いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

田部京子さん ピアノリサイタル

2012年05月31日 | ピアノ・音楽

 今日はCDのお方、田部京子さんのリサイタルに行ってきた。ベートーヴェンとブラームスというドイツの組み合わせ、BBワークスというプロジェクトの第一弾であった。

 曲目は

ベートーヴェン: ピアノソナタ第8番 op.13 「悲愴」
ベートーヴェン: ピアノソナタ第17番 op.31-2 「テンペスト」

休憩


ベートーヴェン: ピアノソナタ第31番 op.110
ブラームス: 4つの小品 op.119

アンコール 

ブラームス Op.118‐2 インテルメッツォ

 黒いドレスに身を包んだ田部さんがでてきた。写真のとおり若々しくてきれい。しかしさすがピアノを弾いている方、腕から肩までがっちりとしていた。

 ベートーヴェンの悲愴ソナタ。全体的に硬かった。1月の上原さんのリサイタルでも最初に弾かれたがそのときもちょっといまいちだったのを思い出した。悲愴ソナタはプロのリサイタルではちょっと損する曲のような気がした。

 テンペストの第1楽章嵐が始まる前の彼方から降ってきた神秘的な響き。ぞくっとした。そしてせかされるような動き。かき乱されるような気がした。第2楽章は茶色っぽい長調。しみじみとした美しさを感じた。第3楽章、私も弾いたことがある曲だったはずだが、聴いたのは久しぶりだった。その第3楽章が感動的だった。コントラストが明確で切れの良い演奏、不透明な色と透明な色、遠い音と近い音とがめくるめくようだった。演奏時間がかなり長い気がしたのだがその長さが心地よくうれしかった。

 休憩後は大好きなソナタ31番。ベートーヴェンに寄り添ったような演奏だった。特によかったのが第3楽章のフーガの前と後のやるせなさ。この部分がこんなに心にしみいる箇所だったとは。フーガも片手の弱音で2声を美しく弾かれていた。低音部も強すぎないのに奥から響いていた。旋律の横の音のバランスも考えられていて素敵だった。

 ブラームスの4つの小品、変ロ短調のインテルメッツォは美しくて涙ものだった。まさにピアノの詩。ちょっと季節外れかもしれないが、それでも好き。ホ短調のインテルメッツォも大好きな曲。中心部の甘いところがたまらなく好き。彼女もこだわって演奏していたと思った(がちょっと私の好みではなかった)はじめと終わりの焦るようなところはいい感じがでていた。3番目のハ長調のインテルメッツォはスタッカートでさらりと弾いていた。私も弾いたことのある曲だが、ちょっとさらりとしすぎているような気がした。ただ私の場合、その曲しか弾いていないのでバランスも考えずにやたらとこだわりすぎているのかもしれないが。。。4番目のラプソディは重厚で凛々しくてかっこよかった。切れがよく華やかで堂々とした躍動感に勇気づけられた。

 彼女にとってはこれでリサイタルは終わりのつもりだったと思うが、盛大な拍手にお応えして有名なOp.118‐2を演奏された。

 田部さんの見事なところは、体をほとんど動かさないところだ。重心がしっかりしていて、全く無駄な動きが見られなかった。その結果、スケールの大きな演奏になっていると思った。華もあって松田聖子に似た雰囲気だったのも印象的だった。

 CD購入→サインもしていただけそうだったのだが、人がたくさんいたし、時間も遅くなるので今日はまっすぐ帰った。よきひと時を過ごせてよかった。

 しかし、ポゴレリッチ氏の後と同じく、平日のリサイタルの後には納期のきつい仕事が来る、というジンクスが今回も現実になってしまった(涙)。しかも今回は個人的に非常にうれしくない時期である。やっぱり平日には演奏会を入れるな、ということなのだろうか。いや、そんなことを言っていたら平日に多い演奏会にはほとんどいけないことになってしまうではないか。文句を言っても仕方ないので、当の仕事がやってきたらとことん考えてやろうと思う。


