支持率が1%前後と低迷、さっぱり浮上しない玉木国民民主党と片や人品骨柄の卑しさを見抜かれ、子分から側近まで去ってしまい、数人の国会浮遊ゴミを集めた自由党小沢一郎が1月に統一会派を組んだ。国民党と自由党が合併に向けた政策協議を行い、国民の基本政策を自由が受け入れることで合意した。「夏の参院選で自民党に勝つには、野党で大きな固まりを作るべきだ」と小沢は強調する。フラフラしている参院無所属のアントニオ猪木を統一会派に入れて参院の野党第1会派に押し上げた、衆院でも佐藤公治氏(無所属)を統一会派入りさせ、小沢に近い議員を増やした。腹に一物の小沢自身も馬齢を重ね76歳の老骨、”金丸虎の威を借る狐の剛腕”は今や昔、長年連れ添った女房に三行半を突き付け逃げられ倅達にも愛想尽かしされ往年の勢いはない。
落ち武者小沢と手を結ぶ玉木国民民主党は ”貧すれば鈍する”の典型だろう。小沢はハトポッポ民主党に入る時も「一兵卒として雑巾掛けもします」と低姿勢を示したが正に”始めは処女の如く後は脱兎の如し”民主党の党内をかき回した挙げ句、後ろ足で砂を掛けて飛び出した張本人だ。小沢は浜松市で講演「『股をくぐれ』と言われれば股をくぐる。『お前が悪い』と言われれば謝る。個人的な感情にとらわれている場合ではない」と述べたそうだが、言葉どおりに、股を潜らせれば急所を抜かれる、油断も隙もない野郎だ。
側近の森裕子を国民会派入りさせ参院予算委の野党筆頭理事に就任させたが、7日国民の藤田幸久(参院茨城選挙区)は除籍処分され立民入りした。これで立民が28国民27と逆転、立民のレンホウが再度野党筆頭理事になった。
森裕子と言えば2003年の参院外交防衛委員会におけるイラク特措法案の採決で、短めのスカート・ハイヒールを身につけたまま委員長席のテーブルに登り松村龍二委員長に詰め寄り、スリットから太股を大胆に露出して護衛役だったプロレス上がりの大仁田厚の髪をつかんで頭をポカリと殴った。このパフォーマンスで森は一躍有名になり、小沢一郎曰く森を「我々の闘士」と持ち上げた。一方の立民のレンホウも引けを取らない。切り口上で一方的に決め付け、相手に反論もさせぬ根性の持ち主。共に品のなさとガラの悪さでは甲乙付けがたし。小沢は玉木国民の次に枝野立民を視野に入れ野党共闘を狙っているようだが革マル派枝野は、玉木のような甘ちゃんではない。オリーブの木もオール野党共闘も人、カネ、信用を失った小沢には到底無理だろう。
写真は森の品格丸出しの雄姿。