いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

某メルマガより 太平洋の呼吸とくしゃみ

2010年07月16日 | 読書
 某メールマガジンにこのような名言が書いてあった。
(引用)

「自分が行動することで他人に与える影響は
 自分が思っているよりもはるかに大きい。
 だから決して自分を過小評価してはいけない」

(引用ここまで)

そしてその名言の作者は「太平洋」。

この名言を残した太平洋は
そのあまりにも大きい図体のせいで
ちょっとしたことで周りのあらゆるものに
影響を与えてしまっている。

例えば彼が呼吸することによって発生する
「波」
ふつうの「波」ならいいのだが
ときどき起こってしまう「津波」になると大変なことになる。

その原因について太平洋に尋ねてみると
このような答えが返ってきたそうだ。(以下引用)

「津波の原因ですか…
 いやぁ、私もホントは
 津波なんて起こしたくないんですが
 くしゃみって誰だってしちゃうものじゃないですか。
 なるべくガマンはしているんですけど
 どうしてもって時はねぇ…
 してしまうんですよ」

(引用ここまで)

本当に困ったことだが、これも太平洋にとっては生理現象である。それをせずには太平洋も生活することは不可能とのことだ。

そしてその後メルマガには言葉の大切さについて書いてあった。
先ほどの文章を書いた直後に届いたこのメールマガジン。なんということだ(驚)

ちなみにそのメールマガジンの名前は「心に残るヒト以外の名言集」だ。ヒト以外だから作者が勝手に作ったのだと言えばそれまでまでなのだが。まぐまぐで検索したら出てきます。

ホリー・ガーデン

2010年07月16日 | 読書
 江國香織さんの「ホリー・ガーデン」を読んだ。
 高校まで女子校の同級生同士だった果歩と静枝。失恋の傷が癒えず、静枝や女友達を招き料理をふるまったりひとりピクニックに行ったりしながらも、仕事関係で知り合った男性と刹那的な関係を持つ果歩。向上心を持ち続けられると言いながらかなり年上の男性と不倫の関係にいる静枝。そしてその思いは報われないと知りながらも驚くほど楽天的に果歩を慕い続けているさとる。作者は常識から考えたら眉をひそめたくなるような不安定な生き方をしている登場人物たちの心の襞に寄り添い、こまやかに描いている。それぞれの登場人物にスポットライトを当てているときは、その登場人物の気持ちになり切って。。。本当は、困った事態なのかもしれないけれど。

 高校の美術教師の静枝は恋愛関係にいる男性とは東京と岡山という離れた距離に住んでいる。その男性と岡山で出会ったあとの気持ちの描写が印象的だったので引用する。

 「すっかり見馴れた岡山駅についたとき、静枝は、これが一週間前ならいいのにと思った。これが一週間前で、これからあのひとに会いにいくところで、この一週間のできごとのすべてを、もう一度くり返せたらいいのに。
 (中略)
 そして、そう思う気持ちの百倍くらい強く、静枝は早く東京に帰りたかった。
 いつもそうなのだ。芹沢と過ごす時間が楽しければ楽しいほど、早くそこから逃げ出したくてたまらなくなる。窒息しそうになるのだ。」

 不安定な気持ち。そういうことはやめればいいのにと思う。しかし、その文章を引用した理由は別のところにある。「これから会いにいくところならいいのに」と「早く東京に帰りたかった」という矛盾した感情。そういう言葉にしにくい分裂した感情、本人が他の人に言葉に出して言ったりしたら困ったことにもなりかねないかもしれない感情をも見事に掬いあげて書いているところがすごいと思った。言葉にすると何かが型にはめられて、気持ちも状況も限定されてしまう面が多いように思えていたが、そのような限界も彼女は見事に超えていた。江國さんお見事。ただこの話、ストーリー的には中途半端な面も多く、オチを期待したらがっくりきそう。
 音楽にも言葉と同じく感情の襞ともいえそうな複雑なものが表現されていることがある。それをもし言葉にしようとしたら、どのようなものになるだろう。数人のを集めたら、共通点の多い言葉になりそうなものもあるし、人によって全く違う言葉になりそうなものもありそうだ。ちなみに江國さんは音楽もやっている人だ。彼女の小説を音楽にしようとしたらどのようなものになるのだろうか、と思った。ただ、動機はそうではなかったとしても、「常識から考えたら眉をひそめたくなる」という状況からは関係ないよ、ともいうことができる点で音楽のほうが逃げ道を作りやすい。音楽が独り歩きするようになったりしたらますますそういうことができるかもしれない。しかしそういう逃げ道を作らず言葉によって限定しあえて自分を危険な面にさらすところが小説家のすごいところだとも思う。

 一方先日買った網野氏の著書「日本の歴史を読み直す」は読めていない(汗)。本当はとても面白いとのことだが。乏しい理解力をフルに動かせるように、そして投げださないように、急がずちびりちびりと読んでいこうと思う。

ある本を立ち読みして

2010年07月14日 | 読書
 ある本を立ち読みしました。泣けてしまいました。

昨日と似通っていても完全には同じことではなく違うことをしていて
昨日と似通っていても完全には同じことではなく違うことを思ったり考えたりしていて
昨日と似通っていても完全には同じことではなく違うことを言っていて
そして人と出会ったらまた違うことになっていたりして
毎日毎日違うことが起きていて

そう考えたら生きているということはすごいことだと思う

電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ  という本、失礼ながら立ち読みだったけど、泣けてしまった。
かわいそうだと一言でおさまるものではなかった。
「僕には病気が必要だった」なんて。。。なかなかそう思えるものではない、本当に。
他のひとたちが外で楽しそうに過ごしている中、家族や友達とも離れて病院で過ごさなければならない子供たち。今後出ることができるかどうかも分からない状態で過酷な治療を耐えながら過ごさなければならない子供たち
退院していく子もいれば、亡くなってしまう子もいた。そんな中人に思いやりを持ちながら、
わくわくしながら院内学級に出て生きていた子供たち。
せいいっぱい病気と闘っている小さな戦士たちの健気な思いが伝わってきた。

最後に載っていたお母さんの詩にも泣けた。

 ちなみに現実。
 この前のところに電話したら、採用されてはいるものの仕事はまだない、とのこと。悪気はないと思うのですが(でもそうだったら募集しなければいいのにとも思います)。また他のめぼしいところに電話したら、もう決まりました、とのこと。なかなか厳しいです。
 今週末は出かけるので、よっぽどいいのがなければ本格的に動くのは来週以降にしようかと思い始めています。
 
 どちらにしても音楽日記も他の日記も気が向いたら書いていきたいです。