報告・提案事項

2019年03月27日 | 日誌

   

作成日: 2019.03..27更新日:

 一期一会です。

過日、3月23日(土)ひこね燦ぱれすで、第6回 原発
のない社会をつくる会総会が開催されました(上写真クリ
ック)。「原自蓮」会長の講演「原発ゼロ法で地域
と日本はどうなる」(佐々木、有山)が聴講。井戸謙一子
供脱被ばく裁判弁護団長「情勢報告」(下図クリック)と


総会に出席(有山途中退席)しております。吉原氏の講演
の概要は添付資料の通り───企業の目的は、利益の拡大
ではなく社会貢献です。会社の憲法である定款の目的には
利益の拡大とはかいてありません。(中略)企業の悪弊を
打破するためには、トップを含む経営者の例外のない定年
制を導入するしかありません───ですが、アダムスミス
の『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)の引用
や『明治維新異論』(小生が勝手に呼称)は、西鋭夫著「
美学の國を壊した明治維新」の"グローバル化は廃国音頭"
やユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史:文明の構
造と人類の幸福』や広瀬隆著『東京が壊滅する日―フクシ
マと日本の運命』など大変な読書量を伺わせる"貨幣の流れ
がわかれば世界がわか
" との発言に流石が元城南信用金
庫理事長と深く同意する。

 

 

【質疑応答】
彦根周辺のでもソーラーパネルの建設が行われているが、
県外の県外の業者が地域住民への配慮を怠り施工しするた
め反射光などの環境景観の劣化があるがどうすれば自然エ
ネルギー(再生可能エネルギー)と両立させることができ
かとの質問に、農地転用法の改正(10年の時限)で営農と
ソーラーパネル敷設し売電することで、収入が倍から10倍
以上増収したの千葉県での成功事例(営農経験のない東京
都の若年夫婦)成功事例を紹介されていた(下写真・図参
照)。

 



但し、県外業者が多いのは、財政力の大きく・人材が多い都
市部の業者になる傾向は下表(参照)は現状ではいたしかた
ないが、アセスメントを精度浴すれば解決できるが、そこの
ところは詳しい説明はなされていなかった。写真のようにト
ラクタを入れるためには4メートルの支持ポールが必要です
との説明は説得力がありました。

 



尚、佐々木さんから、5月25日(土)13持から県立文
産業交流会館で、ウクライナ出身日本在住で、チェルノ
ブイリ原子力発電所爆発事故の被曝者でもあるバンドゥー
ラ演奏家(バンドゥリースト)で歌手のナターシャ・グジ
ー(Nataliya Gudziy、1980年2月4日 - )演奏会『原発ゼロ
に想いを寄せて』の誘いがありました。皆様、ご家族・お
友達を誘ってお集まり下さい。

【エピソード】

 
 

「東北部流域浄化センタ見学と新緑の宴」の提案が佐々木
さんからありました。該事務方といたしましては、平日挙
行を希望します。開宴場所は居酒屋「さんかく」を希望し
ます(辻さんと飲みに行こうと約束していました。花見で
も(「桜麗の宴」となを打ってみて)平日なら参加でき
ます(何とか  )。調整してみます。

 

【脚注及びリンク】
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  1. 米国 風力発電2019年水力を抜いて一躍トップに
    ス トワンマイル23、ごくとうごくらく 2019.02.24
  2. 廃炉・汚染水対策 ポータルサイト 経済産業省
  3. 東京が壊滅する日―フクシマと日本の運命 広瀬隆 
    ダイヤモンド社
  4. NHKスペシャル 被曝の森2018 見えてきた“汚
    染循環” 赤かぶ 2018.02.25 
  5. 吉原 毅 Wikipedia   
  6. 滋賀県出身の人物一覧 Wikipedia      

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近況報告

2019年03月16日 | 日誌

   

作成日: 2019.03..16|更新日:
☑ 近況報告
● 東北部流域下水道見学と桜宴会(案)

