● 土着する理想主義
『神の国の種を蒔こう』の解説で監修者の木村晟は「ヴ
ォーリズの信仰の特質」で――米国におけるユートピア
構想やその実現のための努力は相当数試みられており、
「アメリカ史」研究の一ジャンルを占めるほどである。
しかしこれを本格的に成功させた例は、さほど多くない
ようである。ヴォーリズの考えるユートピアは、現実の
社会で経済生活を営みつつ、その構成員が平信徒・超教
派の伝道を実践するというもので、彼が独白に祈り求め
た着想である。その具体的な営みのデモンストレーショ
ンが「近江ミッション」(1934年に「近江兄弟社」と改
名)において実践された――と述べ。ヴォーリズの友人
で神学者のE・ブルンナー(Emile Heinrich Brunner 1889
‐1966)は1949年11月に近江兄弟社にやって来て、社内
の礼拝で説教をし、その後に近江兄弟社学園教育会館で
大講演を果たしたという。その講演の中で、ヴォーリズ
をリーダーとして成った近江兄弟社を、世界で稀に見る
ユートピアの実例だと絶讃していると記している。
そして、しかしながら「神の国」(ユートピア)は私た
ちの祈り・信仰がなくなった時、即時解消されるのであ
る。聖書は「神の国」について次のように記している。
近江兄弟社が理想としてきた教えとして、下記の「マル
コによる福音書四30~32」の一説を掲げる。
イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。ど
のようなたとえで示そうか。それは、からし種のよう
なものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よ
りも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大
きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝
を張る。
この「一粒の芥子種」の生育の姿こそ、ヴォーリズたち
近江ミッションの理想とした目標であり、ヴォーリズの
自著を「A Mustard‐Seed in Japan」と名付けたり、在米の
友人に送る英文雑誌名を「The Omi Mustard‐Seed」 とし
ていることからもヴォーリズの堅固な信念が窺えるのだ
と述べる。
またその精神柱である「超教派平信徒伝道」は、ヴォー
リズが宣教に関して最も強く叫んだ標語であり、これは
実践すべき目標でもある。ヴォーリズの考える「超教派」
による合同教会の在り方については近江ミッションの「
綱領」(Platfom of omiMisson)に以下のように明記され
ているという。
To Preacn the Gospel of Christ in the Province of Omi without
reference to Denominaitions(本団ハ近江国ニテ教派二関係
ナク、基督ノ福音ヲ宣伝スルヲ目的トス。)
そして、次のように――これを見ると内村鑑三の無教会
主義に一部類似するが、一致はしない。無教会主義は教
派・教団、教会という形式そのものを否定するが、ヴォ
ーリズたちの近江ミッションは教派・教団を認め、教会
の存在は寧ろ重視し、ただ戒めるのは教派・教団間の紛
争があってはならないと論していると解説する。つまり、
同じ「神」を信じ、同一の聖書を学ぶ者が聖書の部分的
な解釈の相違をもって争うのは「罪」である。聖書もこ
のことを強く戒めているゆえ、実に、キリストはわたし
たもの平和であり、二つのものを一つにし、御自分の肉
において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ず
くめの律法を廃棄しているという。
このように、教派間の対立は勿論、排他的行為も「敵意
という隔ての壁」(セクト)をなすものであり、宗教上
許されるものではなく、本書の「一信徒の使命」に詳細
に述べられているように「平信徒伝道」では
神の国の運動を自ら行いたいならば、どうしたらで
きるのか、これはそれぞれの人が考えるべき重大な
問題です。ある人は、神の国の運動は神学校に行っ
て勉強し、牧師や伝道師にならなければ、つまり、
一定の神学を知らなければできないのではないかと
心配します。もちろん、教会の指導にあたるために
は、神学の研究は専門的にやらなければなりません
が、知識がないから伝道ができないと思うのは大き
な間違いです。一信徒として充分に伝道の運動がで
きます。ある場合には、専門家以上の直接伝道がで
きるのです。(199頁)
この課題こそがヴォーリズたちの「近江ミッション」の
総員伝道に基づく最大の特徴であると述べている。この
ようにヴォーリズたちの理想(神の国の建設)の実践と
