カエンタケとナラ枯れ

2011年09月28日 | 文化と琵琶湖

 


猛毒のキノコ「カエンタケ」が、関西で急速に増殖して
いる。奥深い山地にある大木の株に生えるため、従来は
ほとんど人目に触れることがなかったが、ナラやシイな
どが枯死する「ナラ枯れ」が広がるにつれて自生の範囲
が拡大。里山でもカエンタケが生える株が増えている。
1999年に新潟県で、食べた人が死亡した例もあり、自治
体や専門家が注意を呼びかけているという。カエンタケ
は高さ3~15センチ。赤やオレンジ、
赤茶色で、人間の
手の指のよう形をし、
触るとその後皮膚がただれ、食べ
た場合は下痢や嘔吐、運動
や言語の障害を引き起こす。
致死量は3グラムとされている。滋賀県森林センターは
今年8月、同県の大津、野洲、長浜の3市内など5か所
で確認したと発表。兵庫県立人と自然の博物館は4、5
年前から、カエンタケに関する住民の問い合わせが増え
ているというが「ナラ枯れの被害が広がっている地域と
カエンタケが見つかる地域は重なっている
」との指摘(
大阪市立自然史博物館)している。

ファイル:Podostroma cornu-damae.jpg

【毒キノコの火焔茸

カエンタケ(火炎茸・火焔茸、Hypocrea cornu-damae)
は、ニクザキン目ニクザキン科ニクザキン属に属する子
嚢菌の一種。日本・中国・ジャワ島などで見られるが、
中央アメリカのコスタリカでも亜種が発見されるともい
う。梅雨期から秋にかけて、ブナなどの広葉樹林に生育
する。通常は地中に埋もれた倒木や枯れた木の根などに
つながり、子実体は鮮かな赤色を呈し、手の平状・炎状・
棒状となり、内部の組織は白色。真っ赤な色と炎のよう
形から、この名が与えられた。また赤唐辛子のように
も見える。成熟すると黄褐色の粉胞子を吹く。色調も形
態も毒々しいため、食用キノコと誤認されることはまれ
であるが、いくつかの中毒例では食用キノコのベニナギ
ナタタケ  や冬虫夏草と誤って摂取されている。ベニナ
ギナタタケは細い棒状で肉質がもろくて崩れやすく、ほ
とんど無味なのに対し、カエンタケは硬い肉質で、内部
の組織は白く苦味
がある。

文政年間(1818年-1829年)の植物図鑑『本草図譜』に
「大毒ありといへり」との記述があることから、古くか
ら中毒、死亡事故が知られていた。猛毒菌で致死量はわ
ずか3g(子実体の生重量)と極めて強力。日本では6例
ほどの中毒事例が報告され、計10名の中毒患者が出てお
り、そのうち2名は死亡している。摂取後10分前後の短
時間で症状が現れ初期には、腹痛、嘔吐、水様性下痢を
呈する。その後、めまい、手足のしびれ、呼吸困難、言
語障害、白血球と血小板の減少・造血機能障害、全身の
皮膚のびらん、肝不全、腎不全、呼吸器不全といった多
彩な症状が現れ、致死率も高い。また回復しても、小脳
の萎縮、脱皮、脱毛、言語障害、運動障害
などの後遺症
が残ることがあるという。



汁液に含まれる毒成分には皮膚刺激性があるため、手に
とって観察するだけで炎症を起こす可能性があり、味は
苦く、口に含むとひどい口内炎になると言われている。
京都薬科大学の橋本貴美子准教授(天然物化学)は「摂
取すれば全身が真っ赤に炎症し、汁液に触れれば皮膚が
ただれる。キノコ毒の中で最も強い」と指摘している。
その毒成分はマイコトキシンとして知られているトリコ
テセン類(ロリジンE、ベルカリンJ(ムコノマイシンB)、
サトラトキシンHおよびそのエステル類の計6種類)が
検出されている。これらの毒は皮膚刺激性が強いという。

