いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

発表会がありました Sound Bouquet@Musica 2014

2014年04月30日 | ピアノ・音楽

 先日の4月27日、私の地元の広島で友人主催の発表会がありました。この会場で開かれる際にいつも声をかけていただき、今まで毎回参加しては刺激をいただいていました。今回は三度目。三度目の正直とばかり張り切って?出かけました。参加者の顔ぶれは以前からの友人、前回にも参加されお会いした方たち、今回初めてお会いした方たちとさまざまでした。4時間ぐらい前からリハーサルが始まって本番は2時からでした。

プログラムは三度の休憩込みで以下の通り、無記入はピアノソロです。連弾あり弦楽器ありオカリナあり、クラシックあり日本の歌ありラジオ体操ありと多種多様な内容でした。

ソナタ第24番Op.78「テレーゼ」第1楽章   ベートーヴェン

イタリア協奏曲BWV971第1楽章               バッハ

ピアノソナタKV545第1楽章                      モーツァルト

ヴァイオリンソナタ第5番Op..24「春」第1楽章 (ヴァイオリンとピアノ)       べートーヴェン

エル・ペレレ                                                グラナドス

威風堂々(ピアノ連弾)                                    エルガー

弦楽四重奏曲KV156全3楽章  (弦楽四重奏)     モーツァルト

童神(オカリナとピアノ)                                    作詞:古謝美佐子 作曲:佐原一哉

ラジオ体操 第1                                            服部 正

ラジオ体操 第2                                            團伊玖磨

小プレリュードBWV939                                バッハ

ノクターン1番 Op.9-1                                  ショパン

ソナタ第8番Op.13「悲愴」第1楽章                 ベートーヴェン              

幻想小曲集Op.73よりⅢ (チェロとピアノ)         シューマン

ハンガリー舞曲 第1番&第4番(ピアノ連弾)      ブラームス

平均律曲集第2巻第14番BWV883                 バッハ

バラード3番Op.47                                       ショパン

月の光 Op.54-3                                       パルムグレン

ロマンス Op.101-1                                  シベリウス

小組曲―小舟にて・行進・メヌエット・バレエ―(ピアノ連弾)        ドビュッシー

 ピアノ歴は様々な方たちだったのですが、どの方の演奏も曲に深く真摯に向き合ったと感じる演奏ばかりで、とても聴きごたえがありました。弦楽器やオカリナのアンサンブルも心から楽しんでいるというのが伝わってくる演奏でした。弦楽四重奏というのは初めてでしたね。モーツァルトのKV156わくわくしながら聴きました。連弾も素敵でした、高校生の方も出ていたのですがハンガリー舞曲溢れ出るようなエネルギーが伝わってきてこちらもパワーをいただきそうでした。大人の方たち同士の連弾も楽しそうでキラキラ感が感じられるものでした。

 ソロの演奏も静けさの中から高貴さが伝わってきそうな演奏があってそのままその音楽の世界に没入していたいような思いになりました。自分は弾かなくていいから。。。そう、消え入りたいような思いにも。

 そう、私はショパンのバラード第3番を弾いたのですが、なぜかプログラムが終わりの方でした。大曲を選んだのもあったのかもしれませんね。前の方が素晴らしすぎて緊張にさらに輪が掛かってしまった状態で出る羽目に。。。今までにないようながちがちした状態。Uターンできるのならばしたいような、いつの間にかそういう弱気な思いとの闘いになっていました。しかしそれでは、これまでの数か月が水の泡になってしまいます。前回のこの会場での演奏会で弾いたラヴェルのように、止まったり暗譜が飛んで楽譜を取りに戻るということだけにはならなければよい、あとは落ち着いて弾こう、と思って弾きました。う~ん、確かに、止まりはしませんでした。しかし、呼吸はいつのまにかなくなっていたし音は外したし、まともに弾けたとは言えないような状態。

 自分の演奏が終わった後は、瑞々しいパルムグレンやシベリウス、そしてドビュッシーの演奏を楽しむことができました。さりげなそうに弾かれているのですが、その背景にはたゆまない努力があるのだと思いました。

 私の演奏は反省点だらけでしたが、発表会、とても楽しく温かく、しかも刺激を受けたひとときでした。限られた環境の中、本当に真摯に取り組んでいる方たちばかりで頭が下がる思いでした。声掛けして下さったKさん、そしてご一緒することが出来た方たち、有難うございました!ちょっと遠距離なのですが、また機会があれば、顔を出せたらと思っています。

 そしてひとまず私は、頭を冷やして次に向かおうと思います。  音楽にじっくりと真摯に向き合う事と地道な積み重ねの大切さをひしひしと痛感した機会でもあったので。


合唱団「アニモKAWASAKI」記念演奏会に行ってきました

2014年04月05日 | ピアノ・音楽

 今日は合唱団「アニモKAWASAKI」の記念演奏会に行ってきました。ツイッターで知り合ったフォロワーさんに団員の方がいらっしゃり案内していただきました。アニモKAWASAKIは神奈川フィルハーモニー管弦楽団特別演奏会の合唱担当として川崎市合唱連盟が川崎市からの要請を受け、連盟加盟団体より選抜された精鋭たちとオーディションに合格したメンバーにより結成された合唱団で、毎年東京交響楽団とともにクラシックの合唱曲を演奏してきました。今回はその公演の15回目の記念演奏会でした。出演は音楽監督・指揮:堀俊輔、ソプラノ:馬原裕子、メゾソプラノ:富岡明子、テノール:鈴木准、バリトン:青山貴、オルガン:藤井美紀、合唱:合唱団「アニモKAWASAKI」、管弦楽:東京交響楽団でした。

 曲目は

シューベルト作曲 未完成交響曲 ロ短調 D.759

モーツァルト作曲 レクイエム ニ短調 KV.626 ジュスマイヤー版

 シューベルトの未完成交響曲は東京交響楽団のみの演奏でした。チェロとコントラバスの地の底から出てくるような旋律から印象的、美しく憂いに満ちた音楽に溢れていてとても充実した内容だったのですが、睡魔に少し襲われてしまい第2楽章のある箇所でうつらしてしまいました。本当にもったいなくて申し訳なかったです。実はこの未完成交響曲、私にとっては睡魔を誘う曲の上位になっておりまして最後まで睡魔に負けずに聴けたことがないような気がします、精神性の深い名曲だと思いながらこういう状態、恥ずかしい限りです。今度こそ睡魔に襲われることなく心から堪能したいです。

 モーツァルトのレクイエムでは気分をがらりと切り替えました。モーツァルトのレクイエム、音源や映像で数回聴いたことがあるのですが生で聴くのは初めて。どんな音楽を体感できるのかわくわくしていたら、スポーンと抜けるような勢いのある合唱も含めた情熱的で熱い出だしでたちまち惹きこまれました。すごいものが始まりそうだというわくわく感でいっぱいに。場面に応じてソロになったり合唱になったり、しかも各パートの参加の仕方にも変化が見られたりしていました。目で見ることができたのでその変化を視覚的にも味わうことができました。東京交響楽団の管楽器の方も上手でトロンボーンのソロの部分も美しかったです。合唱の部分では静かなところと入り組んだフーガのようなところのめりはりがはっきりとしていて、フーガの所は立体的で心にぐいぐい迫ってくるような音楽でぞくぞくしっぱなしでした。合唱団のメンバーさん、暗譜で歌われていたのですがあんなに美しく構成のしっかりした彫刻を思わせるような音楽を作られていてただただ脱帽、お見事でした。今もレクイエムのフーガの部分が頭の中を駆け巡っています。歌詞は聴くだけではつかめなかったのでプログラムに掲載してあった歌詞の部分を手でなぞりながら聴いていましたが、歌詞の意味も聴くだけで理解できたらもっと深く聴けただろうなと思いました。

 言葉ではうまく言い表せていないのですが素晴らしい演奏会でした。同行した友人も見事な演奏に心うばわれていました。本当に素敵なひとときを過ごすことが出来ました。有難うございました!


