最後の「関ジャム」が終わって、今頃、彼はそんな思いでいるだろう。
まだ、仲間と一緒かな。
スタッフと一緒かな。
それすら知ることも、もう無いんだな。
寂しくて辛くて、しんどくて、泣きたくて泣けなくて、
あの日からずっと、同じ場所をぐるぐるぐるぐる回り続けてた私の思い。
「どうして」から抜け出せなくて。
「どこに行くの」から先に進めなくて。
「どうしたらいいの」にとらわれ続けていて。
ここにきちんと言葉をつづることすら、ままならなかった。
日々、つぶやきさんの中にいると、いろんなeighterの言葉にぶつかる。
癒されることもあれば、
頬を殴られるような言葉もある。
そのどれもがきっと正しくて、でも私にとっての正解ではなくて。
ずっと苦しいまま。
いつからか、どこか麻痺した感じになっていて、
怒りもなければ、諦めでもない、
かといってこころから応援できる気分でもない、
あやふやな、ふわふわした感じでいた。
前を向け、と言われても「前」がどっちかわからない。
私にとっての「前」はすばるのいる方向で、
そのすばるを見失ってしまったら、暗闇に一人取り残されてるよりほか、出来ることはなくて。
あの日以来。
あんなに毎日聞いてたすばるの声を遠ざけて、
違う音楽ばかりを耳に入れてた。
かろうじて「関ジャム」は見てたけど、
車載DVDも違うアーティストに変えた。
正直なところをいえば、「GR8EST]もまだ開封してない。
だから、BABYも生まれてないわけで
←つぶやきさんにいると、それでもなんとなく中身が知れるけど(笑)
なので。
すばるの歌声ときちんと向き合うのは、Mステから続くこの三日間が「久しぶり」。
ただでさえ年取って涙腺がばがばに緩くなってますので、
自分なりに「泣かない」と決めて挑んだ三日間。
LIFEは、それを初披露した当初のことを思い出して胸が苦しくなり。
あの頃と比べたら、格段に、
演奏の技術も、歌の表現も良くなっているのは、十分に分かっていることだけれど。
同じだったのは、TVの此方側で見守るように息を止めて聞いた私自身で。
この歌の歌いだしのすばるの「声」を祈るように待つのは、変わらなかった。
そうだった。
いつも、どんな時も。
すばるの歌う声で、その日のご機嫌をうかがうような時代があったね。
今日は声出てるかな、調子いいかな、ご機嫌さんかな。
調子出なさそうだったり、声がかすれてたりすると一気にすばるのメンタルが心配になったっけ。
すばるの脱退が伝えられる前の音楽番組で歌った「オモイダマ」
やけにふんわりとした、「優しい」というには「優しすぎる」歌い方の「オモイダマ」が、
記憶に残る一番新しい「オモイダマ」にならなくて良かった。
ちゃんと記憶は上書きされて、
なにかを伝えようとする熱いものが声に宿っていて嬉しかった。
ねえ、すばる。
私にとっては。
愛した男が今まで見ていた風景からいなくなるのは、これが初めてじゃない。
だけど。
私の中心で私を支え続けていくれた男の行方がしれなくなるのは、
これが初めてなんだ。
こんなこと、本当に、思ってもみなかったことなんだ。
実生活が苦しくて辛くて、もう駄目だって時に出会った君の声は、
私を銀の光を手首に当てることを思いとどまらせてくれた。
逃れられない「拘束された」日々が、
遠征して宿泊できるまでに「解き放たれる」ことが可能になったのは、
すべて君に会いたいがため、君の歌を「生」で聞きたいがためだった。
君の歌が、しがらみを振り切る原動力だった。
・・・・・・そこに、それを許してくれた夫がいればこそ、という事実は。
ここでは遥か上の棚に上げておくことにする。
だって、しがらみの大元は夫が一因でもあるから、手放しに感謝はしないし、出来ないもん。
ねえ、すばる。
君はこれから、どうしていくの?
