いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

平均律第3番 コンスタンチン・リフシッツ氏の演奏で

2012年03月31日 | ピアノ・音楽

 忘れたころに登場の平均律!実は曲とともにコンスタンチン・リフシッツ氏というピアニストについて書きたかったのです。クラシック音楽を配信しているインターネットラジオOTTAVAでバッハ特集をやっており、心あらわれるすばらしいフーガの技法の演奏が聴こえてきた。演奏者はだれだろうと調べてみたところコンスタンチン・リフシッツ氏と判明。実はちょっと前にKホールでリサイタルもされてたのだった。だから演奏会は終わったばかり(涙)その演奏会のちらしも見たことがあるのに、その時点では彼の演奏は聴いたことがなかったのですばらしさが分かっていなかった。今度演奏会があったらぜひ足を運びたい。

 フーガの技法の動画はなかったのだが、平均律3番の動画があったので紹介する。ちなみにここでは掲載しないが、1番のすばらしい動画があるのも付け加えておく。第1巻と第2巻の3番という紹介の仕方が面白い。

 私は第1巻3番の明るくからっとしたフーガが大好きで弾けるようになりたい曲のリストにひそかに入れている。かなり難しそうだが、それでも次にある4番の壮大な5声フーガよりは弾きやすいとのこと。(その4番のフーガも本当を言えばあこがれ曲だのだが)えっ、弾けるように!?その前にいろいろあるでしょう、という言葉が返ってきそうですが(汗 )

 彼の演奏を聴くと本当に曲をよく味わい研究していると感じる。名曲には一音たりとも無駄な音がない、ということも身をもって感じさせてくれる。それにしても筋肉のついた見事な手!そして全体的に手首の位置が高い。いわゆる重力奏法だろうか。弾きにくそうにも思えるが一切無駄な動きがなさそうな感じなのがすごい。

 


レッスン

2012年03月28日 | ピアノ・音楽

 今日はレッスンでした。進歩が実感できないような状態で出向いたのでちょっと気が重く。。。 

 しかし、はじめて弾いたときは今までよりはちゃんと弾けたようだ。レッスン内容は基本の内容で、今までも指摘いただいたこともかなり含まれていた(汗)。耳と体の使い方がポイントのようだ。そして細部にとらわれすぎないこと。細かいところにとらわれすぎて音楽全体の流れが停滞しているところがあるとのことだった。

とはいえ、体の動かし方については細かいところに気を付けないと、音楽の流れが落ちてしまう所もあるのだ。たとえばそこの親指君。生えている方向が他の指と違うから、違う音質になりやすいのだが、そうなってはいけない箇所がある。親指で弾くところが他の指の隣でも不自然ではないように聴こえるようにしたいものだ。

 あやしいところがなくなるように、そして全体的な流れもつかんで弾けるようにすることが今回の主な課題だと感じた。やっぱり地道にですね。


春の息吹

2012年03月25日 | 気になる場所、風景

 北鎌倉の建長寺、円応寺境内の植物です。

今から芽を出したり花開いたり実をつけたりしようとしている植物たちの息吹が感じられます。

 

フォトチャンネルに初挑戦!楽しいですね

こころ動かされた方は、気持ち玉をクリックいただけたらうれしいです。(フォトチャンネルをクリックしていただけたら、顔文字の入った画面がでてきます。)


閻魔大王のいるお寺

2012年03月25日 | 気になる場所、風景

 北鎌倉に行きました。円応寺というお寺はあの地獄の大王こと閻魔大王が本尊となっていました。入口の看板に描かれている閻魔大王像はいかにもいかめしくおそろしげでリアルな感じです。しかし、いやだからこそ、ぜひ拝んでおかなければと思って入りました。

 閻魔大王像は本尊の奥にどっしりとありました。東大寺金剛力士像などを作った運慶の作らしく、ぎらっとした目、彫りの深い顔つき、激しさにあふれた表情で大きく口を開けている閻魔大王は存在感にあふれていました。閻魔大王の周辺には亡くなった人が冥界において出会う住人の王様である十王の像がありました。

