ブックマークに「音源編3」を増やしました。中にも投稿しました。興味があるかたはクリックしてください。しかし、その後については保障いたしません(汗)
では)^o^(
録りだめしていた録画を聴きながら、本を読んた。
録画はBSクラシック倶楽部2本、プレミアムシアター1本、そして本は大島真寿美の『ピエタ』。
BSクラシックはヴァイオリンの竹澤恭子(ピアノは小川典子)とピアノのリーズ・ドゥ・ラサール。竹澤さんの録画はかなり前のだった。古くなるとハードの関係上録画していてもやむをえず削除することもあるのですが、本当に削除しないでよかった。イザイの『冬の歌』からぞくぞく、メシアンの『ヴァイオリンとピアノのための幻想曲』でメシアンのちょっと違う一面を発見。そしてフランクのヴァイオリンソナタで悶絶。素敵~。小川さんのピアノも美しく息がばっちり合っていた。フランクのヴァイオリンソナタ、いつかやっぱり生を聴かなければ。
リーズ・ドゥ・ラサールさんはピアノだということで録画したが今回観るまで知らなかった。見かけはフランス人形みたいにかわいらしい方だが、非常に切れがよくエネルギッシュで表現力も豊かな演奏。曲目もリストのバラード2番、葬送曲、シューベルトのセレナーデやワグナーのイゾルデの愛と死をはじめとした編曲物とリスト三昧。めりはり満点、難所も余裕、うっとりとされ曲の世界にすっかり入り込まれているように見えた。いい意味でアブナイ感じが。その後Googleで検索をかけてみた。CDのジャケットを見て思い出した。あのジャケット、見たことある、視聴したこともある。ぱりっとしたかっこいい演奏をする方だと度肝を抜かれた記憶がよみがえった。すごいな~。若さっていいな~。切れが違うな~。確かに彼女は天才だと思うが。
プレミアムシアターは若かりし日のアルゲリッチ。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番という組み合わせ。こちらもぱりっときれがよくはつらつ。見事な表現力だ。録画にはその前にトスカも入っていた。ながらではなくて今度はちゃんと観たほうがよさそう。
それらの音楽を聴きながら『ピエタ』を読んだ。贅沢なひとときだった。本の内容から音楽は違うものがよかったかもしれないが。
『ピエタ』は18世紀のヴェネツィアが舞台。作曲家ビバルディは孤児を養育するピエタ慈善院で音楽的な才能に秀でた女性だけで構成される〈合奏・合唱の娘たち〉を指導していた。そのビバルディが亡くなったという知らせからドラマが始まる。ピエタに捨てられた捨て子であった教え子たちはビバルディ先生のもとで音楽を学んだり個性を伸ばしたりしながらかけがえのないひとときをすごしていた。語り手で住み込みの書記、語り手の親友で音楽的な才能に優れた演奏家、一緒に音楽教育を受けた貴族令嬢、賢く高級娼婦、音楽以外の別方面で活路を開きながらもビバルディと心を通わせていた生徒が主な登場人物。一緒に音楽教育を受けた貴族令嬢からの、一枚の楽譜に関する依頼がきっかけで、語り手のエミーリアをはじめ登場人物は多くの人たちと関わりながら自分自身とも向き合うことになった。でてくる人たちがとにかく健気。「よりよく生きよ むすめたち」という言葉が説得力をもって迫ってきた。課題も残されたが楽譜の謎も美しく解決した。貴族令嬢ヴェロニカの人物像から受ける印象がはじめとおわりとでまったく違っていて一貫性がないようにも思えたが、人はそれだけ複雑で多面的なんかもしれない。また高級娼婦のクラウディアは出だしから鮮明な印象、こんな方が身近にいたらあこがれるがちょっとこわいとも思ったり。今日は一気に読み飛ばしてしまったが、ときを置いてあらためて読み直したいと思った。こんどは『調和の霊感』を聴きながら。
そしてEテレの「ららら・クラシック」も見た。チャイコの「眠れる森の美女」バレエ版抜粋でも見れてよかった。知っているメロディーがたくさんでてきてわくわくした。そして黛敏郎作曲、男性だけの舞踏「ザ・カブキ」にしびれた。きりりとした和の世界のかっこよさ。生演奏に合わせて華麗に踊る彼らにしびれた。「ららら」はじめはちょっとインタビューで耳障りに感じた面もあったものの、気にならなくなってきたし、なんといっても多角的な視点から音楽を紹介してくれるところがいいと思った。
杉谷昭子さんのピアノリサイタルに行ってきました。杉谷さんのリサイタルは私が関東に来た年の秋にも行っていました。テーマは杉谷さんの師匠でもあったクラウディオ・アラウへのオマージュということでした。
曲目
シューマン作曲 歌曲集『リーダークライス』作品39より
第1曲 “異郷にて”(キルヒナー編曲)、
第12曲“春の夜”(リスト編曲)、
歌曲集『ミルテの花』作品25より
第1曲 “献呈”(リスト編曲)、
幻想曲 作品17