【ナラ枯れとの因果関係】


里山ではナラ類の集団枯死被害(伝染病。ナラ枯れとも
呼ぶ)が拡大し、
被害量も増加している。里山は遠目に
はよく茂ってはいるが,病気の大発生という形で不健康
な状況が見えるようになったと言える。各地で被害を減
らす努力が続けられており、防除(予防と駆除)につい
て相談を受ける機会が増えた。しかし、防除の考え方の
問題や無関心のために手遅れになった場所もある。また、
里山整備によってナラ枯れを助長する場合もあり、現在
の保全手法の問題点が明らかになりつつある。

病原菌Raffaelea quercivora(ファエレア・クエルキボ
ーラ)はカビの一種で、体長約5ミリの甲虫カシノナガ
キクイムシがこの菌を枯死木から生存木へと媒介する。
6〜8月枯死木の中で育った多数の成虫が菌を保持して
飛び出し、健康な樹木の幹に穴を開けてトンネルを掘り、
菌を感染させ産卵する。カシノナガキクイムシは木材を
食べるのではなく、孔道内に菌類を繁殖させて食料にす
る(ナラ枯れでは病原菌とは別種の菌と推定されている)。
病原菌は樹幹内でトンネルを伝って伸長、辺材を変色さ
せる。木部が変色するのは、菌に対する樹木細胞の防御
反応で二次代謝産物が生成したためであり、菌はトンネ
ルを利用し迅速に広り、変色部位の道管は通水機能を失
う。カシノナガキクイムシの穿入が多い樹木では辺材の
ほぼ全域が変色し、木部樹液の流動(根から吸い上げた
水の上昇)が停止する。

したがって、人の手の入らないことで、山林が荒れ、害
虫の大量発生などの対応に後手となりナラ枯れが発生→
立ち枯れた木の根元に発生することから「ナラ枯れとの
因果関係は明らかではないが、木の腐朽が進むにつれて、
大量発生は否定できない」と発生しやすい環境にあると
までは言えそうだ。

【エピソード】

なお、自然の成り行き任せろとの意見もあるが、いった
ん、
廃してしまうと後は低木が茂るだけの山林となり治
水・利水や景観上好ましくないという意見もあり「地球
温暖化」と「里山」の関係からバイオマス利用促進の営
林を積極的に進めることの方に優先度が高いと思われる。
会員の皆様の意見をお聞きした。

PS、アンケート欄を適宜・適時実施していくことも考え
てみましょう。

 

【脚注及びリンク】
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1.「ナラ枯れの被害をどう減らすか

2.「ナラ枯れ被害
」林野庁

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十和田湖

2011年02月27日 | 文化と琵琶湖




 

湖沼名

十和田湖

ローカル名

 

大  陸

日本列島

国  名

日本

成因

カルデラ湖

周囲長(km)

46.0

面積(km2)

61.6

最大水深(m)

327.0

平均水深(m)

71.0

容積(km3)

4.19

標高(m)

400

湖沼型

 貧栄養湖 

淡水汽水

淡水

40°28′N 140°52′E 

十和田湖は、青森県十和田市、秋田県鹿角郡
小坂町にまたがる湖。十和田八幡平国立公園
内にある。日本の湖沼では12番目の面積規模
を有する。内水ながら、国の地方港湾である
子ノ口港、休屋港の二港がある。十和田火山
の噴火で形成された二重カルデラ湖。現在も
活火山として指定されている。最大深度327m
は日本第三位
。流出河川は奥入瀬川。胡桃を
半分にした形。湖の中央、御倉山と中山半島
の間にある中湖とよばれる水域が最深部であ
り、御倉山の東側の東湖や中山半島の西側の
西湖と呼ばれている水域の水深は50~ 100m
ほど。



大きな噴火は、5万5000年前、2万5000年前、
1万3000年前に起こったと考えられている。十
和田湖の原型(外縁)は、約3万~2万5000年
前の十和田火山の大噴火と陥没(第一カルデ
ラ)によってできたと考えられている。東湖
や西湖はこの第一カルデラの一部である。1万
3000年前の噴火の火砕流は青森市付近まで到
達している。さらに約1万年前に十和田カルデ
ラの東南部で噴火によってカルデラ内部に五
色岩(または五色台)火山が形成された。五
色岩火山は初期に玄武岩を噴出し山体を成長。
安山岩・デイサイトを経て流紋岩を噴出する
ようになった。それに伴い爆発的噴火が多発
し火口を拡大していった。5400年前の噴火で
火口壁が崩壊し第一カルデラの湖水が火口に
流入した。これにより中湖ができたと考えら
れている。915年(延喜15年)、十和田火山は
大噴火を起こした。このとき毛馬内火砕流が
周囲20kmを焼払った。この噴火は過去2000年
間、日本国内で起きた最大規模の噴火であっ
たと見られている。

