いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

早いもので

2010年12月30日 | ピアノ・音楽
 明日で大みそかです。掃除も終わり、ピアノも弾きました。
 今年のピアノはチャレンジの一年でした。サークルでは意欲的に取り組んでいるピアノ仲間に出会えました。コンペとアンサンブルは初めての経験で刺激的でした。強めの刺激でしたが、ピアノへの関わり方を見直すチャンスになったような気がします。
 これからも人前で弾くチャンスを大切にしたいと思います。まず発表会と2台です。その一方で、人前で弾かなくても弾きたい曲もあります。恐れ多くて(つまり私には難しいと思われるので)人前では弾けないのですが実は弾きたい曲とか、本番で弾く予定はないのに心に居座っている曲でしょうか。そういう曲は永遠に消えなそうですね。一曲ぐらいは練習してみようかしら(笑)

 来年もよろしくお願いします。よいお年をお迎えください!

掃除

2010年12月28日 | 日記
 いよいよ掃除を始めました。今日と明日は暖かいということです。掃除に快適日和、おてんとさんに味方してもらったような気がします。
 一番気になっていたのが網戸。はたから見たらそう見えないのに、拭くと雑巾がたちまち真っ黒になるというやっかいな奴です。新聞に、石鹸をつけたスポンジでこすり、その後雑巾で拭くとよい、とあったのでそうしてみました。スポンジの段階で黒い汁が・・・下へ下へと向かっていらない模様ができています。スポンジ、石鹸はまだしも水を含ませすぎないことが大切でした。その後雑巾で拭いたらたちまち黒に染まりました。それだけ外からのチリや埃を受け止めてくれていたのですね。そして黒に染まった雑巾はバケツの水を黒に染め・・・。掃除し甲斐があるってものです。
 次に気になっていたのが台所。脂ぎっていたのでそこからなくすようにしました。やり甲斐がありました。(って、全然自慢になりません)
 そして床とお風呂と一部屋を掃除してひと段落。続きは明日です。年末という締切(?)があるのでがんばれそうです。

 それから正月休みをきっかけに本を読もうと思います。坂の上の雲の第一巻(ずっと気になりながらも読んでなくて、やっと読む気になりました)、ベートーヴェンの生涯(前から買っていたのに読んでいませんでした。折角弾くからには読んでおきたいです)、福袋(角田光代さんの小説、久しぶりに読めそうなのを)の三冊を休みの目標。ひとまずここに書くことによって読む方向に持っていき(怠け者の発想)、これをきっかけにその後も本を読んでいきたいです。最近本当に本を読まなくなっていたので。。。

今年最後のレッスン

2010年12月27日 | ピアノ・音楽
 今日は今年最後のレッスンでした。ステップで弾いた二曲+二曲を見ていただきました。自分ではメロディーラインを鳴らしているつもりでも、実は鳴らせていなかったりするのですね。しかも録音していても鳴らせていると思えたりするのだからやっかいです。つくづく耳は自分に都合がよいように作られやすいと感じました。(慣れは恐ろしいということでもあります)今日もですが、レッスンで先生から客観的な意見やアドバイスをたくさんいただいたような気がします。
 ベートーヴェンのピアノソナタ5番は運命というのは短略的ということでした。とにかくピアノソナタ5番は運命より軽い曲であり、第1楽章の出だしなどは上へ上へと向かっているということなのです。悲愴の方がまだ運命に近いということです(でもです、「=」というのはさすがに短略的だと思いますが、道筋らしきものがあるような気もしているんですよ。本当のところはベートーヴェンに尋ねてみないとわからないのかも)ということで今は説の真偽よりも、出す音にちゃんと思いを反映させられるようになりたいです。私はそこがとにかくまだまだなので(汗)。
 一年間丁寧に診てくださった先生に感謝です。