まだ決まったわけではないですが、佐々木さんから表記浄
センタの見学を兼ね懇親会をしませんかとの提案がありま

たのでお図り申し上げます。詳細は相談の上、決めさ
せて頂
きます。


● 吉原毅原自連会長の講演会案内



※ ふるってご参加願います。


☑ 原発関連ニュース

● 原発事故の指定廃棄物 8都県で最終処分の
見通し立たず

3月16日、東京電力福島第一原子力発電所の事故で、東
から東海にかけ11の都県で放射性物質を含む焼却灰
や汚泥
などの「指定廃棄物」が発生、このうち栃木や千葉
など8つ
の都県では、事故から8年がたった今も最終処分
の見通しが
立っていない(NHKニュース 2019.03.16)。
「指定廃棄
物」は原発事故で発生した放射性物質を含むご
みの焼却灰や
汚泥、稲わらなどで、放射性物質の度が1
キログラム当たり
8000ベクレルを超えるものを国が指定。



環境省によると、「指定廃棄物」は去年12月末の時点
で、東
北から東海にかけての11の都県で合わせて21万
8170トンに上
り、ごみの焼却施設や下水処理施設、それ
に農地などに一時的に保管されている。
同省は「指定廃
棄物」を発生した都内や県内で処理することにしてい
て、
福島県以外で量が多い栃木、千葉、宮城の3県について
は専用の
処分場を1か所ずつ建設する計画を立て候補地
を示す。しかし事故か
ら8年がたった今も地元の反対な
どで建設は始まっておらず、最終処
分の見通しが立って
いない。


「指定廃棄物」は時間の経過とともに放射性物質の濃度が下
がって基準を下回り、国が指定を解除すれば、一般の廃棄物
として処理できるため、環境省は新潟、東京、岩手、静岡、
それに神奈川の1都4県に
ついては、既存の処分場も活用し
ながら処理する方針。しかし活用す
る処分場や処分の時期な
どについて自治体との協議が進んでおらず、
1都4県でも最
終処分の見通しが立っていない。一方、茨城県と群馬
県では
7年後までに多くの「指定廃棄物」の放射性物質の濃度が基
を下回ると試算されているため、今の場所で保管を続け、
基準を下回
ったものから既存の処分場で処理する方針。


● 原発事故で放出のセシウム 大半は森林の地中にとどまる

3月13日、東京電力・福島第一原子力発電所の事故から8
年。事故では大量の放射性セシウムが放出され、その多くは
森林に積もったとみられてるが、大半が地中にとどまってい
ることが研究機関の調査で判明(NHKニュース 2019.03.
13)。日本原子力研究開発機構によりますと、福島第一原発
の事故では大量に放出されたセシウムのうち、およそ70%は
森林に積もったとみられ、除染が進んでいないことから、周
辺の住宅や農地などに影響が出ないか懸念されている。原子
力機構では、平成28年までの4年間、福島県川俣町と川内村
の森林で土壌などに残るセシウムについて調査。その結果、
セシウムは土壌の表面から10センチ以内の深さに90%以上が
残り、森林から周辺に流出する量は年間で0.1%程度とごく
わずかで、大半が地中に残量。



一方、周辺の河川の水に含まれるセシウムの濃度は、1リ
トル当たり1ベクレル未満で、飲料水の基準の10ベクレ
ルと
比べると大幅に下回っていました。ただ、淡水魚のヤ
マメか
らは、食品の基準となる1キログラム当たり、100ベ
クレル
を超える比較的高い濃度のセシウムが検出されるこ
とがあり、
原子力機構は詳しく調査する必要がある。原子
力機構では
「福島県内の農林水産業の再開や、帰還したい
という住民の
不安に応えられるよう、調査を続けていきた
いとする。