 かっと目と口を見開き怒りに満ちた顔つきで、人を地獄に落として苦しめる閻魔大王ですが、実は、人を地獄に落として苦しめた際、閻魔大王本人もその人と同じように苦しみを味わうだそうです。そして大王が味わう苦しみは、地獄に落とされた人が味わう苦しみ以上にひどいものだそうです。彼は生前悪事をおかした人を黙って見過ごすことができず、地獄へ落とすという業を持っているのですが、その業は大王にとっても苦悩以外の何物でもないとのこと。そのようにならないためには、地獄に落とすという苦悩を閻魔大王が味わうことがなくてもいいように人々が生前に悪いことをしないことが大切だ、ということでした。あの閻魔大王は単に恐ろしいだけの存在ではなく、自らも痛みをこうむる非常に懐の大きい存在だったのですね。

 十王の像の前にある解説も分かりやすかったです。亡者が救済されるために生き残った者が行う方法も書かれていました。

 そして出口のところに貼ってあったポスターに書かれていた「日々是好日」といいう言葉と言葉の解説に心打たれました。


原曲は・・・

2012年03月24日 | ピアノ・音楽

 今日も練習での個人的な気づきメモです。

 練習中のフランクのプレリュード、フーガと変奏は、フランクのオルガンの原曲をバウアーがピアノに編曲したものを練習しています。ところがバウアーのピアノ編曲ではオクターブの連続になっているところが、オルガンの楽譜ではオクターブになっていないところが多数あることに気づきました。しかもプレリュードとフーガの間にある重厚なコラール、オルガンの原曲の楽譜を見たら、なんとピアノ楽譜ではあるはずのアルペジオがありません(ピアノ版では右の動画の13秒あたり オルガン版では3分16秒あたり)。

 そう、今練習中のフランクのこのプレリュード、フーガと変奏に関しては、オルガン楽譜のほうがシンプルでわかりやすいです。三段になっているので声部がくっきりと分かれています。途中で切り替えというのも入っているらしいのですが、それでもピアノのごちゃごちゃした楽譜よりはわかりやすいです。今日オルガンの原曲の楽譜をある方に見せていただき、あまりのシンプルさに驚きました。

 実際に演奏を聴き比べてみるとさらによくわかります。

ピアノ版

 

オルガン版 

 ピアノ版が重厚で厳粛な感じなのに対して、オルガン版のほうが素朴でごてごてしていない感じがします。しかしオルガンでは異なるレジストレーションになっているため、声部によってあきらかに音色が異なり楽器も異なる楽器のようになっています。となると、オリジナルに近づけようとするのなら、それぞれの声部の音色を具体的に想定して弾くこと、そして、たとえ旋律だとは言えどもオクターブのところでがんがん出せばよいわけではないということも分かります。

しかし、実はオルガン版の前に作られたオリジナルではとも言われている、ピアノ伴奏つきハーモニウム版というのもあります。こちらのコラールではピアノがしっかりアルペジオを弾かれています(3分1秒あたり)。オクターブは主に低音部を担っていそうなピアノパートにはありハーモニウムパートにはないです。(昨年12月21日の記事を参照)

この曲の変遷の過程は以下のようだったと思われます。

オリジナルと呼ばれるピアノ伴奏つきハーモニウム版→オルガンだけでも弾けるようにオルガン版(フランク本人はここまで)→オルガン版とハーモニウムのオリジナル版とを折衷させ、ピアノでも弾けるようにしたピアノ版(ここからは編曲者バウアー氏ののお仕事)

