”自民党の石破茂元幹事長は2月10日、安倍晋三首相が石破派を除く6派閥の事務総長と公邸で会食したことに不快感を示した。党大会後、記者団に聞かれ「意図は分からないが、堂々と開くべきだ。裏口から入るとか日程に載せないという姿勢は良くない」と述べた。会食は公表されず、出席者は公邸の表玄関から出入りしなかった。かん口令も敷かれたという。
石破氏は、首相が党大会の演説で政権転落を巡り「悪夢のような民主党政権が誕生した」と言及したことに対し「終わった政権を引き合いに出して『自分たちは正しい』と言うような手法は危ない」と疑問を呈した。”以上が新聞報道の引用である。
自民党を出たり入ったりして、要領良く日の当る場所を歩いてきた石破茂の政界遊泳術を見れば、今回の石破派を除いた6派閥の事務総長との会食は当然である。石破の裏切り行為は1993年の宮沢内閣不信任決議に賛成票を投じたのに始まる。直後の衆院選に、無所属で当選した。細川政権が推進した政治改革関連4法案をめぐり、野党に転落した自民党の方針に反して賛成、役職停止処分を受け、自民党を離党。改革の会など新進党結党に参加した。1995年小沢一郎が新進党党首に選出されると、安全保障政策で対立、小沢を裏切り新進党を離党。無所属で当選。1997年自民党に復党。2000年、森内閣で政務次官、防衛庁副長官に任命される。2002年小泉内閣では防衛庁長官で初入閣した。安倍晋三の退陣に伴う2007年自民党総裁選では福田康夫を支持し福田内閣で防衛大臣に任命される。2008年、福田退陣に伴う自民党総裁選に出馬25票で最下位。2008年麻生内閣で農水相に任命され、総選挙が近づくや農水相でありながら与謝野馨財務相とともに麻生卸しに加担、退陣要求を突き付けた。2012年自民党総裁選で安倍に敗れたが、安倍は幹事長に石破を起用した。 2014年の第2次安倍改造内閣で安倍が新設する安全保障法制担当大臣への就任を打診していたが、石破はラジオ番組で「安保法制担当相への就任を辞退する意向を明言し、内閣改造後も引き続き幹事長職に留まりたい」と表明した。この非常識な発言に党内で石破批判が起きたが安倍は地方創生相に任命した。党内の無派閥の議員を中心に構成される、無派閥連絡会を石破派『水月会』として結成するも20人しか集まらない。自民党内で石破は裏切り行為の連続などで信用されず甚だ人気がない。特に麻生太郎の『石破憎し、石破嫌い』は徹底している。麻生「『派閥を解消する』と言って無派閥の会(無派閥連絡会)をつくり、それを石破派に変えた。言っていることと、やっていることが違うじゃないか」森元首相が下野した自民党の幹事長として離党者が相次いだ当時の苦労を語ると、麻生はこう相づちを打った。「そういう苦しい時こそ人間性が分かるんですよ」。総裁選では安倍と比較、『明るい顔』と『暗い顔』どちらを有権者は選ぶかと石破を『暗い顔』と表現していた。石波の存在は自民党の『獅子身中の虫』だ。今後、何時誰が裏切られるか。『もっとも因果は車の輪の如し』