「6人の関ジャニ∞をよろしく」と君は言うけれど。
「1人の渋谷すばる」が気がかりで仕方ない。
がんばれって発破かける或いは応援するのは、それが出来たらどんなに楽だろう。
でも、出来ないよ。
心配でしかないよ。
君の力を信じてないわけじゃない。
ただただ。心配なんだ。
最後の演奏の終わり、
「エイターーーっ!」と叫んだ君の声が、耳に残り過ぎていて苦しい。
もう、君にそう呼ばれることもないんだと思うと、ただただ寂しい。
ねえ、すばる。
今月に入って知らされたいくつかの事実。
伝えられなければ知りようがなかった事実。
憶測で心配ばかりが先に立ってたeighterの心を静めたのは、
6人が自らの口で話してくれたから。
いろんな不安があることも分かってくれた上で、それでも自分たちの言葉で言ってくれたから。
最後まで「6人の関ジャニ∞をよろしく」とだけ語った君の姿が、
とても強く見えたのは事実だけど。
それが最大限だと頭ではわかっていても。
どうしても、どうしても。
私は君が心配でならないんだ。
この心配の源は、いったい何?
「大阪ロマネスク」を、あれほど優しく包み込むように歌えるようになったのに?
あんなに穏やかな瞳の君を、私は知らない。
知らない君が増えていく。
ここから先は、もっとわからなくなっていく。
ねえ、すばる。
関ジャニ∞にとって、
eighterにとって、
君を失くすことが、どれほどのことかを君が知るのは、いつだろう。
「ホントの初老になったとき、笑い合えたらいいね」ってeighterの誰かが言ってた。
それを待ってたら、今「初老」の私はただの老婆だし、
下手したら生きてないかもしれないんだからね。
お願いだから、何か、自分の口で「発信できる場所」を確保してくれないかな。
たとえば「おはよう」の4文字で安心できる世界もあるんだからさ。
ねえ、すばる。
こうなってもまだ、私は君の背中を押せないでいる。
ありがとうっていうのは簡単だ。
がんばれなんて、言われなくても頑張るしか道はないところへ君は行く。
私は、
まだ。
君を、愛してる。
君を想う涙は枯れない。
私の愛した男は。
最高に無責任で。
最強のヒーロー。
・・・だったのかもしれない。
久しぶりに書いたけど。
支離滅裂だな。
読み返しても、何言いたいのかわかんないや。
この時間、ようやく関西でも遅れ放送が始まったかな。
眠れるかどうかわかんないけど、明日も「しがらみ」と格闘だし。
寝ますね。
おやすみなさい。
まだ、仲間と一緒かな。
スタッフと一緒かな。
それすら知ることも、もう無いんだな。
寂しくて辛くて、しんどくて、泣きたくて泣けなくて、
あの日からずっと、同じ場所をぐるぐるぐるぐる回り続けてた私の思い。
「どうして」から抜け出せなくて。
「どこに行くの」から先に進めなくて。
「どうしたらいいの」にとらわれ続けていて。
ここにきちんと言葉をつづることすら、ままならなかった。
日々、つぶやきさんの中にいると、いろんなeighterの言葉にぶつかる。
癒されることもあれば、
頬を殴られるような言葉もある。
そのどれもがきっと正しくて、でも私にとっての正解ではなくて。
ずっと苦しいまま。
いつからか、どこか麻痺した感じになっていて、
怒りもなければ、諦めでもない、
かといってこころから応援できる気分でもない、
あやふやな、ふわふわした感じでいた。
前を向け、と言われても「前」がどっちかわからない。
私にとっての「前」はすばるのいる方向で、
そのすばるを見失ってしまったら、暗闇に一人取り残されてるよりほか、出来ることはなくて。
あの日以来。
あんなに毎日聞いてたすばるの声を遠ざけて、
違う音楽ばかりを耳に入れてた。
かろうじて「関ジャム」は見てたけど、
車載DVDも違うアーティストに変えた。
正直なところをいえば、「GR8EST]もまだ開封してない。
だから、BABYも生まれてないわけで
←つぶやきさんにいると、それでもなんとなく中身が知れるけど(笑)
なので。
すばるの歌声ときちんと向き合うのは、Mステから続くこの三日間が「久しぶり」。
ただでさえ年取って涙腺がばがばに緩くなってますので、
自分なりに「泣かない」と決めて挑んだ三日間。
LIFEは、それを初披露した当初のことを思い出して胸が苦しくなり。
あの頃と比べたら、格段に、
演奏の技術も、歌の表現も良くなっているのは、十分に分かっていることだけれど。