しかしなぜバウアー氏はピアノ編曲の上であんなにオクターブを増やしてしまったのでしょうか?フーガで低音部が登場する箇所、低音というだけでも音に厚みがあるのに、ピアノではさらにオクターブが加わって非常に重厚になっています(ピアノ版右の動画の2分2秒)が、原曲では意外にシンプル(オルガン版4分42秒)で、盛り上がるのはもうちょっと後(オルガン版5分12秒)だったりします。ちなみにハーモニウムでは、高音部はハーモニウム、低音部はピアノが担っていて、登場箇所ではオクターブにはなっていますが(ハーモニウム版4分27秒)、かなり抑えた感じです。(しかしオクターブが2手になっているためこちらのほうがかなり弾きやすいです。いいな~。楽器が分担しているから当然なのですが)

おそらくオクターブになっているところは、ハーモニウム版でピアノパートでオクターブになっているところ以外は、この曲において、盛り上がるところに来た場合、ピアノの単旋律ではあまりにも物足りないのではと判断されたためではないかと思います。場所によっては足鍵盤の存在感を引き立てている役割もあるようです。

オリジナルから変遷をきたしているこのピアノ編曲。原曲とは別個のピアノ曲としてとらえることも可能かもしれず、ついそういう方向に向かいそうになっていたのですが、フランク本人の思いはそこにはないというのが見えてきたような感じです。自分からのこう弾きたいという思いも大切ですが、それとともに原曲の変遷のルーツも照らし合わせて作り上げる必要があるように思いました。

 そしておまけ。ピアニスティックってなんだろうという疑問がふと湧いてきました。「教えてgoo」で面白い議論がなされていて、なるほどと思えたのですが、実はこれといった明確な定義は、なさそうですね。よく使われている言葉だと思うのですが。


練習メモ

2012年03月23日 | ピアノ・音楽

 ピアノで、跳躍を弾いていて、難しいと思うのは、音をはずしやすいこと、そして音をはずすまいと思って、手首から固まってしまうこと。外さないためにそこで止めようとしたとたん手首から固まって、音自体も硬くなり腕にとってもよくない状況になっているのが分かる。しかし、和音を広げている幅が一緒のときは手の形はあまり変えない、そして跳躍していても音のつながりを感じながら弾くのが大切だとも言われる。いや~ますます難しい。

 音のつながりを感じながら弾くのは大切だけど、手の形を変えまいとがんばろうとすると、どうしても私は硬くなってしまうので、一瞬やわらかくして力を抜こうとすると、弾きやすくなった。固まらなくなったし、音もちょっと外さなくなった。固まらないのも、音を外さないのも大切。

 ちなみにつながりをとらえ、歌いながら弾こうとするのは、かなりいいことだと思った。指がそれにしたがってくれる、というケースが意外に多く感じた。

 それから難しいところはゆっくりというのもいい。早く弾いて間違えるのよりは精神衛生上よろしいというのもある。早くするのは外さずしかも納得できるような弾き方ができるようになってからでいいかも。

 

 これらの内容は、客観的に参考にできるものとはいえず、あくまでも私の感想だということをお断りしておきます。

 今ちょっと練習が苦しい時期。でもできるようになると自分を信じましょう。


新たにゴッホの作品と確認された花の絵

2012年03月22日 | お絵かき

 ゴッホの作品といえば、思い浮かぶのが「自画像」、「ひまわり」、「夜のカフェテラス」、「スタリー・ナイト」、「アルルの寝室」等で、筆遣いや色使いに大きな特徴がみられる。しかし無名画家の作品と判断されていた絵がエックス線による筆遣いの調査により新たにゴッホの作品と確認され、話題になっている。

 未知の「ゴッホ作品」がオランダで新たに発表!!

 無名画家の作品と判断されていた絵画、ゴッホの作品と確認(FNNニュース)

この絵はオランダのオッテルロにある、ゴッホの絵で有名なクレラー・ミュラー美術館にある、「Still life with roses and field flowers (バラと野花の静物画)」だとのこと。しかもこの絵の下には、全く違う絵である、二人の裸のレスラーの絵が存在していた!このレスリングの絵もかなり強烈だ。私たちは一度に二枚のゴッホの絵を知ることになったのですね!!