リスト作曲 コンソレーション 第3番、
巡礼の年 第1年 スイスから 第6曲 “オーベルマンの谷”
ショパン作曲 ノクターン 嬰ハ短調 遺作、
マズルカ イ短調 作品67-4、作品17-4、
エチュード ハ短調 作品10-12 「革命」、
ワルツ 変ニ長調 作品64-1 「子犬」、
ポロネーズ 変イ長調 作品53 「英雄」
アンコールは
S.カルディッロ作曲 杉谷昭子編曲 「カタリ・カタリ」
ファリヤ作曲 火祭りの踊り
シューマン作曲 子供の情景より「トロイメライ」
磨きのかかった美しい音色で、心のこめられた演奏でした。特にシューマンの歌曲集、幻想曲の第3楽章、リストのコンソレーション第3番、ショパンのマズルカのような抒情的で深い精神性を求められるような曲でこまやかな持ち味がでていたような気がします。他の曲でも、大局的な解釈をされている面があり、なるほど、このような解釈もあるんだ、と思えるところがありました。
アンコールでの『カタリ・カタリ』がよかったな。原曲はイタリアのオペラ歌手エンリコ・カルーソーのために、イタリアの作曲家サルバトーレ・カルディッロ(カルディロ)によって1911年に作曲されたナポリ歌曲で、杉谷さんがピアノ曲に編曲したものでした。CDのタイトルにもなっており杉谷さんの思い入れが非常に深い曲だと感じました。この曲の生演奏が聴けてよかったです。持っていったCDにも、サインをしていただきました。
いつまでもお元気に演奏活動を続けられますことを。
昨日はレッスンでした。
昨日ブログに書いたことは、気を付けながらももっとも気にすることではなかったようだ。やっぱりポイントがずれていたのかな。音の区切り方についてなるほどと思えることがあったものの。
他にも気を付けないといけないことがたくさんあった。メトロノームをかけながらも、ちょっぴり味付けしたほうがよいところがあった。そこに関する指遣いをちょっぴり変更することに。内声を弾く場合、ちゃんとつながって聴こえるようだったら右手から左手、左手から右手に渡してもいいはずなのだが、なぜかそのようにしたくないという思いこみがあったらしく、そのために弾きにくいところがあった。変更したほうが弾きやすそうなので変更することにした。ほかにも指の支えとかフォームとか。気を付けていたところが「自称」にすぎなかったようだと思えたところも。なかなか難しい。少しでも望むように弾けるようになりたいな。
頭で分かっていても音で表現できなければ分かっていることが伝わらない、そういう感じです。肉体に大いに関係している気がすると話したら、肉体ではなくてテクニックだとのこと。でも体の動かし方だから、やっぱり身体的な要素が強い気がするのだが。感覚がいい感じに鋭敏になり、動かし方に反映できるようになりたい。
本音を言うと時間をかけているものの、今フランクのこの曲しかやっていない、という気持ちにもなったりする。それなのに弾けていないとも。弾いていた曲が弾けなくなっているだろうな~とも。やっぱりちょっと思うのだ。ほかの曲もやりたい、と。本当は、一曲でも掘り下げたらきりがなくてきりがなくて底なし沼なんだろうけどね。ちなみに私の場合は掘り下げる前のところで堂々巡り状態。でも今はあんまり考えすぎないようにしよう。縁あって、弾いているのだから、この曲を通して、学べることはしっかり学んでいきたいと思う。一聴ぼれして絶対に弾こうと思った大切な曲だから。
ちなみに昨日。仕事は代休がとれたからか、料理はいつもよりもちゃんとできた気がする。でも平日も帰り遅くてもいつの間にかご飯を作っているのだから自分でもがんばっているなあと思う。そしてみなさんも、当たり前と呼ばれてしまいそうなことを(そしておそらく本当にたくさんのことを)毎日ちゃんとやっているんだな、お疲れ様です。拍手です(本音で書いています)。
もう寝なくちゃ。もう寝ます。
4月1日の花盛りと3月25日の春の息吹のフォトチャンネルに、気持ち玉がついているのですが、その気持ち玉にクリックが入っていました。くださった方ありがとうございます。ほかにもピンと来た方がいらっしゃったらクリックお願いします。
なんだか仕事でいっぱいになっていましたが、また写真を撮りたいな。絵も描きたいな。料理もちゃんとしたいな(いや、普段もやってはいるのですが、もっとちゃんとした感じに。)本を読みたいな(今回は本当に読もうと思っている本があるのです。しかも小説。最近本当に普通の本を読んでなくて我ながらまずいと思っている。)。ピアノも弾きたいな(これもやらねばならないですぞ)。
久しぶりに楽譜をアップした。フランク作曲のプレリュード、フーガと変奏曲の、変奏曲の出だし部分だ。