して、この近江に土着展開されてきたという。
● ヴォーリス建築の特徴
また、『ヴォーリズ建築の100年』では、藤森照信東
京大学生産技術研究所教授は、同じように布教と建築を
つくったジェームズ・ガーディナーとヴォーリズを比較
をおこない――建築家としての日本での活動時期は、ガ
ーディナーの晩年の17年間が重なるが、ヴォーリズはガ
ーディナーのことを宣教師とても建築家としても強く意
識していたのではないか。建築家としての経歴が対比的
で、宣教師としても対比的で、ガーディナーはミッション
スクールとして創立された立教学校(現・立教大学)の
校長をつとめるほど組織的存在であったが、ヴォーリズ
は自ら布教の先頭に立ち、近寄ってきてくれた少数の信
者と小さなコミュニティを作って布教人生を終えている
と解説する。
"何でもあり"のスパニッシュ様式
大正の末に太平洋の両側でスパニッシュ・ブームが起こ
った時、自分の時代がついに始まったと思ったかもしれ
ない。スパ二ッシュこそ、ヴォーリズにとり体得的スタ
イルであり、スパニッシュ・ブームにその波頭で反応し
初期の中心的導入者として活躍し、全体を通して最大の
貢献者となったのだという。スパ二ッシュ第1作となる
大正14年(1925)の旧朝吹常吉邸をはじめ、東洋英和(
昭和8年)、関西学院(昭和4年)、小寺邸(同)など
などたくさんのスパニッシュを手がけた。それは光彩陸
離というか、水を得た魚のように。
また、藤森は、ヴォーリズがなじんだスタイルであった
だけではなく、そもそもスパニッシュというスタイルの
性格と深く関係していると仮説する。つまり――スペイ
ン建築は、ヨーロッパの中ではヘンな存在で、オーソド
ックスとはズレている。途中でイスラム建築の強い影響
を受けたせいだが、ごった煮的性格をもってしまった。
何でもありなのだ。イスラム起源、クラシック(ギリシ
ャ・ローマ)起源、ゴシック起源、あれこれの起源が混
じりあう。このごった煮性、何でもあり性はそのままア
マチュア建築の本質である。そうしたアマチュア性がア
メリカの田舎に伝わり、土着した。元々、アマチュア性
の強いスタイルに、旧スペイン領の人々はさらに輪をか
けてしまった――という。
そうしたなかで、ヴォーリズの建築眼は形成され、建築
教育を受けなかったから、矯正されることはなかった。
先に、ヴォーリズ建築にかかわる現象として、「建築界
ではそれほど注目されず、しかし、ひとたび知られはじ
めると、ふつうの市民の間では建築界を越えて盛り上が
る」と書いたが、おそらくふつうの人は、ヴォーリズ建
築のなかに、自分たちと同じアマチュア性を感じ取って
いるにちがいない。素直に入っていけるし、入ってくる
のだろう――と解説している。
以上、ヴォーリズの信仰と建築のの特徴を俯瞰しこの近
江の地に与えた思想的な意義を足早に考察してみた。
この項了
【脚注及びリンク】
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1.ヴォーリズの思想、理系おじさんの社会学
2.ホウィリアム・メレル・ヴォーリズ展-信・望・愛
-理想の居場所をつくる
3. 一粒社ヴォーリズ建築事務所 公式ホームページ
4. ヴォーリズの思想と事業 ―ヴォーリズ住宅に込め
られたミッション 大橋二郎 2010.01.30
5. 兄弟愛社会の構築へ―賀川豊彦とヴォーリズをつな
ぐもの― 加山久夫 2009.11.12
6. 湖畔の声 粒社ヴォーリズ建築事務所 公式ホーム
ページ
7. ウィリアム・メレル・ヴォーリズ INAX REPORT
8. ヴォーリズの系譜 ― 『失敗者の自叙伝』における
系譜の検証と補正 奥村直彦
9. ヴォーリスアカデミー 近江兄弟社学園
10.ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展in近江八幡
11.ヴォーリズ 大丸大阪心斎橋
12.大丸心斎橋店/大阪の近代建築・洋風建築/ヴォ
ーリズの建築
13.大丸心斎橋店、建て替えへ 築81年「大正モダン
建築」2014.01.11 朝日デジタル
14.大阪大丸百貨店(大丸心斎橋店) 一粒社ヴォー
リズ建築事務所
15.大同生命本社屋ビル 一粒社ヴォーリズ建築事務所
16.大同生命肥後橋ビル
17.ヴォーリズを訪ねて 大同生命大阪本社ビル
18.J.M.ガーディナーの近代建築/弘前昇天教会/聖ヨ
ハネ教会堂
19.東洋英和女学院 本部・大学院棟 - 一粒社ヴォーリ
ズ建築事務所
20.豊郷小学校旧校舎群【講堂】- 一粒社ヴォーリズ建
築事務所
21. 八幡YMCA~ W.M.ヴォーリズライブラリ
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