CDの方

2012年05月31日 | ピアノ・音楽

 今日は3年~2年前ぐらいに弾いていたメンデルスゾーンの無言歌の先生のリサイタルに行く。CDを通じてであった方ですがどのような演奏を繰り広げられるだろうか?ちなみに今日の先生の無言歌のCD、はじめて聴いたとき、なんてすばらしい曲なのだろうと思った。「演奏」なのだろう、ではなくて「曲」なのだろう、だ。なぜなら「春の歌」以外は、彼女の演奏が私にとっての無言歌の最初の出会いだったから。ほかに比較するような演奏もなかったし、自分が比較できるような立場でもないと思っていたから。とにかく曲が素敵だったので、その中から一、二曲弾けるようになりたいと思った。初めて聴いたときは難しそうだと思っていた浮き雲とプレストアジタートを弾いた。そしてひとまず弾けるようになった。正確には音が出せるようになったかもしれない。弾けるようになった瞬間、その方そこまですごくないじゃんと思うようになっていた。非常におこがましくも、私でも弾こうと思ったら弾けるじゃん、と。そのときは彼女の演奏をほとんど聴かなくなっていた。(ちなみに彼女の演奏のCDはグリーグでも聴いており、高い技術を持っているというのも承知はしていたが。)しかし、本番直前になって、あらためて彼女の演奏を聴いて愕然とした。全然違うじゃん。私のお粗末な演奏とは大違いの美しく豊かな音色、切れのある動き、心を揺さぶる感覚、行間から読み取れる余裕。やっぱり彼女はすごい、プロはすごい、CDになるぐらいだから違うんだ、と思ったのだった。かといってCDで聴いた演奏をまねればいいかというとそれは違う。一番の先生は楽譜だと思う。

 今弾いている曲や関連している曲もCDで聴いているのだが、それぞれ個性が違っていて面白い。CDで最近聴いてすごいなと思っているのが、セルジオ・フィオレンティーノ。数枚組のCDの中にフランクもあり、その中にOp.18もあるのだが、ゆったりとした流れの中で曲のエキスを抽出したような演奏で心打たれるものだった。しかし今回は不幸なのか幸いなのか、彼の演奏は自分の演奏と違っていてすごいのでうらやましい、というような感覚にはあまりならない。楽譜の解釈もいろいろできそうな曲だし、他の方の演奏と彼の演奏が違っているというのもあるだろう。しかし、自分の演奏が自然な流れになっていないと思うと、まずいなあと思う。切れてはいけないところで切れたりしているとか(汗)彼の演奏にはそのような不自然なぶつぶつがなかった、となると、やっぱりうらやましいな。

 

 ピアノのCDのことを思い出してみようと思った。私がピアノを再開するきっかけのひとつとなったピアノ曲は幻想即興曲。やめてから1年後ぐらい、ニューミュージックにはまっていた中三のころ、カセットの中に入っていた遠藤郁子さんの演奏で聴いたものだった。そのときの印象は遠藤さんがすばらしい、という印象よりも、幻想即興曲とショパンはすごい、という印象の方が強かった。遠藤さんにはまことに失礼だったが、ピアニストはどうでもよかった。そしてかなりの年月がたち、大学受験直前にラジオから流れてきたショパンのバラードに衝撃を受けた。世の中にこんなに偉大な曲があったことに仰天した記憶がある。そのときも誰の演奏かはまったく分からずじまいだったし、分かる必要性も感じなかった。とにかくショパンの曲は感動的だ、と思った。それから私の関心はベートーヴェンとバッハへと向かった。演奏家のことが気になりだしたのは学生生活も終わりのころ生協でぼんやりと音楽のCDを眺めていたころ、同級生(年齢的には先輩でしたが)がお勧めのピアニストとしてルプーを教えてくれたことだった。なにがなんだか分からなかったがルプーという人の演奏はいいのだと思い、購入したブラームスのCDを何度も聴いた。よかった。おかげでルプーが好きになったというよりもブラームスが好きになったが(爆)なんだか心が冷たい鑑賞者だなあ。しかし今年CDの中の方だったルプーが来るというので浮き足立っている。

