むかしむかし、あるところに
古くから続く、高貴なお血筋の一族がおられました。
森の中のお屋敷で暮らすご家族は
上品な紳士淑女ばかりで
いつも村人のことを気にかけ
思いやってくださいます。
彼らは村人たちの誇りであり、尊敬と憧れの的でした。
ある時、そこのご長男が
お嫁さんを迎えることになりました。
村人たちは以前から、地味でおとなしいご長男が
実は面食いだと知っておりました。
お好きだと公言される歌手や女優の顔立ちから
ご自分とは正反対に、目鼻立ちのはっきりした
華やかな印象の女性に惹かれることを察していたのです。
庶民であれば危なっかしく感じますが
そこはお金と権力のある上流階級。
無い物ねだりではなく、ギブアンドテイクが成立します。
庶民ごときの懸念を重ねて
同じように考えるのは無礼というもの‥
村人たちは、そうたしなめ合いつつ
森のお屋敷の慶事を待ち焦がれるのでした。
近日、婚約者のお披露目が行われました。
村人は、お相手を一目見ようと会場に詰めかけました。
そこで一部の村人は
「まさか!」とつぶやきました。
その名も「まさかさん」とおっしゃる
優雅なお名前の女性に、見覚えがあったのです。
以前、ご長男のお相手として
お名前が挙がった際のことでした。
それについて人からたずねられると、キッとにらみつけた
足がすくむような娘さんでした。
ご長男のお好み通り
華やかな印象の娘さんではありましたが
「この方ではない‥」
誰もがそう思いました。
若い娘さんが大きな顔をして、強い不快を示しているのです。
「事実無根のデマに、大変迷惑している」
娘さんは必死でそう訴えているように見えたからです。
人前で、こんなに激しい態度を取るからには
よっぽどのことに違いない‥
村人たちは思いました。
「わざとあのような態度を取って
自分はふさわしくないとアピールしている。
それほど嫌なのだ」
人々は娘さんに同情するのでした。
その娘さんが、今はご長男の隣で
しとやかに、はにかんでおられます。
村人が目を疑うのは、もっともなことでした。
しかし村を挙げてのお祝いムードに流され
あの怖い娘さんは、人々の記憶から消えてしまいました。
村人たちはこの席で、意外に低音な
娘さんの声を聞くこともできました。
「まさかさんのことは、僕が一生お守りしますと
おっしゃってくださいました」
おお!何と男らしいご長男でしょう!
この言葉が決め手だったのだ!
殿方から、一生に一度は言われてみたい!
村人たちは感動し、お二人の幸せを祈るのでした。
しかしこの発言。
とある業界で生計を立てる、ごく一部の村人は
「まさか!」と耳を疑いました。
お嬢さんの言ったことは、限られた地域の限られた業界で
「巻く」と呼ばれる行為だったからです。
公正証書を作成することを
人によっては「書類を巻く」と表現します。
語源はそこから来ているようです。
「私に、このような約束をしてくれた」
それを人前で口に出せば
自動的に証人が得られます。
内容の真偽は関係ありません。
先に言ったモン勝ちです。
その場で聞いた人、みんなが証人ですから
話したことは公開された約束として認識され
今後はその通りにしなければならないような
雰囲気ができあがってしまいます。
そして、その通りにしなければ
「約束が違う!」と責める武器にもなります。
元手を使わずに相手をがんじがらめにして
取引を優位に進めるに効果的な手段ではありますが
口のかたさを求められる業界において
これをやるのは下賤の証と軽蔑される
商道の禁じ手でした。
微笑みながら、これをサラリとやってのけるお嬢さんに
何やら底知れぬものを感じましたが、ただの偶然かもしれません。
打ち合わせやシナリオのある納得づくのことかもしれません。
上流としもじもでは、常識が異なるかもしれません。
そもそもあちら様は、商売じゃないんだから‥と
湧き出た「まさか!」を急いでかき消すのでした。
こうして森の屋敷に嫁がれた、まさか様は
その後も村人たちに
「まさか!」を連発させることになるのですが
そのお話は、またの機会にいたしましょう。
「上から読んでもまさかさま
下から読んでもまさかさま
まさかまさかが重なって
森の屋敷はまっさかさま」
そんなわらべ唄が
流行ったとか、流行らなかったとか。
どっとはらい。
この物語はフィクションであり
実在する団体や人物とは一切関係ありません。
