養殖ビワマス出荷!

2017年10月17日 | 文化と琵琶湖

    

 
【ビワトロマスが誕生】

 Oct. 15, 2017

長浜バイオ大学の河内浩行研究室が(株)びわ鮎センタ
ーと共同で琵琶湖の固有種・ビワマスの餌を開発。この
餌で養殖したビワマスは、従来のものより脂の乗りが良
く、天然ビワマスにも匹敵する量となっている。この養
殖ビワマスの食味試験と試験出荷の様子を、2017年7月4
日、NHK 大津放送局「おうみ発630」で紹介。

これより先立つ、2013年10月から県醒井養鱒場(米原市)
が開発した新たな養殖品種「全雌(ぜんめす)三倍体ビ
ワマス」の出荷開始で大幅な増産と年中安定した供給が
見込まれ、湖国特産として県内外で売り出す動きが進ん
でいた。ここでは、年間を通じ水温12度という霊山山
系の湧水を引いた醒井養鱒場の池で、水しぶきを上げて
全雌三倍体ビワマスが泳ぐ。10月1日から出荷を始め
る養殖2年物は最大1・4キロと従来の養殖物の2倍近
い重さで、担当者は「マグロのトロ以上と言われるほど
脂が乗ったビワマスを年中味わえる。 



因みに全雌三倍体ビワマスとは、同養鱒場が約20年前
から研究してきた卵を持たない雌の品種で、2011年
に生産技術を確立した。産卵期に脂が落ちて肉質が劣化
することなく、より大きく成長するのが特長で、旬が6
~8月に限られ漁獲量、品質の確保が難しい天然物や既
存養殖種に対し、年間を通じて質量とも安定した供給が
可能になる。

民間の業者と共同開発した特製のエサを使ってビワマスを養
殖し、「ビワトロマス」と名付けて来年3月から出荷を始める。
びわ湖固有の魚「ビワマス」は、その美しい姿から”びわ湖の
宝石”とも呼ばれ、脂が乗った身は刺身などでもおいしいと
人気を集めている。

一方で、去年のビワマスの漁獲量は20トンと、昭和30年代
の20%程度にまで落ち込んでいて県や民間の業者が養殖
に取り組んできた。こうした中、滋賀県長浜市にある長浜バ
イオ大学の河内浩行准教授の研究室では、地元の養殖業者
と共同で廃棄される魚の骨や内臓を使った特製のエサを開
発。このエサは従来の魚を原料にした「魚粉」のエサに比べ、
価格が安い上に栄養も豊富。実際にこのエサで養殖したビワ
マスは脂の乗りがよく、飲食店からの評価は上々。大学では、
このビワマスを「ビワトロマス」と名付けてブランド化し、来年
3月から年間およそ3000匹を出荷する予定。河内准教授
は、「多くの人においしさを感じてもらいたい。安価なエサで
養殖に成功した新たなビワマスの価値を高めていきたいと抱
負を語る。

 Oct.06, 2017

【エピソード】 

 

「海の魚は5年で枯渇 養殖あるのみ」とは、近大ナマ
ズ産みの親、有路昌彦教授の言葉である。だとすれば、
鯰だけでなく、鯉、鮒も同じだろう。泥臭い、小骨が多
いなどいう意見が帰ってきそうだが、餌をハーブなどを
くわえるとか、環境――例えば、ニゴロブナは百メート
ル水深で生活するため柔らかくなる。気圧で言えば10
気圧の環境下で養殖すれば柔らかくなるように――を変
えれば問題ないだろう考えている。勿論、加工段階で加
圧・加熱処理することも可能だが。 

【脚注及びリンク】
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  1. ビワマス Wikipedia  
  2. ビワマス|滋賀県|全国のプライドフィッシュ|
    プライドフィッシュ
  3. 長浜バイオ大学発の養殖ビワマスを試験出荷 – 長
    浜バイオ大学 2017.07.04
  4. 京都新聞|しがBiz - 「全雌三倍体ビワマス」
    出荷へ 2013.09.15
  5. 琵琶湖の個性的な魚介類8種の利活用を促進~「琵
    琶湖八珍(びわこはっちん)」のブランド化事業
    を開始 2016.01.19
      