 そしてその後、メラミンスポンジを始め掃除用具だけは揃え、掃除をしようと思っていたのですがはかどりませんでした。明日からは心を入れ替えてやるっきゃないですね。

名曲喫茶ライオン

2010年12月26日 | ピアノ・音楽
 クリスマスも終わり年末年始に向けて大掃除などをされている方が多そうな中、ついにデビューしてしまいました、東京の名曲喫茶に!
 渋谷にある名曲喫茶ライオンという店です。渋谷駅から歩いて10分ぐらいのところで、繁華街から道玄坂を登り、ちょっといかがわしそうな雰囲気のところ(でも昼間は大丈夫だと思います)を構わず歩いていくと、喫茶ライオンという緑色の看板と、ヨーロッパ調の古くて美しい建物が見えてきます。なんと昭和元年に開店したというから驚きです。周りとの雰囲気のギャップを感じますが、ギャップは中に入ると十倍になります。まず暗いです。二階客席まで吹き抜けになっています。煙草のにおいもして「純喫茶」というような雰囲気です。そして座席は一定の方向に向いていて、ほとんど人の声がしません。お客さんは前を向き静かにしています。店員さんも物音をたてないようにしています。なぜなら椅子が向いている方向には「立体再生装置」という名称が似合っている巨大なスピーカーが上のほうにデンと構えてあり、まるでホールではないかと思えるような響きのいい「立体名曲」とも名づけられているクラシック音楽がかかっているからなのです。ステレオがステージでレコードが奏者みたい。私が入った時にかかっていたのはゼルキンも奏者に入っていたブラームスのピアノトリオ3番のLPでした(店員さんに曲名を質問し、演奏者はレコードのジャケットを盗み見しました)。すごいです。演奏も音響も。古い録音でレコードのはずなのに音楽が体から入ってくるみたいでした。前方を向いている椅子に座り、500円の珈琲を頼みました。次にかかったのがロストロポーヴィッチとリヒテル演奏のベートーヴェンのチェロソナタ第3番でした。これらの2曲はお客さんからのリクエスト曲だったようです。そしてその次はフルートの演奏でした。演奏家の名前はよく分からなかったのですが、ビゼーのアルルの女のメヌエットもかかっていました。あのレトロで独特な雰囲気がたまらなくて、すっかりうれしくなってしまいました。
 そして3時から定時コンサートが始まりました。ベートーヴェンの交響曲第9番合唱で、1942年のフルトベングラー指揮の このCDの演奏がLPでかかりました。うれしすぎます。迫力あふれるすごい演奏でした。第3楽章は天に昇るように美しいですね(かつては長くて退屈だと思っていたりもしたのですが)。第4楽章ではすっかり浮足立っていました。次から次へとわくわくするシーンが出てきました。数年前歌ったのを思い出し懐かしくなりました。ドラマチックでした。1942年にタイムスリップして生演奏を聴いたような気分に。時間の流れがすっかり止まっていました。帰りたくなかったです。
 このような店があるなんてうれしくてたまらない、と心から思えるお店でした。そういうお店に関心がある方、ぜひ足を運んでみてください。
 渋谷ますます好きになりました。

 ちなみに明日はレッスン。明後日からちゃんと掃除にとりかからなければ~。  

アリスとグールド

2010年12月25日 | ピアノ・音楽
 今日は25日。アリス・紗良・オットの このCD、ついに買ってしまいました。ベートーヴェンの3番の演奏にやられました。そして迷っていたのですが1月9日のリサイタルにも行くことにしました。ベートーヴェンのワルトシュタインもですが、メンデルスゾーンの厳格な変奏曲も楽しみです。ショパンのワルツも面白い解釈の演奏が聴けそうな予感がして楽しみです。ただ、真似すれば弾けるようになるかも、というような、甘い乗り移ったような気分にならないように要注意です。
 同じTのつくCDショップでグールドのCDも手ごろな価格で販売してありました。バッハはもちろんでしたが、ベートーヴェンのOp.10の三曲が入っているCDもありました。ソナタ5番も入っているわけです。すごく気になりましたが今回はアリス優先にしたので保留にしました。
 
