城郭都市設計史 Ⅹ

2015年12月29日 | 湖と城郭都市

 

 

【中世の彦根 2】

● 中山道より多賀大社への道

彦根から多賀大社への遜は、3つあり、(1)中山道の
高富宿からの道と(2)大堀町の中山道、(3)
中山道
の原町からのもで、なかでも高宮道と呼ぱれているは、
多賀大社への正
式な参詣道であり、多賀道とも呼ぶ。
山道愛知川の家祓みを過ぎ、さらに街道の松並木に当時
の面影を留める葛肱町(
彦根市)を通り、大上川の高宮
橋を渡ると、高宮の集落に入る。



高宮(彦根市)は、江戸期には、この中山道の宿駅が置かれ
ていた。この中山道での第二を誇る大きな宿駅として栄えた
宿場町。この高官のほぼ真中辺りに、中山道に面して多賀大
社の石造りの大鳥居が聳え立つ。多賀大社への起点に建
この一の鳥居といわれる大鳥居は明神鳥居で、寛永年
間(1624~43)
大社の造営のときと同じく造営さ
れている。石鳥居の高さは16メートル、柱
の直径は1・
2メートル、柱間八メートルという堂々
としたもので、そ
の規模は滋賀県下最大で、滋
賀県指定文化財となってい
る。
大鳥居の脇には、大社の常夜燈と「これより多賀み
ち三十丁(約3.2キロメートル)」と刻んだ道標もあり、
多賀大社の表参追口に相応しい雰囲気をとどめる。大鳥
居の扁額は、青蓮院門跡之御染筆といわれ、


  道端に多賀の鳥居の寒さかな 

              尚白(『猿蓑』)※14

の俳句の石標が静かに佇んでいる。.



青蓮院門跡  宸殿前庭、右近の橘、左近の桜

● 多賀道

多賀大社は、高宮からおよそ四キロあまりの道のり。
ころで大鳥居前に現在、「多賀賽銭箱」が置かれている。これ
は中山道を往来する旅人で、社前iまで参拝できない旅人のた
めに置かれた。大鳥居をくぐると、ほぼ田園の中を.直線で多
賀の集落の南端に連ながっている。この道の両側に約20メ
ートルごとに石燈脆が曾つては整列していたが、県道多賀高
宮線が旧道に相乗りして道幅が拡げられたとき、その殆どの
燈龍が引抜かれたため、表参道としての風情を喪失した。

多賀の町中をさらに進むと、多賀名物糸切餅を売る店角に、
「左、とりいもと」と刻した道標かあり、この三叉路で原道や大
堀道と合流する。やがて道は右へ曲がり、その角に「右、本社
道」「左、京道」と刻した明治十九年(1886)建立の見参な道
標がなっている。


● 大堀道

大堀道は、中山道彦根市大堀町から、多賀町土田を通り、
賀大社までの約三・5キロを結ぶ間道で、多賀彦根大
堀往遠
道と呼ばれている。中山道から道幅.一方の旧道
に入ると、
芹川の左岸((側堤防)に出る。そこから芹
川沿いに東に進む。
この芹川は、善利川とも大堀川とも
呼ぱれていたが、『木曽路
名所図会』には、「名におふ
不知哉川」とあり、また「万葉集」
巻11の「狗上の鳥
籠の山なる不知也川不知とを聞こせわが
名告らすな」」
などと、多くの古歌に出ている。


大堀山ともいわれる鳥籠山左に眺め、さらに東に進むと、
の大木が立ち並ぷ大社の森が眼前に展かり、やがて、
多賀町
土田の集落がる。人口に黒ずんだ風化が激しい石
の道標が
建っている。「右、多賀大社道」と刻まれ、八
幡神社の前を通
り大川の橋の挟の「左、多がみち」と刻
まれた道標があり、多
賀大社への参詣道であったことを
伝えている。

● 原道

彦根市原町の中山道交差点より正法寺町、野田山町を経
て、
多賀町中川原を通り、多賀大社までの5キロjを結
ぶ間道が原
道。東国や北国地方からの参詣道になる。起
点の中山道との
交差点には、高さ5メートルに及ぶ立派
な常夜燈が建っている。
その竿には「多賀大社」「不動
院」と刻まれ、燈寵の下に、「是
れより多賀ちかみち」
の道標が立ち、往昔の面影を残す。「ち
かみち」とある
のは.高宮道を通るより近いからで、高宮道が
正参道に
あるのに対し、裏参道、東参道と呼ばれている。旧
道は、
正法寺集落の南端で西へ進み、勝山という小高い丘の

を南へ進む。この勝山は関ケ原の合戦の時に、家康が本
を置いたところで、頂上から南北に走る中山道が眼下
に見降
ろせ、彦根城下一望できまる。

「高宮道」彦根市高宮町 「大堀道」彦根市大堀町 
「原道」
彦根市原町―――0749-24-7971(彦根市教育委
員会)

 

 

【佐和山城郭都市考 6】 

● 「宿場町」の成り立ちと都市の構造 

宿場町は、中世から近世において、主要街道沿いに発達
た集落都市であり、江戸時代には、幕府や藩によって公
式に認定されたまちの一形態である。諸大名への参勤交
代制の確立や各地をつなぐ街道や往還が整備された江戸
時代以降に新しく成立したものが多い。参勤交代の大名
一行等の宿
泊施設としての本陣や脇本陣、公用物資の運
送を担う問屋が立地し、これらに必要な人足を徴用す

ための助郷が周辺の農村部に立地した。

また、一般庶民による有名寺社等への参詣の流行に伴い、

一般庶民を相手にした旅箭、木賃宿、商家等が、街道に沿
って細長いまちを形成。宿場
町の多くは商業機能をあわ
せ持つ在郷町として発展した。特に賑わいを見せたのは、
五街道
沿いに展開した宿場町で、幕府は道中奉行を設け
て直轄とした。


町は街道に沿った沿道型であり、街道の両側に奥行きの
った短所状の町割、街路の中央や両側に水路を特つと
いう都淑の構造が典型的であった。町の入口に木戸を設
け、枡形を有する場合もあった。

宿場町は、都市問を結ぶ街道の整備及び街道を行き交う
人々物資の増加に伴い、宿場として発達
したまちであり
街道の両側に沿ってまちなみが形成されている。宿場町
は、幕府や各藩により公式
に認められた町として、江戸
時代を通じて発達。地域によって独自の旅馥や問屋等の
町家がある。

特に、江戸時代の参勤交代制度により、地方の大名一行
等が宿泊する本陣や脇本陣、物資の運
送を行う問屋が立
地した。
構成要素としては、人々や物資の往来を支えた
街道と、宿泊施設としての大名・行等が
宿泊する本陣や脇
本陣、町民等が逗留する旅寵や旅館等といった宿場の特
徴を持つ建築物、街道
筋に点在する目印や追分、並木等
がある。また、
宿場町での生活を支えた用水や水路等も
街道や沿
道のまちなみとあわせて、特徴的な要素である。
この他、街道沿いに設けられた行き先を示す石碑や塚等、
宿場町とのつながりある要素も多い。

 

 

【エピソード】     

         