Betula ermanii 01.jpg

【生態系】

十和田湖周辺は、冷温帯林(ブナ林)や亜寒
帯林(ダケカンバ林)が広がり、クマタカや
イヌワシ、ツキノワグマなどの野生動物が生
息している。これらの生息が重要であること
から、国指定十和田鳥獣保護区(大規模生息
地)に指定されている(面積37,674ha、うち
特別保護地区19,366ha)。人間が魚の放流を
開始する以前に生息していた魚介類は、サワ
ガニのみと考えられている。従って、現在生
息している魚類の全てが人為放流された物で
ある。記録に残る最初の放流は、1855年のイ
ワナとされている。1960年代に行われた調査
では、下記が確認されている。魚類:ヒメマ
ス、ニジマス、イワナ、サクラマス、コイ、
フナ、ウナギ、カジカ、ヨシノボリ甲殻類:
スジエビ、サワガニ。ワカサギ、ウグイ、ア
ユは定着に失敗した。現在は閉山しているが、
かつて同湖西岸には17世紀中頃に発見された
鉛山鉱山と十輪田鉱山があり鉛、亜鉛、銅を
産出していた。この廃鉱山からの流入水は現
在も湖水の亜鉛含有量に影響を与えていると
考えられる。

「十和田湖および奥入瀬渓流」として文化財
の特別名勝及び天然記念物に指定されており、
1936年、周辺の奥入瀬渓流八甲田火山群と共
に十和田八幡平国立公園に指定された。紀行
文作家大町桂月はこの湖の美しさについて「
山は富士、湖は十和田湖、広い世界に一つず
つ」と評している。ヒメマス養殖は、1903年
に和井内貞行らによりヒメマスの最初の放流
が行われた。十和田湖へのヒメマスの定着以
降は、本州各地の湖への移植用卵及び稚魚の
供給源として中禅寺湖とともに重要な位置を
占め、1960年或いは1967年の調査で、流入河
川ではなく湖底に産卵床を形成し産卵してい
ることが確認されている。湖畔の秋田県側の
小坂町の生出(通称:和井内)地区には、ヒ
メマスの孵化場がある。



【エピソード】

シラス洪水と十和田湖伝説


三湖伝説は青森県との県境の「十和田湖」か
つて日本琵琶湖につづき日本第2位の大きさ
を誇った「八郎潟」、岩手県との県境で日本
一の深さの「田沢湖」。これら秋田県を舞台
とした三湖にかかわる物語(各地に異類婚姻
譚、変身譚に残る伝説)。『
三湖伝説 時空を
超えた大浪漫
』は「十和田湖」付近に残され
ている八郎太郎と南祖坊の話、「八郎潟」付
近の没落していった宿の話、「田沢湖」近辺
の八郎太郎と辰子の話など、それぞれ秋田県
全土に八郎太郎を主人公とした伝説が数多く
存在していて、この秋田県を舞台とした伝説
を様々な文献や地元の方のインタビューをも
とに一本化したものだ。

八郎太郎と南祖坊のすさまじい格闘の場面を
十和田火山の噴火、敗走を火砕流の流下と見
なし、この伝説は十和田湖の噴火の様子、大
湯川に降り注いだ軽石流、やがてシラス洪水
となって流れ下る情景をそのまま物語にした
ものと考えられている。大湯軽石の噴出直後、
毛馬内火砕流が流下したことが近年の研究(
平山・市川1966・大池1974)によって判明。
この火砕流は
大湯川流域から毛馬内を通って
米代川流域の最底位の河成段丘を構成。能代
平野まで連続して分布。遺跡から出土した品
や火砕流に押し倒された木片から千年ほど前
の噴火だと判明した。

 

脚注及びリンク集
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(1)
世界の大湖沼
(2)「
世界湖沼会議」(財)国際湖沼環境委員会