 そういう鑑賞者だったが、その後は演奏者にも興味が湧くようになり、演奏もその演奏者込みで聴くという傾向が出てきた。CDよりも生演奏を先に聴く、ということも出てきた。その人の演奏会を聴きに行くきっかけは、CDと口コミと最近はyoutubeと曲目とその場の雰囲気(ラ・フォル・ジュルネなんかそうですね)。コンクールもちゃんと観るようにしたら地に足の着いたきっかけが増えるかもしれない。それが、ついついさぼっちゃうんですね~。

 脱線した。とにかく今日はCDの方の演奏を聴きに行くのだった。楽しみです!


すずしい楽器 アレイムビラArray Mbira

2012年05月24日 | ピアノ・音楽

 最近暑い日が多いですね。youtubeでストリートオルガンのページを探していたところ、脱線して小さなパイプオルガンとオカリナの演奏、ピッタリとそろったドラムの演奏、配管のように見えるタンブリンの演奏など面白い動画をいくつか見つけました。その中で、シンプルながら涼しくて神秘的な音色の、アレイムビラ(Array Mbira)という楽器に心惹かれました。棚のカリンバだということです。指ではじいて音を出すようで、音階は手前の棒から奥の棒へとはじいていくと出るようです。作りも4オクターブのメロディーや和音を片手で弾けるという優れものだということ。南の島の木陰で涼んでいるような気分になります。

 


つなげたいところでつなげたい

2012年05月23日 | ピアノ・音楽

 今私が練習しているフランク作曲バウアー編曲の「プレリュード、フーガと変奏Op.18」、最も困っている箇所が、この楽譜の写真の箇所です。下のyoutube(控えめに小さくしています)でいうと5分47秒のところの右手の和音、「ファソー ファラー ファシー」と聴こえるように弾いているつもりが、どうも「ファッ、ソー、ファッ、ラー、ファッ、シー」になっているらしいとのこと。

いくらなんでも「ファッ、」はないでしょう、ということで、「ファ」の終わりから「ソ」の初めに至るまでの過程を練習中。「ファ」を弾いたあとすぐ「ソー」に移動せねばと手首をふわふわさせて上げたりなんかするとアウト。一音をちゃんと弾いた後手首の力を抜くのは脱力となりOKなんですが、音の移動で手の形をできるだけ変えずにメロディーの流れを大切にして弾く、ということが難しい。ちょっと手首をあげてふわっとしたらどこが変なの?と一瞬思うのですが、レッスンでの実例で実態が明らかに。私が弾いたら切れていたはずの「ファ、ソー」、先生は手の形をほとんど変えないまま、「ファ」と「ソ」の関係が有機的に感じ取られるように「ファソー」と鳴らしていらっしゃいました。和音とはいえたったの二音なんだけどね。う~ん。移動の際指の間隔や黒鍵の存在がさらにややこしくしてくれたりもしてるんですよね。そういう障害物が存在していてもなかったかのように音と音との間にも関連性を持たせるようにできるようになりたいです。

 ちなみに原曲のオルガンはどうなんだ?ということで、オルガンを弾いている友人から借りた楽譜を見てみたところ、なんとその部分は単音ではないですか。しかもオルガンってピアノと違って音が減衰しないから、つなげるのは楽ですよね~。足鍵盤があり三段になっているので確かに演奏は複雑だと思うのですが、曲そのものの構成はすっきりとわかりやすい。なんといってもややこしい和音がオルガンにはない。いいな~。一方ピアノでここまで派手に和音にしているということは、音が減衰してしまうピアノの場合この盛り上がり始めるところをオルガンと同じようにするのでは重厚さにかけて貧弱になってしまう、ということがあげられるでしょう。オルガン曲の編曲物に弱い私ですが、そういうものに取り組もうと思うのなら(いや、そうじゃなくてもですね)、和音同士のつなぎ部分を有機的に関連づけて意味あるようなものに弾けるようになったほうがいい、ということですね


