、しかも保存もできませんでした。残念(涙)

 また書きなおそうとしたら長くなりそうだ。。。。

 でも3つだけ、書こうと思います。

 中野振一郎さんが、フォルクレという作曲家の組曲第5番という曲を弾いたのだが、これが非常に印象的だった。まったく知らない作曲家であり知らない曲だったのだが、どの曲もかっこよくてしかもどこかで聴いたことがありそうな曲だったのだ。最初のラモー(威厳を持って)は本当に副題通り威厳にあふれていた。しかし最後のジュピター(節度を持って)はまったく副題とは違っていた。バッハにでてきそうな普遍性があるように思えた旋律が反復しながらどんどん発展していき、激しく盛り上がっていった。重厚な和音と装飾音も多くまさに荘厳なチェンバロという感じだった。チェンバロは繊細な楽器ではない、とこのとき感じた。ちなみにこのフォルクレという作曲家、マラン・マレとともに、フランス・ヴィオール界のヴィルトゥオーゾだったそうだ。優雅で暖かな美音を特色とするマラン・マレは「天使のようなマレ」と呼ばれたのに対して、フォルクレは表現衝動に富んだ鬼気迫る演奏から「悪魔のようなフォルクレ」と呼ばれたそうだ。気性が激しく、息子の才能に嫉妬して投獄や国外追放をはかったという話も残っている。しかしこの組曲第5番は、父親によって幽閉された息子が、クラヴサン用に編曲した作品からできているとのこと。父親にひどい目にあわされながら自分の作品を出版しなかった父親の作品が埋もれないように、と編曲した息子はできた息子だと思った。また、フォルクレ悪魔説については、崇高で威厳があるから、というのもあるが、今日の演奏からも、その通りのように感じた。いや、むしろ、悪魔、というイメージよりも、曲全体から普遍的なものが感じられた(私の感性は変なのだろうか)名前だけきいたらおっとりした作曲家のように思えていたが大違いのフォルクレ、忘れられない作曲家になりそうだ。

 中野さん演奏のフォルクレの組曲第5番のジュピターのYoutubeを発見!どこかで聴いたことのありそうな激しくかっこいいモチーフが聴こえてきます。コーダあたりはまさに超絶技巧です。

 村治佳織さん(ギター)と曽根麻矢子さん(チェンバロ)のデュオは、バロック以外の曲が演奏された。CDで聴いていた村治佳織さんは生でぜひ見てみたかったのもあるが、とても感じのよい素敵な人だった。ギターとチェンバロという、はじいて音を出す楽器どおしのデュオってどうなのだろう、と思えたが、実際に曲目自体が「ギターとチェンバロのためのソナタ ホ長調」とあるとおり、はじいて音を出す楽器どおしのための曲だったのもあるうえに、名手の二人だからだろうか、とても神秘的でいい感じの演奏になっていたと思う。どちらかといえば村治さんのギターのほうが、旋律を歌いこむような雰囲気になっていたような気がするが。それでもギターは旋律だけではなくチェンバロと同じく伴奏とともに演奏されていた場面もあったが。めったに聴けなそうなお二人、そして楽器どおしのデュオで貴重だった。

 三つ目は帰る間際にちょっとのぞいた大人の生徒さんのためのマスターコース。途中で帰ることになっても入ってよいということだったので、途中まで聴かせていただいた。生徒さんは、非常に上手な方だった。ブクステフーデの曲を演奏していて、先生は武久源造さんだった。私から聴いたら、完璧のように、そして先生の要求にこたえようとされていたように思えたのだが、先生はもっと欲をだして粘って演奏しなければならない、と厳しかった。一音一音の表情のつけ方から綿密なアドバイスをされていた。音楽に流れをつけるようにと熱く語っていた。ブクステフーデは北ドイツの作曲家、一見生真面目なようだが、その中にひそやかなユーモアが含まれていたのではないか、という話をされていた。

 先ほどの写真のチェンバロもさわることができた。出てきたチェンバロ奏者もそうそうたる顔ぶれだったし、ご無沙汰していたチェンバロに久しぶりにかかわることができて、貴重な一日だった。

 

 帰宅後、リストの曲のダイジェストを集めた伝記つきのCDを聴いた。リストが作ったとは思えない、と我々両方が感じたのが交響曲の類。交響詩「前奏曲」、ファウスト交響曲なんか、まさに未知のリストの世界だった。ショパンのようにのどごしがいいわけではなく、ちょっと苦味がるところがリストらしいと思えた。それにしてもリスト、ピアノ曲だけでも知らない曲がたくさんあるのですが。。。かなり幅の広い、多面性を持った作曲家だと感じた。今日はちょっとしか聴くことができなかったが、少しずつ通して聴いていけたら、と思う。