後ろにある小さな祠のところまで来る人は、ほとんどいませんでした。
その後に、海岸の方に戻り突堤の先まで行きました。
ここの先端にしばらくいて、Iさんが言っていたのは、少し前に行っていた日向市の大御神社に似ている感じに見えたそうです。
Iさんは、実は計算していて、とても人気のある魚料理の「魚佐」さんの開店時間の11時半に合わせて動いていたようです。
その後は、駐車場近くのおしゃれなお店で、お茶して帰りました。
とにかく、空が騒がしかったです。
森戸海岸は夏に、美味しいカレーが食べられる「海の家」が出来るそうですよ。
本殿の後ろ側のご神木のビャクシンと、松については、森戸神社の境内案内に書いてありました。
11 飛柏槇(びびゃくしん)
元暦元年(1184年)、源頼朝公が当社を参拝の折、三島明神から飛来し発芽したものと伝えられ、樹齢800年を誇る当社の御神木です。
古木が海上に乗り出した姿は非常に珍しく、葉山町天然記念物にも指定されています。
みぞぎ橋、もしくは神社裏手の階段を昇るとご覧になれます。
古木が海上に乗り出した姿は非常に珍しく、葉山町天然記念物にも指定されています。
みぞぎ橋、もしくは神社裏手の階段を昇るとご覧になれます。
12 千貫松(せんがんまつ)
神社裏手磯辺の岩上に切り立つ見事な枝ぶりの松の木です。
源頼朝公が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩上の松を見て「如何にも珍しき松」と褒めたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたと言い伝えられています。
源頼朝公が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩上の松を見て「如何にも珍しき松」と褒めたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたと言い伝えられています。
Iさんは、元々ここによく来ていたので、神社の原型が見えていたのかもしれませんね。
私達は、ここでお参りをして、岩場でお酒を撒きました。
はるか遠くに赤い鳥居と裕次郎灯台が見えます。
その後に、海岸の方に戻り突堤の先まで行きました。
Iさんは、ひょいひょいと軽々歩いていましたが、風が強くて私は恐る恐るでしたよ。
ここの先端にしばらくいて、Iさんが言っていたのは、少し前に行っていた日向市の大御神社に似ている感じに見えたそうです。
Iさんは、実は計算していて、とても人気のある魚料理の「魚佐」さんの開店時間の11時半に合わせて動いていたようです。
なぜなら行列の最後尾に並んで、私達までで、お店は満席になったからですね。
新鮮な刺身定食は美味しく、大変満足しました。
その後は、駐車場近くのおしゃれなお店で、お茶して帰りました。
とにかく、空が騒がしかったです。
森戸海岸は夏に、美味しいカレーが食べられる「海の家」が出来るそうですよ。
続きます。
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