下坂氏館

2013年12月26日 | 滋賀百城

 

下坂氏は、近江国坂田郡下坂庄の地頭をつとめた「国人」
であるとされ、その出自には諸説ある。その相伝文書であ
る「下坂家文書」(長浜市指定文化財)には、建武二年(
一三三六)七月二十五日付の下坂冶部左衛門尉宛の足利直
義感状があり、すでに南北朝時代には地域の武将として活
動していたとされる。その後、応仁の乱から戦国末期にか
けて、北近江の守護であった京極氏や、戦国大名の浅井氏
に仕えたことが、相伝文書から読み取れる。特に戦国時代
の当主であった正治(一智入道)は、浅井長政と共に小谷
龍城し、織田信長や木下秀吉と戦っている。



京極氏や浅井氏の家臣を、通常「土豪」「地侍」と呼ばれ
るが、彼らが武士として台頭するのは、応仁の乱前後であ
る。その約百五十年程前の南北朝時代から、動向が追える
戦国期の武将は、北近江では下坂氏のみ。このため、下坂
氏は「土豪」「地侍」より規模が大きい「国人」と定義づ
けるべきだろうとされる。浅井氏滅亡後は帰農するが、江
戸時代は郷士として、中世同様、地域で大きな発言権をも
つ名士となり存続した。幕末には、板合挽堂・江馬天江な
ど、主に京都で活躍した「幕末の志士」を出している。屋
敷は、今も「幸内さん」(江戸~明治時代の当主の名前)
と呼ばれ、医業を営む子孫が管理しているという。

その館跡は長浜市下坂中町にあり、平成十八年一月二十六
日に国指定史跡となった。同町は江戸時代、「下坂中村」
と呼ばれたが、これは下坂庄の「中村」の意味である。下
坂氏の館は、東西に長い「下坂中村」の集落の北部に存在
する。下坂氏が同庄の地頭職を得ていたことと、その屋敷
が庄園の中心を意味する「中村」にあったことが、密接な
関連性を担保するといわれる。また、集落の中にではなく
集落から外れた北部にその屋敷が立地していることは、中
世武士と村落の関係を考える際に重要な示唆となる。下坂
氏の場合、村落から独立性が高い武士であったことを立地
が示していると考えられている。

長浜市教育委員会では、平成七年に屋敷全体の測量調査を
実施し、平成十六・十七年には、遺構の時期等を確認する
ため、合計十ヵ所のトレンチを設定して発掘調査を行なっ
た。その結果、土師器や輸入陶磁器など十四世紀~十六世
紀の遺物が出土し、建物・土塁・排水路などの跡や階段状
遺構などを検出。これにより、十四世紀、南北朝時代から、
下坂氏が武将として活動していたことが確認されたという。
文献の初見年代と、発掘成果が、ほぽ一致したのである。
下坂氏館の主郭は、東西約八九メートル、南北約八七メー
トルの範囲があり、高さ約一メートルからニメートル、幅
約ニメートルから約五メートルの二重の土塁が、北から西
に懇っている。土塁は東側も良好に残るが、この面は一重
で後述する東の副郭につながる。また、南側も西側には一
重の土塁が残るが、東側については近代になって崩され旧
状を留めていない。主郭内の東こ四には、低い高まりによ
って区画された部分があるが、特に南西部分については、
有事の際には当所に立て龍もって防戦したという伝承があ
る。南側のヨシ葺の表門は、十八世紀前期の建築と推定さ
れ、当初からの虎口の場所に建つと考えられる。また、主
郭の東側には幅七メートルの虎口が現存しており、東側の
副郭(図では「腰郭」と表記されている)につながる。こ
の副郭は東西六〇メートル程の平坦地であり、館の関連施
設があったと考えられるが、具体的な用途は不明である。
しかし、発掘調査によって、副郭の主郭虎口につながる部
分から、階段状の遺構が発見されている。

主郭の東南に建つ主星はヨシ葺きで、近代まで医院として
使用されてきた。調査の結果、十八世紀前期にまで遡る、
豪農住宅であることが判明した。鬼門に当る東北の土塁上
に、稲荷社を祀っており、その反対・裏鬼門に当る西南に
は鎮守社を祀る。表門の南に子孫が経営する医院と駐車場
があるが、ここはかつて畑で「馬場」と呼ばれていたとい
う。また、主郭の東南、副郭の南には、下坂家の菩提寺で
ある高雲山不断光院が存在する。同寺は浄土宗で、その開
基は不明だが、中世まで遡ると法然上人像や阿弥陀三尊来
迎図を所蔵するので、下坂氏が台頭した時代からの菩提寺
と考えられる。現在のヨシ葺きの本堂は、棟札から正徳五
年(一七一五)建造であることが知られ、ヨシ葺きの表門
も十八世紀前期、瓦葺きの庫裏は十八世紀後期の建造物と
考えられている。中世の「国人」クラスの屋敷が、これほ
ど良好に残存しているのは近江国内では稀である。なおか
つ、菩提寺が隣接して現存している点は、室町・戦国時代
の武将の生活形態を知る上で、きわめて貴重な遺構と言え
る。