最近はまっているチェンバリスト クリストフ・ルセ

2012年05月23日 | ピアノ・音楽

 最近クリストフ・ルセ氏というチェンバリストにはまっています。ちょっと前まで来日していたんですね。ツイッターのフォロワーの方からの情報で知ったのですが、非常に情熱的で魅力的な演奏をされています。複雑なところも非常に速く指が動き、まるで魔法のよう。確かにピアノよりは鍵盤は軽いかもしれませんが、それでもタッチは難しいはず。そのような難しさも軽やかに乗り越えて、明晰で気持ちの良い音楽を聴かせてくれます。

 ルセ氏だけではなく古楽器の集まったこのアンサンブルも魅力的です。そして曲も!Georg Anton Bendaことゲオルク・ベンダ(1722‐1795年)という、バロック時代とはいえちょっと古典派への過渡期であるチェコの作曲家のconcerto pour clavecin et cordes en si mineur という協奏曲の第3楽章です。いや~なんと美しい曲でしょう。演奏も素敵そのもの。あまりにも知られなすぎな作曲家&曲ですが、バロックがちょっとでも好きな人は好きになると思います。CD化されないのかな?今はされてなそうですが。。。というわけでこのyoutubeは宝物です。

 


海の絵

2012年05月20日 | お絵かき

 一昨日でかけたブリヂストン美術館で、印象に残った絵のなかに海の絵がある。自分が海を描くのが好きだから、一層身近に感じられたのだと思う。その、海だが、昔はそこで糧を得る生活者以外の人たちにとっては、意外になじみの薄い場所だったという。そして西洋においても海の絵は長い間、神話や物語に付随する、決まりきった形式でしか表現されていなかったが、独自のジャンルとして成立するのは、17世紀のオランダ、18世紀のイギリスという大航海時代にであった。そして海の絵が本格的に描かれるようになったのは、西洋でも日本でも、19~20世紀にレジャーや旅が盛んになってからの話だそうだ。海岸や海はそれぞれの地方によって地形も異なり、それぞれの自然に合わせた表情を出してくれる。例えば瀬戸内海のおだやかな海を見慣れていた私は、日本海や太平洋の波が激しく防波堤や岩にぶつかる様子を見て、恐ろしさを感じながらもすっかり見入ってしまっていた。なんと美しいのだろう、自然は偉大なのだろう、と思った。しかし瀬戸内海の鏡のような海面と小さな島々の美しさも本当に素晴らしい。一続きにつながっている海でありながら、周りの気候や地形によってあんなに表情が変わるのだ。本当に面白い。

 クロード・モネと青木繁は、海岸に激しく打ち寄せる波と海面から突き出ている岩の飛沫を波の音が聴こえてきそうなほど生き生きと描いている。描かれた場所も遠く離れていながら、ものすごく共通点が多かった。また、モネの黄昏・ヴェネツィアは夕日に染まり輝く空と教会、そして動く光を、水面に美しく写し取っている。

 そして私が一番海の絵で印象に残った画家が藤島武二氏だ。この展覧会までまったく知らなかったし、人物画で有名な画家らしいが、海の特徴を端的に捉えた非常に美しい絵をたくさん描いていた。形もだが色のとらえかたやセンスが素晴らしくて心打たれた。

 

藤島武二氏の絵です。左は「淡路島遠望」1929年の作で、現在は明石海峡大橋がかけられているところです。右は「東海旭光」です。「屋島よりの遠望」「波(大洗)」も素晴らしい絵でした。 (元来画集が好きな私。重いしかさばるので、関東に来てからは買っていなかったのですが、この展覧会で久しぶりに買ってしまいました。)