アンドラ―シュ・シフ・ピアノ・リサイタル

2014年03月22日 | ピアノ・音楽

 アンドラ―シュ・シフのピアノリサイタルに行ってきました。今まで私はシフの演奏についてはメンデルスゾーンの無言歌やバッハのイギリス組曲のCDをときどき聴いていて好感を抱いていたものの、集中して彼の演奏を聴く、ということは実はあまりありませんでした。しかし、何といっても有名なピアニストの一人、来日してしかも県内の音楽堂で演奏するとなればこんなに有難い話はないということで聴きに行くことにしました。

 会場は神奈川県立音楽堂、初めて出かけたところだったのですが、古き建物で大きな公民館みたいなのどかな雰囲気がただよっていました。木のホールとある通りステージは木で囲まれていて、ピアノはスタインウェイでした。

 演奏曲は以下の通り。

メンデルスゾーン作曲 厳格な変奏曲 ニ短調 Op.54

シューマン作曲 ピアノソナタ第1番 嬰ヘ短調 Op.11

休憩

メンデルスゾーン作曲 幻想曲 嬰ヘ短調 Op.28「スコットランド・ソナタ」

シューマン作曲 交響的練習曲 Op.13 (1852年改訂版)

アンコール

メンデルスゾーン作曲 無言歌より Op.19-1甘い思い出、Op.67-4紡ぎ歌

シューマン作曲 アラベスク

シューマン作曲 子供のためのアルバム より 第10曲 楽しき農夫

バッハ作曲 ゴルドベルグ変奏曲BWV988 より アリア

バッハ作曲 イタリア協奏曲BWV971  より 第3楽章

 厳格な変奏曲の出だしからホール全体に音が立って響いてきました。本当に曲の髄まで吸収し納得できるところまで妥協せずに追求し正面から向き合って取り組んだ深遠で厳粛な音楽がそこにはありました。この曲を演奏するまでにシフはとことんメンデルスゾーンと対話し熟考しながら練習し丁寧に取り組んできたというのが感じられるような演奏でした。

 シューマンのピアノソナタ第1番は激しく疾風怒濤のような雰囲気あふれた第1楽章に対して、第2楽章の出だしのピアニシモの美しさにぞくりとしました。ピアニシモ、ダンパーペダルも使っているような気がしたのですがまるで天国のベールのような幻想的な音。それに対して他の部分ではペダルによる濁りがほとんどありませんでした、どんなに音符の動きが細かくても、一切濁りがなくどんなに小さくて繊細な音でも粒の表情が感じ取れたというのは本当に凄いことだと思いました。それ以降の楽章、そして他の曲でもそうだったのですが、メロディーがしっかり引き立てられていたとともに、伴奏部分の一音一音にも最新の注意が払われていて、方向性や強弱も含む表情が感じ取れました。レッスンでも伴奏形は旋律部分の背後に来るのではなくしっかりと組み込まれて引き立たせたり、ときには音楽の流れを作ったりもする、という話を聞いていたのですが、まさにそれを演奏で実現していて見事だと思いました。

 休憩後はメンデルスゾーンの幻想曲「スコットランドソナタ」でした。哀愁にあふれた第1楽章の始まりから細やかなベールのようなアルペジオが美しくその後の切なさに溢れた語りかけそして怒涛のように流れゆく音楽が印象的でした。第3楽章の光がさすようなところからは情熱がほとばしり溢れていくような感じがして永遠なる音楽の世界に連れ去られそうな感じでした。メンデルスゾーンの作った音楽には一音たりとも無駄がない、それは事実だと思うのですが、それを再認識させてくれるような演奏でした。

 プログラムの最後はシューマン作曲の交響的練習曲!この演奏を聴けたのは私にとって宝のような経験でした。最初のテーマは短かったのですが息が長いフレーズでしっかり聴かせてくれました。そしてそれぞれの変奏を聴いていて感じたのは、ここでこう来るか、というような再発見をしたような気分になる内声の扱い方でした。旋律だけではなく特に左手で演奏しているのではと思われる内声部分の浮き立たせ方が独自でしかも美しく、テーマとうまく絡み合い音楽も深みが増していたような気がします。しかも反復部分では内声の引き立たせ方にも違いがあって、一度目はしっかり、二度目は軽くというような音量配分の工夫もありました。 (アンコール曲のアラベスクにもそのようなところがあって、ここにこんなメロディーがあったのかとはっとするような思いになりました)

 そして交響的練習曲フィナーレには魂を持って行かれそうになりました。華やかな音楽でありながら適度な抑制が聴いていてとても洗練されていました。特にすごかったのは華麗に場面転換するこの部分

の出だしの音!小さいのです、おそらくPでしょう、ぞくりとか美しいとかという言葉だけでは足りないような、体や心の奥底にまでたちまち入り込みとろけてしまいそうな、そんな音でした。ピアノはこんなに美しい、艶めかしい音も作りだせるんだ、という驚きを感じたとともに、この音の再現が出来る人は他にはいないだろう、と思えるような音でした。ちょっとワルの雰囲気もあったかもしれません。。。シフ氏の人間臭い素顔がこの瞬間顔をのぞかせたような気がしました。

 プログラムが終わった時点で彼の音楽にすっかり酔っていたのですが、サービス精神旺盛なアンコールがまたまた素敵でした。小曲ばかりだったのですがこの曲はこんなに美しかったのだろうか、そしてこんなところにこんなメロディが隠れていたのかということを発見させてくれるような演奏ばかりでした。傑作だったのがシューマンの楽しき農夫。子供の頃、つまらないと思いながら練習していたのですが、彼が弾くとあんなに命のこもった感動的なものになるのですね。そしてノンペダルのイタリア協奏曲も見事でした。ペダルなしでもタッチ次第であんなに柔らかく瑞々しい響きが出せるのですね。その背後には徹底的な楽曲分析と楽譜の裏の深いところまで突っ込んだ解釈、そして細かいところまで心の配られた練習があるのだろうと思いました。非常に感動的で学ぶところの多かった演奏会でした。曲が終わるたびに手を合わせてお礼をしていたところも音楽への敬意が感じられました。終了時にはスタンディングオベーション状態でした。

 アンドラ―シュ・シフ氏、はじめに書いたように、私はそこまで彼の演奏を音源で聴いていたとは言えなかったのですが、一度の演奏会ですっかり心をうばわれ、次の来日時にも行きたい、と思うようになりました。本当によき演奏会でした。

 


音の準備とフレーズの終わり

2014年03月19日 | ピアノ・音楽

 雪の日に本番があり一度ステージで弾いたショパン作曲のバラード第3番、もう一度人前での本番で弾くことにしたのでやり直しているところだ。先日のレッスンで特に指摘のあった点は

 1.どのような音を出すかしっかり準備してから出す

 2.フレーズの終わりの部分ではまとまるように

 3.打鍵は上から下へと打ち込むのではなく、下から上へ重心をしっかり乗せて

1.と2.についてはこの楽譜から

  165小節目からますます緊迫した雰囲気に向かっていくところなのだが、この部分は左手が旋律を担っている。水色で囲んだ音は決して無造作に出さずに出す前に鍵盤の前に指を持ってきて望む音を出すために頭も指も準備しておく必要があるとのこと。したがってその前の八分休符から音を出すまでの瞬間で指を次の音の鍵盤の上に持ってきてフォームも作っておくのが望ましい。インテンポだと気を付けたつもりでも無意識の音になりやすいので、あえてものすごくゆっくり弾いている。

