「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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思い出の白毫寺(びゃくごうじ)

2023-07-10 07:30:00 | 日記
5月5日に、カラツの神が話してきました。


カラツの神です。
先日、白毫寺(びゃくごうじ)に、カズエさんとあかりこさんが、来ていました。

そうみたいですね。

楽しそうでしたよ。
私が、M子さんと会った寺ですからね。

本当にずいぶん前になりましたね。

本当にいろいろありましたが、私はM子さんと話せて本当に良かったです。

私も、良かったです。

ありがとうございます。
死が別つまで、お願いしますね。

こちらこそ、お願いします。



カラツの神と初めて話したのは、私がミクネの神(天之常立之神)から言われた「キトラ古墳」に行くということを実行した12年前の2011年9月の話に遡ります。
この年は、あの東日本大震災が3月11日に起った年で、日本中は大混乱でした。
私の会社では、輪番休日になっていたりして、今思ってもよく行ったなと思うタイミングでした。

なぜなら、その前日には奈良県は台風による大雨で、電車も止まるほどだったからです。

私が行った日は、晴天になり暑いくらいでした。
当時の「キトラ古墳」は、本当に何もないところで、そして何も起こることもなくでしたが、神様達は私が実行したことで、信頼してくれたように思います。

私が初期から話していたミクネの神のグループは、ミクネの神、スサノオノミコト、クシナダヒメ、アクネの神、空海でしたが、そこにカラツの神が入ったのは、「キトラ古墳」に行った次の日に「白毫寺」に行って欲しいと言われたからですね。

12年前は、ガラケーの時代で、まだインターネットで調べてもよくわからないことも多かったし、そもそも私の知識もほとんどない中で手探り状態の謎解きでした。

でも、その話が今まで途切れることなく続いているのは紛れもないことで、言われた通りブログを続けてきて良かったと思います。

当時の記事は下書きをしていなかったし、短いので、加筆訂正しそのまま入れます。

2011,12,10
🐶カラツの神

奈良の朝にナセの神(国之常立之神)から、カラツの神が会いたいと言っているから行ってくれと言われたお寺は、 白毫寺(びゃくごう寺) というお寺です。
新薬師寺からハイキングのように歩いて行けるところで、二日目はとても天気が良くなって、少し前の台風一過の日和となりました。
とても暑かったです。

カラツの神?なんで奈良なのにカラツの神なんだろう。
ネットで調べていくと、唐津神社の唐津くんちというお祭りの引き車の中に、酒呑童子の引き車があり、酒呑童子を調べていくと、白毫寺(びゃくごう寺)に行き着いたんですね。

仏像の眉間にあるホクロのようなものは、長い毛を丸めて作ったもので、それを白毫と言うのだそうです。へぇーって感じでした。

白毫寺(びゃくごう寺)は平安時代からあるお寺で、そこに生まれた子供が大きいばかりではなく暴れん坊だったので、捨てられてしまったそうです。
平安時代は貴族は優雅にしていたのでしょうが、一般人はなかなか苦しい生活で、口べらしは普通にあったみたいですね。


2011,12,11

🐶カラツの神 その2

白毫寺(びゃくごう寺)は花のお寺で有名だそうです。
萩が特に有名で、私が行った時も、写真を撮っている人が沢山いましたが、山門に入る前に長い階段があり、その両側が萩の花の道になっています。
他にも五色椿があるそうです。
大きな椿の木がありました。





長い階段でかなり上まで行くので、お寺の入口を抜けるとそこは山の上で、回りが 見渡せる景色をしばらく見ていました。奈良の盆地が一望出来、向こう側にあるのが、生駒山だということがわかりました。

その時に突風が吹いたのです。ビューって感じの風でした。
M先生が「突風が吹くのは神様が来ている」とよくおっしゃっていたので、その場で振り子を出して話してみました。