 迷いと選択は日常生活でもつねに転がっています。

 ある本に書いてあった以下の文が大変印象的でした。
「欠点の100%ない選択肢というのはない」

本当に本当にそう思います。

クリスマス

2010年12月25日 | 日記
 ですね。
 昨日は仕事おさめでした。ちょっと早目かもしれませんね。本当にこれで間に合うのか、というような切羽詰まった状態でしたが、みんなの協力でなんとか納期に間に合いそうです。
 来週月曜日は今年最後のレッスンを入れてもらうことにしました。苦手な和音、つかむ感覚をしっかり持ち、支点を見つけ支えを安定させることが大切みたい。また、和音以外の場所でも、自分がこのように弾きたいと思い、その通りに弾いていたらそうしないほうがよい、とレッスンで指摘を受け、録音を聴いてみたらまさにレッスンでの指摘の通りだったりということもあり、音楽は実はきまりだらけなのではないか、感情を音楽で表現するというのは本当の意味ではできないのではないか、と思えてきたこともありました。音楽の奥深さと難しさを感じました。しかし今感じるのは、テクニックもですが、曲への思いや気持ちが枯れないことが大切だと思います。両方のバランスをうまくとっていきたいですね。曲とのつきあい方、本当に大切にしたいものです。
 ちなみにベートーヴェン。交響曲5番(運命)の第1楽章はソナタ5番とよく似ていますね。同じハ短調だし、運命的な和音から途中の弦楽器の旋律からして共通点が多いです。強い関連性を感じました。ちなみに交響曲5番はソナタ5番のちょうど10年後に作られたみたい。ということで、ソナタ5番の最初の和音は運命のつもりで弾こうと思います。

 またまた脱線しました。昨日はその後クリスマスケーキを買いました。雪だるまのマジパンが載ったかわいいレモンパイ。人がものすごく並んでいましたが、なんとか買えました。小さいツリーも買い、クリスマス気分を味わいました。

オルフ「カルミナ・ブラーナ」を聴いて

2010年12月23日 | ピアノ・音楽
 趣向の変わった音楽を聴きたくなり、今年初めに主人が買ったグラモフォン創立111周年を記念したCDシリーズからオルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴きました。オイゲン・ヨッフム指揮の この版です。 
 あの強烈なO Fortuna「おお、運命の女神よ」がど~んとやってきました。そう、やってきましたと書きたくなる感じです。最初にこの曲を聴いたのはヨーロッパに行ったときの飛行機上で。おどおどおろしい感じがして第一印象はよくなかったのですが、その後たくさん聴いたわけではないのにも関わらず、だんだん好きになってきました。多くの打楽器から受ける鼓動と暗いところからなにやら言っているようにも思える合唱もかっこよく思えてきました。O Fortunaの歌詞を掲載すると(Wikiより拝借しました)

1. O Fortuna おお、運命の女神よ
運命の女神よ、貴女は月の如く満ちたり欠けたり、常に定まらない。 人生も同じこと、確かなものは何もなく、運命に弄ばれ貧乏も権力も 氷のように無に帰する。 恐るべき空虚な運命よ、おまえは車輪の如く回ってゆく。 信頼能わず、隠れたら現れ、健康と徳を授けたらすぐに 欲情と背反をよこす。 我らは常に憂悶しながら、たえず恐れおののく。 さあ、運を掴んだ者も投げ落とされた者も、私と共に運命に泣こう!

すごいですね。「運命の女神よ、貴女は月の如く満ちたり欠けたり、常に定まらない」って、徒然草の無常観と一緒ではないですか。その後の内容も現実そのもののような気がします。でも最後の「さあ、運を掴んだ者も投げ落とされた者も、私と共に運命に泣こう!」というのがいいですね。かっこいいです。

この音楽実は”Star Wars"や″Lord of the Rings"でも使われていたのですね。思い出しました!マイケル・ジャクソンの動画にもあるのには驚きました。他にもいろいろなところで登場するのが分かるような気がします。他にも調べてみたらたくさんの発見がありそうな気がします。


そのあとも個性的な音楽が次々に登場したのですが、21番目に出てくるソプラノのヤノヴィッツのIn trutina 「天秤に」が印象的でした。こんなに美しく素晴らしい世界があったなんて!心にしみわたります。本当に聴いてよかったです。歌詞は以下のとおりです。

21. In trutina 天秤に
天秤にかけてみた、理性とためらい、不安と傲慢、 そして愛と貞淑を。 でも私は目に見えるものを選ぶ。 首をくびきに縛ってみても、やはり愛に寝返ることでしょう。

なんとヨッフムの指揮、ヤノヴィッツのソプラノでCDと同じと思われるIn trutina 「天秤に」がYoutubeに入っていました!