● 規制委 更田委員長「廃炉は廃棄物の行き先がポイント」

3月13日、東京電力・福島第一原子力発電所の廃炉につい
て、原
子力規制委員会の更田委員長は「最終的に廃棄物をど
こに持って行
くのかが最大のポイントになる」と述べ、何を
もって廃炉を終えた
とするかは、廃棄物の行き先が決まるま
で言及できないとの考えを
示す(NHKニュース 2019.03.14)。



福島第一原発の廃炉は、作業の開始から30年から40年後まで
に終え
るという工程が示されていて、東京電力の責任者は先
月、廃炉作業
を普通の原発のように、建屋を解体してさら地
にするまで行うかは
今の段階では決められないとする。13
日に開かれた原子力規制委
員会の更田豊志委員長の定例会見
では、福島第一原発の廃炉がどこ
までの作業のことを指すか
質問が出た。これについて更田委員長は
、「事故で溶け落ち
た核燃料を取り出し、すべてが安定すれば廃炉
作業は終わっ
たと言えるのかもしれない。しかし、最終的に廃棄物
をどこ
に持って行くのかが最大のポイントになると述べ、何をもっ
て廃炉を終えたとするかは、廃棄物の行き先が決まるまで言
及でき
ないとの考えを示した。



そのうえで、廃炉は東京電力と資源エネルギー庁が責任
を負うがそこだけで意思決定できる問題ではなく、さま
ざまな同意や理解をもって進めなくてはならない、と。
述べ廃炉を終えるには多くの関係者の理解が必要で、相
当な時間がかかるという見通しを示す。

 【エピソード】

 
 

【脚注及びリンク】
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  1. 米国 風力発電2019年水力を抜いて一躍トップに
    ラストワンマイル23、ごくとうごくらく 2019.02.24
  2. ほぼ日刊イトイ新聞 - 親鸞 Shinran2007.10.12
  3. NHKスペシャル 被曝の森2018 見えてきた“汚
    染循環” 赤かぶ 2018.02.25 
  4. 天正地震 Wikipedia
  5. 滋賀県出身の人物一覧 Wikipedia       

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近江の歴史と漬物Ⅳ

2019年03月14日 | 滋賀グルメ紀

   
作成日: 2019.03..14|更新日:

  

くらしを彩る近江の漬け物 
❑ 背景と土壌を探る
2 生業と漬物
☈ 農家のくらしと漬物
昭和三十年頃まで、農家の食事は麦ご飯に漬物と味噌汁
が定番であった。ふだんはきわめて質素な食事であっか
日本食は仏飯や客呼びの時くらいで、日常食は麦を二割
くらい混ぜた麦ご飯であった 農家では、ほとんどコメ
で栄養をまかなっていたようなものなので、漬物はご飯
を食べるための必需品であり、一番のおかずであった‘
漬物は常にご飯とともにあり、コメ文化を支える柱てあ
つた。「ご飯と味噌汁と漬物」の組み合せは、栄養もそ
こそこ取れて、何回食べても飽きのこない素朴な味であ
り、農家のきつい労働を支えてくれた 農家では、朝に
一日分のご飯を炊いた 前日に麦をよばしておき、コメ
とともに炊き上げる。子供の数も多かったので、ひと家
族ニ、三升ものご飯を炊いた 特に農繁閲は日の出前か
ら、日没後まで働きづめなので、一日五、六回も食事を
した。田へ行く時は、ご飯を弁当箱にぎゅうぎゅうに詰
めこんで、梅干しをのせる。タクアン、葉っぱの漬物
つけ味噌、佃煮が主なおかずであった 今ならとても食
べられないほどの塩辛すぎる漬物も、大量に汗をかいた
後なのて身体が要求した 漬物で麦飯をかきこみ、重労
働に見合う熟量を補給した。若い男性ならなら一日一升
ぐらいの飯を食べるのは普通であった ご飯を大量に食
べるために漬物は欠かせなかった。