古くから続く、高貴なお血筋の一族がおられました。
森の中のお屋敷で暮らすご家族は
上品な紳士淑女ばかりで
いつも村人のことを気にかけ
思いやってくださいます。
彼らは村人たちの誇りであり、尊敬と憧れの的でした。
ある時、そこのご長男が
お嫁さんを迎えることになりました。
村人たちは以前から、地味でおとなしいご長男が
実は面食いだと知っておりました。
お好きだと公言される歌手や女優の顔立ちから
ご自分とは正反対に、目鼻立ちのはっきりした
華やかな印象の女性に惹かれることを察していたのです。
庶民であれば危なっかしく感じますが
そこはお金と権力のある上流階級。
無い物ねだりではなく、ギブアンドテイクが成立します。
庶民ごときの懸念を重ねて
同じように考えるのは無礼というもの‥
村人たちは、そうたしなめ合いつつ
森のお屋敷の慶事を待ち焦がれるのでした。
近日、婚約者のお披露目が行われました。
村人は、お相手を一目見ようと会場に詰めかけました。
そこで一部の村人は
「まさか!」とつぶやきました。
その名も「まさかさん」とおっしゃる
優雅なお名前の女性に、見覚えがあったのです。
以前、ご長男のお相手として
お名前が挙がった際のことでした。
それについて人からたずねられると、キッとにらみつけた
足がすくむような娘さんでした。
ご長男のお好み通り
華やかな印象の娘さんではありましたが
「この方ではない‥」
誰もがそう思いました。
若い娘さんが大きな顔をして、強い不快を示しているのです。
「事実無根のデマに、大変迷惑している」
娘さんは必死でそう訴えているように見えたからです。
人前で、こんなに激しい態度を取るからには
よっぽどのことに違いない‥
村人たちは思いました。
「わざとあのような態度を取って
自分はふさわしくないとアピールしている。
それほど嫌なのだ」
人々は娘さんに同情するのでした。
その娘さんが、今はご長男の隣で
しとやかに、はにかんでおられます。
村人が目を疑うのは、もっともなことでした。
しかし村を挙げてのお祝いムードに流され
あの怖い娘さんは、人々の記憶から消えてしまいました。
村人たちはこの席で、意外に低音な
娘さんの声を聞くこともできました。
「まさかさんのことは、僕が一生お守りしますと
おっしゃってくださいました」
おお!何と男らしいご長男でしょう!
この言葉が決め手だったのだ!
殿方から、一生に一度は言われてみたい!
村人たちは感動し、お二人の幸せを祈るのでした。
しかしこの発言。
とある業界で生計を立てる、ごく一部の村人は
「まさか!」と耳を疑いました。
お嬢さんの言ったことは、限られた地域の限られた業界で
「巻く」と呼ばれる行為だったからです。
公正証書を作成することを
人によっては「書類を巻く」と表現します。
語源はそこから来ているようです。
「私に、このような約束をしてくれた」
それを人前で口に出せば
自動的に証人が得られます。
内容の真偽は関係ありません。
先に言ったモン勝ちです。
その場で聞いた人、みんなが証人ですから
話したことは公開された約束として認識され
今後はその通りにしなければならないような
雰囲気ができあがってしまいます。
そして、その通りにしなければ
「約束が違う!」と責める武器にもなります。
元手を使わずに相手をがんじがらめにして
取引を優位に進めるに効果的な手段ではありますが
口のかたさを求められる業界において
これをやるのは下賤の証と軽蔑される
商道の禁じ手でした。
微笑みながら、これをサラリとやってのけるお嬢さんに
何やら底知れぬものを感じましたが、ただの偶然かもしれません。
打ち合わせやシナリオのある納得づくのことかもしれません。
上流としもじもでは、常識が異なるかもしれません。
そもそもあちら様は、商売じゃないんだから‥と
湧き出た「まさか!」を急いでかき消すのでした。
こうして森の屋敷に嫁がれた、まさか様は
その後も村人たちに
「まさか!」を連発させることになるのですが
そのお話は、またの機会にいたしましょう。
「上から読んでもまさかさま
下から読んでもまさかさま
まさかまさかが重なって
森の屋敷はまっさかさま」
そんなわらべ唄が
流行ったとか、流行らなかったとか。
どっとはらい。
この物語はフィクションであり
実在する団体や人物とは一切関係ありません。