出典:、

   

 

【エピソード】

 

 



 

 新年会と懇親会開催(案内)

1.日時 2014年2月8日(土)16:30~
2.会場 JR彦根駅前 すし割烹 銀水
3.1)近況報告、2)懇親会 3)その他

尚、会場予定のキャッスルホテルは改築中のため急
遽変更。万障繰り上げの程宜しくご参集頂けますよ
うお願い申し上げます。

                  幹事敬白    



 
 

【脚注およびリンク】
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  1. 国史跡 「北近江城館跡群」下坂氏館跡 
  2. シリーズ「淡海の城」(30)下坂氏館
  3. 下坂氏館跡 - 文化遺産オンライン
  4. 下坂氏と慶雲館テーマ 17日から歴博
    新指定史跡展,2006.05.16
  5. シリーズ「ながはまの文化財」,2011.11

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テカポ湖

2013年12月23日 | 世界の湖沼百選



テカポ湖(Lake Tekapo)は、ニュージーランドの南島
にある湖。マッケンジー盆地の北端に位置しプカキ湖
とオハウ湖と平行する湖。マッケンジー盆地に位置す
る三つの湖の中で最大面積の湖である。面積は83平方
キロメートルあり、海抜700メートルに位置している。
湖水は氷河が削った岩石の粉が溶け込んでいるために
青緑色をしている。
湖は、北方の南アルプス山脈に水
源を持つゴッドレー川によって水が供給されている。
湖周辺は人気の高い観光保養地であり、湖の南に位置
する町(正式名称は村、人口は300人程度)には数軒の
リゾートホテルや飲食店がある。長距離バスと観光バ

スのバス停があり、休憩地にもなっているため、外国
人観光客も立ち寄る機会が多い。町の北側ジョン山に
マウントジョン天文台が設置されている。
 

湖沼名 デカポ湖
大  陸  
国  名 ニュージランド
緯度(deg) 43.53
経度(deg) 170.31
面積(km2) 87/82
最大水深(m) 120/av.69
容積(km3) 6
標高(m) 700
淡水/塩水 淡水湖

 

 

 

 

 



 




 

マウント・クックの裾野に開けた高原地帯にある湖で
かつては氷河の底にあった。
静寂に包まれた神秘の湖。
氷河が流れることで岩石が削られ、微粒子が混ざり込
んで湖水と混じり合い、独特のトルコ石色に輝く。明
るく輝くコバルト・ブルーの湖水と草原地帯、緑の林
の向こうにそびえるサザンアルプスの山々は、ニュー
ジーランドの代表的な風景の一つ。湖畔には石造りの
小さな「善き羊飼いの教会」が建ち、祭壇の後ろの窓
からは、湖とサザンアルプスの神々しいほどの光景が
望める。

 

 

【エピソード】

 

 

 

 

 

【脚注およびリンク】
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  1. Lake Tekapo Untouched,Lake Tekapo's official in-
    formation site.
  2. Things to see and do in Lake Tekapo, New Zealand
  3. http://www.newzealand.com/int/stargazing/
  4. Tekapo Tourism - Lake Tekapo

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放射性木材チップ

2013年12月10日 | 防災と琵琶湖

 


 【福島原発汚染の拡大】

琵琶湖近くにある鴨川の河川敷などに、放射性セシウ
ムを含んだ大量の木材チップやチップを入れた土のう
77個(200~300トン)が放置が発覚したのは公式には
滋賀県が発表した9月17日。放置が見つかったのは、
滋賀県高島市安曇川町下小川の河川敷。滋賀県の調査
によると、チップからは、最大で1キログラム当たり
3千ベクレルの放射性セシウムが検出。この数値は再
利用可能な基準(100ベクレル)を上回るもので、川の
水や魚、周辺の農作物などからは、放射性物質は検出
されなかった報じられた(測定数値の信憑性について
は脚注を参照)。正確な出所は不明だが、福島原発事
故で汚染された可能性があり、今回は偶然にも発覚し
たが、専門家は「氷山の一角」と警告していた。