農家では、きつい労働をするために大量にご飯を食べた 
そのために大量に漬物をつけなければならず、農家の主
婦は年がら年中漬物と向かい合ってくらしてさた 田圃
の仕事をする合間に漬物作りの段取りをする 材料の野
菜作りにも精を出す 季節ごとに野菜が育ち、それを次
々に漬物にしていく「家族の人数を順に入れて、漬ける
補の数を決める 農家ではタクアンを四斗桶に二、三本
漬けるのは普通で、大小をあわサると十本から二〇本の
桶が並ぶ、漬物桶はできるだけ風が通り、温度管理のし
やすい所の方がよいので、家の裏側の軒下か、母屋と小
屋の間の通路などに置かれた。漬物専用の小屋を設けて
いる家もある 昔は漬物をつけたので、けっこう場所を
とぃた,川戸で野哀の泥を洗い落としてから、水洗いし
て、少し乾燥させてから桶に漬けていく。土足で動きや
すくて作業のしやすい場所がよい。



鴎外もほぞをかむ麦飯パワー

湖北の農村部では葬式が起こった時にタクアンの贅沢煮
や塩押しナスの煮物が必ず出される地域がある。葬式は
何時起こるかわからないので、漬物を切らす訳にはいか
ない。どの家でも大量にタクアンと塩切りナスを漬けて
おいた。ナスは夏場次から次に収穫できるので、若くて
きれいなナスを丸のまま塩漬けにしておく。秋じまいに
一度桶から塩ナスをあげて、小糠と塩をまぶし漬け直す。
ウリ、キュウリ、ナスは 収穫して、どぱ漬けにする 
ナスヒ同じくウリやキュウリもどぽ漬け以外に
塩押しに
しておく、これらは酒粕につ・け直して奈良漬けにする
とが多い、塩押しする時は我石が収い万がよく、途中
で軽くして
しまうと酸っぱくなってしまう、また雁行が
均等にかかるように
石の傾きを時々直してやる必要があ
る。
農家ではウメの木がミ一、二本植わっている。梅雨
の頃、ウメが
たわわに実をつけると、収して塩漬けにす
る。シソの葉が育っ
たらウメ酢に漬け、土用の頃に三日
一晩しあげる。秋口にダイコン、カブの芽が出てきたら、
適度に間引いて菜っぱの浅漬けにする。秋の農繁間には
この間引いた青菜を塩漬けにしたものが、とても新鮮で
おいしい ダイコン、カブは、十一月中旬頃収穫できる 
寒風が吹き出す順にプレ目ほど、はさ架けしてダイコン
の水分を落す、四斗桶を用意してご隼分のタクアンを塩
と糠で仕込むナスの葉や干しガキの皮を入れると風味が
よくなる。.大家族だと桶は二、三本必要だ。三月まで
の寒いうちに食べるのは、塩を控え目にするが、夏を越
すタクアンは、塩を多くふり入れる。

 



 漬物をはさんだユリコ団子(湖東地方

滋賀県は耕作面積のほとんどが水田てあり、米栽培を中
心にした農業が続けられてきた。
しかし、米を作ってい
るといっても、いい米は売っ
てしまうので、家で食べる
のは二番米であった 米
は年に1回しか収穫できず、不
作の年だとし、八月の端境期に米が食べられないことが
よく起こるので、始末して食べた 米の少ない時は、ユ
リコ団子や混ぜご飯を多く食べ、米を節約して食べのば
した。糧飯としては、リョウブ飯、ダイコン飯、豆飯な
どが食べられている。が、この場合も漬物は欠かせない
おかずであった。

