今月末はピアノ以外の内容も含めた内輪の仲間での発表会がある上に、のんびりしていた私も来週からのんびりできなくなるので、今は心も体も音楽方面はその発表会、そして演奏する曲へと専念しようと決意していたのですが、そのようにしたとしても(すればするほど?)、他方面への関心も消せないものです。いや、もともと、気が多い人間だったのかもしれませんが(汗)
しかしたまにはそういう姿をブログに書くのもありのような気がしてきたので書くことにします。本番が近付いているピアノを弾く人間にしては集中力に欠けた態度なのかもしれませんが、ひょっとしたらブログを読んでくださっている方の中に関心を持ってくださる方がいらっしゃるかもしれないので。
今月8日はロベルト・シューマンの誕生日でした。折角だからシューマンの音楽を聴こう、と思って聴いてみたところ、芋づる式に聴きたい曲がでてきて飽和状態、結局聴きたい曲が全部は聴けない状態でした。私はシューマンが好きだと思っていたのですが、ここまで好きだったとは思わなかったです。本当に心の底から好きだったんだなあと改めて感じました。それでも室内楽を始めとして知らない曲もたくさんあるのですが。
そしてその2日後の10日は、リヒャルト・シュトラウスの誕生日でした。今までの私にとってシュトラウスといえば聴いただけで踊りだしたくなる曲をたくさん作ったワルツ王ヨハン・シュトラウスに決まっていました。その一方、リヒャルト・シュトラウスといえば私が真っ先に連想したのは映画「2001年宇宙の旅」のみ。交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の導入部が「2001年宇宙の旅」のテーマに採りあげられました。しかしそれ以外のリヒャルト・シュトラウスに対して抱いていたイメージは哲学的でかっこよさそう難しそうでなじみにくいメロディーが多い上に、ピアノで弾かれる曲も多くないため、敷居が高いというイメージ。しかし、なじみにくそうなものであればあるほど却って無縁だと言いたくない、知っていた方がかっこいいように思い始めました。そこでちょっと背伸びしてみようと思って聴いた曲が、最晩年にヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフとヘルマン・ヘッセの詩に基づいて作られたという、四つの最後の歌という曲でした。確かに第一印象は、機能和声に心底なじんでいる耳には素直に入ってくる曲ではありません。しかし、聴いているうちに、近現代の曲には多い曲線的なねじれがありながらも天に上るようななんともいえない音楽に魅力を感じました。
ちなみにこの四つの最後の歌は以下の順番です。
- 「春」 Frühling
- 「九月」 September
- 「眠りにつくとき」 Beim Schlafengehen
- 「夕映えの中で」 Im Abendrot
素敵な演奏はいろいろある上に、とてもではありませんが、全部聴き切れていないのですが、同じく最近気になりだしている歌手である、グンドゥラ・ヤノヴィッツ氏の「九月」 September と、「夕映えの中で」 Im Abendrot の動画を掲載します。
ソプラノ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
「九月」 September
「夕映えの中で」Im Abendrot
これをきっかけに、リヒャルト・シュトラウスの音楽をもっと聴きたくなりましたが、さすがに今は保留です。
なお、コメントもなしでm(__)mすみません。
注)文章を一部修正しました。