今回は鳥居本宿――天保十四年(1843年)の『中山
道宿村大概帳』によれば、鳥居本宿の長さは小野村境か
ら下矢倉村まで13町(約1.4キロ)、宿高315石
鳥居本宿の宿内家数は293軒、うち本陣1軒、脇本陣
2軒、問屋場1軒、旅籠35軒で宿内人口は1,448
人であった(Wikipedia)――は触れなかったが、後日宿
場町としての鳥居
本と、佐和山城――戦国時代の城郭
としては交通の要所であり『浅井三代記』『信長公記』
を基にすると小谷城の表御殿的な機能、つまり、ゲスト
ハウス(迎賓館)ではなかったと推測されている――下
町との接点を考えてみたい。


  

 

          16年度新年会(案) 

日時 2月6日(土)か2月13日(土)のどちらかで
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 幹事が責任もって手配します。
                              幹事敬白   

 

  

      

  【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------  
    

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. 江佐尚白:生年不詳~享保7年(1722)7月19日
  15. 旧中山道六十九次徒歩の旅53/鳥居本~64高
    宮宿/紀行写真集3
  16. いのちの神様 多賀大社
  17. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  18. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  19. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  20. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  21. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  22. 滋賀文化のススメ
  23. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  24. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  25. 彦根巡礼街道
  26. 朝鮮人街道 Wikipedia
  27. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  28. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  29. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  30. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  31. ボーデン湖 Wikopedia
  32. コモ湖 Wikipedia
  33. ネッカー川 Wikipedia
  34. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  35. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  36. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  37. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  38. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  39. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  40.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
    , pp1681 - 1685
  41. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  42. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  43. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  44. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  45. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  46. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  47. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  48. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  49. 中世ヨーロッパ 騎士と城
  50. 城郭都市 Wipipedia
  51. ハイデルベルグ Wikipedia
  52. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  53. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  54. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  55. リンダウ - Wikipedia
  56. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  57. 城郭都市 Wikipedia
  58. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  59. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  60. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  61. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  62. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  63. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  64. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  65. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  66. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  67. 万里の長城 世界史の窓  
  68. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  69. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  70. 佐和山城 Wikopedia
  71. 石田三成 Wikipedia
  72. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  73. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  74. 鳥居 明神鳥居 Wikipedia
  75. 猿蓑 Wikipedia
  76. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  77. 石田 正継 Wikipedia
  78. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  79. 彦根藩並近郷往古聞書
  80. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  81. 井伊家年譜
  82. 佐和山藩 Wikipedia  
  83. 丹羽長秀 Wikipedia  
  84. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  85. 彦根古図略図 彦根市
  86. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  87. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  88. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  89. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  90. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  91. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
       

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城郭都市設計史Ⅸ

2015年12月25日 | 湖と城郭都市

 

【中世の彦根 1】

● 多賀大社に繋がる道

春になると、ここ近江は春まつりで大賑いです。比叡山
鷲大津坂本の山王祭、羽柴(豊臣)秀吉の城下町長浜の
曳山祭、豊臣秀次の城下町近江ハ幡の左義.長祭を始め
として、盛大な春祭が琵琶湖を巡って繰り展げられる。

多賀大社でも年中を通して様ざまな神事が斎行される。
くから両季御祭礼といわれ、四月中午日(現在は22
日)を中心とする春の祭にくらべると、霜月祭(大官祭)
は密やかな神事である。

昔は四月卿神事とか単に御祭礼と呼んでいたが、明治以
降は古例大祭が正式名称になる。鎌倉時代の占文書によ
ると、祭使と馬L役というこ大の大祭の主役は、その時
代の大社の経営や神事のすべては、御家人として威勢を
誇っていた多賀氏と河瀬氏という「重大氏人」が神官家
として事に当っていた。

祭使は、多戮氏と河瀬氏という御家人層から交替でつと
め、後者は犬上東西両郡内の郷
民の中から指瞑する。
の後、時代の流れに応じていろいろと変遷はあったが、
現在も前者は御便殿と称して多賀町内から、後者を馬頭
人といって大上
郡と旧犬上郡の区域の彦根市から選出し
昔は正月四日に行っていましたが、現在は.1月3日に
御使殿羗定式を行う。、

その後、御使殿、馬頭人それぞれの古例によって神事を
積み重ねて四月二十二日の大祭を奉仕し、数日後の神上
げ式をすませてその大役を終える。大祭の前日の宵宮の
夕刻、本社の南方.一キロに鎮座される胡宮神社の神儀
か当初に渡御する。

さて、御使殿と馬頭の両頭人は、祭礼当日、本社の神前
で神馬の口取りの儀式などを終えて大上川右岸の「賓台
の社」に向う。終ってさらに対岸の「鴻の本の社」にお
供を上げ、神の馬の日取りの儀式を行う。

 

この大上川を挟む両社の両頭人の儀礼は、犬上郡内のた
めの豊饒を
祈願する。また、大祭当日の御輿は、神主以
が供奉して、まず杉坂山の麓の栗栖の地に鎮座する調
宮に渡御する。
大禰宜と調宮の禰宜がこの神輿の前で、
鉾を持ったまま祝詞を奏上古
儀がある。

さて、大神は杉坂より麓に降り、疲れて「くるし(苦しい
)」と言うので、以後、
村の名を「栗栖」としたと伝承
される。調
宮の行事が終ると、御輿の行列は、大社前を
通り抜け、打龍の馬
場に渡る。ここに揖取神社という末
社があり、その前に御輿を
とどめ、神供や神楽を幸り、
御使殿や
馬頭の神馬の口取り式が行なわれる。そして、
両頭人に神主から「富の木」を渡す式もある。「富の木」
とは洞窟の神木の柱の小枝で、御輿にもこれを挿し、供
奉の者もすべてこれを挿頭したり腰につける。これは調
宮に渡るまでの御輿や供奉者とは、異なった状態標示で
ある。

この調宮神社の境内には桂の大木が桂家一門により大切
に守り伝えられていて、祭礼に渡御された御輿鳳輦(ほ
うれん)にその小枝を飾り、供奉者.同も冠や鳥帽子に
もこれを挿し出発する。そして、多賀の西南の町はずれ
の胡宮に近い「打込み馬場」(打敏の馬場)で、御便殿
と馬頭人に宮司によりこの桂の枝を渡す儀式を行うこと
を「富の木渡し」である。早苗のことを神事では冨草と
呼ぶのと等しく、豊饒のご神徳の随もった小枝を授ける
意昧に解される。

朝から栗栖と賓台と二手に別れて出発した行列が打龍に
て合流し、打ち揃って大社に向う。これを「本渡り」と
いい、行列は表門を潜り大社に還る。還御の後、両国人
は本社の社前で奉幣の儀を行う。これまで県人として、
その身に奉戴していたご神霊を、本社にかえす儀礼を行
う。ここで両頭人は常態に復する。

※ 多賀大社社務所:多賀入社滋賀県犬上郡多賀町多賀
  六〇四 0749-48-1101



 

【佐和山城郭都市考 5】 

● 「門前町」の成り立ちと都市の構造 

 

