梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

集中豪雨

2012-09-03 19:02:25 | Weblog
本日、急遽葬儀に参列をいたしました。
今朝の新聞の訃報欄に何もなかったので安心で出かけましたが、急遽連絡があり午後3時からの葬儀に参列しました。
自宅葬ですが、駐車したところから自宅までの途中で豪雨といって良いほどの雨に、膝から下はびしょ濡れ、かさも役に立たないほどで背中の方もびしょ濡れです。
ニュースで栃木の方、集中豪雨で大変な状況に成っているようですが、河辺も雷と豪雨、この豪雨が長時間続くと栃木のようになります。
異常気象です。


アクアサービスの盛社長から頂いたメールから名人伝を。

*** *** ***
紀昌(きしょう)は、天下第一の弓の名人になろうと志を立て、
弓の名手・飛衛(ひえい)から射術の奥義秘伝を全て授けられた。

ところが、紀昌は、天下第一の名人になるためには師の飛衛を
殺すしかないと暗殺計画を考えた。

しかし、師の暗殺に失敗した紀昌と師の飛衛の二人は、
和解して師弟愛の涙を流した。

師の飛衛は、目標を失った弟子の紀昌に新しい目標を与えた。
西の方に住む甘蠅(かんよう)老師に学びなさいと。

老師に比べたら我々の射術は子供の遊びであると言われた紀昌は、
すぐに旅立ち老師を訪ねる。

気負い立つ紀昌を迎えたのは、羊のような柔和な目をした百歳を
超えるよぼよぼの爺さんであった。

紀昌は自分の技を見てもらいたいと老師に告げ、いきなり空高く飛ぶ
渡り鳥の群れに矢を射ると、一矢で五羽の鳥が落ちてきた。

老師は穏やかに微笑みながら紀昌に次のように話した。

「一通り出来るようだが、それは所詮、『射之射』というもの、
 お前は『不射之射』を知らぬと見える」

ムッとした紀昌を断崖絶壁の上に連れてきた老師は、
「では射というものをお目にかけようかな」と言ったが、
老師は弓と矢を持っていなかった。

紀昌が「弓はどうなさる?弓は?」と尋ねると、
老師は笑い、「不射之射」には弓も矢もいらないと話した。

ちょうど上空を飛んでいた一羽の鳶に老師が無形の矢を射ると、
鳶は羽ばたきもせず石の如くに落ちてきた。

紀昌は驚愕し、初めて弓術の深淵を覗き得た心地になった。

紀昌が老師のもとで9年間の修業を積み、山を下りて都に帰った時、
人々は紀昌の顔つきの変化に驚いた。

以前の負けず嫌いな精悍な面魂は影をひそめ、何の表情もない、
木偶の如く愚者の如き容貌に変わっていたからである。

しかし、師の飛衛はこの顔つきを一見すると感嘆して叫んだ。

「これでこそ初めて天下の名人だ。我らの如き足下にも
 及ぶものではない」と。

都の人々は、天下一の名人となった紀昌が妙技を披露するのを
今か今かと待ったが、紀昌は一向にその要望に応えない。

弓さえも手にしようとしない紀昌にある人が訳を尋ねると、
「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」
と紀昌は答えた。

弓を執らざる弓の名人は人々の誇りとなり、紀昌が弓に触れないほど、
無敵の評判はますます喧伝された。

ある日、紀昌の家に忍び入ろうとした盗賊は、家の中から殺気が
放たれて額を打たれ外に転落したと白状した。

それ以来、邪心を抱く者どもは紀昌の家を避けて廻り道をし、
賢い渡り鳥は紀昌の家の上空を通らなくなった。

紀昌が亡くなる12年前のこと、老いたる紀昌は知人の家に招かれた。

その家で一つの器具を見たが、その名前と用途を思い出せないので
家の主人に尋ねたが、主人は冗談かと思い笑っていた。

紀昌が真面目な顔で三度尋ねると、その家の主人は驚愕した。

天下一の名人となった紀昌が忘れ果てた器具が弓と矢であったから。

*** ←ここまで ***