とんでもなかった、けれども、あきらめちゃいけないな

2010年12月22日 | ピアノ・音楽
 前回の日記、目の前の本番曲からちょっと逃避したくなった、というの、正直に書くとちょっぴり本当でした。実はこのところ講評やレッスンで同じようなことを言われていて、それが私にはできるようになるのだろうか、と思えてきつつあったのです。でも、次の本番でできるようになるかどうかはともかく、あきらめちゃいけないですね。事実私がそのようなことが気になり始めたこと自体からしてここ数年なのだから。

 リサイタルに行って、こう弾きたいと思えるピアニストの演奏を聴くと、自分もこう弾きたい、と思うんです。それがいつの間にかとんでもなく飛躍して、弾きたいと思えば指は回らなくてもゆっくりした所とかは(暴論もいいところです)自分も彼らの演奏に少しは近づけるかも、と酔ったような気分になることが何度かありました。例えばツィメルマン氏、松本和将氏のリサイタルの後にその現象が(爆)。理想的な演奏の姿が脳裏に焼きつくと真似したくなるのです。彼らみたいに磨きのかかった弱音で弾くことが大切だ、そのような動きで弾いたら私でも弱音を弾けるようになるかな(そこがとんでもない話なのですが)とか。そして気をつけたつもりでいても、録音聴いたらまあまあ繊細な弱音からほど遠いのっぺらぼうな音で。。。でもそれも当然といえば当然。体つきも体の使い方も蓄積ももう本当に違うんだしね。そう安易にできるようになったりなんかしたら、それこそとんでもない話です。才能やセンスのある方たちが血のにじむような努力を続けてきたからこそ、あのような演奏ができるのですね。

 今となっては無知の知じゃないけれど、「とんでもない」ということが分かっただけでも進歩だと思います。でも、どんなに理想が「とんでもなく程遠い」ものだと分かっても、あきらめたくないな、と思いました。

 それから理想的な演奏の姿、というのも、本当にいろいろあると思うのです。また、同じ人の同じ演奏でも聴いているうちに見えてくるものが変わってくることもあると思いました。曲を続けて弾いてみたらまた感じるものが変わってきます。今年それをもっとも感じたのがメンデルスゾーンの無言歌の浮き雲でした。本当に面白いなあと思います。

グールドのバッハパルティータとこれからの予定

2010年12月21日 | ピアノ・音楽
 先日パルティータ4番をチェンバロで聴いたのをきっかけに、グレン・グールド演奏のバッハのパルティータを久しぶりに聴いています。もうたまりません。グールドのパルティータ、大好きで何度も聴いていた時期がありました。私のピアノ再開の原点の一つにもなっていました。初めて聴いたときは彼の演奏こそがバッハの演奏の原点で神髄だと思っており、彼みたいにパルティータを弾けるようになりたい、そしてなれるはずだと思っていました。しかしそういう発想はあまりにも単純すぎる、まずバッハの時代と楽器からして違うし、彼の弾き方がピアノの原点となる弾き方だと決めるのはちょっと強引なようだ、と後から分かってきたのですが。。。でもやっぱり好きなものは好きで懐かしいものは懐かしいものです。というわけで、グールドのパルティータは私にとってはピアノの原点の一つです!

 1月下旬には発表会。いよいよドレスを着ようかなと思っています。(その前に練習がんばらなくちゃ)1月の発表会後は2台ピアノのジブリの曲の練習です。久しぶりのポピュラー。広島でのイベントに出ることにしました。なんだか大決心。(でも今のレッスンの先生も応援してくださいました)まず自分が弾けるようになるまでに一段階がいりそうです。合わせられるようになったら楽しくなりそうです。しかし実を言うとそれ以外にも気になる曲が。同時進行でメンデルスゾーンの「春の歌」やベートーヴェンソナタ5番の第2楽章も練習したいのです。とりあえず春になる時期なので「春の歌」を弾けるようになりたいです(もちろん「春の歌」とかは今の先生には話していません)しかし今こんなことをごたごた書いているのは、目の前の本番曲からちょっと逃避したいという気持ちの表れか?いや、そのつもりではないのですが。。。あんなに某ステージでいろいろ分かったのだからそれでは困りますね~がんばりましょう。