いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

東北の底力

2011年03月30日 | 日記
東洋大の柏原選手は実は福島県出身です。東北の底力を見せましょうとのこと!そう、そうですよね。久しぶりに登場した駅伝ネタ(にわかファンなもので)。

私も日常生活をちゃんと送ろうと思います。

近況

2011年03月27日 | 日記
 日記なかなか書く気になれませんでしたが、ちょっとだけ書こうと思います。

 今はそれ以外の番組もかなり放送されているのに、ついつい地震関連の番組をつけてしまうこのごろ。原発も心配です。被災地の人たちのエピソードもついつい見てしまいます。家業の工場が津波でやられたものの、残っていた鉄板を見つけ出して焼きそばを作り避難所に配った石巻のおじさん、本当に素敵でした。そういえば家も今日の昼食は焼きそばでした。主人が作ってくれました。おいしかったです。
 レッスンはやり直したくさん。練習したつもりでしたがそれは「つもり」だけだったようです(汗)昨日はCDショップに出向きマイナーなピアニストさんでしたが感動的な演奏に出会いました。あまり知られてなさそうなピアニストさんの感動的な演奏に出会うとうれしくなります。ちなみに20代のころはブレンデルもマイナーなピアニストだと思っていました。というよりもピアニスト自体よく知らなかったです。ピアノ曲を知るだけでわくわくしていたかも。今考えてみたらブレンデルはかなりメジャーなお方だったのね。ちなみに昨日出会った方は本当にマイナーな方です。誰かって?それは秘密です。

 コメなしごめんなさい。メッセージのある方はメッセージ欄からお願いします。
 

物資が行かないなんて

2011年03月21日 | 日記
 東北地方、物資が行き届いていないところがたくさんあるみたいです。今テレビで見たのですが、福島県のいわき市では支援物資が届かずにつらい思いをしている人もいるみたいです。なんとプールの水を飲んでいる人も(涙)「~はこわい」というような風評による被害が大いに起因しているように思えてなりません。とにかくそういう人たちにできるだけ早く物資が行き届きますように!

 と書きつつ、明日は地震後初めてのレッスンです。どきどき。

今の私にできること

2011年03月20日 | 日記
 今の私にできること。まず義援金。横浜駅の西口で学生さんが一生懸命声をかけていたのでわずかなお金ですが払ってきました。避難生活を余儀なくされている人たちの生活に少しでも役立ちますように。
 そして節電。街の照明の数も激減し、歩く歩道やエスカレーターなどは動かなくなっていますが、却って歩く機会が多くなったとも思えます。無駄な電気はできるだけ消して夜は早く寝るように心がけようと思います。暖房はもちろんなし。寒かったら重ね着です。しかしピアノやするべきことしたいことはちゃんとやりたいと思います。そのほうが気がまぎれるから。そしていつ何が起こるか分からない、ということもよ~く分かったから。
 両方の実家から物を送ってもらったり友達に会ったり友達から電話をもらったりして温かい気持ちに(涙)。有難いです。

一週間

2011年03月18日 | 日記
 あの地震から一週間がたちました。街は電気が消え、スーパーには空の棚もあり、店は6時に閉まり、職場では計画停電がある人の話も聞き(私の住んでいるところは今のところないのですよ)ますが、元気でやっております。ただ揺れていなくてもなんだか揺れているような気がすることがあります。余震があるために揺れの感覚が体に染みたのかもしれません。地震速報の警報みたいな音も嫌です(しかし、危機感をもたらすためにはそうある必要があると思うのですが)。それにしても職場の人たちの明るいこと頼もしいこと。
「いや~揺れには慣れてますよ、しょっちゅう経験しているし」
「却って外に出たほうが元気になれる感じ」
「なにしろ目に見えないものだから(これはまずいかもしれないが)」

 ピアノもぽつぽつ弾いています。演奏は相変わらずへたくそですが、音楽に元気づけられています。

 しかし東北の人たちは本当に大変そうで気の毒です。あまりにもひどすぎる試練だと思います。亡くなられた方たちのご冥福を、そして早い復興を心からお祈りします。

今日は

2011年03月13日 | 日記
 テレビに貼りついていないで外に出ました。そして街をぶらぶらしました。人はいつもよりも少なかったのですが出てよかったです。防災グッズ系のものは少なくなっていましたが買えるものは買いました。その間揺れもあったかもしれませんが感じませんでした。
 本も読みました。ピアノも弾きました。気分転換になりました。

