親友モンちゃんと、月に一度のお出掛け。
今月は、いつもと違って遠くへ行った。
人形作家、辻村寿三郎氏の人形展を見に行ったのだ。
人形に興味があるのかって?
無い。
我々は中学生の時、NHKで放映されていた
「新八犬伝」という人形劇に夢中だった。
塾をサボっては、モンちゃんと2人でよく見ていたものだ。
わけあって日本中に散らばった八つの玉を
一つずつ所有する八人の勇者が
奇想天外な旅を続けるストーリーに魅了された。
それぞれ好きなヒーローがいて、まるで生きたアイドルのように
キャーキャー騒いでいた。
今だと、オタクみたいな扱いになるのだろうか。
劇中、玉梓(タマズサ)という女の怨霊が、ヒュー…ドロドロ…と
しょっちゅう出てきて、悪さをする。
なんか怨みがあったらしいが、いくら怨霊とはいえ
子供相手の人形劇に、あんな恐い女を出してもいいのかと思うほど
恐ろしい形相をした毒婦だ。
このタマズサの登場シーンを、恐れつつも心待ちにしていた。
人形は、どれも魂が入っているかのごとく、生き生きとセクシーだった。
この操り人形の制作者が、辻村寿三郎氏その人である。
多感な時期に抱いた尊敬の念は、いまだ薄れることはなく
現在、各地で開催される彼の人形展には
車で行ける範囲であれば、見学に行っている。
数年前、懐かしき我が青春の象徴…新八犬伝の人形を
初めてナマで見た時の興奮は、忘れられない。
人形は思っていたよりも小さく、古びていたが
八勇者のきりりと頼もしい面立ちはそのままで
あのおっそろしいタマズサは、相変わらず恐ろしかった。
大人になってから、あの八つの玉の意味なんかも
自分なりに考えるようになった。
八つの玉にそれぞれ書いてある
仁義礼智忠信孝悌(じんぎれいちちゅうしんこうてい)の文字は
人として生きるための道徳心を表わしている。
仁…思いやり
義…正義
礼…礼節
智…智恵
忠…誠実
信…信頼
孝…親孝行
悌…兄弟愛
簡単な意味は、こんなところだろうか。
すべてを兼ね備えるに越したことはないが
誰でも、どれかは持ち、どれかが欠けている。
だからこそ、人間だとも言える。
この八つの玉をコレクションしようという心がけが、人の道の原点ではないのか。
そして八つの玉の総意は“愛”。
話は冗談めくが、これらの文字のうち、仁と義だけに偏(かたよ)れば
ヤクザということになる。
偏ると、他の玉からは大きく遠ざかるばかりか
持っていたはずの仁と義も、親分やお仲間だけに適用可能な
ごく内輪のルールに過ぎなくなる。
その時点で、文字本来の意味は失われる。
バランスは大事だ。
冗談ついでに、得意分野の不倫で考えてみよう。
思いやり(仁)が無いから、我欲のために人を地獄に突き落とせる。
不義密通というぐらいなので、もちろん正義(義)どころではない。
人を泣かせて平気な者に礼節(礼)は無く
智恵(智)が足りないばっかりに、後先を考えず目先の快楽をむさぼる。
誠実(忠)でないから人を裏切り、誰からも信頼(信)されなくなるのは当たり前。
親兄妹に心配をかけるのだから
親孝行(孝)も兄妹愛(悌)もあったもんじゃない。
八つの玉を失った時、人の心には怨霊タマズサが棲みつく。
さて、今回の人形展行きは、モンちゃんが言い出した。
「一度行ってみたいんだけど、知らない所だし、遠くて1人じゃなかなかねえ」
私が以前から何度か行っていることを話すと、びっくりしていた。
じゃあ一緒に行こうということになり
そこへ我が家のセバスチャンが、運転手として名乗りを上げてくれた。
当日、モンちゃんと我ら夫婦は、朝早くから意気揚々と出発した。
まだ午前中だというのに、会場は大盛況。