「会いたかった。後ろの木の上にいます。」

私が後ろを振り返ると確かに大きな木があり風で枝が揺れていました。
私は一応持っていた、使い捨てのカメラで木の上の方を一枚撮っておきました。


2011,12,11

🐶 カラツの神 その3

カラツの神は平安時代にいた、酒呑童子でした。
酒呑童子は鬼だったんじゃないかなぁ。と思い、いろいろネットで調べていくと、大江山にアジトがあり、当時の貴族の若い人達を拐っていくので、天皇が安倍晴明(あべのせいめい)に相談して、源頼光(みなもとのらいこう)が金太郎で有名な坂田金時(さかたきんとき)や羅生門の鬼退治の渡邊綱(わたなべつな)達を連れて大江山に退治に行く物語になっています。
歌舞伎や映画になっている位有名な酒呑童子が、なぜカラツの神なの?って感じですよね。

酒呑童子といろいろ話していくと、体が大きくて捨てられたので、捨て子のグループで生活をしていたようです。大江山はたまり場だったんですね。
貴族の若者はそこに遊びに来ていて、拐ってきたわけではないそうです。
まぁ、今も昔も力強いものに若者達が寄って行ってしまうのは変わらないのかもしれません。みんなでワイワイしていたのが、大人から見れば怖かったのでしょう。


2011,12,11

🐶 カラツの神 その4

源頼光はとても慈悲深い人だったようです。人の気持ちがよくわかる感じのエピソードが伝えられているからです。

物語では、山伏の格好で、アジトに乗り込んだ討伐隊は神様からもらったというお酒を飲ませ、動けなくなった酒呑童子の首を切り、持って帰るが、途中でどうしても首が動かなくなってしまったのと、不浄な物を都に入れるのは、いかがなものかということで、酒呑童子の首を埋めて首塚にしたとなっています。

カラツの神が言うには、「らいこう様は私が少年だということに気付いて、首を切るのをやめたので、私はうるうると泣いたのです。それから仏門に入って勉強しました。」
首塚に埋めたのは犬の首だということです。

これも確かめようのない話です。
でも他の神も、酒呑童子がうるうる泣いたので、「鬼の目にも涙」と言われるようになったと言っていました。


12月11日に、記事を3つアップしていたことがわかりました。

この懐かしい場所の白毫寺に、カズエさんとあかりこさんが行かれたのは、4月23日のことだったそうです。

お二人は、少し前に記事にした方達ですね。


🐶 ブログでの繋がり



今回も📩をいただきました。

一緒に撮った写真も送ってくれて、文中に入れさせていただきました。


続きます。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あかりこ)
2023-07-12 22:52:15
百毫寺のエピソード、ありがとうございます。
なんとカラツの神様がお話してくださっていたとは♪

百毫寺には古い鬼瓦が飾られていて、鬼さんながらとっても親しみやすい表情で、「カラツの神様もきっと愛嬌のある感じかな」とカズエさんとほっこり眺めていました。

奈良三大椿だそうな五色椿がまだ咲いていて、写真の黒い蝶がずっと居てくれたのが印象深かったです。
五色椿は、興福寺塔頭の喜多院から移植されたそうです。
私は川越の喜多院!?と早とちりしちゃいましたが^^;ちょうど1年前に初めて埼玉めぐりをする際、M子さんのセッションで「(巾着田・前玉神社のほか)喜多院はさらに行くといいよ」と教えていただいて、カラツの神様がお好きな塩むすびとお酒を持って行ったのがまさに同じ4/23だったので、不思議な繋がりに胸が高鳴りました。
返信する
Unknown (nonahouse)
2023-07-15 09:51:59
あかりこさん、おはようございます。

コメント、ありがとうございます。

そして、記事のためにエピソードネタと写真、ありがとうございました。

あかりこさんとカズエさんは、何だかとても雰囲気が似ていたので、一緒にいろいろ出掛けられる友達になって、本当に良かったと思っています。

あなたは、行動的だから埼玉も、巡っていましたね。

それが、同じ日だったとはびっくりなことです。

ブログでの繋がりがまた出来て、続けている甲斐がありますよ。
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