僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

あの北の湖が…

2015年11月21日 | スポーツの話題

昨日の夜9時からのNHKニュースを見ていたら、
「大相撲の北の湖理事長が死去されました」と流れた。

その前に見た夕方6時台のニュースでは、
北の湖理事長が貧血で救急車で搬送された
…と報じられたばかりなので、
まぁ貧血ということなら…と思っていたところ、
いきなり、亡くなられたと聞いて驚いた。

北の湖は昭和28年生まれで、僕より4歳年下である。
すでに今朝からいろいろと報じられているように、
この人の現役時代の強さといったら、
それはもう憎たらしいぐらい強かった。
いや、憎たらしいぐらい…ではなく、憎たらしいそのもので、
うちの母親などは「北の湖は大嫌い」と言っていたほどである。

なぜなのか…と言えば、単に強かっただけでなく、
体が大きい上にふてぶてしい表情、そして相撲も、
相手を押し出した後も土俵下に突き落としたり、
その相手に手を貸さずさっさと勝ち名乗りを受けに戻る…
…という態度などが嫌われる理由だった。

今の相撲界では大関稀勢の里が、体つきや風貌が似ているが、
とてもじゃないが、強さでは北の湖とは比べものにならない。

もし、今のようにモンゴル勢が優勝を独占している時代に、
北の湖がいれば、どんな顔つき、どんな相撲であろうが、
大人気の力士になっていたに違いない。

でも、当時は外国人力士と言えばハワイ出身の高見山以外になく、
まわりには、宿敵と言われた人気力士輪島や、
それ以上の人気力士貴ノ花らがいたので、
北の湖は常に悪役として見られていた。

ある時、大関貴ノ花と北の湖が優勝決定戦で争い、
貴ノ花が勝って初優勝を決めたことがある。その時、
日本中が歓喜に湧いた…と言っても大げさではない。
今から思うと、北の湖には気の毒な話だが、
僕も大喜びをしたのを覚えている。

そういえば、子どもの好きなものの代名詞として…
「巨人・大鵬・玉子焼き」というのがあったけれど、
これにひっかけて、子どもの嫌いなものとして…
「江川・ピーマン・北の湖」と言われた時代があった。

江川の場合は強引に巨人入りしたことで
「ゴリ押し」の代名詞となったわけだけれど、
北の湖とピーマンは、何の罪もないのにここに入れられたわけで、
まぁ北の湖ご本人も「なんでやねん?」の心境だったでしょうね。
(ピーマンもさぞ迷惑だったでしょう)

しかし、裏を返せば、それほどまでに強かったということでもある。


昭和の大横綱と言われた北の湖が亡くなったことで、
大相撲も、ますます日本人力士像の影が薄れていくような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

コメント
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