テレビのお守り

2011年03月12日 | 日記
いや~、いたたまれないです、本当に。全く望んでいないのですが、結局昨晩からテレビのお守りをしています。東北地方、ひどいことになっています。塩釜、松島、宮古、釜石はリアス式海岸の大変美しいところなのですよ(涙)。昔仙台に住んでいたときに行ったことがあるのです。救助活動をして多くの人たちが助かってほしいものです。

練習会がなくなりました。かと言って家でピアノを弾く気にはなれず。テレビのお守りの一日になるのかな。食糧だけは確保に行かなければ。

地震(汗)

2011年03月11日 | 日記
 地震が起きました。とっても長い地震でした。15時前に起きた最初の地震はかなり大きくて震度5強。なによりも継続して揺れ続けるのでこわかったです。早く終わってほしいのに終わらないので、これから一体どうなるのだろうかと心底思いました。最初の一番おそろしいのが終わっても何度も断続的に揺れ続けていました。何度揺れ続けているか分からないぐらい揺れ続けていました。だんだん揺れは少なくなり、17時ぐらいになってひと段落したような気がしたのですが、それでもわずかな揺れは続いています。

 しかし東北地方はさらにおそろしいことになっていてびっくり。宮城県北部は震度7。しかも津波の映像にはぞっとしました。こんなひどいことがあっていいのだろかと思いました。自分も仙台市に住んでいたことがあったので他人事とは思えませんでした。これ以上悲劇が起らなければいいのですが。本当に気の毒でなりません。
 また関東地方でも交通機関で通勤されている方たちは、交通機関が止まっているため家に帰れていません。停電やガスが止まってらっしゃる方も多いです。そういう方たちが多そうな中、家でブログを書いているのが申し訳ないような気もしますが、ひとまず私は大丈夫だという報告を。

FAXから

2011年03月10日 | 日記
 今日職場で着信音が20回ぐらい続けて鳴りました。受話器を取るととすべてピーッという音。FAXを間違って送信しようとしていたのでしょうか。無事に止まってくれたからいいものの怖かったです。ホラーみたいでした(汗)

 FAXが来たときは着信音の後受話器を取ると受話器から

ピーッ

と言う音が聞こえます。そして電話機からひゅるるるると言う音、ジーッという紙が出てくる音が続きます。FAXのときは着信音が鳴らないでいてくれたほうがいいと個人的には思います。着信音がなるとFAXの場合は取らなくてもいいのに思わず受話器を取ってしまうし、その後に続くピーッといういたずら電話みたいな音を聞かないといけないから。もしそのような着信音の鳴らないFAXが出来たとしたら、電話が突然ひゅるるるるるといい、紙がジーッという音を立てて出てくるのですね。そのほうがいいとは書いたものの、こちらもちょっとホラーがかっているかも。

 ちなみに私が最初にFAXというものを送信したのは学生時代にやった郵便局でのアルバイトででした。紙の表を内側に向けて電話機の溝にセットし、番号を押してボタンを押したらその紙がジーッという音を立てながら電話機の溝を通過します。そのジーッという音とともに紙の表に書かれた内容が番号の宛先のところの電話機でまったく同じように印刷されて出てくるのです。紙の表に書かれた内容は電気で通信できるデータに変換され遠く離れたところにも同時に伝わり再生されます。こんなに簡単な操作でここまでかっこいいことができるなんてなんてすばらしいのだろうと感激した思い出があります。ひゅるるるる、ジーッという音がとても魅力的に思えました。しかし寂しいことにそのような感激も今はどこかへ行ってしまいました。

 インターネットの発明により情報を発信したり受信したりするのが簡単になりました。しかも文字情報だけではなく、映像や音声も一度に送信できるのです。ピアノの演奏も一度に発信できるのだから見事なものです。しかも携帯電話が発明され、発信したり受信したりする場所の範囲も大きく広がりました。情報を電子へと変換する技術の進歩のすさまじさには目を見張るものがあります。さすがに匂いのような情報は無理ですが。。。。。電気の限界ですね。嗅覚や触覚を電子情報で伝えられる技術が発明されたらノーベル賞ものです。(ありえなそうですが)
 しかしインターネットができたとしてもFAXはなくならないだろうと思います。手書きのようにアナログな形式で書かれた情報を瞬時に送れるのはFAXだけだから。さすがのインターネットでもそのようなことはできません。

 不思議に思うのはテレビ電話というものがあまり流行っていないこと。その理由は相手の顔を見て話はしたいものの、電話で話しているときの自分の姿は実はあまり見られたくない、という人が多いからのような気がします。