農閑期の冬場はモチにウル米を混ぜて作るコワ餅が主食
や間食となる さらに質の悪い末熟れや胴割れ米などの
くずれ米はユリコ、イリコ、ユルゴ、コゴメ、コマカな
ビと呼ばれている これも大事な食料であハで、粉に挽
いてから団子にして代べた ユリコ団子は滋賀の全域デ
食べられている。ヨモギを入れたユリリ団子はばほ全域
で認められる。湖北では煮煮団やカブと一緒に団子汁に
したり、ミョウガなどの葉に包んで蒸し団子にすること
が多い。湖東のユリコ団子は、灰の中に入れて焼き団子
にするのが特徴である 中身も変わっていて、大根や日
野菜や葉っぱの漬物を刻んで入れたり、焼いわしやエビ
を入れる。日野菜漬けかよく使われている 素朴な味で
蒸して、焼いて食べても美味しい。ここに、スジエビ、
サワガニ、シジミ、モロコなどの魚介類、ラクト、ジビ
エ、クルミなどの具材に加え、麹や酒粕、酢、ハーブ(
香辛料)などを加えどに漬け込んだ「ゆりこ団子」とし
てバージョンアップすれば強力な滋賀の名産事業となろ
う。

   

【#野菜漬物#北海道#旭川市西神楽#かぼちゃ漬】

材料:大根/塩/かぱちや/サッカリンノ笹の葉

鮮やかな黄色が笑しい漬けものである。水分の多いかぼ
ちゃ、甘みやうまみの乏しいかぽちやなど煮炊きしても
まずいもの
用いて有効利用。 二斗桶一本分の聖護院
大根を縦半分に切って、一週間、塩漬けしておく。かぼ
ちゃ.三個はあらく切って、水をひたひたに加えて炊き
あげ、汁ごとつぶしておく。かぼちゃのないときは好み
で砂糖をを少し入れる。水気をしぼった大根を―斗樽に
一段並べ、つぶしたかぽちゃを平らに置いて、大根、か
ぼちゃと、交互に詰めていく。笹の葉をかぶせ、ふたを
して.重石をかけておくと、―週間すぎから食べられる。
なお、大根は縦半分に切って、四、五日干したものを、
直接かぼちやの床に漬ける方法もある。この場合は、か
ぼちゃ三個に対して、塩を荼わん三杯くらい混ぜて漬け
る。

 

 

 LEDを照明としてでなく、家庭用菜園と兼用させた
ランプが提案されている。もう自然農法が主流でなく、
多様な農産物育成時代である。無自覚ではあるが、環
境全面対応できる宇宙食農法時代なのかもしれない。
 

【脚注及びリンク】
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  1. 食べ物の「こく」を科学するその現状と展望  西
    村敏英、江草愛、化学と生物、2016.vol.51,No.2,
    PP.102-108 
  2. 物を科学する 世界に誇るマイクロバイオームフ
    ード, Anti-Aging Food Association 2016.08.23
  3. フローラ健康通信 - NHKでも放送された、今話題
    の腸内フローラ!毎日のスッキリと快適生活を維
    持する方法とは 2019.03.07 
     
  4. 近江つけもの 山上 公式ホームページ 
  5. 戸時代は100種以上、日本人と大根の根深き関係
    食の安全、
    JBpress
     
  6. 方領大根  Wikipedia 
  7. 聖護院大根領大根  Wikipedia 
  8. 多賀の食「おやき・ゆりこ団子」2018.06.17 
  9. 滋賀県の家庭料理 おやつの特徴 日本調理科学会
    2017.08.31 
  10. 滋賀県出身の人物一覧         

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近江の歴史と漬物Ⅲ

2019年03月08日 | 滋賀グルメ紀

   
作成日: 2019.03..|更新日:

くらしを彩る近江の漬け物 
❑ 背景と土壌を探る
1 近江の歴史と漬物
☈ 明治以後、食生活の変化による潰物の行方

昭和二十五年頃から日本経済は回復に向い、昭和三十年
代に入
ると高度経済成長が始まり、食生活は一変するこ
ととなる。加工
食品、肉類の摂取が急増し、食生活の洋
風化の進行とともに、漬
物は食ヴの主役から脇役へと後
退していった.「食塩の過剰の弊害
も指摘され、タクア
ンをはじめとして主要な漬物の生産量は激減
期を迎える
こととなる。