だが、実は、すでに今年4月、周辺住民が県土木事務
所に通報していた。当時、チップから1メートル離れ
た空間線量を県職員が測ったが、「毎時0.1マイクロ
シーベルト程度で問題ないと判断した」(県廃棄物監
視取締対策室)という。しかし約5カ月後の9月、搬
入に関わったという人物から「チップは放射性物質に
汚染されている可能性が高い」との情報が県に寄せら
れた。あらためて調べたところ、汚染を確認。17日の
問題公表となった。同時期の台風18号の豪雨で鴨川が
増水してチップが漬かったため、県はさらに緊急で水
質検査を実施。その結果、川や琵琶湖への汚染拡大は
なかったと結論づけた。しかし「住民の不安はまだ続
いている」(地元関係者)。嘉田由紀子知事は「琵琶
湖へ注ぐ河口に放置され、悪質で憤りを覚える。適切
な保全措置を行い、行為者には厳しく責任追及する」
と表明した。

今月6日の産経新聞によると、県は5日、木材チップ
をすべて撤去する趣旨の原状回復計画書が、処理に携
わる業者から提出されたことを明らかにした。計画に
よると、撤去作業は早ければ週明けに始まり、来月中
には完了する見通しだという。木材チップは大型の
土嚢(どのう)袋に入れて、トラックで県外の処理施
設に搬送。作業には県職員2人が立ち会い、適切に行
われたかどうかを確認する。撤去完了後は、県が周辺
の土壌に含まれる放射性物質の濃度を計測する。会見
で、森野次長は「撤去に見通しが立ったことは大きな
前進」と述べた。しかし、県は「撤去に関わる当事者
が特定されれば、現場での撤去作業に不測の事態を招
く恐れがある」として、計画書を提出した企業や処理
を行う施設などを明らかにしていない。高島市の福井
正明市長は「原状回復までの具体的な計画が示された
ことはある程度評価できるが、市は今月末までの全量
撤去を要請してきた。完了時期がずれ込むことについ
て、市議会と対応を協議したい」と発言している。

 


※ 1キロ当たり8千ベクレル以下の放射性物質は一般ご
みと同じく焼却したり、埋め立てたりできる。放射性物質汚
染対処特措法で、国が処分に責任を持つ指定廃棄物は、
8千ベクレル超の場合だけ。今回のケースが法律に触れる
としても、特措法違反ではなく、廃棄物処理法違反(不法
投棄)や河川法違反(形状変更)に問われることになる。

※ 脚注13)の中日新聞の記事に登場する関口鉄夫氏
によると「滋賀の事例は、不届きな業者が放置して偶
然発覚しただけで、水面下では同様の話が各地にある
はずだ。福島原発事故による汚染物質は、民間業者を
通じて全国に拡散している」と指摘。
原発事故以降、
福島県内の高速インター付近では、他県ナンバーの産廃
業者の車両による渋滞が頻繁にあった。「特に金属は再利
用しやすい資源。除染で出る枝や落ち葉も、焼却や生分解
すれば熱源利用できるので、どんどん持ち出されている」。
汚染物質は全国に広がっている。業者が複雑に介在して
いることも、処分責任の追及を難しくしている。滋賀の例で
は、木材チップを河川敷に置くよう指示した業者と、それを
運搬した業者、実際に河川敷に敷いた土木建設業者と、
判明しただけで複数いると指摘。 「今の汚染は半減期が
長い放射性物質が中心だ。全国に汚染物質が拡散すると、
より深刻な影響が出てしまう。その意味でも日本中の住民
に身近な問題だ」という。 

※ 脚注10)の「2013/11/23 Sat. 23:44:34 真実を
探すブログ」の計算では、木材チップの総量は約3百
トン(約36億ベクレル)で、今も高島市の鴨川河川敷
に勝手に置かれて、放置状態となっています。木材チ
ップの上には行政がビニールシートを被せて飛ばない
ようにしていますが、大雨や洪水で流れ出す可能性が
あると紹介されている。