 それから赤い曲線と①②③という番号を付けた部分は、フレーズの終わりなのでまとめたい部分、自分では意識して終わらせていたつもりだったが、ぶつりと切れていたり、終わりの音がなおざりになっていたりと、こう聴こえてほしいという音からかけ離れていたという状態になっていた。しかも①では最後が和音になっていて思わず尻餅をついた感じになりやすく、②ではオクターブ移動まで入るために前の音と同じフレーズではなくプつりと切れた感じになりやすい。ファ♯の一度上の位置にあればフレーズとしてもおさまりがよく弾きやすいのにと思うのだがしっかりオクターブ下にきている。そこをぶつ切りではなくてまとまりのあるように聴かせるためにはどうしたらよいものかと思う。このように敢えて弾きにくくしているショパンの意図はどこにあるのだろう、とふと思う。③の部分は②よりは納得いく感じだがそれでも最後のソで素っ頓狂な音にならないように、と思う。 そのフレーズの終わりの直前の音と終わりの音の間、まとまりをつけたいとはいえども、指を離さなければまとまりがつくというほど単純な訳ではなく、②や③では物理的には指を離しても柔軟な手首でフレーズを感じるように弾けばつながった感じで聴こえるようだ。そのようなこともあるからなかなか奥が深い。

 実は伴奏形の右手も無駄な動きが多かったとのこと。親指と人差し指の間の水かきをもっとうまく使い、人差し指の動きを生かし位置に心を配ればさらに省エネが出来る上に響くようになるとのこと。そして今の私の指の筋肉はまだまだ硬いとのこと。脱力脱力と言われるが、その前に、指が伸びるように柔軟性をつけることが大切だということが分かってきた。これからはストレッチ、こつこつしたほうがよさそうだ。

 そしてここに載せた楽譜の直後の部分である173小節目からは右手左手とも音をしっかり響かせたいところだが、そこで思わず上から打ち込んだ音になってしまわないように。打ち込んだ音は大きな音が出ているようで実は遠くまでは聴こえない響かない音とのこと。打ち込んだ音か、それとも下から上へと伸びた響く音になっているか、二音を比べた状態ではなくて、自分でその音のみを弾いている状態でも聴き分けられるようになりたい。

 そのような練習をしていたら時間はすぐにたつのだが、自分でそれらのことができるようになったか、という確認がしにくいために、練習の達成感がいまいちないのだった。その場で的確にチェックできるような耳と感覚がほしい。

 


弦楽四重奏を聴いてきました 

2014年03月01日 | ピアノ・音楽

 今日は弦楽四重奏団の演奏を聴きに行ってきました。クァルテット・ソレイユという溌剌とした弦楽四重奏団のアンサンブルでした。

曲目は

ドビュッシー作曲 弦楽四重奏曲Op.10

西村朗作曲 弦楽四重奏第2番 光の波

シューベルト作曲 弦楽四重奏曲第14番ニ短調 『死と乙女』D810

 弦楽合奏だけのアンサンブルは今までなぜか縁がなく、生演奏を聴きに行ったのは今回が初めてだったような気がします。今回はピアノの先生が声をかけて下さり、折角の貴重な機会だからということで行くことにしました。

 演奏前にリハーサルも見学することができたのですがそれぞれのメンバーさんたち、一音一音にこだわり、納得できるものに仕上げようと意見を出し合っていました。弓をどのように扱うかという話などもしており、音を出し合ってこれでよいか細かく確認し合っていました。

 本番開始直前にレクチャーがありました。ドビュッシーの弦楽四重奏曲の共通しているテーマや、西村朗の光の波で用いられる独特な奏法の一例など、その後の演奏が楽しみになるような内容でした。

 そして本番。演奏者の方が書いて下さったプログラムの解説も少し引用しながら書きます。なにしろ三曲とも知らないで行ったのです(^^ゞひどい聴衆です。

ドビュッシー作曲 弦楽四重奏曲Op.10

この曲はドビュッシーが残した唯一の弦楽四重奏曲なのですね、インパクトが強く迫力と臨場感のあふれるテーマで始まりました。牧神の午後への前奏曲とほぼ同時期に書かれ、音楽で絵画のような色彩を表現するきっかけとなった曲だということですが、音楽から原色の雨を感じさせるようなカラフルな色が見えてきました。しっとりとした湿気が感じられるひねった響きから弓の細やかな操作からうまれるはっとするような細やかな響きまで本当に多彩で濃厚な音楽でした。

西村朗作曲 弦楽四重奏曲第2番 光の波

現代音楽の演奏で世界的に有名な弦楽四重奏団「アルディッティ・クァルテット」が「非常に演奏が難しい曲を作ってくれ!」と頼んだ結果作られた曲。まさにその通りのようで、フラジオレットという笛の様な音や、スル・ポンティチェロというキイキイいう音や、打楽器のように叩いたと思われる音など、様々な特殊奏法も駆使したすごいものでした。異様でミステリアスな雰囲気で始まりました。虫がぶんぶんと飛んでいるような雰囲気から、だんだん暖かく、そして熱くなってきてなんとなく熱帯の楽園のようなイメージ、楽譜にはどのように書かれているのかと思えるような弦楽器同士のずれぐあいが絶妙でした。ぐちゃぐちゃなようで世界がちゃんと出来ていて、クライマックスと思える部分では、インドネシアのケチャの儀式と思えるような (解説にありました)躍動感の溢れた踊りの音楽もあり、聴いていて血が騒ぐようでした。調性もこれといったメロディーもなかったようなのですがとても魅力的な世界が繰り広げられていました。メンバーさんたちの集中力もただならぬものがありました。まさに本番では徹底的に向き合うプロの姿勢だと。本当に貴重なものを聴かせていただいたという感じです。

シューベルト作曲 弦楽四重奏曲第14番ニ短調 『死と乙女』D810

15曲残されたシューベルトの弦楽四重奏曲で最も有名な曲だと言われていて、第2楽章のテーマに同名の歌曲のピアノ伴奏部分を用いていることから、「死と乙女」というタイトルがつきました。題名からも、そして全楽章単調であるということからも、重くて恐ろしい曲なのでは、と思っていたのですが半分当たり半分外れた印象でした。確かに出だしの激しさ重さは主人公が迫りくる何かと闘っているような雰囲気で、重く悲しい情景が曲全体を覆っていたのは確かでした。しかし古典的な調性感に収まっているため、激しいけれどもどうしようもなくぞっとするような感じはなかったです(むしろドビュッシーの新しい響きの方が私にはぞっとしました)そして第2楽章や第3楽章で顔をのぞかせる長調の部分の歌心と透明感あふれた美しさがたまりませんでした!まさにこれぞシューベルト、こんなに美しくていいのでしょうか。曲全体から見たらほんの一部分にすぎないところかもしれませんがそこの美しさにすっかりはまった私。第2楽章だけでも抜粋して何度でも聴きたい思いです。第4楽章は激しかったですね、追い立てられているような感じで死神が疾走するという喩えが当たっているのかもしれませんが急速な動きの中に見られた目くるめくような、そして物語を感じさせられるような場面の変化の鮮やかさにほれぼれしてしまいました。難しいと思うのに、音程もばっちり息もぴったり。本当に、素晴らしい演奏でした。

 弦楽器は音がでる弦の部分が表に出ているため、音楽が舞台前面から勢いよくでてきているような気がしました。弓の方向や微妙な動かし方や楽器の角度によって出てくる音、そして方向性や動きが異なり、音のパレットが実に多く、音楽そのものを作り上げるという楽しさもたくさんありそうな気がしました。しかし、そこまで楽しめるようになるまでに気が遠くなるような積み重ねがあったのだと思いますが。フレーズや音の表情づくりの面でピアノでも生かしたいと思えるところがたくさんありました。それとともに生演奏ならではの臨場感も体全体で感じることが出来ました。本当に貴重な機会でした。

(ちなみに来週もクァルテット・ソレイユの演奏会があります。2014年3月10日(月)19:00開演で横浜市鶴見区民文化センターサルビアホール3階 音楽ホールです。曲目は今日とは異なっています。ベートーヴェン、リゲティ、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲です。)


ピアニストの脳を科学する超絶技巧のメカニズム(2/2)

2014年01月30日 | ピアノ・音楽

 古屋晋一著『ピアニストの脳を科学する超絶技巧のメカニズム』春秋社のレビュー&要約の続きです。その後の文章は普通体で書きます。ここでいうピアニストは前記事と同様、プロの演奏家で巧みに鍵盤を操る人のことととらえていただけたらと思います。

良い耳の秘訣とは?