今難しいと感じているのが、この変奏曲の出だしの右手の部分。「主旋律を補い、引き立たせるために演奏される」働きをするオブリガートでもあるところ。左手のベースと調和するように出過ぎずレースのように細やかに真珠のように粒をそろえて弾こうとしているのだが、どうもど不自然な凸凹になりやすい。気をゆるませたら必ず、また、心を配っていてもどこかで突起のような音がびょんと出てくる上に、この出だし部分で動いているのは右手だけなのでさらに余計な突起が目立ちやすいのだ。そして最大の難所が赤い角丸で囲んだところ。素直に考えたらレ、ミ、ファ♯を若干聴こえるようにすればよいのかもしれないが、その部分を聴いてみるとその「レ、ミ、ファ♯」が強調されすぎて尻もちをついているみたいな気がしてならない。そう、右手でいえば高低高低高低、低の音は同じ音高、高の部分にちょっぴり重心を置くようなところをきれいに弾くのは非常に難しいと感じた。そういえば昨年苦心したインベンションの8番の出だしもそうだった。何度やっても自然に聴こえず困っていたな。どちらも間違えずに弾くのは全然難しくないのにね。
ちなみにCDなどで聴いた演奏では、レ、ミ、ファ♯のところで若干重くなったり微妙にバランスが崩れそうだったりしているが、思い切って流しているような気がした。このyoutube(3分53秒あたりから)もそうだ。全体的な流れや方向を大切にしているような気がした。そしてかなり自由に弾いているような気がした。なのでこの箇所で固まっている場合ではないのかもしれない。間違えやすいところや大切なところが他にしっかりあるのだから。でも今はやっぱり気になる。細かいということは十分に分かっているのだけど。結局は思い切って流していくことになるかもしれないが、今はちょっと検討してみたい。
ブログ、書きたいネタは断片的に浮かぶのだが、いざ書こうとなるとちょっと気張ってしまうこのごろ。。。
そうだ、今の私のピアノ練習で頭に浮かんだことを書こう。音をちゃんと出す、ということよりも、音と音とのバランスをとれるようにするのが最大の課題。一つは横のバランス、そしてもう一つは縦のバランス。横のバランスは次の音へとつなげるときに「自然」な感じでつながり流れていっているか、ということ。そして縦のバランスは重なった音の強弱や動きのバランスが「自然」な感じでとれているか、ということ。
「自然」というのが最大のテーマのようだ。それだけ「自然」に聴こえる演奏をするのって難しいから。その「自然」の定義や範囲はひとそれぞれかもしれないが、最大公約数的なものがちゃんとあると思う。
また、「自然」でありながらも、そこに少しでも自分ならではの感情を込められたら、と思うのだ。そのさじかげんが大切なポイントだな。
追記)「自然」とはいっても、つまらん自然なら「や」だ。やっぱり凛とした意思があって生き生きしていなくちゃ~。
歩いているとよく椿を見かけます。赤くて真ん中が黄色い椿とともに、ピンクの花びらが重なって八重桜のようになっている椿をよく見かけます。とても華やかで存在感があるので、いつか絵にしたいと思っていました。
花弁は前回使った透明水彩絵の具のピンク色、葉は透明水彩絵の具の黄緑と水彩色鉛筆の黄緑、薄緑、緑の3色、空は透明水彩絵の具の水色を使いました。前へ飛び出た花を表しました。一番大変だったのは花弁を一色の絵の具だけで描くことでした。水の量や筆遣いに変化をつけることで、立体感や奥行きを出そうと思いました。一番の失敗は、塗りすぎること。なので最初は水でとことん薄めた状態で描き、場所によって重ねていきました。ところどころでにじませたりもしました。水と気とを、うまく調和させることが最大の課題でした。これで立体感が出たような気がします。でも、ついつい、その後、ついつい鮮やかなピンクや紅を入れたくなったりする誘惑におそわれました。水彩絵の具、もう一色、ほしかったかな。でも、今回は、この一色だけでがんばれて、よかったな。もっとがんばるのだとしたら、赤でやることかもしれませんが、こうなるとかなりの技がいりそうですね。白をどうしても入れたくなりそうです。
今回は前回の桜ほど、細かく描きませんでしたが、それでも描けてよかったです。描く習慣がもっとつけられたら、とも思うのですが、習慣的に描かないと、とは思いこまずに、描きたくなったタイミングで描くのが、よいのかもしれません。
お花を描くのも好きですが、一番のびのびと描けるのは、今までよく描いてきた、水面と地平線だ、というのも分かりましたが。しかし透明水彩絵の具だけになるとどうでしょう。また変わってきそうな気がします。
題材が見つかったら、また何かを描きたいです。
遅くなりましたが先日のインゴルフ・ヴンダー氏ピアノリサイタルのアンコール曲です。
ホロヴィッツ作曲 風変わりな踊り
スクリャービン作曲 エチュードOp.8-12
モシュコフスキー作曲 火花
とてもおしゃれに軽やかにこれらの曲を弾いていたヴンダー氏。のびやかでよかったです!
