ツチフキ大量繁殖に成功

2014年08月29日 | 日誌

 

 

希少な淡水魚の繁殖に取り組む滋賀県草津市の琵琶湖
博物館は、環境省の絶滅危惧種に指定されているツチ
キの大量繁殖に成功した。国内の水族館では初とい
い、
稚魚を31日まで展示している。ツチフキはコイ
科の魚で
体長8~11センチ。本州や九州、朝鮮半島
や中国のため池などに生息している。産卵期になると、
雄が池の底にすり鉢状の巣を作って卵を守る習性があ
る。国内では生息環境の悪化で減少している。同博物
館は毎年、屋外で繁殖に取り組んでいたが、数十匹し
か増えなかった。今年は巣を作りやすいよう敷地内に
ある池の底の砂を細かく、稚魚を襲うトンボの幼虫対
策も施したところ、200匹以上の稚魚が6月末に生
まれた。担当者は「今回の工夫を減少地域の繁殖に生
かせれば」としている(2014.08.27 京都新聞)。

同博物館の金尾滋史学芸員は「地味な存在の魚で、絶
滅の危機にあることを知られておらず、繁殖に取り組
む研究機関もほとんどない。展示を通して、ツチフキ
の現状を多くの人に知ってほしい」と話している(産
経新聞 2014.08.28)。

【エピソード】

 
 



● 概要
 

ツチフキ(土吹、Abbottina rivularis)は、コイ科カマツ
カ亜科に属する魚。別名にはスナモロコ・ドロモロコ
などがある。日本列島を含む、アムール川流域から
河流域
までの広範囲に分布する。メコン川上流からも
記録がある。日本では近畿以西の本州、四国、九州に
分布しているが、近年は東日本にも多く移入されてい
る。
 

カマツカと似ているが、体長が10センチメートル程度
までしか大きくならないこと、吻が若干丸みを帯びて
いること、背びれの大きさが体長に比べて大きめであ
るということなどの違いがある。口は下側に開いてい
て、1対のひげを持つ。
流れのあまりない水路、河川
や、湖に生息。砂底を好むカマツカに対し、本種は泥
底を好む。産卵期は春から初夏で、この期間、オスが
泥底に産み付けられた卵を保護する、婚姻色は目立た
ない。

● 生息場所

ため池や流れの緩い用水路、河川の中下流域の浅い砂
泥底に生息している。常に水底にいる。


● 外観・生活

全長は10センチメートル程度になる。コイ科底モノ三
兄弟(カマツカ、ツチフキ、ゼゼラ種群)の中では最
もずんぐりしていて、背が盛り上がっているので猫背
見える。体色や体側の斑紋の様子はカマツカに似て
いる。口は下向きで口の両端には短い1対の口ヒゲが
あり、成熟した個体では上アゴの後ろの背面が一部く
ぼむ。特徴的なのは口から目にかけて比較的太い暗色
帯があることだ。「カマツカのように砂には潜らない
」とものの本にはあるが、飼育しているとたまに体の
半分くらいを砂に沈めていることがある。自然界で砂
底に潜るかどうかは不明だ。見た目は鈍くさそうだが
素早く泳ぐ。繁殖期は春から初夏で、オスは背ビレを
伸ばし、胸ビレの前縁には尖った追星を出現させ、腹
ビレや尻ビレをオレンジ色に染める。オスはすり鉢状
の巣をつくってメスを誘い、メスはそこに寒天質に被
われた卵を産み、オスが孵化するまで卵を保護するそ
うだ。 コイ科の中では珍しい習性で、オスがメスよ
り大きい理由はそんな性質が影響しているのかもしれ
ない。 雑食性で、イトミミズや有機堆積物(デトリ
タス)、浮遊動物、付着藻類などを食べる。

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※ 環境省のレッドリストで絶滅危惧(きぐ)種のうち2番目
    に 危険度の高いIB類となった。

● 人間との関係

食用とすることはほぼない。また、ペットショップでは、他の
日本産淡水魚の飼育水槽におけるタンクメイトとして販売さ
れることがある。

【脚注及びリンク】
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1. C Vidthayanon, M Kottelat (1995). “First record of Abbott-
ina rivularis (Cyprinidae: Gobioninae) from the Mekong basin
”.
Japan. J. Ichthyol. 41 (4): 463-465.
2. Yan, Y. Z. and Y. F. Chen. (2007). Changes in the life history
of Abbottina rivularis in Lake Fuxian.
 Journal of Fish Biology
70(3), 959-64.
3. 雑魚の水辺(Top> 観る > 日本淡水魚 > ツチフキ
4.
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勝楽寺城

2014年08月07日 | 滋賀百城

 

 

 勝楽寺城は、鈴鹿山系に発した大ヒ川が山間から平野
へ出たその脇、湖東平野に発達する大上川扇状地の扇の
要部分へ向かって南から突き出た丘陵の先端に位置する
山城である。