 同じ鍵盤を2回続けて押したとき、1回目と2回目との音色の違いが聴き分けられるだろうか。。。そういう響きの違いを聴き分けられることができて初めて「タッチの違い」を理解できる。そしてピアニストはそんな音の表情のほんのわずかな違いを聴き分けることが出来る。その耳の秘訣は?

 耳に届いた音の波は蝸牛で電気の信号に変換された後、脳幹での下準備、視床、聴覚野の順に送られる。聴覚野では音のピッチ(高さ)や音色、メロディの判別が行われるが、音楽家は、聴覚野の中の「ヘッシェル回」と呼ばれる脳部位の大きさが2倍以上であり、音の情報を処理するための神経細胞の数も多い。音が鳴った約0.02~0.03秒後に活動する聴覚野の神経細胞の反応は2倍近く大きく、ピアノの音を聴いた0.1~0.2秒後に現われる神経細胞の活動も音楽家のほうがそうでない人よりも大きい。そのことから音楽家は、音を聴いた時に働く聴覚野の神経細胞の数が多く働きが優れているので、音の様々な特徴を正確に処理したりさまざまな表情を聴き分けたりすることが出来る。そしてとくに自分の演奏している楽器など普段よく聴いている楽器に対してその現象は特に顕著である。ピアニストは高い音を聴いた時の方が、聴覚野や音を処理する脳部位である脳幹の反応が大きい。その原因として、音楽の要素で重要な「メロディ」が高音部で奏でられることが多いからというのが挙げられるだろう。

 また音を聴いた時に神経細胞の反応が大きくなるだけではなく、脳が素早く反応できることも「よき耳」のためには大切。音楽家は音が鳴ってから細胞が活動するまでの時間がより早くなっている。トレーニングによって脳細胞が活動するタイミングがそろうほど全体としての脳の働きが大きくなり、聞こえてきた音からよりたくさんの情報を処理できるようになる。

 違和感のあるメロディーやハーモニーを聴いた時に出される「あれ、おかしい」という脳波が出るのだがその脳波も音楽家のほうが大きい。訓練によってメロディや和音を認識&処理する脳の神経が発達したためだろう。

 そのためには音楽を多く綿密に聴くトレーニング、そして自分の体を動かして楽器を演奏する継続的なトレーニングが有効。

楽譜を読めるようになるためには?

 楽譜が読めるようになれば、楽譜に書かれた音符に対応した鍵盤を正しく押さえられるようになる。トレーニングを受けて音のピッチと対応したピアノの鍵盤を正しく押さえられるようになると、上頭頂小葉という脳部位の活動が強くなることが分かった。その部分は目から入った情報の中でも、空間に関する情報動きに変換するときに働く部位として知られており音楽家のはそうでない人ののよりも大きいことが分かってきた。楽譜上の音符を見て、どの鍵盤を押さえるべきかがスラスラ分かるようになるにつれて、上頭頂小葉の脳活動が強くなったり神経細胞の数が増えたりする。上頭頂小葉は音符を動きに変換する「読譜力をつかさどる脳」ともいえよう。また、楽譜が読めるようになると音符に対応した指を自動的にイメージできる、すなわち音符を指の動きに自動的に変換することもできるようになっている。楽譜→身体の動き への回路がスムーズに移行するようになってきている。楽譜を見て身体を使って音を鳴らす経験を通じて、楽譜→身体への回路をよりスムーズにすることが有効。

暗譜のメカニズム

 音楽家は、暗譜をするのに重要な、情報を蓄える働きをする海馬が大きいと言われている。

 音楽家は「視覚野」という目からは行った画像の情報を処理する脳部位も用いて画像として楽譜を覚えている。例えば「冬、医者、山・・・」といったいろいろな単語を耳から聴いて覚え、その覚えた単語を思い出しているときの脳活動を計測すると、音楽家の場合「視覚野」という目からは行った画像の情報を処理する脳部位の活動が起こっている。「耳から覚えた情報の一部を蓄えるために、視覚野の神経細胞を活用」すなわち、音楽家は、音の記憶には通常使われていない視覚野の神経細胞も使い、音を画像として覚えることによって優れた記憶力を実現している。

 また音楽家は個別の音としてではなく、複数の音を1つのグループとして記憶する傾向がある。和音、スケール、アルペジオなど何調のものが分かれば予測のつくもの、特徴のあるリズムなど繰り返し出てくるものについては、パターンとして予想をつけ、楽譜の情報を「圧縮」している。音楽を構成する「文法」を活用しているともいえよう。

 それプラス「指を動かす順番」も覚えている。連続して動かすことによって運動に関する脳部位である運動野が大きくなり活動も強くなる。ピアニストの脳には「指を動かす順番」を覚えるための貯蔵庫がたくさんある可能性がある。

 聴覚の記憶が最も強いものの、音楽家は視覚、聴覚、運動と言った様々な情報を脳内に記憶して暗譜を強固なものにしている。

初見演奏

 初見演奏の重要な特徴は3つ 

1)短期記憶 複数の音符を記憶する

ピアニストが初見演奏する際の眼球の動きを計測すると、今弾いている音符よりも先にある「これから鳴らす音符」を見ていることが分かった。そのことから、今弾いている音と、今見ている音の間にある音符群をわずかな時間の間記憶する必要がある。

2)周辺視 目が複数の音符の情報を一気に読み取る

ピアニストの眼は楽譜上の一点に焦点を合わせているときでも、その周囲にある音符をまとめて見ることができる能力、すなわち周辺視の能力がある。初見演奏の際、目が焦点の合っている音から先に2~4拍分程度の音符を認識できているようだ。

3)指使いの選択 適切な指使いを瞬時に選択する

打鍵する直前に前後の音を考慮に入れて適切な指使いを素早く決定する。

ピアニストの省エネ術

 ピアニストがより長時間筋肉を披露させずに、打鍵し続けることのできる秘訣は何か?

 筋肉には、大きな力を発揮できるけれど、すぐに疲れてしまう速筋と、大きな力は発揮でいないけれど、長時間力を発揮し続けることができる遅筋がある。筋肉を収縮するときに発生する電気活動から、親指の筋肉で調べたところ、ピアニストは遅筋が発達していることを示すという結果が得られた。我慢強い筋肉の持ち主だということだ。

 それだけではなく無駄な仕事もうまく省きながら演奏している。「省エネ」しながら演奏して筋肉を衝かれさせないようにしている。同じように質の高い音楽を、より少ないエネルギーの消費量で創りだしている。この「脱力」と言われているこの働き、ピアニストは一体どのようにして無駄な力を省いてピアノを演奏しているのだろう。

 ハノーファー音大でのハイパースピードカメラや力センサー、筋肉の活動を計測できる筋電図を用いた実験例から分かったことは以下の通りだ。

1)無駄な時間に仕事をしない

 ピアニストは鍵盤が底に着いた後は力を加えていない。ピアノの鍵盤の底にセンサーを敷き、ピアノを弾いているときに、指先が鍵盤にいつ、どれだけの力を加えているかを調べた。対象はプロのピアニストとアマチュアのピアニスト。トリルを行ってもらい、その時に指先が鍵盤を押さえる力を計測した。その結果、プロのピアニストは、鍵盤が底に着いてから力を加えている時間が短いことが分かった。鍵盤が底に到達するやいなや、すぐに力を弱めていたのだ。ピアノは鍵盤が底まで底まで下りてしまった後には力を加えても音は変化しない。鍵盤が底に着いたあとに鍵盤を押さえるという無駄な仕事でピアニストは筋肉を働かせていない。