昭和二十五年代に入ると日本型食生活の再評価が始まり、
漬物も
多品目少駿時代を迎えることとなる 10%以上
の高塩漬物は次
第に減少し、現在では塩分2%以下のも
のが多く、1%くらいま
で塩分を落とした漬物も増えて
いる。家庭で漬ける漬物から購入
するものへと変化して
いく中で、発酵させずに調味液につけただ
けの製品も多く
なり、漬物交化そのものが大きく変身していった。



☈ 滋賀の漬物技術

滋賀県は「近畿の米倉」といわれたほどのコメの
産地で、農耕地
のほとんどが水田なっている漬物
交化は稲作とともに発展してきたので、コメの産
地である滋賀は当然、漬物交化も豊かに発
展した

滋賀県は野菜の漬物だけではなく、淡水魚の漬物・馴れ
ずしの宝庫である,魚をご飯と一緒に漬け込むことは贅
沢なことで、ナレズシは米どころであるからこそできた
漬物である。また長く農家が魚捕りをする半農半漁の漁
業が、主体であったからこそ生まれてきた文化でもある。
野菜の漬物、魚の漬物・馴れずしも含めて、滋賀の人々
は優れた漬物技術をもっていた 発酵食品は相手が微生
物だけに目をかけてやらないと失敗する 経験ときめ細
かな観察力が要求される。近江の人はそれを厭わずに発
酵食品を育ててきたといえる。

漬物の産地として京都が有名である。滋賀は京都の近郊
に位置し、都を支える物資供給基地としての役割を永く
担ってきた。米や淡水魚介類だけでなく、野菜も近江か
ら運ばれた。a・津や大津でとれた野菜が京都の収場に
並び、また行商されていき、京都の漬物になっていった,
、現在でも1枚漬けのド漬けが滋賀でされており、滋賀
は京漬物を支えながら、漬物を漬ける腕も磨いてきたと
もいえる。        
                  この項つづく              

 

 

【エピソード】

    

【#野菜漬物#青森県#大根の水漬】



青森県三戸郡階上(はしかみ)町道仏

みずみずしい方領(ほうりょう)大根を六斗樽に一杯漬
け込む。おかずにしたり、手みやげに持って歩くほどで
ある。二十貫(75キロ)くらいの大根に六百匁(2.25
キログラム)くらい塩入れ、樽の三分の一ほど入れて押
しぶたをし、二十貫ほどの重りをのせる。十二月八日、
薬師さまの年取りの日に水漬に手をつけ、神さまにあげ
申してから食べ始める。甘塩で、しやわしやわと歯ざわ
りもよく、うまい。なんぼでも食べられる,

  

日本の大根は大陸から伝わってきたとされる。大根の種
は腐りやすいため、化石として遺りにくく「何年前の遺
跡から発掘」といった成果は上がってこない。ただし、
土中の花粉には大根の属するアブラナ科のものが多く見
つかっており、稲作より前に大根は日本に広まっていた
とする説もある。
大根についての最古の記録は、712年成立の歴史書『古事
記』における仁徳天皇の歌にある。

つぎねふ山城女の木鍬持ち打ちして淤富泥(おほね)
根白の白腕(しろただむき) 枕かずけばこそ 知らずと
も言わめ

この歌は皇后に向けて詠んだもの。「淤富泥」が大根を
指す。「木の鍬で育てた大根のように白いあなたの腕を
枕にしたことがなければ、知らないと言うだろう」と歌
っている。昔は「大根」を身体のよい喩えに使っていた
ようだ。仁徳天皇が在位していたとされる4世紀、すで
に木鍬で大根が育てられていたこともうかがえる。