しかし残念なことに、新八犬伝に出演した人形は
今回、どなたさんもお越しでなかった。
がっかりするモンちゃん。
「八犬伝が来る時に、また行こうよ」
夫婦でなぐさめる。
昼食を食べることにするが、モンちゃんはショックでまだ放心状態。
「軽いものでいい…軽いものしか入らない…」
そこで蕎麦(そば)好きの夫の提案を採用し
山の中にある手打ち蕎麦の店に入った。
そこは、農家の奧さん達が共同で営業している店であった。
空き地に建つプレハブの店内は混んでいたが
奧さん達の人柄か、のんびりした雰囲気だ。
壁に張られたお品書きの一覧表も、マジックで書かれた素朴なもの。
上の段には
・かけそば
・割り子そば
・ざるそば
下の段には
・そばみそ
・そばアイス
・そばまくら
と書いてある。
300円程度のみそとアイス以外は、どれも700円前後の似たような値段。
「モンちゃん、どれにする?」
「そうねえ…そばまくらにしようかな」
「そばまくら…なんだか変わってて良さそうね。
食べてみようか」
いましがた迫力ある美しい芸術を堪能し、草深い山奥を訪れた我々には
“そばまくら”の5文字が、さも風雅に思えた。
「ざるそば1つと、そばまくら2つお願いします。」
「は~い!そばまくらは、ラベンダー入りのと普通の、どっちがいいですか?」
「ラベンダー入りがあるんですか?」
「ええ、ラベンダーは安眠の作用があるそうですよ」
なんかおかしい。
もう一度お品書きに目を凝らすと
下の段の端に小さく“おみやげ”と書いてあるのを発見。
そばまくらは、風流な特別食ではなく、ソバ殻で作った枕のことであった。
偏食が無いのだけが取り柄の私でも、さすがに枕は食えん。
「へへ…へ…」
モンちゃんと私は力なく笑い、そばまくらの注文を撤回した。
蕎麦は、おいしかった。
今月は、いつもと違って遠くへ行った。
人形作家、辻村寿三郎氏の人形展を見に行ったのだ。
人形に興味があるのかって?
無い。
我々は中学生の時、NHKで放映されていた
「新八犬伝」という人形劇に夢中だった。
塾をサボっては、モンちゃんと2人でよく見ていたものだ。
わけあって日本中に散らばった八つの玉を
一つずつ所有する八人の勇者が
奇想天外な旅を続けるストーリーに魅了された。
それぞれ好きなヒーローがいて、まるで生きたアイドルのように
キャーキャー騒いでいた。
今だと、オタクみたいな扱いになるのだろうか。
劇中、玉梓(タマズサ)という女の怨霊が、ヒュー…ドロドロ…と
しょっちゅう出てきて、悪さをする。
なんか怨みがあったらしいが、いくら怨霊とはいえ
子供相手の人形劇に、あんな恐い女を出してもいいのかと思うほど
恐ろしい形相をした毒婦だ。
このタマズサの登場シーンを、恐れつつも心待ちにしていた。
人形は、どれも魂が入っているかのごとく、生き生きとセクシーだった。
この操り人形の制作者が、辻村寿三郎氏その人である。
多感な時期に抱いた尊敬の念は、いまだ薄れることはなく
現在、各地で開催される彼の人形展には
車で行ける範囲であれば、見学に行っている。
数年前、懐かしき我が青春の象徴…新八犬伝の人形を
初めてナマで見た時の興奮は、忘れられない。
人形は思っていたよりも小さく、古びていたが
八勇者のきりりと頼もしい面立ちはそのままで
あのおっそろしいタマズサは、相変わらず恐ろしかった。
大人になってから、あの八つの玉の意味なんかも
自分なりに考えるようになった。
八つの玉にそれぞれ書いてある
仁義礼智忠信孝悌(じんぎれいちちゅうしんこうてい)の文字は
人として生きるための道徳心を表わしている。