 それにしてもそれまで、なぜこのような誤解が生じていたのだろう。私の推測だが、表に出ている「バラと野花の静物画」の色遣いは、あまりゴッホの絵には見られない色遣いに思えた。青や黄色と白の花が含まれていてちょっぴりアクセントがみられるものの、鮮やかな赤や華やかなピンクの花はあまり彼の絵には見られなかったような気がする。そしてこのような絵が多かったのは、17~18世紀のオランダ。ハプスブルク家の栄えたフェルメールの時代だ。当時は花瓶に入った美しい花の絵がたくさん描かれていた。こんな絵とかこんな絵とか。。。

 この「バラと野花の静物画」もうっかりしたら当時の絵だと思えてしまいそうだ。実物をしっかりと見たらかなり違うのだろうけど。ゴッホは「バラと野花の静物画」でも実験的なことを行ったと言われているようだが、同郷の先輩たちの絵からも少なからず影響を受けていたのでは、という気がしてきた。

 そしてなぜゴッホは二人のレスラーの絵の上に、バラと野花の静物画を描いたのか、というのも気になることだ。レスラーの絵は自分でも気に入っていると、弟のテオに手紙まで出していたのだ。あえて別の絵を上に書くことはなかったろうにとも思う。キャンバスがなかったのだろうか、それとも、彼の実験だろうか。彼は二人のレスラーの絵が後世になって発見されることを想像していただろうか。興味の尽きない話だ。


裸の音に注意

2012年03月22日 | ピアノ・音楽

 「裸の音」に注意。ここでいう「裸の音」とは、生ピアノの音のことではないのだ。何にも意識せず、単に鍵盤を押して出たというだけの音。そんな「裸の音」では届かない、とレッスンで言われるし、自分もそう感じる。裸の音にならないためには、しっかり聴くことが大切だと。そして「裸の音」でない音が出たという瞬間は、意外に自分では弾いたという実感がないような時だったりもするのだ。なので、気を付けないと必ず出してしまうし気を付けても出てしまう。裸にならなかったらくじにあたったようなものだったりして。

 なのですべて「裸の音」にならないように完全にしなければいけないと思ったら、ものすごく大変だと思う。たとえ「裸の音」でも、自分が楽しむのならいいと思うんだ、いやそれだけではなく、聴く人の心を打つことも十分にあると思うんだ。

 けれども、プロと言われる人の演奏には、「裸の音」というのはないんだろうな。子供さんでもそう。自然で無意識に出ているようで、本当は自然でも無意識でもないコーティングされた音。そしてピアノの表現力を最大限に引き出した音。今日FMで聴いた若きピアニストのKさん、とても表情豊かな演奏だった。「裸の音」は一音もなかったような気がする。鍵盤のツボをとらえているのだろうな。瞬間的にそのようなことができて凄いなあ。私なんかゆっくりでも大変なのに。もちろん、ものすごく集中しているというのもあると思うのだが、彼女のような天才になると、自然とそのようなことができるのだろうか。そのようなことができやすい素質があったから天才と言われただろうとも思うが、そこに努力と集中力とがプラスされ、聴きごたえのあるものになっていた。ショパンのノクターンの遺作、強弱の微妙な変化による方向性の示し方など、細かいところにも注意が行き届いていて、美しかった。脱「裸の音」を目指せたら最高だけど、せめて、そのような変化や方向性の示し方を意識するという姿勢から、見習いたいな、と思った。


昨日と今日

2012年03月18日 | 日記

 もっとタイトルをちゃんと考えなさい、と自分でも突っ込みを入れたくなっているのですが。。。

 昨日は練習会でした。練習はしていたものの、弾けるようになった気がしないという状態のまま、フランクを持っていきました。細かいところを見ていったら地中からモグラがぽんぽん、虫がうじゃうじゃと出てきそうな状態。でも今回は練習会、恥ずかしい状態になったとしても人前で弾くのは私にとっては練習のひとつなので、這ってでも出かけよう、と思って雨の中いそいそと出かけました。主人も参加しました。

