昨日はラドゥ・ルプー氏のピアノリサイタルに行ってきた。ルプー氏との出会いは学生時代同級生にブラームスのCDを強く勧められたこと。ラプソディの出だしから衝撃を受け、当時のうつうつした思いが昇華されるような気がした。なんて抒情的で美しい演奏なのだろう、すっかりルプー氏とブラームスのピアノ曲の虜になっていた。
そのような、CDでしか出会うことがなかったリリシスト、ルプー氏が来日し生演奏を披露してくれるとのこと、しかもフランクなど好きな曲もあり、行かないわけにはいかないとばかりチケットを購入したのだった。
ところが演奏会前の金曜日、ルプー氏は左手中指に蜂窩織炎を発症したとのこと、次の土曜日の演奏会はキャンセルとなり、今回の東京のリサイタルの開催も危ぶまれたような状況だった。しかしリサイタルに向けて治療とリハビリを最大限に行ったとのこと。そのときはショックだったが、無理に開催し却って症状が悪化するよりは、今後に向けて大切にしてほしいという思いになっていた。
しかし演奏会の前日、開催されるということが明らかになった。無理されていたらいけない、と思いながらも、ほっとしたのも本音だった。たとえ曲目の変更があったとしても、彼のピアノを聴けるのはとてもうれしく有難い話であった。
演奏曲目は以下の通り。
シューベルト/即興曲集 D935, op.142
フランク/前奏曲、コラールとフーガ
休憩 ドビュッシー/前奏曲集第2巻
アンコール
ドビュッシー/前奏曲集第1巻から 雪の上の足あと
シューベルト/楽興の時D780から 第2番
会場が暗くなり演奏が始まった。噂の通りブラームスのような風貌で登場したルプー、腕もほぼまっすぐに伸ばし高い位置から弾いていた。私の席はチケット購入時点の会場への知識のなさゆえよくないところだった(二度とその位置での席は買わない)のだが、そちらでも遠くまで音が聴こえてきた。さすがだ。
しかし初めのほうでは拍感の面で心配に感じた。シューベルト即興曲作品142の第1曲、音色はさすがルプー、実に素晴らしいのだけれど、ミスタッチも見られたし、全体的にもたついている気がしてすっと入ってこなかった。しかし時間がたつにつれピアノになじんできたのだろうか、彼の音楽が聴こえてくるようになった。第4曲は個人的にはあまり着目してこなかった曲だったのだが、昨日のルプーの演奏は隅々から土臭さも含まれた躍動感が感じられた。彼の出身地であるルーマニアの熱い血が感じられた。私にとってその第4曲に命が吹き込まれたような気がしたのは大きな収穫だった。
フランクはこの曲があったからこそ申し込んだと言ってもいいぐらい楽しみにしていた曲。祈るような重厚で美しい出だし、ここをどのように歌ってくれるだろうか、どきどきしながら聴いていた。まさに心の奥底から力をふりしぼって祈っているような演奏だった。この曲の精神性を根底から感じ取りそれを伝えきろうとしていた。空耳だったのか、それとも本当に彼の声だったのか分からないのだが、演奏とともに歌が聴こえてきた。音楽への、いや、聴衆への深い愛が感じられた。フランクのこの前奏曲、コラールとフーガは彼にとって自分のメッセージを伝えるかけがえのない曲であったに違いないと感じた。この曲の演奏は若い方の演奏でも聴いたことがある。そんな若者たちの演奏のような隙のなさ、がっと盛り上がるような華やかさはなかったかもしれないが、神々しさや曲への深い愛情が隅々から感じられた。
ドビュッシーの演奏は実に味わい深かった。幽玄ともいえそうな、湯気がたちそうな音でありながら、それぞれの音が細やかに屈折、反射していたし、音の周辺にも配慮がいきわたっていて夢のような独特の空気を作り上げていた。静寂などの間の取り方も見事。まるで音で墨絵を描いているようだった。静寂の作り上げ方が実にうまいピアニストだと感じた。しかし最後の花火は熱かった。隅々から感じられた浪漫的な熱い血。彼もこの曲とともに登り詰めようとしていたように思えた。ぶるりと震えた。
アンコールの2曲、素晴らしい演奏だった。演奏しているうちに脂が乗ってきたのだろうか、それとも彼の中に音楽の神様が舞い降りてきたのだろうか。 会場も満員、幸せな演奏会の終わり方だった。彼の演奏会に対する情熱、そして聴衆たちの情熱とが会場で一体化し、演奏が進むにつれ醸造され、最後の素敵なアンコールにまでいったのではないかという気がする。
とはいえ、昨日は療養後の状態、演奏もハードだっただろうと思う。無理されていたかもしれない。そんな中あれだけの演奏を聴かせてくれる状態に持ってこられたことからも強いプロ意識を感じた。今後、指のほうも大事にしてもらい、その後も長く演奏活動を続けていただきたいと思った。
最後に彼がアンコールで演奏した、シューベルトの楽興の時D780 第2番の演奏があったので掲載しておきます。
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