 ピアニストは長い音を出す際に最小限の力しか鍵盤に加えていない。鍵盤を押さえたままロングトーンを保持する際に親指、人差し指、中指が発揮する力を調べたところ、アマチュアのピアニストはプロの3倍もの力で鍵盤を押さえ続けていた。長い音を鳴らし続けるためには、鍵盤を押さえるために必要な最小限な力である約50グラムだけ鍵盤に加えておけばよいので、これも無駄な仕事。そういった無駄な仕事もピアニストは巧みに回避している。

2)フォームを工夫する。

 鍵盤を押さえようといくつかの指が動いているとき、残りの指は次の動作の準備をしていたり、何もしていなかったりする。その「何もしていない」指をどうしているかという観点で、親指と小指を用いるトレモロを演奏させてみたところ、アマチュアのピアニストは何もしていない指である人差し指と中指を高く持ち上げる無駄な動きのある状態で演奏していた。そのように指を高く持ち上げると筋肉が収縮し硬くなる。そして筋肉が硬くなると動きが正確になりやすいので無駄な動きをしやすくなるのだろう。狙った鍵盤を狙った速度で正確に打鍵しようと思うあまり何もしていない指を持ち上げ筋肉を固め、その結果エネルギー効率が悪い演奏になってしまいがちになる。本来ならば何もしていない指は何もしないほうが力の効率がよい。

3)重力を利用する

 打鍵の際は手を持ち上げるわけだが、ピアニストも初心者もひじを曲げる筋肉(上腕二頭筋)が収縮し手を持ち上げていた。

 ところがその後、初心者は肘を伸ばす筋肉(上腕三頭筋)を収縮させて肘を伸ばし、鍵盤を打鍵していたが、ピアニストの上腕三頭筋は肘が伸びているのにも関わらず、収縮していなかった。ピアニストは肘が伸びて行っている間肘を曲げるほうの筋肉 (上腕二頭筋)が緩んでいた。

  手を持ち上げた後音を鳴らす際、ピアニストは上腕二頭筋を緩めさせ、初心者は上腕三頭筋を収縮させていた。

  音量を大きくするためには肘の回転スピードを上げる必要があるのだが、そのための手段として初心者は筋力を使って力づくで腕を降ろしていたのに対し、ピアニストは重力の助けを借りて腕を落としていた。大きなエネルギーを出す際にこの差はエネルギー効率の面でも大きくなる。

 しかしなぜ初心者は重力を利用して打鍵しにくいことがおおいのか?その理由として、腕を使った自由落下では、狙った音を適切に鳴らすのが難しいからというのが挙げられる。狙った音量の音を鳴らすためには音量に応じてどのように力をゆるめるかを調節する必要があるのだが、我々の日常生活の中では筋力をゆるめて狙った速度で腕を落とすという状況がないため難しい。脳にとっては筋肉を収縮させるよりもゆるめるほうがより多くの脳部位が働き大変な作業だったりするから。

4)しなりを利用する

 重力だけではなく、慣性力や遠心力もピアニストは巧みに操っている。慣性力は車が急発進したり急ブレーキをかけたりするときに生じる力のこと。遠心力は車がカーブを曲がるときに身体が外側に引っ張られるように感じる力のこと。

 打鍵するために、手を持ち上げ、その後鍵盤に向かって腕全体を振り下ろしているところを想像する。その間、上腕も前腕も鍵盤に向かって下降しているがその途中で上腕に急ブレーキがかかると、前腕の下降動作はいっそう加速される。そのような「しなりの力」をピアニストはうまく活用している。

 プロのピアニストは肩の筋肉を強く収縮させることで上腕の動きにより強いブレーキをかけ、肘から先を加速させる「しなり」の力を増やしていることが判明。その結果、ピアニストの肘や手首は「なすがまま」加速するため、筋肉をあまり働かせずに打鍵することができる。上腕や前腕の筋肉をより強く収縮させることでより大きな音を鳴らそうと指先を加速させていた初心者と対照的。

 大きな音を鳴らす際に、ピアニストは腕の動きを減速させる「ブレーキ」の量を増やすことで、肘から先を強くしならせていた。上腕の動きにブレーキをかける分だけ、肩の筋肉の仕事が大きくなる。ピアニストはピアノ初心者に比べ、肘から先にある筋肉の仕事量が少なく、肩の筋肉の仕事は大きいということになる。太く疲れにくい胴体に近い筋肉を使うことで疲労から回避している。そのためには大きな音を鳴らすための練習をしようとするときには、大きさや音質、ミスタッチのなさを欲張っていきなり狙うよりは、まず大きな音を鳴らすことに専念した方がよさそうだ、ということである。

5)鍵盤から受ける力を逃がす

 鍵盤に力を加える際、鍵盤の指先を押し返そうとする力に負けないように、手や腕の筋肉は収縮させる必要がある。指で押さえたとき、指を伸ばしたときと曲げたとき、伸ばしたときのほうが、指先と関節までの距離が長くなるためそれを押さえこもうとして筋肉をより強く収縮させなければならず、筋肉に力が入りやすい。ということは、指を寝かせたままではなく、指先を立てる動作を加えるほうが、無駄な仕事がなくなるのではないかという仮説が生まれた。

 そして実際に高速度カメラで計測したところ、初心者は指を寝かした状態のまま鍵盤を降ろしていたのに対し、ピアニストは、指先が鍵盤を降ろしている間に徐々に指を立てていっていた。指を徐々に立てていくことによって、鍵盤から受ける力を「逃がしながら」鍵盤を押さえており、33%の軽減がなされていた。そして、ピアニストの指を徐々に立てていく動きは、疲れにくい肩の筋肉の動きから作られていることも判明。肩の関節が回転し、上腕と前腕が前に動くことで、指が回転していき鍵盤から受ける力を逃がしていた。

 また、筋肉は関節を囲むようについていて、片方が収縮すれば関節が曲がり、もう片方が収縮すると伸びるが、両方の筋肉が同時に収縮すると関節が動かなく硬くなる。そのような状態を「同時収縮」というのだが、プロのピアニストは打鍵の瞬間の筋肉の同時収縮の大きさが小さいことが分かった。ピアニストは手首の筋肉をあまり固めすぎず、むしろ筋肉そのもののクッションを利用して、打鍵の衝撃を逃しているのだ。

5)イメージしてから打鍵する

 「これから鳴る音をイメージしてから打鍵しなさい」とよくレッスンで言われるが、そうすることで指の動きがどのように変化するかについても調べられている。鍵盤と音とが対応しておらずランダムな音が鳴るピアノをあえて作り、鍵盤と音とが対応しているピアノを弾いた際とを比較することでそのような実験を行ったところ、鍵盤と音とが対応しているピアノ、すなわちあらかじめ音をイメージして打鍵したほうが、イメージせずに打鍵するよりも指先が鍵盤に衝突する瞬間の加速度が小さいことが分かった。必要以上に強い打鍵をしないためにも、頭の準備をしてイメージ作りをすることが有効。

超絶技巧を生み出すメカニズム

ピアノ演奏の際の手指の動きを詳細に調べた結果、無数にあるように見える手指の使い方には、いくつかの基本的なパターンがあることが分かった。ピアノを弾く際の手指の使い方には、どのような曲でも共通して見られる「ある決まったパターン」が隠されていた。そしてそのパターンは、親指で打鍵するときと、他の4本の指のいずれかで打鍵するときとで異なっていた。

 親指で鍵盤を押さえるとき、残り4本の指は一斉にのばされていた。親指が打鍵する際には、残りの指は独立して動くわけではなく4本の指が同じように動いていた。親指の使い方には、鍵盤を押さえながら親指を曲げる (つかむ)か、伸ばす(広げる)の2つの異なるパターンがあった。親指の関節は、他の指の関節よりも多様な動きができるため、打鍵しながら曲げたり伸ばしたりすることで、演奏中の手の位置を左右に移動させたり、手のフォームを変えたりすることが出来る。親指を巧みに動かすスキルはピアノ演奏に特徴的なスキルであろう。