門前町は、中世以降、庶民等の信仰を集めた各宗教・宗
派の総本山や有カ・有名な神社仏閣等の参道沿道に形成
されたまちである。近世以前、神社仏閣等の周辺には、社
寺関係者とその信者か主に立地・集積して寺内町か形成
されていた。江戸時代に入り、全国で盛んになった庶民
信仰
と、五街道をはじめとする街道・往還の整備や宿場町
の形成
により、有名な神仕仏閣への参詣といりた物見遊
山の旅か増
え、これら参詣客を相手にする商工業者等か
集積した都市と
して繁栄する。

門前町の都市構造は、参詣の中心である神社仏閣の門前か
ら延びる参道に沿って、まちなみが展開される場合が多
い門前町で唯一の県庁所在地である長野市の善光寺門前
町のように、より大き
な門前町では、表参道を含めていく
つかの参道や街道が形成され、複合的な構成になった場合
もあ
る(上図)。なお、神社の沿道に形成された町(例えば
近年に再生・整備された伊勢神宮の内宮おは
らい町等)の
場合は、鳥居前町と呼称することかある。

重要伝統的建造物群保存地区のうち、門前町として区分
されているものは、比叡山延暦寺や日吉
大社の門前町の「
大津市坂本」、京都市内から愛宕神社へ通じる優宕街道に
沿う「京都市嵯峨烏滸
本」、ハ坂神社、法観寺、清水寺など
の門前町として古くから眼わった「京都市産寧坂」の3箇
所のみも
あるものの、江戸時代に流行した伊勢詣・おかげ
参りや讃岐の金比羅宮参詣、信濃・善光寺参
詣等か示す
ように、歴史ある門前町が多く現存している。

 

門前町は、中心的存在である苛院や神社の門前に宿坊や
商人達が集積
して、栄えたまちであり、陣社・仏閣への
巡礼から
江戸時代の一般大衆への参詣の膏及や涯街道の
整備伴っ
て冷にけりて発展したまちである。

神社や寺院等の施設は、門前町の中心的施設であり、それ
ぞれの特徴を形づくっている。
本堂や本殿等といった境
内の施設の他、参道沿に配された山門や鳥居、燈篭等は門
前町の重要な構成
要素である。

神社仏閣に向かう参道両側に、門前町の掘海は山門や宿
肪、鳥居前町の場合、御師の住居
か並ぶ沿道型のまちなみ
を形づくり、また、参道沿いの若木等の特徴をもつ。多

くは、主要な街道とつなかっており、宿場町の特徴を持っ
ている。この他の特徴としては、参道沿いに神官
等の屋敷
等か立地している。神社・
仏閣のある境内の前面には河
川や水路か設けられているが、これは神社・仏閣の領域
を聖
域とし、俗世間との結界として配置し、双力の世界を
結ぶ橋を渡ることで、俗世間から聖域へ
いざなうといっ
た意味を特つことか多い。

【エピソード】     

         

  

 

          16年度新年会(案) 

日時 2月6日(土)か2月13日(土)のどちらかで
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 幹事が責任もって手配します。
                              幹事敬白   

 

  

      

  【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------  
    

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. いのちの神様 多賀大社
  15. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  16. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  17. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  18. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  19. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  20. 滋賀文化のススメ
  21. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  22. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  23. 彦根巡礼街道
  24. 朝鮮人街道 Wikipedia
  25. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  26. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  27. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  28. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  29. ボーデン湖 Wikopedia
  30. コモ湖 Wikipedia
  31. ネッカー川 Wikipedia
  32. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  33. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  34. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  35. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  36. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  37. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  38.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
    , pp1681 - 1685
  39. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  40. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  41. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  42. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  43. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  44. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  45. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  46. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  47. 中世ヨーロッパ 騎士と城
  48. 城郭都市 Wipipedia
  49. ハイデルベルグ Wikipedia
  50. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  51. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  52. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  53. リンダウ - Wikipedia
  54. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  55. 城郭都市 Wikipedia
  56. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  57. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  58. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  59. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  60. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  61. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  62. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  63. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  64. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  65. 万里の長城 世界史の窓  
  66. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  67. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  68. 佐和山城 Wikopedia
  69. 石田三成 Wikipedia
  70. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  71. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  72. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  73. 石田 正継 Wikipedia
  74. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  75. 彦根藩並近郷往古聞書
  76. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  77. 井伊家年譜
  78. 佐和山藩 Wikipedia  
  79. 丹羽長秀 Wikipedia  
  80. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  81. 彦根古図略図 彦根市
  82. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  83. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  84. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  85. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  86. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  87. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
       

 ---------------------;-------- -----------------      

 

 


城郭都市設計史Ⅷ

2015年12月24日 | 湖と城郭都市

 

 

 【佐和山城郭都市考 4】 

● 都市構造の成り立ち

日本の各都道府県の中心的な都市は、そのほとんどが近世
(およそ安土桃山時代~江戸時代位)に城下町として発展し
た都市である、明治維新以降、城郭や寺社地は破壊等され
現存していない場合も多いものの、その当時に整備され
都市基盤を継承している。

城下町以外を起源とする歴史的な都市は、例えば門前町を
起源とする(善光寺や伊勢神宮、港町を起源とする新潟
や函館市等かある。特に城下町は、領主の拠点である城
郭を中心に家臣の居宅領域である武家地、寺社地、町人地
等といった、武士と町人の領域が複合的に立地することで都
市として発展し、城下町の中にいくつもの特徴的な町が形成
された。街道と接する領域は宿場町へ、舟運等により物資集
積の拠点となった地区は港町へ、製造や生産を主とした領域
は在郷町へと発達したことで、現在では城下町としての歴史
性よりも、個別に発展した領域での歴史性が色濃く表れてい
る都市も多いと考えられる。ほとんどのまちは、こうした歴史
的な都市の構造を背景に有しており、歴史まちづくりの資質
を備えている。

まここでは、ちの歴史的な成り立ちや都市の構造等の観
点から、(1)城郭を核として武家地・
町人地・寺社地
を配した城下町、(2)江戸時代に入り、消費社会の成
熟とともに農産物の生産地
や鉱業・工業の製造に特化し
て集住し発展した在郷町、(3)巡礼の旅から物見遊山
の旅行や行楽
への人々の変化とともに寺社の門前に発達
した門前町(鳥居前町)、(4)三都(江戸、大坂、京
都)
の往来を支えた五街道沿道とともに発展した宿場町
(5)三都と地方との生産品等の物資集積や
流通の隆盛
により発展した港町(川湊町を含む)(6)戦国時代よ
り寺院の境内と町から形づくら
れた寺内町の6つに区分
する。

なお、寺内町と門前町は、両方とも神社仏閣などの宗教
施設を中心とした歴史的な都市であり、広蓋の門前町に
寺院・神社の信徒が近隣に集落を形成した寺内町等も含
まれる場合があるが、都市成立の背景や歴史的経緯が異
なる。

また、歴史まちづくりを推進するためには、成立した当
時の昌昭の構造やその歴史的な背景をもとに、地域に残
る文化財や歴史的な建造物等の資源を、地域固有の歴史
文脈・ストーリーとして関連づけて、保全・活用する必要
のある資源を検討し、これらを保全活用するために必要
な敗り組みを念頭に置きつつ計画及び個別事業の実施を
行うことが重要であり、歴史まちづくりに活用できる構
成要素について、地域の歴史性を踏まえた都市の属性
に、対象とするスケールや範囲、歴史的資産の特徴を捉