同じだったのは、TVの此方側で見守るように息を止めて聞いた私自身で。
この歌の歌いだしのすばるの「声」を祈るように待つのは、変わらなかった。
そうだった。
いつも、どんな時も。
すばるの歌う声で、その日のご機嫌をうかがうような時代があったね。
今日は声出てるかな、調子いいかな、ご機嫌さんかな。
調子出なさそうだったり、声がかすれてたりすると一気にすばるのメンタルが心配になったっけ。
すばるの脱退が伝えられる前の音楽番組で歌った「オモイダマ」
やけにふんわりとした、「優しい」というには「優しすぎる」歌い方の「オモイダマ」が、
記憶に残る一番新しい「オモイダマ」にならなくて良かった。
ちゃんと記憶は上書きされて、
なにかを伝えようとする熱いものが声に宿っていて嬉しかった。
ねえ、すばる。
私にとっては。
愛した男が今まで見ていた風景からいなくなるのは、これが初めてじゃない。
だけど。
私の中心で私を支え続けていくれた男の行方がしれなくなるのは、
これが初めてなんだ。
こんなこと、本当に、思ってもみなかったことなんだ。
実生活が苦しくて辛くて、もう駄目だって時に出会った君の声は、
私を銀の光を手首に当てることを思いとどまらせてくれた。
逃れられない「拘束された」日々が、
遠征して宿泊できるまでに「解き放たれる」ことが可能になったのは、
すべて君に会いたいがため、君の歌を「生」で聞きたいがためだった。
君の歌が、しがらみを振り切る原動力だった。
・・・・・・そこに、それを許してくれた夫がいればこそ、という事実は。
ここでは遥か上の棚に上げておくことにする。
だって、しがらみの大元は夫が一因でもあるから、手放しに感謝はしないし、出来ないもん。
ねえ、すばる。
君はこれから、どうしていくの?
「6人の関ジャニ∞をよろしく」と君は言うけれど。
「1人の渋谷すばる」が気がかりで仕方ない。
がんばれって発破かける或いは応援するのは、それが出来たらどんなに楽だろう。
でも、出来ないよ。
心配でしかないよ。
君の力を信じてないわけじゃない。
ただただ。心配なんだ。
最後の演奏の終わり、
「エイターーーっ!」と叫んだ君の声が、耳に残り過ぎていて苦しい。
もう、君にそう呼ばれることもないんだと思うと、ただただ寂しい。
ねえ、すばる。
今月に入って知らされたいくつかの事実。
伝えられなければ知りようがなかった事実。
憶測で心配ばかりが先に立ってたeighterの心を静めたのは、
6人が自らの口で話してくれたから。
いろんな不安があることも分かってくれた上で、それでも自分たちの言葉で言ってくれたから。
最後まで「6人の関ジャニ∞をよろしく」とだけ語った君の姿が、
とても強く見えたのは事実だけど。
それが最大限だと頭ではわかっていても。
どうしても、どうしても。
私は君が心配でならないんだ。
この心配の源は、いったい何?
「大阪ロマネスク」を、あれほど優しく包み込むように歌えるようになったのに?
あんなに穏やかな瞳の君を、私は知らない。
知らない君が増えていく。
ここから先は、もっとわからなくなっていく。
ねえ、すばる。
関ジャニ∞にとって、
eighterにとって、
君を失くすことが、どれほどのことかを君が知るのは、いつだろう。
「ホントの初老になったとき、笑い合えたらいいね」ってeighterの誰かが言ってた。
それを待ってたら、今「初老」の私はただの老婆だし、
下手したら生きてないかもしれないんだからね。
お願いだから、何か、自分の口で「発信できる場所」を確保してくれないかな。
たとえば「おはよう」の4文字で安心できる世界もあるんだからさ。
ねえ、すばる。
こうなってもまだ、私は君の背中を押せないでいる。
ありがとうっていうのは簡単だ。
がんばれなんて、言われなくても頑張るしか道はないところへ君は行く。
私は、
まだ。
君を、愛してる。
君を想う涙は枯れない。
私の愛した男は。
最高に無責任で。
最強のヒーロー。
・・・だったのかもしれない。
久しぶりに書いたけど。
支離滅裂だな。
読み返しても、何言いたいのかわかんないや。
この時間、ようやく関西でも遅れ放送が始まったかな。
眠れるかどうかわかんないけど、明日も「しがらみ」と格闘だし。
寝ますね。
おやすみなさい。
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