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「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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「平将門の首塚」に行きました。 その2

2018-04-18 07:30:00 | 日記
平将門の首塚は、私達がいる間に、お参りに来る方達が結構いて、実際祝詞を挙げることが出来るのか、タイミングを見計らいながら、Iさんは準備していました。





この場所は、江戸時代酒井家の上屋敷だったそうです。

人が途切れたところで、Iさんは用意した久保田の「萬寿」を持って来ていた盃に注ぎ、Oさんの赤ワインは、みんなの人差し指から流れた血のようにワイングラスに注ぎ、全員で並び、Iさんの祝詞、般若心経のダイジェスト版を挙げていました。

横にいたOさんは、何かを感じたのか、泣いていました。

私は、ガラスのケースに入った平将門のお墓の真ん中に揺らめいていたロウソクの炎をずっと見ていました。



ミコちゃんが用意してくれた油揚げは、お墓の前に置いて、赤ワインを掛けました。

儀式は終わり、Iさんはやり遂げたと感じたようで、


みんな、これからあそこに連れて行くよ。


と、言って皇居を指差しました。

Iさんが言うには、首塚には以前になかった木が植えられていたそうです。



将門のファンは多いのだと思うのは、キレイな花が沢山あったことですね。



掃除も行き届いています。


私達は、ぞろぞろと皇居に向かって歩いて行きました。

首塚からすぐのところに、皇居に入ることの出来る大手門があり、ここからは、無料で中に入れるのです。

私達5人は、その門の前で警護の人から、荷物の検査を受けて門の中に入りました。

中に入ると、受付の建物に並んで小さなカードを受け取り、またゾロゾロと歩いて行きました。

それにしても、いい天気でした。
そして、沢山の外国人の観光客がいました。

春の日和に、花が沢山咲いていて、都会のど真ん中なのに、広大な敷地の皇居は、見る価値がありますね。







Iさんは、江戸城について、

昔は、ここまでが海だったんだよ。

と、石垣を指差して言っていました。

江戸時代には、沢山の土地の埋め立てをしたのだと、思いますし、以前に調べた通り、交通の手段だった、水路や川は、東京になってどんどん埋め立てられたのですね。

みゆきちゃんが夢で見た、太古の湖は、今の霞ヶ浦の辺りだったようですが、東京湾とも繋がっていたのだということみたいです。

Iさんは、江戸城の天守閣の跡のところをずんずん登って行きました。

私達は、少し遅れながら歩いていました。



ビル群が見えますね。
すぐ近くの大手町の三井物産と三井不動産のビルも2年後には完成の予定です。

私達は、天守閣の広場にいて周りを見回していました。

奥の手の向こうに武道館のタマネギが見えました。



この場所には、ベンチもありゆっくり出来る感じです。

ずいぶん前に、Iさんが徹夜明けにここで寝ていた話をしていました。

土地の気を振り子で見ると、プラス40を指していて、やっぱり彼の感覚は鋭いですね。
しばらくいると、暖かくなって気持ちがよくなりました。


やっぱり、江戸城を作った天海さんは、ちゃんとわかっていたのだと思うところでもありました。


続きます。
コメント
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