これらの建造物等を組合せて歴史的な関係性を導き出し
、ストーリーを構築することが望ましいとされる。

 

● 「城下町」の成り立ちと都市の構造

城下町の基本構成は、①城郭(城下町の中心施設)、②武
地け級武士が居住する武家地から下級武士の足軽屋敷まで
格式に応じて城郭中心部から周辺部に配置)、③寺社地(
一般的に防衛
上の要所に集中的に配置)、④町人地(一般
的に、鍛冶屋町、紺屋町、魚屋町等の個別職業に応じ
た区
分配置)からなる。

こうした構成要素ごとに町割は異なり、地形要件等によ
り、その配置や形状も異なる。
例えば、彦根の城下町は、
三重の堀によって4つの寡に区画されている(最上図)。
内堀の内側の
第1郭は、天守を中心として各櫓に囲まれた
丘陵部分と珊庁である表御殿(現在の彦根城博物館)な

からなる。内堀と中堀に囲まれた第2郭は、藩主の下屋敷で
ある欄御殿(現在の玄宮園・楽々園)と
家老など千石以上の
重臣の邸宅が広がっており、内曲輪と柘きれた。中堀と
外堀の間の第3郭は、武
家屋敷と町人の屋敷が存在し、武士
・町人あわせて居住していたが、居住地は明確に区分され
てい
た広い敷地を有する寺院は、一朝事ある時は軍事的
役割も担うため、武家屋敷とともに外堀の防衛を形成し
ていた。

このため、堀に面した要所は武家屋敷と寺院で占められ
町人の居住区の大半はその内側に広かっていた町人の居
住区は、油屋町・魚屋町・極星町一様人町など職業による
分配配置が見られる。外堀の外側の第4郭は、町人の住居
と足軽の組屋敷があった。また重臣の広大な下屋敷が置
かれたのもこの地域であった。彦根庸の足軽は、下組(中
教組・池須町組)、善利組上組(大霊寺組)、北組(切通組)、
中組、鐘叩組で構成されていた。足軽組屋敷は、城下町の
最も外側に、城下を敗り囲むように屋敷を連ねて、彦根城
と城下町を守備する役割も担っていた。現在の彦根市街
地でも、特徴的な三重の堀や町割等の当時の都市構造が朗
える。

城下町は、城郭を中心に、武家池、町人地(商人、職人等)、
県社地といJ二身分や職種に合わせ
て、周囲に集積させた
碑成となっており、各境界は濠や堀等によって分けられて
いる。
掘割は、都市の規模にもよるが、城郭周辺の内堀、武
家屋敷辱が内側に配された中堀、下級政和
や町大池が内
側に配された外堀といりた三屈による構成が多い.このう
ち、現存している堀は内堀が
多く、中堀や外堀辱は、道路
や地割りとLてのみ痕跡が見られる場合がある。このよ
うな堀,等で囲まれ
た曲輪と呼称され、地名として残ってい
いる場合がある。

城郭は、本丸の天守閣を中心に、外側に向けて二の丸、三の
丸と配されており、周囲を囲む城壁、
四隅等に配された楢
二の丸や三の丸から城外へと通じる入口に設けられた門
(大手門瓦これら城
郭の基盤となる石垣といった構成であ
る。また、門と櫓の機能を兼ね備えた僧門など、その当時
担っ
た機能や立地した場所に応じた。名称が残っている
場合がある。城郭内に整備された庭園辱も、歴史
的資源で
ある。

武家地は、家臣等のh級武士の住居が城郭から近い中堀内
に配される。地域独特の生垣や塀、
門等に囲まれ・た屋敷
(武家屋敷)を構えることが多く、特に、塀や生垣、屋敷林
等は、現在残りでいる。
武家屋敷群の特徴を示す要素とな
っている。、足軽等の下級武士の住居はその外周に配され
ており、足
軽長屋等が残されていることもある。寺社地
は、城下町の内と外の境界、防衛ト.の前線に集中配|置され
ることが多く、塀や、屋敷林等に
よって囲よれた敷地内
に神社仏閣の建造物が配されている。
 

町人地(商人、職人)は、主に外堀内へ職業別に集積配置さ
れた。鍛冶町や船場町など、その地
域に集注した職業がそ
のまま町名になった例も多く、現在でも伝統的な工芸品等
を生産する地域とし
て残っている場合もある。なお、ま
ちの起源は城下町であっても、屡の転封(移封)等によっ
て廃城となったのち、残った町人
地か商業やエ業の生産や
物資の流通等に糖化し、在郷剛的な発展を遂げた地域も数
多くある(高
山史、川越市など)。

 

 

序説 ヘルダリーンと現代(4)

● 最初の詩集からヘリングラート版全集


へルダリーン生前の唯一の詩集は、病期の1826年、
グスタフク・シュヴァープ(1792~1850)と、
ルートヴィヒ・ウーラント(1787~1862)を中
心とする郷土の詩人たちの尽力になる「ヘルダリーン詩
集」にである。これはヘルダリーンヘの友情の結品であ
り、彼もこの愛すべき一冊を非常に喜びいつも手許に置
いて大切にしたが、折に触れて彼自身も不満を漏らすほ
ど編集内容には相当に不備が認められ、詩集と名づける
にはいかにも不完全だった。

彼の死の直後の1846年に出たクリストフ・テ-オド
ール・シュヴァープ(1821~83)、グスタフの息
子以下小シュヴ″ァ-プと略記)編ペルダリーン全集、
全二巻は、全集の名を初めて冠して評伝まで付いた最初
のまとまった作品集であり、これが以後のヘルグリーン
ーテクストの最
初の、ひとつの土台となったのは間違いない。

ヴィルヘルム・ベーム(1877~1957)編を始め
とする、中規模
程度の整った全集が、19世紀末から20
世紀初頭にかけて数
種出たのも、この時点での小シュヴ
ァープの綿密な仕事があっ
たればこそと言ええる。

20世紀に入りしばらくして、時代を画するひとつの出
来事が生じた。ゲオルゲ派の一人、ノルベルト・フォン
・ヘリングラート(1888~1916)は、ヘルグリ
ーンの詩人世界に深く魅せられ、散逸状態のまま捨て置
かれていたヘルダリーンの手稿をほとんど独力で蒐集し
成立期に応じて詩篇・詩型別にテクストを創り全集を編
むという一大事業を企図したのである。ヘルダリーンの
詩により存在を激しく震撼させられたこの若き貴族の仕
事が傑出した先駆性を持つと言えるのは、死後60年以
上にわたり何かしら素晴らしい内容のようだがやはり異
常にも見え、狂気の所産とも見なされてきた後期讃歌の
ほぼ全貌を注付きでテクスト化したからである。

彼の試みは、第四巻『詩篇 1800~1806年』(
1916)に結晶した。彼は惜しくも28歳の若さでヴ
ェルダンに散華したが、遺志を継いだフリードリヒ・ゼ
ーバス(1887~1963)と、ルートヅィヒ・フォ
ン・ピゲノート(1891~1976)が、ヘリングラ
ートが収絨しきれなかった詩篇、他作品を含む全6巻を
まとめた。1913年の第一巻よりちょうど10年目の
ことだった。フランツ・ツィンカーナーゲル(1878
~1935)も同時期に立派な全集を出したが、最後の
ヘリングラート版全集は、以後約40年にもわたってヘ
ルダリーンーテクストのひとつの基準を示しつづけた。