  親指以外の4本の指を使って打鍵する際は、いずれの指で打鍵する際も、各々の指はお互いに独立して別々の動きをしていた。鍵盤を打鍵するには、①指を持ち上げ、②打鍵するために指をおろし、③鍵盤から指を離すため再度持ち上げる という一連の動作があるが、それぞれの指が他の指につられず違った動きをしていた。中指や薬指は人差し指や小指に比べて独立して動かしにくいと言われており実際そうなりやすいのだがピアニストの場合は「中指や薬指の動かしにくさ」も見られず、それぞれ独立して動かすことができていた。各指を独立に動かせる能力を持ちあわせているといことになる。

 普通の状態で指が独立して動きにくい原因は、各指の腱がつながるという腱間結合があるということと、一つの筋肉が複数の指に付着しているためその筋肉が収縮すると他の指も同時に雨後してしまいやすいということが挙げられていたが、つながっているのは指そのものだけではないことが分かった。ある神経細胞Aが指令を送ると中指と薬指が一緒に動いたりするなど、脳の神経細胞同士も独立していないというのが原因とされている。

 しかしピアノを練習することによって筋肉や腱、腱間結合が柔らかくなるとともに、脳の動きもその指その指にあった働きがなされるようになるからではないかと言われている。今後の検証が楽しみとのこと。

 超高速かつ高精度な打鍵を可能にするスキル。ピアニストは最速で演奏した際、1秒間に平均で10.5回打鍵するという驚異的な速さで演奏するとともに、手指の使い方はゆっくりの場合からほとんど変化がなかった。同じ動きで早送りするためには、手指の動きをつかさどる脳部位の神経細胞の数がたくさん必要。

 また腕の動きにも顕著な特徴が見られた。トレモロを演奏した際、プロもアマチュアも速度が速くなるにつれて肘の回転速度が速くなり、プロの方が大幅に回転スピードが上がった。またプロもアマチュアも速度が速くなるにつれて指の筋肉をより固めて行っていたのだが、今度はアマチュアのほうが大幅に指の筋肉を固める傾向にあった。

 テンポを速くすると、鍵盤を持ち上げる準備を速くするために指先が鍵盤を降ろすために加速させる時間は短くなる、そうなると鍵盤の動きが遅くなりやすいのでそのままだと音量が小さくなってしまうのだが、そうならないためには鍵盤を打鍵する際に瞬発的にたくさんのエネルギーを伝える必要がある。その方法として、指先と鍵盤が衝突するスピードを速くするか、指先を硬くして鍵盤に伝達されるエネルギーの効率を上げるというのが挙げられるのだが、この増やし方において、プロとアマチュアで差が見られた。プロのピアニストでは、前者の「肘を回転させるスピードを上げる方法」をたくみに用いていた。速く弾こうとすると、鍵盤の下降動作を加速させる時間が短くなるため、どうしても指先を持ち上げる準備を始めるのが早くなるのだが、それに伴い音量が小さくならないために、肘を速く回転させることで補っていたのだ。音量を保ったまま、より早くトレモロを弾けるためには、より早くに指先を持ち上げる準備を始められて、より速いスピードで肘を回転させられることが必要だということが分かった。

 また脳から筋肉に送られる指令には神経細胞を無秩序に活動させるもととなるような「ノイズ」が混ざるのだが、ピアニストの場合、脳が筋肉を動かす指令に無駄なものが少ないため、ノイズが身体の動きを乱す影響を巧みに減らしているということが明らかになっている。

 レガート奏法のスキル。ピアノ演奏では、手指が鍵盤を押さえる長さを調節して音の長さを変えているが、ピアノという楽器の性質上、ひとたび指を鍵盤から離すと音は減衰しやがて消えてしまう。そのためピアノでは、音と音とをなめらかにつなげて、歌うようにメロディを奏でるために「レガート」と呼ばれるスキルがある。次の音を鳴らしてから前の音の鍵盤から指を離すことで、連続した2つの音を一部重なりあわせ、なめらかに音をつなげるのだが、重なりすぎては音が濁ってしまい美しさを失ってしまうので巧みな指のコントロールが必要。そしてハスキン研究所のレップ博士の研究によると、レガートでの音と音とが重なっている長さは高さによって異なり、低い音だと約0.07秒、中間の高さの音だと0.15秒、高い音だと0.17秒と、高い音になるほど重なっている時間が長いほうが美しくつながって聞こえることが分かった。高い音になるほど、音が減衰しやすいためにこのような結果になるのだろう。

タッチと音色

 ピアノという楽器は鍵盤への触れ方、すなわち「タッチ」によって、本当に音色が変化するのだろうか?

 ピアノの音は、鍵盤の動きと連動しているハンマーが弦を叩くことで発生する。鍵盤を速く動かせば、ハンマーも速く動き、弦を強くたたくため大きな音が鳴るが、音量が同じでも、音色というのは変えることができるはず。ピアノで音色を変えるには、ハンマーと弦が衝突するスピードを変えずに、それ以外の何かを変える必要があるのだが、それ以外というのが長年謎になっていた。

 しかし20世紀後半のいくつかの研究によって、ピアノのハンマーの動きが詳細に調査されるようになった結果、鍵盤の動きがどう加速するかによって、ハンマーのシャンク部分の「しなりかた」がわずかに変わることが分かってきた。打鍵のスピードが同じで音量が同じでも、鍵盤の加速のしかたによって、ハンマーのしなり方が変わるので、ピアノの弦とハンマーが違った当たり方をする可能性がでてきたのだ。すなわち、加速のしかたを変えることで音色を変えることができるということだ。

 千葉工業大学の鈴木教授は腕全体の筋肉に力を入れて硬く打鍵した場合と、筋肉をゆるめて柔らかく打鍵した場合とでピアノの音色がどのように変わるか調べた。硬く打鍵する場合は、鍵盤ははじめに急速に加速して、その後、減速していくが、やわらかく打鍵する場合は、鍵盤はゆっくり加速してその後も加速した状態になる。その結果ハンマーのしなり方にも違いがみられるはずとのことで。

 倍音というのは音色を決めるもので、同じ高さのラでもフルートとヴァイオリンの音色が違うのは音を構成する倍音が違うから。したがってこの実験でも倍音に違いが見られたかどうかを調べた。

 その結果、比較的高い音の場合、音量が同じでも、硬く打鍵するタッチの方が、柔らかく打鍵するタッチよりも、音の倍音の中でも特に高い周波数の倍音が大きかった。その違いは物理特性面でも明らかであり人間の耳でも聴き分けられる範囲であることが分かった。その結果、タッチによって、音色が変えられるということが証明された。

 またピアノの鍵盤への触れ方は無数に存在するが、大きく分けて、手を一旦持ち上げて指先を鍵盤から離して打鍵する方法「叩くタッチ」と、指先と鍵盤が触れた状態のまま鍵盤を押し下げる方法「押さえるタッチ」の2種類がある。叩くタッチの場合は、鍵盤の表面を指で叩くときに「バン」という雑音、タッチ・ノイズがなり、ピアノの音と混ざって聴こえる。そしてそのタッチ・ノイズの有無による音色の違いは、耳で聴き分けられることが分かった。その結果、叩くタッチによる音色の方が、押さえるタッチの音色よりも「硬い」音と感じられることが分かった。

 そしてそのタッチを使い分けるためにどのような身体の使い方をしているかというと、腕全体のしならせかたを変化させることで買えていることが分かった。叩くタッチの場合は、肩の筋肉を使って腕全体をしならせることで指先を加速させて打鍵、押さえるタッチの場合は手指と前腕の筋肉を瞬発的に収縮させ、そこで生まれた力を利用することで腕全体をしならせていた。叩くタッチの場合は力の動きが肩→肘・手指、押さえるタッチでは指→肩というように、反対方向の動きをしていたことが分かった。