 山麓にある勝楽寺は南北朝期の婆娑羅大名・京極高氏
(追誉)の菩提寺として著名で、境内には追従の墓とさ
れる石塔がみられる。


 城へは寺の南側の谷から登山道が設けられ、経塚や狐
塚を経て山上の城跡へ至る。近年設けられた砂防堰堤の
前で谷を渡った尾根ヒに経塚、そこから尾根筋を辿って
主尾根の斜面を巻いたところに狐塚がある。狐塚からの
眺望は絶好で、荒神山を正面に、彦根から観音寺山まで
湖東平野を一望することができる。狐塚からは斜面を登
って曲輪VとⅥの間に辿り着く。

 曲輪の配置は山上に削平地を連ねただけの非常に単純
な構造で堀切も認められないが、曲輪Ⅱ・Ⅲ・Vは明瞭
に削平されている。細い尾根のため東西の斜面は急斜崩
となり、南北の尾根続きも急に落ち込み急登を強いられ
る。このように尾根続きが自然地形によって遮断されて
いることから、元々堀切が必要でないという見方も可能
である。



 曲輪群は中央にある細い鞍部を境に東面‥に分けられ
る。東側は北端の南北に細長い二段の曲輪と「見張り台」
と呼ばれる二段の曲輪Ⅱ・Ⅲからなる。曲輪Ⅱは犬上・
愛知郡方面への眺望に優れる。曲輪Ⅲの周囲には石垣が
廻っており、南側には土塁が設けられている。特に石垣

は低いながら直線的な面がみられ、面と面の間には隅が
しっかりと認められる。ただ、いずれも曲輪面までは立
ち上がらず斜面の中ほどに留まっている。曲輪Ⅲには建
物の基礎となる礎石の存在が伝えられているが、こ
れは
転石か岩盤の露出と思われる。



 西側は細い鞍部に接した東西に長い削平地Ⅳとその西

側に続く二つの曲輪V・Ⅵからなる。さらに南へは眺望
の良い「上腸落とし」と呼ばれる地点Ⅶともうひとつの
ピークⅧが並んでいる。その先で尾根が急激に落ち込む
ことから、ここまでが城域ども考えられるが、二つのピ
ークはいずれも未削平で人工の痕跡はみられない。

 なお、以前この城には近江では珍しい畝状空堀群(連
続竪堀)があると言われていたが、改めて踏査したとこ
ろ自然地形の誤認である可能性が高い。これらは狐塚の
上の斜面とそこから稜線に登り詰めた曲輪V・Ⅵ間に記
されているが、畝状空堀群の一般的な設置箇所とも異な
るため、仮に竪堀と認定するとしても他の城のものとは
一線を画した扱いとすべきである。

 このように当城は、曲輪の造成については石垣や削平
の具合からある程度顕著な遺構と評価できるものの、堀
切や竪堀は確認できず防御施設については立地のみに依
存した古式な構造である。積極的に城郭として使われた
かどうかわからないが、犬上川扇状地の扇央という立地
や、勝楽寺の存在から見張り台などとして使われたと考
えられよう。

 案内板などによると、京極氏の家臣である高築豊後守

が応安元年(1368)に築城したとされている。これ
は彦根の『大洞弁天当国古城主名札』の記載によるもの
であろうが、高築氏(高筑氏)自体が実在かどうか不明
であり真偽のほどは定かでない。『嶋記録』には天文四
年(1535)に多賀豊後守について「豊州城、古ハヤ
ツヲ又セウラクジナドにもありよし申伝候」とあり、多
賀豊後守家の城であったことを伝えている。多賀豊後守
家は犬上郡下之郷(甲良町)に拠点を持っていたとも言
われている。『犬洞弁天当国古城主名札』『嶋記録』共
に姓は違えども「豊後守」という点が共通していること
は注意されよう。また、正楽寺の束隣には六角氏の家臣
の名字である楢崎(多賀町)がある。楢崎氏が当時この
地に居住していたかどうかは不明な点が多いが、多賀氏
以外にも勝楽寺城を使用する主体として想定しておくべ
きであろう。     
                   (早川 圭)

出典:

    

【エピソード】

 

 

【脚注及びリンク】
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1.
勝楽寺城 /城跡巡り備忘録 滋賀県
2.滋賀県甲良町 勝楽寺 - Japan Geographic
  本全国お城めぐり

3.佐々木道誉 - Wikipedia 
4.近江鉄道多賀線開通100周年プロジェクト

5.青岸寺 公式サイト

6.近江の戦国時代 京極氏と六角氏
7.近江の戦国時代 浅井氏の台頭
8.近江の戦国時代 信長の近江侵攻
9.近江六角氏はなぜあっという間に敗れ去ったのか?
10.琵琶湖岸の地理的環境と戦国時代の近江の水城
11.佐々木六角氏の歴史
13.霊通山 清滝寺 徳源院
14.佐々木六角氏の歴史
15.甲良町 甲良三大偉人
16.佐々木道誉公墓・犬上郡甲良町 滋賀文化のススメ
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