仁…思いやり
義…正義
礼…礼節
智…智恵
忠…誠実
信…信頼
孝…親孝行
悌…兄弟愛
簡単な意味は、こんなところだろうか。
すべてを兼ね備えるに越したことはないが
誰でも、どれかは持ち、どれかが欠けている。
だからこそ、人間だとも言える。
この八つの玉をコレクションしようという心がけが、人の道の原点ではないのか。
そして八つの玉の総意は“愛”。
話は冗談めくが、これらの文字のうち、仁と義だけに偏(かたよ)れば
ヤクザということになる。
偏ると、他の玉からは大きく遠ざかるばかりか
持っていたはずの仁と義も、親分やお仲間だけに適用可能な
ごく内輪のルールに過ぎなくなる。
その時点で、文字本来の意味は失われる。
バランスは大事だ。
冗談ついでに、得意分野の不倫で考えてみよう。
思いやり(仁)が無いから、我欲のために人を地獄に突き落とせる。
不義密通というぐらいなので、もちろん正義(義)どころではない。
人を泣かせて平気な者に礼節(礼)は無く
智恵(智)が足りないばっかりに、後先を考えず目先の快楽をむさぼる。
誠実(忠)でないから人を裏切り、誰からも信頼(信)されなくなるのは当たり前。
親兄妹に心配をかけるのだから
親孝行(孝)も兄妹愛(悌)もあったもんじゃない。
八つの玉を失った時、人の心には怨霊タマズサが棲みつく。
さて、今回の人形展行きは、モンちゃんが言い出した。
「一度行ってみたいんだけど、知らない所だし、遠くて1人じゃなかなかねえ」
私が以前から何度か行っていることを話すと、びっくりしていた。
じゃあ一緒に行こうということになり
そこへ我が家のセバスチャンが、運転手として名乗りを上げてくれた。
当日、モンちゃんと我ら夫婦は、朝早くから意気揚々と出発した。
まだ午前中だというのに、会場は大盛況。
しかし残念なことに、新八犬伝に出演した人形は
今回、どなたさんもお越しでなかった。
がっかりするモンちゃん。
「八犬伝が来る時に、また行こうよ」
夫婦でなぐさめる。
昼食を食べることにするが、モンちゃんはショックでまだ放心状態。
「軽いものでいい…軽いものしか入らない…」
そこで蕎麦(そば)好きの夫の提案を採用し
山の中にある手打ち蕎麦の店に入った。
そこは、農家の奧さん達が共同で営業している店であった。
空き地に建つプレハブの店内は混んでいたが
奧さん達の人柄か、のんびりした雰囲気だ。
壁に張られたお品書きの一覧表も、マジックで書かれた素朴なもの。
上の段には
・かけそば
・割り子そば
・ざるそば
下の段には
・そばみそ
・そばアイス
・そばまくら
と書いてある。
300円程度のみそとアイス以外は、どれも700円前後の似たような値段。
「モンちゃん、どれにする?」
「そうねえ…そばまくらにしようかな」
「そばまくら…なんだか変わってて良さそうね。
食べてみようか」
いましがた迫力ある美しい芸術を堪能し、草深い山奥を訪れた我々には
“そばまくら”の5文字が、さも風雅に思えた。
「ざるそば1つと、そばまくら2つお願いします。」
「は~い!そばまくらは、ラベンダー入りのと普通の、どっちがいいですか?」
「ラベンダー入りがあるんですか?」
「ええ、ラベンダーは安眠の作用があるそうですよ」
なんかおかしい。
もう一度お品書きに目を凝らすと
下の段の端に小さく“おみやげ”と書いてあるのを発見。
そばまくらは、風流な特別食ではなく、ソバ殻で作った枕のことであった。
偏食が無いのだけが取り柄の私でも、さすがに枕は食えん。
「へへ…へ…」
モンちゃんと私は力なく笑い、そばまくらの注文を撤回した。
蕎麦は、おいしかった。