 以下、ピアノを弾く者として私が特に興味深いと思われる部分を採りあげてみた。体の使い方やピアノの鍵盤へのタッチによって音色を変えることが可能だということを間接的ながらも知ることができたのが大きな収穫だった。

 他にもピアニストの故障、感情を込めて演奏するには、演奏と感動との繋がりなど、気になる内容がたくさん書かれていた。分かりやすい図やグラフもたくさん掲載されていて読みやすい本でした。 

 

 

 

 

 

 


ピアニストの脳を科学する超絶技巧のメカニズム(1/2)

2014年01月29日 | ピアノ・音楽

 本のレビューをブログに書くのは久しぶりです。

 

 今回は古屋晋一著『ピアニストの脳を科学する超絶技巧のメカニズム』春秋社。

 その後の文章は普通体で書きます。

 タイトルからして、美しい音色で難しい曲をピアノを弾けるようになるにはどうしたらよいのだろう、という疑問を解決してくれそうな気がした。著者の古屋氏は音楽演奏科学者で、脳科学や身体運動学の視点から音楽を愛する人が健やかで創造的な演奏活動ができるようにするための「音楽演奏科学」の確立に力を注いでいる。

 内容は、ピアニストの脳と身体が、いったいどのような働きをしているのか、様々な実験と調査を駆使して探究した具体的な事例に基づいたものになっていて、予想どおり面白くためになりそうなものだった。ピアノを弾く者にとって役に立ちそうな話も書かれているので興味深い所を要約して紹介する。なお、ここでいうピアニストはプロの演奏家で巧みに鍵盤を操る人のことととらえてほしい。そしてそんなピアニストの状態の分析結果を知ることが、ピアノの学習者である我々にとっても有効だと思った。なお、今回の記事は前半部分のみ。後半は次回に投稿する。

 ピアニストはなぜ左右10本の指を巧みに操って長大な難曲を弾くことができるのだろうか、という問いに対して、ピアニストとそうでない人との決定的な違いはにあるとのこと。

 同じ速さで同じ指の動きをしている場合、活動している神経細胞の数はピアニストの方が音楽家でない人よりも少ない。その原因はピアニストの脳はたくさんの神経細胞を働かさなくても複雑な指の動きを行うことが可能な節約の働きが進んでいるから。また、指を動かす神経細胞が集まった運動野の体積を測ったところ、動かしにくい左手の動きをつかさどる脳部位の体積は音楽家でない人よりもピアニストの方が大きいことが分かった。小脳の細胞の数も50億個近く多いとのこと。そしてその細胞数は楽器を演奏する訓練によって増やすことが可能。

 自分の身体の動きを頭の中で鮮明にイメージさせるイメージトレーニングは神経細胞の働きを向上させ演奏をよくするためにも効果的。

 ピアニストは左右の脳の間にかかっている脳梁の体積が音楽家でない人よりも大きい。そのため左右の脳の間でスムーズな情報のやりとりがしやすい。

 ピアノを弾くということは、手指や腕を動かすだけではなく、これから奏でる音楽を頭の中でイメージし、今奏でられている音楽を聴いている、すなわち、音楽の「未来」と「過去」を思い描きながら演奏すること。なので、頭に思い浮かべた音楽を演奏しつづけるためには、音のイメージに反応して指や身体が自動的に動き、さらには、聞こえてきた音にもとづいて、次の動作を素早く適切に修正する脳と身体の動きが必要。

 私たちが音を聴くときは、耳の上にある脳部位(聴覚野という)にある神経細胞が活動するが、ピアニストが音を聴くときは、指を動かしていなくても、音を聴くための聴覚野だけではなく、指を動かすための神経細胞も活動していた。すなわち音に身体が反応したり、指の動きによって音が想起される脳の回路が存在しているのだ。そしてその回路は、音楽家でない人でも訓練によってつくることが可能

 ミスの予知。ピアニストの脳は演奏中に「ミスを予知できる」という特殊な機能を備えている。ピアニストの場合、間違った鍵盤を弾くおよそ0.07秒前に、頭の前方にある脳部位から「ミスを予知する脳活動」が起こり、ミスタッチをする際に打鍵する力を弱めている。

 ミスの修正。ピアニストはミスをしてしまった後の脳の反応も早い。音楽家でない人も、意図しない音が鳴った0.3秒後に「おかしい」というミスを認識する脳波を発する脳活動が起こるが、ピアニストの場合は0.2秒後に脳活動が起こり、以下のようなリカバーを行っている。

1)リズムが崩れた場合、ピアニストは即座にテンポをスピードアップさせることで全体のテンポが遅れないようにとっさにリカバーしている。

2)音が遅れて聞こえた場合、ピアニストは一時的に強く打鍵することによって、打鍵の際に指先にかかる圧力を増やし感覚を鋭くし、打鍵動作のリズムが正確になるようにしている。

 またミスにも記憶が乱されやすいミスとそうでないミスとがある。聞こえてくる音が鳴らした鍵盤の音よりも1音だけ遅らせたりするような状態が起こると混乱&ミスタッチになりやすい。またテンポが速い曲よりもゆっくりの曲を演奏する方が1音のミスでも演奏中の記憶が乱されやすい。ゆっくりした曲ほど暗譜が難しかったり気を抜きにくかったりするのはそこにも原因があるかもしれない。

 続きは次回の投稿で!音色、譜読み、動かす部位などが書かれていて非常に興味深い内容です。


おさまりをつけたくて

2013年12月21日 | ピアノ・音楽

 最近のバラード第3番、主に部分ごとに分けて練習しています。今日はこの2箇所が気になってそこを中心に練習しました。その2箇所、レッスンで特に指摘をいただいたところではないのですが、弾いていて引っかかる思いが抜けないでいた箇所でした。ひっかった箇所も得た結論も自己流なので練習の参考になるような内容ともいえないかとも思うのですが、それだからこそ却って練習過程としてメモしておくことにしました。

 1箇所目は最初の盛り上がりとも言えそうな74~88小節目にかけての、85小節目の最初の音、ドミ♭ラ♭ド、赤字で書いたところです。その前から81小節目~82小節目の頂点に向かってぐんぐん盛り上がってゆき、84~85小節目は大切な問いかけを行っている箇所だと思うのですが、その問いかけの?マークに当たる84小節目の後半から85小節目の出だしの音へのつながりがうどうも凸凹した感じで気になっていました。特に85小節目の第1音!尻餅をつきたくないのについてしまうのです。かといってそこを弱くしたら収まりが悪くなります。

 84~85小節目にかけてのつながりに気を付け終止らしく聴こえるようにしたい、ということで左手に注目。結局今日の練習で得た結論は85小節目最初の左手のラのオクターブの指の位置を工夫することでした。この音で収まりをつけながらも次に向かって問いかけているようなイメージを作れたら、と思いました。

 2箇所目は136~144小節目のはじめにかけての、オペラのように伸びやかでダイナミックな歌になっている箇所です。ここは右手を伸びやかに歌わせながらも左手のバスも丁寧に弾きたいところなのですが、138~139小節目にかけての美しい箇所(赤字で書いたところ)が思うように弾けていないと感じていました。

 右手は楽譜に書かれた指使いに従い、旋律部分がつながって聴こえるようにその箇所の旋律部分を歌いながら、指の位置を工夫して弾くようにしたら少し思うように弾けるようになってきた気がしました。139小節目の左手のラ♭など、音楽をさらに優しく包み込むように作っているところも意識しながら。。。