 そして検索をかけているうちに発見したのは、ブリヂストン美術館、2年ぐらい前に「SEA」こと海の特集をやっていたんですね。海の特集、またやってくれないかな~。やってくれたら駆けつけますよ。

 ちなみにブリヂストン美術館、この「あなたに見せたい絵があります」は6月24日 (日)までです。次回7月14日からは「ドビュッシー 音楽と美術ー印象派と象徴派」という興味深いテーマでの展覧会が開かれます。

 

 実は昨日練習会でした。そして今日ちゃんと練習しようと思った矢先に現実逃避を?いや、この記事は一昨日から書こうと思っていました。「自画像」「モデル」「レジャー」「物語」「山」「川」「静物」 というように、同じテーマごとにまとめて展示されていたこの展覧会では、その対象が描かれるようになった歴史もつかむことができて、とても面白かったです!


天国

2012年05月18日 | 日記

 ポゴレリッチのリサイタルから一週間近く(土日は入っていません )、納期のきつい仕事に追われていましたが、昨日納品、そして今日は休みをとらせていただき、美術館に行ってきました。


 一館目は、ブリヂストン美術館の「あなたに見せたい絵があります」、二館目は、三菱一号館美術館の「KATAGAMI STYLE 世界が恋した日本のデザイン」でした。ブリヂストン美術館はブログで紹介してくださった方の影響でぜひ行きたい!、と思ったのです。三菱一号館は、東京駅近辺の美術館に複数行くと、値下げがあるということと、内容も興味があった上に展示が来週末までということで、ちょっと欲張りました。


 どちらもとてもよかったです!天国、という言葉は大げさですが、天国のような気持ちを味わえました。


 ブリヂストン美術館では、こわいという印象が強かった青木繁の絵が好きになったことと目立たなそうでありながら素敵な絵にたくさん巡り合えたこと、三菱一号館では、美しい職人技の世界への広がりと生活とのつながりを感じ取ることができ、普段の生活を見直そうと思えたことが具体的な収穫でした。展示の切り口がユニークでありながらわかりやすいものだったこと、そして人が多すぎず作品を観るのにちょうどよかったのもあったからでしょうか、絵に詳しくなりたいと素直に思えたのが、大きな収穫だったような気がします。そういう気持ち、最近忘れていたので。


ポゴレリッチ氏 ピアノリサイタル

2012年05月10日 | ピアノ・音楽

 昨日はイーヴォ・ポゴレリッチ氏のピアノリサイタルでした。話題が多く個性の強そうな彼の演奏、ぜひ聴いてみたかったのです。職場から抜け出すように退社し、サントリーホールへと向かいました。間に合うかどうかひやひやしながら駆け込んだのですが、無事、間に合いました。

 曲目は以下の通りです。

曲ごとに楽譜を譜面台の上に置き、弾かない曲は床の上にぱたりと置いていました。譜めくりさんがついていました。

ショパン: ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op. 35 「葬送」
リスト: メフィスト・ワルツ第1番