  6. ビワマス物語 | 琵琶湖の固有種ビワマスを使った
    プレミアムで美麗な珍味『Biwamasu Premium -ビ
    ワマス プレミアム-』の開発物語です。
     
  7. 森のビワマス 公式サイト 米原市商工会 
  8. 養殖ビワマス、大学ブランドに 2017.07.01 
  9. 水産物の内陸化:環境と食糧問題を同時解決 極東
    極楽 2017.10.04
     
  10. 人海の魚は5年で枯渇」養殖あるのみ 極東極楽
    2017.10.08
     
  11. 滋賀県出身の人物一覧 Wikipedia   

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藤本太郎兵衛

2017年10月16日 | 近江の思想

   

 
  
  

☑ ふ

作成日:2017.0810|更新日:  

♞ 藤本 太郎兵衛(ふじもとたろうべえ)

琵琶湖治水の先覚者 藤本太郎兵衛 親子三代

 人々を悩まし続けた「水込み」

滋賀県には509本もの一級河川が存在し、このうち
琵琶湖に流れ込む河川は118本にのぼる。高島市内か
らも多くの河川や地下水が琵琶湖に注ぎ込んでいるが、
なかでも安曇川は、流域面積が310平方キロメートル
にのぼり、野洲川に次いで2番目の面積、豊富な水量を
もたらす重要な河川のひとつ。その一方、琵琶湖から
流れ出る自然河川は瀬田川が唯一となる。現在は、南郷
の洗堰により、水位と水量が管理されているが、かつて
の瀬田川は川幅が狭く、山からの土砂が流れ込み川底に
溜るなど、流出する水量は少なく不安定となっていた。
また、琵琶湖の洪水は、河川の洪水とは異なり、その面
積の広さから水位上昇、低下ともに時間がかかるため、
ひとたび大雨が降ると行き場を失った水が琵琶湖に滞留
し、湖面の上昇によって沿岸が浸水する「水込み」と呼
ばれる水害に悩まされてきた(浸水日数が237日に及
ぶ記録も残っている)。

私費を三代にわたり投じる

 江戸時代以降、この水害をなさらくすために瀬田川
の川底を浚渫。流出水量を拡大する治水工事の実施が、
琵琶湖周辺の村々から嘆願するも、浚渫による下流域で
の洪水を心配した江戸幕府が着手ためらう。そんな琵琶
湖治水という大きな難題に、高島郡深溝村(現新旭町深
溝)の庄屋であった藤本太郎兵衛が立ち上がる。瀬田川
の土砂は自普請(農民自らが費用を出し合って行う工事)
による浚渫の必要性があると湖岸の村々に説き、177
カ村の賛同を得て、天明4年( 1784年)に工事を始
めるが、充分な効果を挙げることはできず、二代目太郎
兵衛(重勝)による老中    松平定信への直訴や瀬田川
下流の村々への説得が続けられ。そして初代太郎兵衛
から満50年目の天保2年(1831年)、三代目太郎
兵衛(清勝)の時に幕府からの許可をとりつけ、瀬田川
の全長14㎞、出役31万人、工事費76544両(約
2億5000万円)におよぶ治水工事が竣工された。こ
の浚渫は、琵琶湖周辺200カ村の悲願を達成させる大
工事となり、「天保の御救大浚え」と呼ばれ今もなお語
り次がれている。

 

【エピソード】 

 

 

【脚注及びリンク】
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  1. 藤本太郎兵衛の像/こころに残る滋賀の風景 - 滋
    賀県 
  2. 36.治水の先覚者藤本太郎兵衛(高島市新旭町) -
    近江史を歩く
  3. 琵琶湖の歴史洪水と瀬田川浚渫についての土木史
    的研究 竹林征三、今井範雄 土木史研究第15号199
    5年6月
  4. 琵琶湖治水の先覚者 藤本太郎兵衛親子三代 広報
    たかしま 2015年3月号 No.182
      
  5. 治水の歴史|水のめぐみ館「アクア琵琶」  
  6. 滋賀県出身の人物一覧 Wikipedia   

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