 他にもそのような箇所がたくさんあるのですが、気づいたときにメモのような感じで書いていけたら、と思っています。


今日のレッスン

2013年12月10日 | ピアノ・音楽

 本ブログにレッスン記事を書くのはものすごく久しぶりのような気がするのですが、書きたくなってきたので書く事にします。

 現在ショパンのバラード第3番を部分ごとに細かく見ていただいています。今日は出だしのところ。

 最初のミ♭の出し方によって聴く人がその後も演奏を聴きたくなるかどうかが決まる、ということで、その前の呼吸から気をつけながらやってみました。腹式呼吸で吸ってゆっくり吐き出しながら音を出します、そして指でこすって止めるように。どんな色の音にするかというのも練習過程で変更してもいいものの演奏する際にはできるだけ明確にイメージして、ということでした。そして出してみたのですが私の場合肩で息をする傾向があり吐き出し方が弱いか急すぎるとのこと。膠着させずに循環させてなのね。腰から指が生えているみたいに弾こうとあるプロの方がおっしゃったという話も伺いました。

 そして緑色のまるで囲んだところですが、前の音から飛んでいるのし、音自体が華やかなため、ついついぴょんと際立ってしまいやすいのですがその前の部分と同一のフレーズ内だから出っ張らないようにすること。同一フレーズ内では音の方向性を守りながら出っ張ってはいけないところで出っ張らないように演奏することが大切なのですが、それがやりやすいところとやりにくいところとがあります。和音が続いていたり音程差があったりするとやりにくいのですがそこは見えない糸をしっかりと認識しながら自然に音楽がつながったように演奏したいものです。

 フレーズごとに「問いかけ」「応え」と書いていますが、出だし部分はまさに問いかけと応えとで成り立っています。これについては他のところでもよく言われているので割愛します。

 そして問題は2段目、9小節目の出だし、赤くて太い丸で囲んだ部分!ここを華やいだ明るい響きの音にするのが最大の課題のひとつ!足腰でしっかり支えて、姿勢から準備する必要があります。しかしこの部分、フォルテだからと真上90度からついついがつんと叩いてしまいやすいのですね。近くではものすごい迫力で音を出したように思えても遠くでは単に固くて響かない音しかでていない、ということらしい。その固くて響かない音で頑張って弾くのをなんとかして辞めたいものです。ちなみにこういう音を出すとき、ついつい肩をいからせたり、手首を高く挙げたりしてしまっていたのですが、それは最もいけないとのこと。肩をいからせないようには心がけていたつもりですが、手首はついつい上げていたなあ。ちなみに音だし直前に手首をくねくねと上げたり下ろしたりするのもかなり無駄な動きだとのこと。非常に耳が痛かったです。上げ下げをすると音が出やすいと思いがちなのがまずいですよね。むしろ手の平の内側の筋肉をしっかり使い、手の内側の支えをしっかりとさせ、鍵盤をつかもうとする動きで弾くのが望ましいとのこと。その手の内側の支えを作るために、別の手の指で下から支えたりするとかなり音が鳴りやすくなるのですが、こういう支えを自らの手だけで作れるようになれたらと思うのでした。なかなか道は険しそうですが。

 練習していても自己満足レベルの練習になっているとレッスンの度に感じます、練習中に自分でチェックできるようになれたらいいのですが。少なくとも叩いて膠着している音と響いている音の違いが演奏中でも判断できるようになりたいな。音の色や風景などイメージ作りも明確に。練習は耳をすませながら焦らずにやっていこうと思います。


イーヴォ・ポゴレリッチのピアノリサイタルに行ってきました

2013年12月07日 | ピアノ・音楽

 今日はイーヴォ・ポゴレリッチのリサイタルに川崎ミューザまで行ってきました。昨年の春、彼の作り上げていた現実離れした世界に深く衝撃を受けたのです。今回はどんな世界に連れて行ってもらえるのだろう、という期待を込めて聴きに行きました。昨年春に聴いた彼のロ短調が大好きだったのです。

 曲目は以下のとおり、実は昨年の5月と一緒でした。どことなくスリムになった感じのポゴレリッチが舞台袖から出てきました。

ショパン: ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op. 35 「葬送」
リスト: メフィスト・ワルツ第1番

休憩

ショパン: ノクターン ハ短調 op.48-1
リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調

 ショパンの「葬送」始めはくぐもっていたような感じでしたがどんどん音もひらけていく感じになりました。第2楽章のえぐるような出だし、音が飛び散って血潮を吹いているようでした。その一方中間部のマズルカの優しく包み込むような歌。とろけてしまいそうでした。第3楽章の出だしは意外にインテンポで淡々と突き進むような感じでしたが、その乾き加減が一層寂寥感を感じさせるというか(実は昨年も乾いた感じの演奏だったようですね)そしてところどころの際立たせたい部分を引き出していたのも昨年通りでした。ショパンのソナタ2番の第3楽章は葬送行進曲というタイトルもありちょっと避けたい気持ちになる方もいるかもしれませんが、中間部のゆったりとした歌うようなところの素晴らしさを聴かずして嫌だというのは非常に勿体無いことだと思います。今日のポゴレリッチによるこの第3楽章の中間部、もうどこから音が出ているのと問いたくなるぐらい。天から星がきらきらと舞い降りてくるみたいでした。それから今回は第4楽章もインパクトを感じました。コーダ直前までモゴモゴした曖昧な雰囲気を徹底的に貫いていたのです。拍感が私の耳には明確に感じられなかったのですがそれが却ってこの曲の無調で廃墟のような雰囲気を端的に表していた感じがしました。

 リストのメフィストワルツ。出だしから抜群の躍動感と多彩なパレット、見事なノリでわくわくしっぱなし。音が玉手箱から飛び出してきたみたいでした。中間部の甘い囁きではぞくぞく状態。ピアノの魔法にかけられ魅惑の世界をたくさん覗かせてもらいました。この曲の美しさがとことんまで紡ぎ出されていました。前回の記事では特に書かなかったメフィストですが今回はきらきらしていてとても素敵に感じました。この演奏が聴けたのも大きな収穫だった気がします。

 休憩後ショパンのノクターンハ短調Op.48-1。前半部分の悲しくも重厚なところからなだれこむように激しいコーダに向かうところのエネルギーがすごかったです。畳み掛けながら渦を巻く和音に無意識のうちに巻き込まれた感じがしました。

 そしてプログラム最後のリストのロ短調!昨年はこの曲の演奏の後訳が分からなかったもののあまりにもすごくて呆然とした状態になったのだったっけ。確かに、時間は延長していたし、デフォルメもあったのかもしれませんが、それまでろくに聴いたこともなかったリストのロ短調が好きになったきっかけの演奏でした。今年もそれが聴けるなんて。。。どんなに長くても集中力をとぎらせたくない、と思って聴きました。そしてポゴレリッチはその期待に十分、いや十分以上に応えてくれました。出だしのヘビー級の練られた音からぞくぞく状態。壮大な嵐と竜巻はぐいと心を鷲掴みにし、そのまま音楽の世界にゆだねられたまま甘い甘いシーンへ。間の取り方のこだわりも感じられました。そして今回特に素晴らしいと思ったのがフーガ!それぞれの声部が美しくからみあいながら天へ天へと登っていく感じがしました。一緒に天に昇らせていただいていいかしら、という気分に、いやもう勝手に昇った気分になっていました。会場はもうホールではなくて天空でした、会場が暗かったのと彼の演奏姿がそのままでは見えるところにいなかったのもあったのですが、勝手に天空の世界を彷徨ったような気分になりながら聴きました。そして激しい出だしの部分が再現。再びエネルギーが爆発花開いた感じですがもうすぐ終わりだというさみしさも。これから一音たりとも聴き逃さないつもりで耳を澄ませました。そして最後のシ(ロ短調のロの音でした)で天空の世界はしゅるりと。またまたとんでもないものを聴かせていただいたという気持ちでした。音楽は終わったけれどこのまましばらくは地上に降りたくない気持ち。サイン会があるという朗報を耳にし勢いのままサイン会の列に並びました。会場には空席が見られたのですがサイン会の列は見事な長蛇。彼の音楽に連れ去れれそうになった方たちがこんなにいらしたのだと再認識しました。

 音楽が素晴らしかっただけではなくファンの方たちにもお会いすることができ、幸せなひとときでした。余韻に浸りながらまた日々の生活を楽しんでいきたいです。