今日は、肌寒い一日でした。
昨日のレクバレー・・と言うより、後の慰労会の方で疲れました。
森信三先生の著書『修身教授録』(致知出版社)では、
「二種の苦労人」という講義が採録されています。
どんなに素質が良い人でも、「苦労しないと、どこか人間が甘くて、
本当の味が出にくい」と述べています。
苦労することは、その人から甘さを取り除いてくれますが、
気をつけなければならないのは二種の違ったタイプの苦労人が
出来上がるからです。
1人目の苦労人は、苦労したために人の苦しみに対しても
よく察しができて、同情心を持つようになるタイプです。
苦労しても柔らかな思いやりのある人柄になる人です。
2人目の苦労人は、苦労したために、あくが強い人間になるタイプ。
苦労したことで、逆に人に対する思いやりが全くなくなる人です。
つまり、同じように苦労した人間でも、二種のタイプの苦労人に分かれるのです。
私の周りにもいます。想像を絶するような苦労をされながらも、
とても思いやりに満ちた方、反対に苦労が表情に滲み出ている方。
同じように苦労した人間でも、二種のタイプの苦労人に分かれるのは
なぜでしょうか?
その違いは、その人が自己を反省するか否かによって決まります。
苦労から自己を反省するか、他者のせいにするかで分かれるのです。
それでは、なぜ反省できる人と反省できない人がいるのでしょうか?
森信三先生は、次のように答えています。
「先天的な素質と、道または教えと、もう一つ人生の苦労というこの三つは、
人間のでき上がるうえに、欠くべからざる三大要素と言えましょう」
素質は別として、自分が反省できるだけの材料(道や教え)と出合う
ことが大切であり、そのうえで人生の苦労をなめるということです。
人間を磨くために「苦労する」は必要なことですが、その苦労を
消化できるだけの哲学や宗教などの道や教えを学ぶことも大切です。
どうせ苦労するなら2タイプの苦労人のうち、どちらになりたいですか?
昨日のレクバレー・・と言うより、後の慰労会の方で疲れました。
森信三先生の著書『修身教授録』(致知出版社)では、
「二種の苦労人」という講義が採録されています。
どんなに素質が良い人でも、「苦労しないと、どこか人間が甘くて、
本当の味が出にくい」と述べています。
苦労することは、その人から甘さを取り除いてくれますが、
気をつけなければならないのは二種の違ったタイプの苦労人が
出来上がるからです。
1人目の苦労人は、苦労したために人の苦しみに対しても
よく察しができて、同情心を持つようになるタイプです。
苦労しても柔らかな思いやりのある人柄になる人です。
2人目の苦労人は、苦労したために、あくが強い人間になるタイプ。
苦労したことで、逆に人に対する思いやりが全くなくなる人です。
つまり、同じように苦労した人間でも、二種のタイプの苦労人に分かれるのです。
私の周りにもいます。想像を絶するような苦労をされながらも、
とても思いやりに満ちた方、反対に苦労が表情に滲み出ている方。
同じように苦労した人間でも、二種のタイプの苦労人に分かれるのは
なぜでしょうか?
その違いは、その人が自己を反省するか否かによって決まります。
苦労から自己を反省するか、他者のせいにするかで分かれるのです。
それでは、なぜ反省できる人と反省できない人がいるのでしょうか?
森信三先生は、次のように答えています。
「先天的な素質と、道または教えと、もう一つ人生の苦労というこの三つは、
人間のでき上がるうえに、欠くべからざる三大要素と言えましょう」
素質は別として、自分が反省できるだけの材料(道や教え)と出合う
ことが大切であり、そのうえで人生の苦労をなめるということです。
人間を磨くために「苦労する」は必要なことですが、その苦労を
消化できるだけの哲学や宗教などの道や教えを学ぶことも大切です。
どうせ苦労するなら2タイプの苦労人のうち、どちらになりたいですか?