(3)「
世界の湖と琵琶湖
(4)「十和田奥入瀬インハウス講座 PDF版
(5)「千年前のシラス洪水 発掘された十和田
  
湖伝説」産総研、地質ニュース
(6)「十和田湖の水質の現況」青森県

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琵琶湖の散骨Ⅱ

2011年01月21日 | 文化と琵琶湖





死は生の対極としてではなく、
       その一部として存在している。

       村上春樹『ノルウェイの森』



「生誕」「結婚」「葬送」に関する特定の信
仰、信条、宗教によって、一定の形式、ルー
ルに基づいて人間が行う、日常生活の行為と
は異なる特別な行為(宗教的色彩の薄いもの
は式典と称される)の儀式から離れて個人が
生活することは不可能であるのは「死は自分
で決められない」(吉本隆明著『新・死の位
相学』)との裏腹な関係にあるともいえる。

奥びわこ散骨プラン-メモリアルヨットク
ルーズ
」をネット上で参照して、
現代の式典
の流行の1つだと了解した。従って、琵琶
湖での「散骨式」は当然、その周辺の住民の
規範との衝突、調整を引き起こすことになる
から、新たなルールが生まれるのは当然なこ
と思われる。

科学的側面から「散骨」による水質汚染など
の問題が浮上すれば、京都・大阪。兵庫の流
域住民との新たなる問題として浮上するだろ
うが、景観劣化等の感性とかかわる環境的側
面にあっては微妙な問題となる(例えば「湖
畔で立ち小便を禁じる条例」などを想定すれ
ば分かり良い)。その意味で「琵琶湖での散
骨行為の是非」の議論は尽きるように思える。

               
【エピソード】

   



遺骨を宝石にできれば問題が解決するのでは
と考えネットで下調べしたところ既に行われ
ていた。このは今のところ最も合理的
かなと思わせるところがあったので掲載して
おきます。これは冶金工学などの知識があれ
ば、見栄えの是非はともかくも個人でもつく
れそうで、関係設備さえ開放されれば、つま
り、低価格化に成功すれば、今後、グローバ
ルな需要が逓増していくかもしれません。




脚注及びリンク

(1)葬礼会館 びわこメモリアルホール
(2)モリアルストーン「麗石」

 



琵琶湖の散骨Ⅰ

2011年01月20日 | 文化と琵琶湖








散骨は、一般には、故人の遺体を火葬した後
の焼骨を粉末状にした後、海、空、山中等で
そのまま撒く葬送方法をさす。
散骨が刑法190条の規定する死体(遺骨)遺棄
罪に該当するかは、法務省見解(非公式)で、
散骨が節度をもって行われる限りは違法性は
ないとの見解
だという。

現在のところ、散骨が陸地で行われることに
ついては、周辺住民等との間でトラブルとな
ることもある。海や空で行われることについ
ては問題となることはほとんどないが、港湾
や漁場・養殖場のある場所は避けられる。墓地
を持たない「自然葬」の形態をとる場合、見
た目に人骨と分かるものを含め散骨される焼
骨は相当な分量であり、「小瓶につめた骨粉
をサラサラと撒く」といったわけには行かな
い。また現在「自然葬」される死者はわずか
であるが、社会的な認知とともに希望者が増
えた場合、やはり散骨場所の指定や管理方法
を規制する必要が
あるとされる。

 

陸地で行われる場合、他人の私有地に無断で
行うことができない。公有地については取り
決めはなく、また自己の所有地であっても近
隣から苦情が発生する可能性がある。これは
「散骨」という葬送方法が従来の埋葬に関す
る法律や条例の想定外であることも関係して
いる。アメリカではすでに散骨を行った不動
産の売買をめぐって係争問題が生じている

2005年3月に北海道長沼町は散骨を規制するた
めの条例を制定した。これは散骨という新し
い葬送方法をどう受け止めるかをめぐる過渡
的な対立が顕在化したものと考えられる。散
骨を規制する側は「近隣農地で生産される農
産物に風評被害が広がる
」と主張している。


なお、この条例に対して、同年4月、NPO法人
「葬送の自由をすすめる会」が、憲法で保障
された基本的人権の「葬送の自由」を否定す
るものであるとして、条例の廃止を求める請
願書を提出したが、これに対しては特に取り
上げられることもなく、むしろ、この長沼町
での条例化を契機として各地で散骨に対する
規制が定着しつつあるのが現状である。