 肌寒い中参加されたみなさんは謙虚だったのですが、しっかり練習されていました。曲もメジャーな曲からマイナー曲、実はどこかで聴いたことのありそうな曲など幅広くて楽しかったです。どのような曲でも、常に弾けるようなストック曲というのがあるといいなあと感じたのでした。ちなみに音楽の作り方も工夫やこだわりが感じられました。短時間でここまで弾けるようになられていていいなあと思ったりも。

 ちなみに私。出だしはおっ、いけそう、このまま集中力を切らさずに力を150%出したらうまくいくぞ!と思ったのですが、プレリュードで少し、フーガでもっと間違え、変奏曲で無数に間違えました。地中にいなければならない虫とモグラが踊っていたような気が。音もちゃんと出し切れてなく方向性も表し切れてなかったと思います。いけなかったのは集中力、途中で意識が飛びました。この、緊張感、途切れそうな集中力、意識の方向性との付き合い方を見直すよき機会になりました。そして演奏にはスタミナがいる、と感じました。大体150%の力というところから無理がありましたね。70%、いや、せめて100%にはしておかなければ(汗)

 私は跳躍が苦手なので、練習会後そのことについてちょっと話を聞いていただいたのですが、結論として跳躍ということそのものにこだわりすぎているかもしれない、と思えてきました。たしかに音程の開いた音をしっかり弾けるようになるには距離を実感を通じてつかむ必要があるのですが、ちょっと視点を変えて曲全体の構成を見てみたら、跳躍とは別に旋律としてながれているところもあるのですね。もちろん指の移動をスムーズにするために感覚を徹底的につかむことも大切かもしれないが、それだけではない、根底にはれっきとした音楽が流れているのだという事実に着目することで、弾きやすくなっていることもある、と分かりました。大切なことなのに見落としていました。実際に今日ちょっとそのように意識して弾いてみたら、ちょっと弾きやすくなった面もあり。。。ありがたかったです。視点をずらすと見えてくることもありますね。

 というわけで、収穫の多い一日でした。

 今日はとにかく家のことをしようと思いました。部分的ながら衣装替え、台所の片づけに防災対策。前からやらなければと思いながらも手も付けずに延ばし延ばしにしていました。取り掛かる前はもやもやしまくっていたのですが、衣装の入れ替えを少し行っただけでかなりすっきり。台所は不要なもの汚れたものは捨てて足りないものをチェック。賞味期限切れのものが何点かあったのは反省。買うときにはそうならないつもりで買っているのですがそのときは認識が甘かったです。防災対策は食器棚や家具の固定状況の見直し。最後は東急ハンズにでかけて、ストッパーやガラスフィルムなど必要そうなものを購入しました。防災グッズの売れ行きは非常によく品切れもあるそうです。普段家のことがちゃんとできてなくて恥ずかしいのですが、気になりだしたらいろいろと気になります。そして少しでもやったらもやもや感が減り、大きな収穫があったような気持ちになります。そして私は家のことをやるのが実は大好きなんだ、と(妄想がかりながらも)いい方向に持っていこうとします。(でもその時点では本当に好きになるんですよ)そしてそのような理想的な自分になったつもりになり、心を入れ替え常にちゃんとしようと思います。それが家のことをまとめてした後の私のよくある心境です。さてその決心はどこまで続くか?明日から危ないぞ。きちんとは無理でも、最低ランクにはいかないようにね。


愛しきウルトラマン

2012年03月15日 | 日記

 ある方が面白い動画を紹介されていて、非常につぼにはまったので紹介します。登場人物(ロボット)に愛しさを感じます。

おはようさん♪ on Twitpic

 ここからはちょっとまじめな話。GIFって静止画でしか使ったことなかったけど、GIFアニメも発展させたらここまで面白いものになるんですね。