ちなみにこのリサイタルの一部は、5月21日6時~、NHKBSプレミアムの「クラシック倶楽部」で放送されます。
その二日後にもヴンダー氏のリサイタルがあったのですが、同日にニコライ・ボジャイノフ氏のリサイタルもあったとのこと。ニコライ氏の演奏はまだ聴いたことがないのですが、気になるなあ。ヴンダー氏に関しては二日後の会場のほうが、実は近かったのですが、出勤日でしかも時期的に行きづらい日だったので火曜日にしました。 それにしても、会場までの多少の距離の差はあるものの、気になる人のリサイタルが次から次へとあるような気がします。誘惑だらけ(汗 )。体とお金と時間があったら全部行きたいですが。。。そこは考えなくちゃ。
ちなみにその後の仕事は変化だらけ、あっちいったりこっちいったりで忙しかったです。融通がきかないコンピュータに思いを伝えるのにも技術がいりますね(汗)
昨日はショパンコンクール第2位のインゴルフ・ヴンダー氏のピアノリサイタルに行ってきました。ずっと気になりながらもぎりぎりまで迷い、結局A席ドタ参加でしたが、彼の端正で瑞々しい演奏に心動かされた人がたくさんいたからでしょう、多くの人たちが来ていました。
プログラムは以下の通りでした。
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番 変ロ長調 K. 333
リスト:超絶技巧練習曲集より 「夕べの調べ」
リスト:死のチャルダーシュ
休憩
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op.58
ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 Op.22
そしてアンコール!明日リサイタルの方もいらっしゃるので、明後日以降に曲目を書きます。
磨きのかかった真珠のような音色は健在。モーツァルト、なんだか似合っていそうな気がしていましたが、よくあっていました。曲の輪郭を明確にとらえていて立体的な演奏でした。いつかモーツァルトの演奏の入ったCDを出してほしいという思いが。リスト、夕べの調べはモーツァルトと打って変わって迫力あふれたダイナミックな演奏でした。ピアノのすべての機能がフルに生かされていたような気がしました。死のチャルダーシュは、マゼッパからのプログラム変更で、初めて聴いた曲ですが、変化にとんだユニークな曲でした。弱音の細やかな動きがたくさんあり、演奏も非常に難しいと思いましたが、しっかりまとめていました。
休憩後ショパン。彼の演奏は歌心にあふれています。そしてその歌は単旋律だけではなく、内声も歌わせるべきところではしっかり歌わせていて、曲の魅力を引き出していると感じます。伴奏やオブリガードに邪魔されないように旋律を美しく浮だたせ、音と音との出し方のバランスをとろうと、隅々にまで心配っています。しかもそのような繊細な動きを瞬時ともいえるような高速で行っているのだから本当にすごいし大変だと思います。A席とはいえ、表情の見える席に座っていたのですが、一音一音、ベストの音を出すために最大限の力を振り絞ろうと闘っている表情でした。出てくる音とは違い、少なくとも端正ではなかったです。絶え間なく耳と体を瞬間瞬間で研ぎ澄ませていて、本当に、ものすごいエネルギーを出していると感じました。緊張のあまりでしょうか、ちょっと気になったところもあった(空耳かもしれません)のですが、彼の音楽への真摯な取り組みが感じられたよき演奏だったと思います。
アンコール、よかったですよ~リラックスした彼の素顔とやさしきサービス精神があふれたひとときでした。これらの曲の演奏もCDに出してほしいです。
終演後はCDを片手に長蛇の列に並びました。舞台袖から出てきた彼に大きな拍手が。CDにサインをいただいたところで、彼の音楽構成力と歌心に少しでもあやかりたいと思った次第です。
ヴンダー氏、伊熊よしこさんのブログによると、今後はベートーヴェンにじっくりと取り組むそうです。来年も来日するそうなので、チェックを入れているところです。
アンコール曲は明後日書きますのでお楽しみに(^^)