ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

「へえー、知らなかった!」その3

2018-01-24 19:50:00 | 日記
昔、甲斐さんのサンストで…「地球が平面だと思われていた時代に
もし、自分が『地球は丸い』ということを発見したら
誰に一番最初に教えるか?」という深イイ問題がありましたけど

武田康男さんの著書「地球は本当に丸いのか?
〜身近に見つかる9つの証拠〜」のレビューに…

「学校には丸い地球儀があり
図鑑を開けば宇宙から捉えた丸い地球の写真が載っている
私たちは肉眼で地球を外側から確認したこともないのに
自然に、そして無意識に地球は丸いものだと信じ込んでいる
そういった『信念』に囲まれて生きている

生まれた時に自分のそばにいる大人を親だと思い
食事は1日3食、人は恋愛をするものと思っている
これらも本当に正しいのかどうか、確認する前に信じていることだ」
…と書かれていたのを読んで、急に足元が頼りなくなる感覚を覚えました(汗)

以前にご紹介したかも知れませんが
目覚めた時に、自分では「夢を見た」と思ったことが
本当に「夢」だったかどうかは、自分では証明できない…
もしかしたら、今、見ている光景の方が「夢」かも知れない…
なんて思ったら、怖くて「眠れなくなっちゃう(笑)」んだけど

とにかく、人間の脳というものは
吊り橋を渡るドキドキを、異性を見てときめいた…と勘違いしたり
勝手に情報をねじ曲げたりと、結構な「嘘つき」らしく(汗)
しかも、最近読んだ「記憶の研究者」ジュリア・ショウの
「脳はなぜ都合よく記憶するのか」によれば…

「人間誰しも、自分の記憶力に自信を持っているものだ
メモなんて不要だと思いがちだし
自分の意見は、ずっと一貫しているとつい考える
でも、ここで、どうしてそう信じられるのか?と問われると
意外に返答に困ったりする

だって、そう覚えているから覚えている
あるいは、間違いではないと知っているから間違いない
いや、鮮明に記憶しているからには、真実であるに違いない
これほどの細部に至るまで詳細に思い出せる以上
この記憶は本物であるに違いないのだ」

…と、ご自分の記憶に絶対の信頼を置いておられるアナタ!
「記憶が正確であるとする判断に
その鮮明さは利用できない」そうです(汗)
「人は偽りの記憶を鮮明に作り出すことが出来る上に
それが嘘の記憶であると理解してもなお
鮮明に思い出すことが出来ることが判って来ている」みたいで

「自分が関係したことのない犯罪行為や
実際には経験したことのない、強い印象を伴う出来事も
慎重に設計された実験によって
被験者の70%に自分の記憶として持たせることが出来る
細部まで繰り返し想像させることで、偽りの記憶は鮮明になり
ついには疑いなく信じ込むまでになる」んだとか…(汗)

「マインド・コントロール」とか「トータル・リコール」といった
ちょっと不気味な言葉を持ち出すまでもなく

例えば、同窓会で懐かしい話に花が咲いている時に
自分以外の全員から、自分の記憶が「間違ってるよ」と言われたら
「えっ!?そんなはずはない!」と思いつつも
「あれ?勘違いだったかなあ…」という気になったりしますよね?(汗)
ほら、よく「嘘も100回つけば本当になる」って言いますし…(苦笑)

甲斐さんのお好きなジャプリソの小説にも
自分の主張が、証言者たちによって、ことごとく否定される…っていう
「それでも俺はやってない!」状態が登場するんだけど

「もしかしたら、俺が…?」と自分を疑い始めるのと
自分の認識だけが正常で、自分以外の人間の認識が壊れている…
自分だけが世界から取り残されていると考えるのと
一体どちらが怖いんでしょうね?(汗)

ちなみに…「地球が平らだったら、こうはならない」という証拠は
前述の本の中に紹介されているようです、ご安心ください(笑)

怖いと言えば…「シュレディンガーの猫」でお馴染み
量子力学の基礎となる不確定性原理を
現実と仮想の区別がつき難くなっている現代に照らし合わせ
作品を書かれる作家の方は数多いみたいですが

京極夏彦さんの作品の中で…「観察するという行為そのものが
結果を左右する因子の一つになるということは
誰も見ていない状態でしか、正しい結果は得られない」…といった記述があり

例えば…と、骨壺にも見える(苦笑) 蓋のついた小さな陶器の蓋を開けると
落雁(だったっけ?)みたいな干菓子が入っているんだけど
でも、それは蓋を開ける直前まで…つまり蓋をした状態では
ホントに落雁だったかどうか?
もしかしたら、骨が入っていたのかも?…それは、誰にも判らない(汗)

…という説明が続いていて
実際に、自分が目の当たりにしていることでさえ
事実かどうか確認できないなんて相当コワくね?(苦笑)
開かずの間の扉を開いて、何もいなかったとしても
扉を閉めた途端に、何かが現れているかも知れないってことでしょ?(汗)
開けるのも、開けないのも、開けて閉めるのも全て怖かったら
扉の存在を記憶から消すしかないんじゃないかと…(苦笑)

余談ですが、いなかったと言えば…「少女フリーダ」
そう、メキシコ大地震が発生した翌日
「倒壊した校舎内で1人の少女が生存している」との情報が世界中を駆け巡り
「水を飲ませた」「指が動いた」といった証言が流れ

軍主導で大規模な救出作業が続けられたにも関わらず
瓦礫の下に少女はいなかった…ばかりか
そもそも、学校に「フリーダ・ソフィア」なんて名前の生徒は存在しなかったことが判明した…という話です

大きな災害が起こると、様々な流言飛語が飛び交うとはいえ
人々を不安に陥れる…というか、不安だからこそ
ネガティブなデマが流れるんでしょうけど

当時、現場にいらした日本人の方によれば
この「少女生存」の噂は、救助隊や市民ボランティアを始め
街全体が不思議な高揚感に包まれた中で生まれたらしく
やっぱりラテン系の人々は、デマもポジティブなデマなのかなあと…?
コメント
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