今日は、父の立ち日、早いもので1年になりました。
6年半の介護中は、先の見えない介護に疲れた事もありましたが、早いものです。
介護とは、先が見えない事が一番辛い事ですね。
今日所用で行った砥部町の広田で、私だけいつまで苦労が続くのでしょうか。との話を聞きながら、菊谷先生の次のことを思い出しました。
いま、介護で苦労されている方、いつまでもではありません。
苦労した事が、楽しみにも、肥やしにもなると信じて頑張りましょう。
仏教に『順境、逆境』という言葉があります。
『順境』とは調子のいい状態、手ごたえを感じる時、充実している時
自分の思い通りになる時のことです。
「逆境」とは調子に悪い状態、憂鬱な時、ため息が出てくる時思うままにならない時のことです。
■あなたは現在、順境でしょうか? それとも逆境でしょうか?
今、逆境だと落ち込んでいる人も、その状態はいつまでも続きません。
1ヶ月後の今頃は順境を喜んでいるかもしれません。
今順境だという人も、浮かれてる場合ではありません。
明日には、ひどい逆境が、待ち構えているかもしれないことを覚悟しましょう。
間違いなく言えることはどんな人にでも順境と逆境があるということです。
よくあなたのまわりに、「あいつ逆境あるんかな」 というような前向きな、(能天気な)
人ってみかけませんか。
「あいつの人生って、順境ばかりで 逆境はないのではないか」
と思われる人です。
しかし、そんな人にも必ず逆境はあります。
ただその逆境を顔や言葉にあらわさないだけでしょう。
人間的に、そういう訓練ができている人なのではないかと思います。
逆にすぐに表情に表れてとってもわかりやすい人ってありますよね。
顔見た瞬間に、(あっ、今順境だな。)
部屋でぱっと姿見ただけで、(おっ、逆境だ。)
このように、わかりにくい人とわかりやすい人はありますが、
どんな人にも順境もあれば、逆境もあります。
■ずーっと順境ということはありませんし、ずーっと逆境ということもまたありません。
ちょうど、登山道のようなものです。
登り道は苦しいし、急坂ならば、なおさらでしょう。
下り道は、気持ちよく帰れます。
ひたすらのぼり道だけの山というのは 絶対にないのです。
また下り道だけの、登山も絶対にないのです。
長い下り道が続くということは、やがて来る長い上り坂を覚悟しなければなりません。
逆に長い上り坂が続けば続くほど、やがて訪れる長い下り坂を期待できるというわけです。
逆境に苦しんでいる人には、
「春の来ない冬はないよ。」
「朝の来ない夜はないんだよ。」
と励ましてあげねばなりません。
必ずそうなるのですから。
逆に順境でうかれている人には、「今だけだよ。」
「やがて逆境が待ってるよ。」
と、有頂天に水をささねばならない時もあるでしょう。
■順境、逆境を繰り返し、今年も過ぎようとしている
昨年も、いや10代の時も、20代の時も、このように順境、逆境を繰り返し
来年も40代もこれを繰り返していくだろう。
人はこうして人生の登り下りを重ねながら、いったいどこに向かっていくのだろう。
目の前の逆境をどうするか。
目先の順境をいかに持続できるか。それよりも、
【順逆を繰り返してどこへ向かっているのか】
釈尊は実に、そこを問題にしたのです。
6年半の介護中は、先の見えない介護に疲れた事もありましたが、早いものです。
介護とは、先が見えない事が一番辛い事ですね。
今日所用で行った砥部町の広田で、私だけいつまで苦労が続くのでしょうか。との話を聞きながら、菊谷先生の次のことを思い出しました。
いま、介護で苦労されている方、いつまでもではありません。
苦労した事が、楽しみにも、肥やしにもなると信じて頑張りましょう。
仏教に『順境、逆境』という言葉があります。
『順境』とは調子のいい状態、手ごたえを感じる時、充実している時
自分の思い通りになる時のことです。
「逆境」とは調子に悪い状態、憂鬱な時、ため息が出てくる時思うままにならない時のことです。
■あなたは現在、順境でしょうか? それとも逆境でしょうか?
今、逆境だと落ち込んでいる人も、その状態はいつまでも続きません。
1ヶ月後の今頃は順境を喜んでいるかもしれません。
今順境だという人も、浮かれてる場合ではありません。
明日には、ひどい逆境が、待ち構えているかもしれないことを覚悟しましょう。
間違いなく言えることはどんな人にでも順境と逆境があるということです。
よくあなたのまわりに、「あいつ逆境あるんかな」 というような前向きな、(能天気な)
人ってみかけませんか。
「あいつの人生って、順境ばかりで 逆境はないのではないか」
と思われる人です。
しかし、そんな人にも必ず逆境はあります。
ただその逆境を顔や言葉にあらわさないだけでしょう。
人間的に、そういう訓練ができている人なのではないかと思います。
逆にすぐに表情に表れてとってもわかりやすい人ってありますよね。
顔見た瞬間に、(あっ、今順境だな。)
部屋でぱっと姿見ただけで、(おっ、逆境だ。)
このように、わかりにくい人とわかりやすい人はありますが、
どんな人にも順境もあれば、逆境もあります。
■ずーっと順境ということはありませんし、ずーっと逆境ということもまたありません。
ちょうど、登山道のようなものです。
登り道は苦しいし、急坂ならば、なおさらでしょう。
下り道は、気持ちよく帰れます。
ひたすらのぼり道だけの山というのは 絶対にないのです。
また下り道だけの、登山も絶対にないのです。
長い下り道が続くということは、やがて来る長い上り坂を覚悟しなければなりません。
逆に長い上り坂が続けば続くほど、やがて訪れる長い下り坂を期待できるというわけです。
逆境に苦しんでいる人には、
「春の来ない冬はないよ。」
「朝の来ない夜はないんだよ。」
と励ましてあげねばなりません。
必ずそうなるのですから。
逆に順境でうかれている人には、「今だけだよ。」
「やがて逆境が待ってるよ。」
と、有頂天に水をささねばならない時もあるでしょう。
■順境、逆境を繰り返し、今年も過ぎようとしている
昨年も、いや10代の時も、20代の時も、このように順境、逆境を繰り返し
来年も40代もこれを繰り返していくだろう。
人はこうして人生の登り下りを重ねながら、いったいどこに向かっていくのだろう。
目の前の逆境をどうするか。
目先の順境をいかに持続できるか。それよりも、
【順逆を繰り返してどこへ向かっているのか】
釈尊は実に、そこを問題にしたのです。