*1万2000ベクレル×300トン(30万キロ)=36億ベク
 レル

同じく、講談社『FRIDAY』10月18日号を引用掲載して
いる経緯によると「「10tトラックが来たのは、春頃か
な。てっきり木材チップで、デコボコ道路をならして
いるのかと思っていた。近所を散歩している人が県に
通報したらしい。」(近隣住民)滋賀県が調べたところ、
投棄作業をしたのは、東京の「ホームサーバー企画」
という会社だった。同社社長で元郵政省(現総務省)キ
ャリア官僚の田中良拓氏が、3月15日に河川敷入口の
門の扉の鍵を借り受けていることが確認された。
この
事態を受け、県では投棄した運送業者に連日電話した
が、不通。仕事を委託したホームサーバー企画の田中
社長の電話も不通で、書類で送付した原状回復措置も
「受取人不在」だった。
 県によると、木材チップは福島
県本宮市のHという製材業者からでたものだった。原発
周辺の樹木は、表皮に大量の放射性物質が付着してい
る。この業者は、表皮を剥ぎ、線量を下げる作業を東
電から受注していた。 本来なら、放射性物質が付着し
た木材は国の許可した最終処分業者によって処分され
るはずだが、どういうわけか琵琶湖畔に放置されてい
た。「滋賀の件については、田中さんから事情は聞き
ました。あくまでも田中さんのもとで合法的に処理さ
れていますんで。今朝も電話が来て一切コメントを出
さないでくれと言われています」(H製材社長)実はH
製材は2012年12月、田中社長と事務代行契約を結び、
東電との交渉を任せていた。関係者によると、同社は
約9千トンの樹木を処理し、1tあたり5万3千円を東
電から受け取ることになっていたという。合計4億7700
万ものカネが支払われたことになる
」ということだ。

 

【エピソード】

 

考えてみれば、高島市民は、オスプレイ演習や台風18
号禍とこの放射性木材チップ騒動とトリプルパンチな
状況にある。ご同情申し上げる次第。しかし、4月か
ら来月まで放射性セシウムの拡散流失が続いていたわ
けで、決して他人事ではない。この一連の事態から、
福島県外に持ち出された放射性廃棄物(規制基準以下
を含め)の量的把握が出来ているのか甚だ疑問に思え
る。そのようなデータが存在するんであればそのよう
に情報開示(許容限度範囲で)して欲しい。そうする
ことが、問題の解決を円滑に進めると確信している(
 何者かが意図的に放射性物質をバラ撒こうとして
いる可能性が高いですね・・・汚染された物を広範囲にバ
ラ撒けというような指示を出していると推測されます
というような、意図的な疑いや邪推を生むこともない
)。

 【脚注およびリンク】

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  1. 関口鉄夫|IWJ Independent Web Journal
  2. 2012.06.24、宇宙飛行士・秋山豊寛さん講演
    「原発難民になって」
  3. NPO 市民環境研究所
  4. ①「今回、測定したNPO法人「市民環境研究
    所」代表の石田紀郎・元京都大教授(環境毒性
    学)らメンバーは10月31日、放置現場4地点で
    チップを採取。含まれた水などを3日間自然乾
    燥させた後、測定装置で調査。1キロ当たり約
    1万2千ベクレルの放射性セシウムを検出した」
  5. ②「9月6日に7地点でチップを採取。県衛生
    科学センタで測定し、1キロ当たり約3千ベク
    レルの放射性セシウムを検出したと同17日、公
    表」「しかし、気象庁などによると…採取した
    前々日までの4日間に約百ミリの雨が降ってい
    た」「県によると、チップは含水率60〜70%の
    状態だった」
  6. ③環境省廃棄物対策課「雨後など極端な状態で
    の測定は適切ではない」山本貴士・国立環境研
    究所主任研究員「含水率70%は試料の取り方
    としてあり得ない」「ガイドラインには、木材
    チップの測定に関する基準がない」滋賀県廃棄
    物監視取締対策室「ありのままを測るべきと考
    えた」
  7. 2013.10.01,毎日新聞、汚染木材:放射性セシウ
    ム、滋賀県の4倍検出NPO測定
  8. 2013.10.01,産経新聞,嘉田氏「琵琶湖預かる知
    事として許せない」放射性木材チップ問題で県
    が業者告発へ
  9. 2011.10.11,文科省,東京新聞,全国に降ったセシ
    ウム量,原発事故後、3~5月の間に日本全国に
    降下したセシウム量都道府県別の数値(東京新
    聞より) *文科省のデータが元になっています。
    福島県と宮城県のデータはありませんでした。
  10. 2013.11.24,琵琶湖に放置された約36億ベクレル
    もの汚染木材!原因は福島の除染業者!大雨で
    琵琶湖に流れる可能性も!
  11. 2013.09.17,産経新聞,河川敷放置の木材チップ
    から放射性セシウム 滋賀・高島市
  12. 2013.10.26,産経新聞,滋賀・鴨川河川敷の汚染
    木材チップ 県「受け入れる処分場がない」と
    撤去の具体的日程示さず
  13. 2013.10.02,中日新聞,琵琶湖近くにセシウム木
    片放置 民間ルートで全国に
  14. 2013.11.13,無断放置のセシウム木材チップ「ク
    リスマスプレゼントで東電前に」と嘉田知事
  15. 2013.11.28,産経新聞,泣くより早く処分して 高
    島市議会が嘉田知事に意見書
  16. 2013.12.07,産経新聞,「確実に原状回復できる
    ように責任持つ」滋賀県が撤去計画説明
  17. 2013.09.18,NEVER まとめ,なぜ?河川敷の放置
    木材チップからセシウム検出
  18. 2013.09.13,産経新聞,河川敷放置の木材チップ
    から放射性セシウム 滋賀・高島市
     