【脚注及びリンク】
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  1. 食べ物の「こく」を科学するその現状と展望  西
    村敏英、江草愛、化学と生物、2016.vol.51,No.2,
    PP.102-108 
  2. 物を科学する 世界に誇るマイクロバイオームフ
    ード, Anti-Aging Food Association 2016.08.23
  3. フローラ健康通信 - NHKでも放送された、今話題
    の腸内フローラ!毎日のスッキリと快適生活を維
    持する方法とは 2019.03.07 
     
  4. 近江つけもの 山上 公式ホームページ 
  5. 江戸時代は100種以上、日本人と大根の根深き関係
    食の安全、JBpress
     
  6. 方領大根  Wikipedia 
  7. 滋賀県出身の人物一覧        

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近江の歴史と漬物Ⅱ

2019年03月07日 | 滋賀グルメ紀

   

作成日: 2019.03..07|更新日:

くらしを彩る近江の漬け物 
❑ 背景と土壌を探る
1 近江の歴史と漬物
☈ 大陸との交易に携わった安曇氏と塩の道
亀井千歩子著「塩の民俗学」によると、筑前糟屋阿曇郷(福
岡県
を本拠地とした安曇氏は、宗像氏と並んで、海人族を従
え、大陸との交易、塩など海産物の交易にも携わっていた。
安曇氏ゆかりの土地は各地に存在し、長野の安曇野をはじめ、
近江国にも安曇郷が存在する。日本に塩泉は存在するが量的
には少ない。ほとんどの塩は海水から調達し内陸部へ運ばれ
たので、海人族が活躍し、塩の道がはりめぐらされていった。

海には接していない近江へ、塩がどのように運ばれてきたか
は興味がそそられる。近江には複数の塩のルートが存在した。
瀬戸内海でとれた塩が大阪、伏見を経由して大津に入ってき
たし、近江北部には福井から塩のルートがあり、塩津という
地名も残っている。湖東へは伊勢湾からの塩の道があった。
漬物菜は、十字花植物のアブラナ科がそのうちの大多数を占
める。

十字花植物はアクが少なく、栽培も容易でおいしい漬物とな
る。漬物になる野菜は地中海沿岸、アフリカ、西アジア、イ
ンド、中国を原産とするものが多い。野生種を改良して栽培
化された野菜の多くはシルクロードを経由して、日本にもた
らされた。カブは地中海沿岸または西アジアが原産地で、縄
文晩期に伝わったという説がある。日本はカブの種類が豊富
で、和様と洋種がある西日本は和種が多く、日本にしかない
種類もある。ダイコンは地中海沿岸または中国原産で、日本
へは南支那系のものが縄文期に伝わったとされている。

ほかに縄文期に伝来したとされる野菜にはニンニク、ラッキ
ョウ、ネギ、アサツキ、ショウガ、ニラ、ある、四~七世紀
の古墳時代には中央アジア原産のカラシナ、インド原産のマ
クワウリが伝来したとされている。ナスはインド原産で七世
紀に中国へ、八世紀に日本へ、キュウリ、シロウリ、シソ、
タカナは八世紀頃に日本へ渡ってきたとされてい今の主要な
漬物野菜のほとんどが八世紀の日本にはすでにそろっていた
ことになる。

奈良時代の長屋王(664-729)邸宅跡から発見された木簡資
料は食に関する貴重な記録になっている。野菜など食材が搬
入される時につけられていた荷札、伝票に相当するのが木簡
である。奈良時代初期の木簡資料に登場する野菜は、ナス、
ダイコン、カブラ、チシャ、ショウガ、トウガン、セリ、ジ
ュンサイ、アザミ、レンコン、ゴマ、ゴボウなどである。漬
物の形で搬入されたものも多い。滋賀の甲良町や蒲生町から
も漬物が献上されていた。その頃の日本は、すでに米から酒
や酢が醸造されていたので、漬物は塩漬けだけでなく、粕漬
けや酢漬けも存在した、醤漬け、味噌漬けもあり、漬物技術
はかなり発達していた。