しかしながらヘルダリーンの詩集の巨きさがこうして更
に明らかになるにつれて、およそこの詩人の全作品を、
文献学が到達した学問水準を駆使して集成した全集を誕
生させる機運が強まってきた。折しもこの時間がナチス
政権下にあたっていたことがそれに拍車を掛け、ちょう
ど1943年が没後百年に重なるのを公的機縁として、
まず代表的研究者らによる「記念論文集」そして国家的
規模で新しい人全集が企画刊行となり、またヘルダリー
ン協会がやはりこの年に設立されるにいたったのもこの
歴史状況を背景にしている。協会は翌年1944年に協
会誌『イドゥーナ』(Iduna)を出し、現在まで続く活動
を開始した。

           小磯 仁 著『ヘルダーリン』 清水書院

 

【エピソード】      

       

  

 

          16年度新年会(案) 

日時 2月6日(土)か2月13日(土)のどちらかで
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 幹事が責任もって手配します。
                              幹事敬白   

 

  

     

  【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------  
   

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  15. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  16. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  17. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  18. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  19. 滋賀文化のススメ
  20. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  21. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  22. 彦根巡礼街道
  23. 朝鮮人街道 Wikipedia
  24. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  25. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  26. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  27. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  28. ボーデン湖 Wikopedia
  29. コモ湖 Wikipedia
  30. ネッカー川 Wikipedia
  31. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  32. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  33. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  34. いのちの神様 多賀大社 Wikipedia
  35. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  36. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  37. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  38.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
    , pp1681 - 1685
  39. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  40. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  41. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  42. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  43. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  44. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  45. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  46. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  47. 城郭都市 Wipipedia
  48. ハイデルベルグ Wikipedia
  49. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  50. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  51. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  52. リンダウ - Wikipedia
  53. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  54. 城郭都市 Wikipedia
  55. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  56. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  57. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  58. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  59. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  60. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  61. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  62. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  63. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  64. 万里の長城 世界史の窓  
  65. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  66. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  67. 佐和山城 Wikopedia
  68. 石田三成 Wikipedia
  69. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  70. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  71. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  72. 石田 正継 Wikipedia
  73. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  74. 彦根藩並近郷往古聞書
  75. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  76. 井伊家年譜
  77. 佐和山藩 Wikipedia  
  78. 丹羽長秀 Wikipedia  
  79. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  80. 彦根古図略図 彦根市
  81. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  82. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  83. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  84. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  85. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  86. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
      

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城郭都市設計史Ⅶ

2015年12月21日 | 湖と城郭都市

 

 

  【佐和山城郭都市考 3】 

 ● 城郭周辺の近江百人一首

百人一首は、歌仙秀歌撰の一つの形態で、優れた歌人(
歌仙) 百人をあげて、一人
につき一首ずつ、あわせ百
首の優れた歌(秀歌)を選び出したもので、通常は『小

倉百人一首』を指す。この『小倉百人一首』は、三十六
歌仙を選んで藤原公任の
『三十六人撰』や、百人の歌人
の秀歌を歌合せ形式で並べた後鳥羽院の『時代不同
歌合
』などを継承しながら、藤原定家が百人の歌人の秀歌を
一首ずつ選びだしたも
の。

近江は古えより風光る詩情豊かな地であるとともに交通
の要所でもあり、
多くの歌人が歌ごころを誘われ数多く
の名歌が残されている。滋賀県教育委員会(近藤芳美氏
編集)の
近江百人一首を選定している――「万葉集」か
ら「
新後拾遺和歌集」までの四十集の中から百首が選ば
れ、県民の貴重な心の遺産となる

・不知哉川

  淡海路の鳥龍の山なる 

         不知哉川 日のこのごろは 恋ひつつもあらむ

                              岡本天皇

近江路の、鳥龍の山の辺にある不知哉の名のように、あ
なたのことは知り
得ないが、今日このごろは、ただ恋い
こがれておりましょう(出典 万葉集)。

不知哉川はかって桧原内湖に潅いでいた善利川(芹川)
の別名。
岡本天皇は、斉明天皇のことだろうといわれて
いる。高市岡本宮に都し
た舒明天皇の後をうけて皇后は
皇位に
つき、皇極天皇と称し飛鳥板蓋宮を皇居とした。
後皇弟孝徳が天皇と
なったが、天皇崩御の後、女帝皇
はあとをうけ再び天皇となり斉明と称し、飛鳥岡本の地に岡
本宮を営んでいる。この女帝をもって万葉の時代が始まった
とみている。  

・ 高敏の山
                

 あだに散る露の枕に 伏しわびて 勃鳴くなり 高敏の山風

                                俊成女


もろく散る、露に濡れた草の枕に伏して、心詫び、鴉
鳴いているなあ、高敏の山風(出典 新古今和歌集)。
高故山は、佐和山・里根山を総称としているとか、正法
寺山か定かでない。俊成の女は鎌倉時代、て12~13
世紀の歌人藤原悛成の孫で後鳥羽院に仕え、後鳥羽歌壇
を代表する女流歌人。


・磯 崎

 風さゆる八十の湊の明くる夜に礒崎かけて千鳥鳴くなり


                   藤原 信実


風の冴える、多くの湊、湊の明ける夜に、礒崎にかけて、
千鳥が鳴いていくよ(出典 万代和歌集)。米原町磯の南
の磯山は海抜160メートル。これが琵琶湖に突出した
崎が礒崎
で、崎を包むように現在は湖周道路が走り、日本
武尊を祀る礒
崎神社の森閑とした佇まいがある。干拓され
る昭和19年(19
44)前までは、磯山の北は入江内湖
で、礒崎にかけて鳴いて
いく千鳥は内湖に点々と浮かんで
いた。


・筑 摩 江


 筑摩川入江に鴛鴛のさわがぬは蘆の末葉に氷しぬらし

                               患 慶


筑摩川の入江におしどりの騒がないのは、蘆の末葉に、水が張
ったからだろうか(出典 恵慶集)。


・朝 妻
                                    
 おぼつかな伊吹おろしの風先に朝妻舟は会ひやしぬらむ

                               西  行

覚束無ことよ、伊吹臓の風のまともに、朝妻舟は、もしも会っ
たのではなかろうか(出典 山家集)。



①藤原定家:鎌倉の前期の歌人。京極中納言などと呼
 ばれ、俊成の子。新古今集(共撰)・新勅撰集を撰。
 歌風は絢爛・巧緻で新占今調の代表。

②万葉集: 現在最古の歌集。二〇巻。仁徳天皇皇后の歌と
 いわれるものから淳仁天皇時代の歌、天平宝字八年(七五
 九)まで約三五〇年間の長歌。短歌・旋 頌歌・仏足石歌体
 歌・連歌合せ四千五百首、漢文の詩・書翰などを収録。

 

 

序説 ヘルダリーンと現代(3)