  19. 2013.12.06,産経新聞,高島の木材チップ放置問
    題 関係企業が撤去計画書 県に提出

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上野城

2013年12月06日 | 滋賀百城

 

県道四号を三重県に向かって車を走らせていくと、J
R油日駅を過ぎて、山崎橋を渡るとすぐに左手に丘陵
が見える上野城跡。県道からの登城ルートは細いがし
っかりとした道で、入り口には城跡の説明板が立てら
れている。登城ルートを登ることわずか数分で、尾根
の稜線に到着する。丘陵頂には祠が建立されており、
そこを右に向かうと、尾根に巨大な横堀が現れるのが
上野城跡。上野城は甲賀では発達した城郭構造を示し
その歴史についてはほとんど不明といわれる。わずか
に上野氏の居城であると伝えるのみ。この上野氏につ
いても詳細は不明で、甲賀五十三家のうちの南山六家
に属していたと言う。その構造は他の甲賀型の館城タ
イプと異なる。中心の曲輪は登ってきた尾根の南端に
選地。周囲に土塁と空堀を巡らせる単郭方形館タイプ。
平面形態は円形に近い。周囲の土塁は厚く、高さ五メ
ートルの巨大だ。周囲に巡る空堀も巨大で、北西部、
つまり尾根稜線部については一部で二重に巡らされて
いる,こうした形態はいわゆる甲賀型の典型例である
が上野城ではこの主郭の北側の山麓に広大な屋敷地と
平畑地が配置され違いを見せる。

山麓部には南北方向に谷筋が貫通、屋敷地はこの谷筋
の東西に分かれて設けられている。西側の屋敷地では
中央に西方の尾根筋より購えられた土塁がさらにこの
屋敷地を二分している。東側の屋敷地はその周囲に土
塁を巡らせており、防御を固めている。なお、東側屋
敷地の東端部は現在道路が通っており、旧状をとどめ
ていない。出土した遺物によって上野城がおおよそ十
六世紀後半から十七世紀前半の遺跡と判明している。
検出された遺構は柱穴とみられるピットで、この土塁
囲いの平坦地が居城空間であったことを示している。
このように上野城は基本的な甲賀型の城館ではなく、
より発達した構造を示し、甲賀では土山城などで基本
的な甲賀型の城館を改修し、馬出しを増設した事例が
認められる。土山城の改修は天正十二年(一五八四)
の小牧長久手合戦に伴うものであることが確認されて
いる。

          

        

『日本城郭体系 11』では、所在地は「甲賀郡甲賀
町油日小字山崎」、創築年代は「室町時
代」、創建者
は「上野主膳正」、形式は「平山城」です。城の歴史
は「上野城は、大字油日の南西端に位置しており、国
鉄草津線の北山に連なる丘陵端にある。郭は東西南北
ともに約八〇mの土塁に囲まれている。南部には空堀
をもつ、地山を利用した土塁があり、土塁中央に現在
稲荷社がある。西端は広く平坦部があって櫓があった
のであろうが、採土のため半壊している。城跡の西・
北部には、屋敷跡と思われる平地が三段に並んでいる。
城主は上野主膳正であるといわれるが、城郭の規模・
位置から考察しても、上野氏の城であろうと思われる
が、文献・口伝ともに不明である。」とあります。な
お、甲賀郡甲賀町油日小字山崎は現在甲賀市甲賀町油
日になっている。


【エピソード】

 

さて、師走。新年会(総会)の準備が遅れている。今年度の
ように二月に入って、会場も同じところで、休日で、と考えて
います。来年度は、夜でなくて昼間で開催するのも良いのか
と考えていますが、意見を至急お寄せ下さい。
                        
                               幹 事

【脚注およびリンク】
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  1. 甲賀武士のゆかりの城郭を巡る上野城跡
  2. 滋賀県甲賀市甲賀町油日上野城跡
  3. 甲賀市の文化財一覧
  4. 滋賀県甲賀市甲賀町上野

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