休憩


ショパン: ノクターン ハ短調 op.48-1
リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調、

 以降、「である」調で書きます。

 大好きなショパンのピアノソナタ第2番。第1楽章、出だしの駆け込み方は通常の演奏よりもむしろ気がしたがその後長調になるところでゆっくりと包み込むようにかみしめるように聴こえた。そして畳み掛ける和音が続くところは勢いよく駆け込み、甘いところはとことん甘くなっていた。そして激しいところはナイフの刃と吹き出す血のように直線的で激しいものになっていた。速いところとゆっくりなところ、pとfの振れ幅が非常に大きい演奏をされる方だと感じた。第2楽章はさらに妖気が増していたような気がします。出だしのぞくぞく感からぐいと引っ張られそうな気がした。そして中間部がすごかった。ゆっくりと打鍵しているのだろう、遠くまで甘く優しい音色が広がって天国のような世界が広がっていた。そしてそういうところほど、ゆっくりとフレーズや間合いを感じとり、納得させながら弾いているような気がした。第1楽章か第2楽章のどちらかだったが、跳ね上がるところは跳ね上がる勢いとともに独自に重みを加えていると感じるところがあり、その中に熱く通っている血を感じた。第3楽章もそう。出だしは意外にあっさりとした感じがしたが旋律となるところをちょっぴりぼやかして内声をくっきり浮き出させたりしていた。中間部、これがまたたまらなかった。切なさとかやるせなさという感情をえぐりだしているような演奏。思わず天井を見ながら演奏を聴いていた。弱音でゆっくり弾くことって、本当に難しいと思うのに、彼はそれを見事にやり遂げていた。

 リストのメフィストワルツ、この演奏は白眉ものだったと思う。出だしの三連符、ずっしりとしているのだけど何かに取り衝かれたような感じ。がやがやしていた。叩きつけていたところもあった。しかし中間の展開部での音は非常に切なくたまらない内容だった。その部分、今でも頭に残っていて思い出せる。

 休憩。何も食べずに来たので長引いたら途中でばてるのでは、という予期不安は外れ、ほとんどお腹もすかない状態。喉は乾いたので飲み物だけは飲んだものの。食べ物よりも心が満たされつつあったのだと思う。

 休憩後、すごかったのがリストのロ短調。出だしからヘビー級の練られた音のつぶやき。そして激しすぎる嵐と竜巻。自分の中の深いところからとことんえぐりだしているようなすさまじい打鍵。曲を通じて心の叫びを伝えているような気がした。ゆっくりいているところはとことんかみしめて弾いていた。自分の音を聴いて納得できるものを出そうとしていたのだろう。間合いの取り方が絶妙なのか、非常に長時間の演奏だったのにもかかわらず、全く飽きることがなかった。彼の魔のような表現によって、よきものもわるきものもすべて人の心がわしづかみにされ握られたまま浄化されていくような、そんな演奏のような気がした。

 彼の演奏、端的なデフォルメらしき要素も見られ、絵で言ったらキュビズムのような印象を受けた。なので、いわゆる端正できちんとした演奏とはいえなかった、と思う。しかし、彼は曲の輪郭を、自分の素手でつかみ、どの音も納得させながら出していた。だから曲の輪郭がはっきりと見えた。とにかく彼が凄いと感じたのは音に強いこだわりを持っていたということ。叩きつけたような音も含め、どの音も、責任を持って出していたということだと思う。芸術家だと思った。

 そのような瞬間に立ち会うことができて本当によかったです。新たな友達に会えたのもうれしかったし。今後も彼の演奏を聴き届けていきたいと思いました。


ポゴレリッチ速報

2012年05月09日 | ピアノ・音楽
ポゴレリッチのリサイタルが終わりました。
天国と地獄とが共存した、魔法のような世界。すべての音に責任を持っているのが伝わってきました。なので長時間でも納得できます。惹き付けられっぱなしでした。
忘れられないリサイタルになりそうです。行ってよかった~

今日は

2012年05月09日 | ピアノ・音楽

 ちょっと体調がいまいちなこのごろ。エル・バシャやレッスンのことなど書こうと思っていたのですが追いつけず。 すみません。

 しかし今日はポゴレリッチのソロのリサイタルに行きます。

 どのような内容なのかどきどきします。

 しかしポゴレリッチ、ブログに感想を書いていなかったとしても、帰りが遅くて単に疲れていたというだけだと思うので。

書けるときに書けたら、と思います(エル・バシャもね。順番もどうなるかわかりません。ひょっとしたら「ふと」という感じになるかも。)

 

 リサイタル、楽しめたらいいな!

 それから、夜更かしには気を付けましょう、自戒をこめて。