● 純粋で雄々しい精神を抱いて

たしかに両巨星のあの指摘は、一部で彼の詩の冗漫を見
抜いてはいた。ドイツの詩人には押しなべてこの傾向が
あり、万人は実作者としてこの欠陥が身に沁みていたか
らこそ、ヘルダリーンも当初には免れることのできなか
った詩行量の多さによる思想表現の希薄化に陥る危険を
特に注意したのであったろう。ただ、シラーによってす
ら、この詩人が詩行量を増やしてもどうしても言い表そ
うと試みるのは.体何故なのか、たとえ表現過多が認め
られはしても、もし他の詩人と賢なる点があるとしたら
それは何からくるのかの一点がヘルダリーンに即して考
慮されることはなかったと言ってよい。しかしここから
こそ、もはや表現ほやその冗長などの諸点からだけでは
とうてい推しほれないほどの詩人力で両者から分離し独
立していく、両者とはやはり異ならざるを得ないヘルダ
ーリンが我々に顕かになってくるのである。

そしてこの.点をこそ同時代から直射するように、目を
みはって見つめる者達がいた。ドイツ・ロマン派の一部
の人々である。例えば、まず前間ロマン派の代λ的評論
家アウグスト・ヴィルヘルム フォンクンュレーゲル(
1767~1845)は、ノイファー編べ、1799年
版・知的女性のためのポケット年鑑」に発表のヘルダー
ンの短い頌歌.四篇のうち、特に「ドイツ人に寄せる」
(An die Deutschen)(1798)と-「運命の女神た
ちに寄せる」(An die Parzen .1798 102頁
参照)を、同年3月2日付のイェーナの非常に声望ある。

  ラウフェン市役所


全国レベルの「文学評論新聞,「一般文学新報」紙上で
高く評価、わけても後者に宿る詩才の将来性を指摘し、
短評ながらヘルダリーンの詩力が開花する必然にまで.
言及した。次にクレーメンス・ブレンターノ(1778
~1842)は、ヘルダリーンの悲歌「パンと葡萄酒」
の第一節が独立して「夜」(Die Nachi)の詩題で発表
されたとき激賞し、「夜」を12年間に数百回も読むこ
とになった,八頁参照)。またアウグスト・ヴィルヘル
ムの弟でロマン派の理論的指導者フリードリヒ・フォン・
シュレーゲル(1773~1829)、ロマン派を代表
する小説家ルートヴィヒ・ティーク(1773~185
3)など高名な文学者らも、「夜にだけにとどまらず、
発表誌、ゼッケン」ドルフ編、1807年版「詩神年鑑
」に同時収載の悲歌「シュトォットガルト」(Stutgard、
1800)、」「放浪」(161頁参照)などにも高い
評価をりえたドイツ民謡・歌謡集「少年の魔法の角笛」(
1806~08)をブレンターノと共に編んだアヒム・
フォン・アルニム(17881~1831)もそうなの
だが、ことにブレンターノの妹で後にアルニムと結婚し
た。

ベッティーナー・フォン・(1785~1859)は自
分の著作「ギュンデローデ」(1840)のなかで「あ
ああ、迷路のように入り絹んだ探究の道に茫って激しく
心をつき勣かされている人、わたしたちも、もし彼のよ
うに純粋で雄々しい精神を抱いて神的なものを追い求め
ようとするならば、このような人になんとしてち出会わ
なければいけないのです。――私には彼の発する言葉が
彼自身が神の祭司となって狂気のただなかで叫び上げて
いる信託のように恵われます。そして、間違いなく、す
べてこの世の生活は彼と.正視し合うなら狂気というこ
とになるのです。なぜなら、それは彼を理解しないので
から それにしても、自分は狂気ではないと思い込ん
でいる
人々の頭の状態は、一体どうなっているのでしょ
う?―――いかなる神に関わっていないような狂気もそ
もまた狂気ではないでしょうか?」のように述べたヘ
ルダリーン詩のリズムまで身抜いていた彼女
の理解か、
一時的なものでなかったことは、やはり、同書でヘルダ
リーン訳のソフォクレスの悲劇「
オイディブスナ」の以
後の絶望の叫びをめぐるヘルダリーンの解釈への賞讃か
らもわかる。
彼女のこの賞讃は、詩入訳のソフォクレス
非劇の上演への道を拓く役割を果たした意味を持つだろ。

詩作の間を縫うようにして進められ、約10年を費し、20歳代
ぎりぎりで公刊された小説「ヒュペーリオン」の主人公は、ヘル
ダリーンの文学精呻の分身と言ってよく、、1770年来オスマ
ン帝国の支配にあえぐギリシアの誇りと祖国に組成させようと
するげ主人公の苦闘に多くの同時代人が深い共感を寄せた。
恋人ディオーティマとの出会いと独立戦争参加による別
れ、彼女の死と復員後の孤独ではあるが自然への全的参
入で魂が癒されてく主題は、全ての階層のよ読者をたし
かにとらえていったのである。その一端は本編で示され
よう。ゲーテやシラーの令名にとても及ばないとしても、
そして徹底して無保証の詩人侍人の道を歩み始めてしま
っていたにしても、何よりも依然としてそう多くはない
読者自身が、ゲーテやシラーろも異なる
ヘルダリーンの
詩魂に裏づけられた、自然や恋人、時代変革への純粋意
志のほとばしりを、あまりに美しい詩的言語ののリズム
の純粋な輝きによって目を見はるように驚嘆したのであ
った。

           小磯 仁 著『ヘルダーリン』 清水書院


※ 生い立ち(1)

ヘルダーリンは1770年3月20日、ネッカー河畔の町ラウフ
ェン生まれ。父ハインリヒ・フリードリヒ・ヘルダーリン
(1736年-1772年)は尼僧院の説教師、母ヨハンナ・クリ
スティアーナ・ヘルダーリン(旧姓ハイン、1748年-1828
年)は牧師の娘であった。ヘルダーリンは長男であり、父
母はその後2子をもうけたが、ヘルダーリンがまだ2歳3
ヵ月のときに父が卒中で死去した。この2年後、母は官吏
ヨハン・クリストフ・ゴック(1748年-1779年)と再婚し
、一家はゴックの勤め先であるニュルティンゲンに移住し
た。母とゴックとの間には4人の子が生まれたが、この義
父も結婚から7年後に高熱がもとで死去した。なお母ヨハ
ンナがもうけた7人の子供のうち長じたのはヘルダーリン
と2歳下のハインリーケ、異父弟のカールのみで、残りの
4人はまだ幼いうちに死去している。

 

 

 【エピソード】      

      

  

          16年度新年会(案) 

日時 2月6日(土)か2月13日(土)のどちらかで
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 幹事が責任もって手配します。
                              幹事敬白   

 

 

   

 