実際には陸地での散骨は宗教法人が持つ墓地
にて、樹木葬などの形をとって行われる、私
有地であっても散骨をしてしまった場合、土
地の買い手が見つからなくなるなどの民事的
な問題が起こりうるため、まず陸地での(墓
地を除く)散骨は行われない。

日本国外で散骨を行う場合、特にハワイなど
では散骨に関する法律が規定されており、法
律に沿わずに、観光がてらに勝手に行い問題
を起こすと、多額の罰金を支払わなければな
らなくなる。

世界の一部の地域では伝統的、あるいは宗教
上の理由から、墓を作らず散骨する風習があ
る。近代では、墓は迷信の代物とする唯物論
の観点から散骨するケースがある。中華人民
共和国の指導者は、遺体が保存された毛沢東
は例外として、多くが散骨されている。墓地
個人崇拝の対象となることを避けるためで
あるという。また、墓地が聖地とならないよ
うに、あるいは墓が暴かれないように散骨す
るケースもある。キリスト教ではカソリック
は土葬や火葬を含め教会に埋葬することとし
自宅での所持や散骨には否定的
である。プロ

テスタントは多くの宗派で許容されており、
garden of remembrance(思い出の庭)」が持
たれることもある。


【散骨と葬儀史】

散骨には、長い歴史があり、仏教国インド、
アジア地域に広がりをみせ、その後、米国で
も大陸全土に普及し、欧州でも国によって芝
生、海などの特定地域への散骨が行われてい
るという。日本での散骨の歴史も古く「万葉
集」や「続日本後記」にも記述がみられ、淳
和天皇(840年)、一条天皇(1011年)など
の散骨記録がみられ、奈良時代には一般的な
葬送方法としての散骨が盛んに行われていた。

古代では「万葉集」に散骨を詠んだ歌がいく
つもあり、天皇みずからが散骨を望み散骨し
た事例もあるという。平成3年「葬送の自由
をすすめる会」会員によって散骨(自然葬)
が行われた。

現在の日本では、故人が散骨を望んでいても
「墓地に埋葬されるのが当たり前」という風
俗や固定観念が強く、まわり、つまり遺族が
それを許さない風潮もあり、あくまでも故人
の意思と遺族の意思が同じで、かつ重要な親
族からも支持されることが無難だということ

にはなる。

【意識調査例】

http://www.bluemileu.com/

自然葬の意識調査によると、約7割の人が、
自然葬を肯定的に考えています。しかし理解
はしているが実際に自分がしたいのかという
と約25%が「散骨したい」約70%が「散骨し
たくない」ということである。意外と「した
くない」人も多いという結果だという。

ある調査によると、

・自然に還れる        ・・・28%
・このような方法が望ましい  ・・・22%
・海や山などの自然が好き   ・・・14%
・墓地が確保できない     ・・・ 6%
・お金がかからない      ・・・ 6%
・思い出の場所がある     ・・・ 5%
・その他           ・・・18%

という結果が出ているという。


【散骨を希望する理由】

その背景にはどのようなものがあるのだろう
か。お墓や宗教に対する意識や価値観の変化、
家族・人間関係の変化、その背景には様々な
社会の変化によるものが複雑に絡み合ってい
る。


●家族、人間関係的な背

・お墓を守ってゆく人がいない
・子供がいない
・生涯独身だから
・離婚したが実家に戻れない
・法的な夫婦でない
・子供に(お墓のことなど)迷惑をかけたくない

●宗教的背景

・特定な宗教をもっていない(無宗教)
・お寺との付き合いがない
・お寺との付き合いがめんどう
・宗教の意味がわからない

 ●経済的・その他

・高額なお墓は必要ない
・お墓を購入するより安い
・どうせ無縁墓になるんだから
・大好きな自然に還りたい
・思い出の場所・故郷の海へ戻りたい
・自分の最期を演出したい


脚注及びリンク集
__________________

(1)「葬送の自由をすすめる会
(2)「スコーグスシュルコゴーデン(森の墓地)」

(3)「

(4)「手元供養
(5)「葬儀