平安期に書かれた延宮武には、宮中の儀式に使われた食品が
記されており、野菜の漬物や馴れずし類も多く記述されてい
る。多様な野菜が漬物にされており、食生活上の漬物の位置
づけが今以上に大きかったことが伺える。古墳時代に伝来し
たウメは、鎌倉時代には全国に普及し、江戸時代にはウメ干
しに漬けられるようになりたといわれている、江戸時代には
『本朝食鑑』など、数多くの食物関係の本が出されている。
江戸の町には漬物を扱う店も生まれ、京都や大阪にも漬物を
行商して歩く人がいた。江戸の町では白米食も盛んとなり、
糠の生産も増え、糠みそ漬けやタクアン漬けが始まった。そ
れとともに漬物は多様化し全盛期を迎える。江戸間後期に出
された『漬物塩嘉言』には漬物の詳しい作り方も記されてい
る。

明治以後、食生活の変化による潰物の行方

明治時代に入ると、米食が都市部だけではなく、全国に拡大
していく、漬物がご飯のJ番のおかずであり、生産量は伸び
ていった、明治、大正期には精米法が進み、白米で食べる習
慣が全国に
拡大していった。漬物や味噌汁だけの貧弱なおかずと白米だ
けでは、ビタミンB1の供給は追いつかず、この頃は風土病の
ように脚気がはやツタまた食塩摂取量が高すぎて、タンバク
質の足りない東北の農村部では脳卒中が多発した。戦中、戦
後にかけて食料事情が悪化すると、栄養失調は都会部を中心
に悲惨な状態になり、結核も蔓延した。

                     この項つづく

【エピソード】

    

【#野菜漬物#岩手県#がっくら漬】

岩手県紫波(しか)郡紫波町片寄

大根は、やわらか方領(ほうりょう)大根を水洗いして
鉈たか包丁でがくがくかくかく。がっくらのこうし漬は、
かいた大根ににんじんを細かく切ったものと、しその実
の塩漬を加え、塩を少し入れて甘酒またはこうじで漬け
る。日がたって水が下がらないときは、水を少し加える。
薄塩で漬けるので、少し酸味が出てくるか、それがこう
じの甘みと混ざり、とてもおいしい漬けものである。し
その香りも一段とうまみを添え、喜ばれる漬物の一つで
ある。
長くおくと色が悪くなるので、二、三日で食べら
れる分だ
けつくる。
 

甘酒に含まれるブドウ糖は、麹菌によって既に分解済と
なっているため、効率よく体内にエネルギー源を吸収で
き、その他にもアミノ酸、ビタミンB群、ミネラルなど
が含まれ、麹菌は一緒に摂った栄養の消化吸収を助けて
くれる働きがあり、胃腸にも優しく、夏バテにもってこ
いである。また、甘酒には食物繊維やオリゴ糖も含まれ
腸内の善玉菌を増やして腸内環境を整え、便秘の予防・
解消にも役立ち、麹菌は死骸となり腸内にいる善玉菌の
餌となり、免疫活動を活性化させて免疫力を高める効果
もある。さらに、甘酒は、血行と代謝をアップさせ、毛
細血管の隅々にまで身体が求める栄養素を届け、老廃物
を流してくれる。麹菌は、飲酒・喫煙・ストレスなどで
欠乏しやすい、皮膚の状態を整える働きのあるビオチン
を含み、目の下のくま、肌荒れ、しみやくすみにも効果
があると言われている。

【脚注及びリンク】
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  1. 食べ物の「こく」を科学するその現状と展望  西
    村敏英、江草愛、化学と生物、2016.vol.51,No.2,
    PP.102-108 
  2. 物を科学する 世界に誇るマイクロバイオームフ
    ード, Anti-Aging Food Association 2016.08.23
  3. フローラ健康通信 - NHKでも放送された、今話題
    の腸内フローラ!毎日のスッキリと快適生活を維
    持する方法とは 2019.03.07 
     
  4. 滋賀県出身の人物一覧       

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