  【脚注及びリンク】
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  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. 近江百人一首  滋賀県立近代美術館
  15. 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀
    県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.14
  16. 淡海万葉の世界 藤井五郎∥著 サンライズ出版
    2000年 S-9100- 00 p.233
  17. 萬葉の近江 滋賀アララギ会∥編 白川書院 1971年
    S-9100- 71 p.200
  18. 滋賀文化のススメ
  19. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  20. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  21. 彦根巡礼街道
  22. 朝鮮人街道 Wikipedia
  23. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  24. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  25. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  26. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  27. ボーデン湖 Wikopedia
  28. コモ湖 Wikipedia
  29. ネッカー川 Wikipedia
  30. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  31. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  32. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  33. いのちの神様 多賀大社 Wikipedia
  34. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  35. 割れ窓理論( Broken Windows Theory )Wikipedia
  36. How New York Became Safe: The Full Story, George
    L. Kelling
  37.  K. Keizer, S. Lindenberg, L. Steg(2008) "The Spreadi-
    ng of Disorder", Science, 322, 5908
    , pp1681 - 1685
  38. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  39. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千夜千冊
  40. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思索
    頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.09.06
  41. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  42. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  43. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光局公
    式日本語
  44. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ出版
  45. 阿自岐(あじき)神社 豊郷町
  46. 城郭都市 Wipipedia
  47. ハイデルベルグ Wikipedia
  48. 田附城(田付城) 近江国(彦根)
  49. 荒神山古墳現地説明会 開催要項(案)彦根市
  50. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論としての
    絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷』詩文楽
  51. リンダウ - Wikipedia
  52. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  53. 城郭都市 Wikipedia
  54. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  55. 八幡神社  滋賀県彦根市田附町488
  56. 三ツ屋城 近江国(彦根)
  57. 「清涼寺・七不思議 」/『日本伝承大鑑』
  58. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
  59. エーグ=モルト (Aigues-Mortes)Wikipedia
  60. カルカソンヌ、仏蘭西南部都市、Wikipedia
  61. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  62. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  63. 万里の長城 世界史の窓  
  64. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  65. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  66. 佐和山城 Wikopedia
  67. 石田三成 Wikipedia
  68. 佐々木十代之屋形太郎判官定綱 Wikipedia
  69. 第一章 鎌倉・南北時代の石部近江守護佐々木氏
    の成立
  70. 佐和山城 彦根市民の飲み水を守る会
  71. 石田 正継 Wikipedia
  72. 佐和山城跡の公式パンフレット 彦根観光協会
  73. 彦根藩並近郷往古聞書
  74. 彦根古図部分(滋賀大学経済学部附属資料館所蔵)
  75. 井伊家年譜
  76. 佐和山藩 Wikipedia  
  77. 丹羽長秀 Wikipedia  
  78. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  79. 彦根古図略図 彦根市
  80. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
    北野寺とも
  81. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  82. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  83. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  84. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  85. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     

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城郭都市設計史Ⅵ

2015年12月20日 | 湖と城郭都市

 

 

 

  【佐和山城郭都市考 2】 

● 彦根の巡礼街道

巡礼とは、わが国の場合、四国のお遍路がある。日常の
生活
を一時的に離れ、宗教の聖地・聖域に参詣して、聖
なるものに
より近づこうとする宗教行動、またはそれを
実行する人をさ
巡礼は世界の多くの宗教で重要な宗
教儀礼となっていいる。特にその宗教の信者圏が特定の地
域、文化領域を越えて遠方に広がっている宗教においては、
巡礼はとりわけ重要なものとされている、

巡礼に出る場合には、伝統的には参拝講、これを現代風に
いいますと団体パック旅行のように集団を組んで聖地に参る
型と、個人の発意により、各自が個人として巡礼に出る場合
とがある。

聖地はほとんどの場合は、遠方の辺鄙な場所にあるため、と
くに交通が貧弱な時代には、個人的に参拝することは、極め
て困難だった(熊野詣で)。また巡礼は多くの日数となり費用
を必要とする、これらの理由で集団型巡礼は世界の巡礼で
盛んである。



巡礼者は、また文化や情報の伝播者でもある。ところで
花山法皇の選定によるとし
ています西国三十二番の杜所
があった金亀山彦根寺の観音堂は、かって彦根山に存在
していたが、奈良時代の初期に、その山麓から西へ直線
に近い道路が造成。これは、時の彦根の領主であり、藤
原房前により築造される。



幅員は平均四メートル(約二間)。彦根山の麓から西へ
直線の道路で、南青柳橋の北端から東側の対岸に道路が
あった。開出今町の善教寺付近から甘呂町の南中学校の
北付近と日夏町に旧道が残っている。彦根心の南端の愛
知川に架橋している。八幡橋の付近で、現在の朝鮮人街
となる。これが彦根寺の参道であった巡礼往還の道を
形成する。

この街道の由来について「扶桑(ふそう)略記」の「彦根寺験記
」に、『摂津国水田郡に沙門徳満いう人が二十歳のときに両眼
を失明する。大和の長谷寺に「願かけ」をすると、「お前の願い
は、私の力にはおよばないが、近江国犬上郡の彦根山西寺
の観音霊場に行って一生懸命に祈願すれば、三日のうちに
必ずおしるしがある」というお告げにより、徳満がお告げに従
って、彦根山西寺にお参りすると、三日目に両眼が開いたと
の伝承による。この話が諸国に広がり、多くの人々が彦根山
へと足を向け、西の方から巡礼姿で出かけたため、その道を
巡礼街道と呼ぶようになる。 

Wikipedia

藤原房前(天武天皇九年~天平九年(六八.~七三七)
)は、聖武天
皇に什え、人望は高く、権力は大きく、領
地彦根においては、大堀町
から東沼波の首利川(芹川)
付近に
かけて、往時の偉裂を偲び、巡礼街道の築造を見
ることにより、房前の
努力に思いを馳せることができる
る。

 慶長八年(一八○三)の彦根城築城以後は、この地の古
い事物が消滅
してしまうところで、彦根市内の巡礼街
道の
延長約10キロは、現在の池州橋から直線で彦根城
内濠の人手橋の西付近
を本丸に続く彦根山し長尾山とも
山頂部には台地はなく頂上近くの西側山腹に彦根寺の
伽藍が存在してい
た。

 

                   
                     Friedrich Hoelderlin (1770-1843)

序説 ヘルダリーンと現代(2)

● 巨人ゲーテの背後に

ツェラーンを招き入れ聴えるかぎりの肉声の自作朗読を
彼に強いたもうひ
とりの稀行な、その時点で.200年
前に出生した詩人こそ本書の主人公のヘルダリーンであ
る。我々の詩人は、ヨハンー・ヴォルフガング・フォン
・ゲーテ(1749~1805)より11年、フリード
リヒ・フォン・シラー(1759~1805)より11
年遅く生まれただけだから同時代人であることは間違い
ないが、二人があまりに抜きんでてしまったために、7
3歳の長命を保ったにもかかわらず、二人の背後にひっ
そりと隠れるような形でしか世には知られなかった。結
局は両者との半弓の詩人資質の差賢に帰するにしても、
詩の表しようや、ほぼ20代半ばで精神の病に沈む運命
となったことなど基本的に二人とは異なる要因が考えら
れる。

ヘルダリーンの全てを否定し去ったわけではないが、そ
れぞれの機会を的確に捉えてはその生の明暗を縦横に具
体表現できるゲーテは、ヘルダリーンの中期の、主題に
あまりに真剣に対峙する長めの詩に触れただけで主観性
と表現量の過刺を批判し、過酷なまでの断じ方をした。

一方、シラーは同郷(シヴァーベン)出身ということも
あり、ヘルダリーン作品に内在する思想表現の多さによ
る詩全体のさをしたものの、日常に適合しそうもない、
一途に理想を希求するこの青年の秀でた待人性を見抜き、
その開花のために道筋がつくよう助言した。彼の重なる
助言は、大学講師への道も断たれたヘルダリーンが独立
して文芸・思想誌の編集と発行を計画しし、シラーに寄
稿と助言を求めたとき、計画は断念しその余力を創作に
向けるべきとの、実際に雑誌を出し多くの沁労を経験し
た立場からこそ言えた忠言にも通じるものである。その
シラーも、自身の多忙と健康上の理由からヘルダリーン
から去った。深い畏敬の念から一言を発するにも神経を
使いつつ、それでも数年毎に連絡を企てたシラー、返事
が次第に途絶えがちになりながらも郷里の後輩の本質を
誰よりも見取っていたはずのシラーとの絆もこうして断
たれた。

● 副牧師就任を拒否

徹底したキリスト教(新教)管理教育の全過程、つまり幼年時
のラテン語学校に始まり初等、高等各1年の僧院学校を経て
このコースでは頂点の テュービングン大学神学校を修rした
ヘルグリーンには、まず副牧師を始めとする勤務のあと
師職としては最も安定した生活が約束されていた。キ
リスト教
は彼が生を7けたヴュルテンベルク公国ひいて
はドイツ
全体(神聖ローマ帝国)が認知した国教である
から、公国の
ように宗教改革以降新教であれ、最も安定
した保証された世界財
界であることは間違いない。しか
もこの地方の最高の養成
コースを経たとなれば、彼の人
生は完璧に保証されていたはずなのだ。

しかし彼は、コース修了後に付与されたこの条件付きの
保証を拒否する。何故か? この何故に
応えようとした
小さな試みが本書の内容であり、生涯を作品の一部と共
に追跡しながら、その般も
服要な基盤の示す詩人世界を
かいま見ることになるであろう。

ヘルダリーンは同時に、17世紀末に始まり.18世紀
前前半を中心に南ドイツのシュヴァーベン地
方でも浸透
した敬虔ド義の洗礼を無意識のうちに受けていた。プロ
テスタント教会内部の自己改革に
に基づく心情と実践の
趣旨も当然ながら、自然に分け入り根元の伸縮性に直接
触れる一面を開示す
る敬虔主義思想を、ヘルダリーンは
この財に生まれおちたときから宿命的に根深く持ち蒔わ
せてい
たとしか言いようがない。多分ここに早くもも、
教条主義や権威に凝りかたまる排他性の強いキリスト教
と一線を画していく詩人姿勢が打ち出されてくるのは自
明の必然だった。何よりもその一切の源泉としての自然
の恵みを全身に隅なく呼吸してしまったことが、ひとり
の少年を境を越えた無限の拡がりへと誘った。少年のこ
の拡がりへの越境は、古典語の学びと相侯って始まった
古代ギリシアーヘラス世界に直接通じる道をおし開き、
シュヴァーベンの全自然がそのまま河流や大空を通して
ホメロスやピングロスの描く僥雄らが生きるエーゲ海や
神々の川住するオリンポスともなっていったのである。

公国国教を管轄し管理する役所は、国直轄の宗教局だっ
た。ヘルダリーンはシュティフト修終了時にその国家試
験に合格したにもかかわらず、義務の副牧師就任を拒絶
したわけだから、以後は宗教局の厳しい監択トに置かれ
る。詩人白目久という最も過酷な道に自身を晒していく
以上は深刻な生活問題が避けられないが、当時このよう
な場合のほとんど唯.の方法が資産家の子弟の家庭教師
になることだった。

同い年で同じ道を進んだ人に、高名な哲学者ヘーゲルが
いる。しかし彼は、ヘルダリーンから思想形成で強い影
響を受けたあと念願の入学教授になり、ベルリン大学総
長にまで昇りつめていった。ヘーゲルにもそれはどの影
響を与えた人為と自然との分離を克服する独自の合一思
想、それも単なる合一ではなく巨大な過程としての悲劇
性を小説、劇、そして讃歌でこそ歌い深めた我々の詩人
は、この家庭教師のみ繰り返す。繰り返すということは
ドイツや隣国の各地に散らばる金持ちの雇い主の許へそ
のつど赴くことだから、息子の人並みの安定した生活だ
けを望んでいた生地ラウフェンに近いニュルティングン
のけの家が彼の唯.の出発地であり、同時に出戻り先に
なる。そのいく度かの繰り返しの梁てに、やがて狂気を
引き受けるに至るのだ。

発病後も、ヘルダリーンはテュービングンで生きつづけ
た。シラーも、長生きのゲーテも死に同じ頃けが死んだ
あと15年も生きた彼も、以後の押韻詩 眺望(208
頁参照)と共に倒れていく。

            小磯 仁 著『ヘルダーリン』 清水書院

 

 【エピソード】     

     

 

 

          16年度新年会(案) 

日時 2月6日(土)か2月13日(土)のどちらかで
   開宴18:00~20:00まで  

場所 彦根市内西今町 『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石(6千円+飲み放題酒代1・2千円)
送迎 幹事が責任もって手配します。
                              幹事敬白  

 

 

   

  【脚注及びリンク】
-----------------------:------------------------  
 

  1. 中山道 高宮宿場町|彦根市
  2. 中山道 高宮宿 彦根観光協会
  3. 宿駅散策 近江中山道中絵巻:高宮宿 
  4. 中山道 道中記 第64宿 高宮宿
  5. 中山道 高宮宿/高宮宿から愛知川宿
  6. 滋賀県彦根市 高宮宿 Japn Geographic
  7. 彦根市西葛町籠町~高宮宿-街道のんびり旅
  8. 高宮町~鳥居本宿-ひとり歩み-ひとり歩きの
    中山道 2004.4.9
  9. 彦根文化遺産 中山道と宿場町 高宮宿高宮ま
    つり・高宮布
  10. 日本写真紀行 鳥居本宿~64高宮宿
  11. 中山道高宮宿 馬場憲山宿
  12. 高宮宿 栗東歴史民族博物館民芸員の会のブログ
  13. 新高宮町史 自費出版デジタル
  14. 彦根巡礼街道
  15. 朝鮮人街道 Wikipedia
  16. 彦根市の概況 - 学芸出版社
  17. 「続・城と湖のまち彦根-歴史と伝統、そして-」中
    島一 
    サンライズ印刷出版部  2002.9.20
  18. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  19. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  20. ボーデン湖 Wikopedia
  21. コモ湖 Wikipedia
  22. ネッカー川 Wikipedia
  23. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  24. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  25. 父なるライン川を漕ぐ 心地良い追い風が吹くネ
    ッカー川 吉岡 嶺二 2012.12.07
  26. いのちの神様 多賀大社 Wikipedia
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  51. 曹洞宗 清涼寺(せいりょうじ) 
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  71. 『新修彦根市史』の紹介 | 彦根市
  72. 彦根古図略図 彦根市
  73. 金亀山彦根寺の観音堂 ―近江西国第14番 金亀山
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  74. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」 太田
    浩司 サンライズ出版
  75. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築
    大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  76. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出版2007
  77. 滋賀県彦根市 専宗寺 JAPAN-GEOGRAPHIC.TV
  78. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタル
    ・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.27
     

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