高貴な方々の住まわれる
森のお屋敷に嫁がれた、まさか様。
ご結婚されたら、待たれるのはお子様です。
ことに森のお屋敷では
代々男の子が家督を継ぐ決まりがあります。
男児の出産は、希望というより義務でした。
まさか様にご懐妊の兆しは
なかなか訪れませんでした。
「子供はコウノトリのご機嫌にお任せして‥」
ご婚約の際、ご長男は名言をおっしゃいましたが
コウノトリのご機嫌は、ずっと良くないようです。
気をもんで8年、とうとうまさか様は
可愛い女の子を出産されました。
村は大きな喜びに包まれ
「やがては男の子もお生まれになるだろう」
誰もがそう思いました。
生まれた女の子は「サイコ様」と名付けられ
それはそれは大切に育てられました。
大切にされ過ぎて、滅多に人目に触れることは
ありません。
隠されると見たくなるのは人の常。
村人がうるさくなると
チラッと見せてくださいます。
それを見ては
「大きくなられた」
「いっそう可愛らしくおなりあそばした」
と目を細めながら、次のお子様を待つ村人たちでした。
何年かが経ちましたが
次のお子様がお生まれになる気配は
いっこうにありません。
コウノトリのご機嫌は、再び悪くなったようです。
お屋敷の存続について、村はかしましくなりました。
男系男子が家督を継ぐという厳格なルールで
野心の発生を抑制し
血なまぐさい後継者争いを回避しながら
長い歴史をつないできたことを知らない馬鹿者は
「男女同権の時代なんだから、決まりを変えて
女の子が当主になってもいいじゃないか」
などと、とんちんかんなことを言い出す始末です。
そんな中、すでに2人のお嬢様の母である
ご次男の奥様がご懐妊されました。
「お許しが出たのでね」
ご次男が語られたこの言葉に
敏感な村人はハッとしました。
ご次男夫妻は、3人目のお子様を作るのを
誰かに止められていたのだと気づいたからです。
もしも止められていなかったら‥
今さら言っても仕方がありませんが
ご次男夫妻はもっとたくさんのお子様たちに
囲まれておられるはずであり
後継者について、他人からゴチャゴチャ
言われることもなかったはずでした。
「お許し」
この言葉は、目上の人にしか使いません。
お屋敷で、ご次男より目上の方といえば‥
家族計画というデリケートな問題に触れることができ
ご次男が従わざるをえない相手といえば‥
この失策を不問にできる立場の相手といえば‥
「まさか!」は、まさか様だけで充分です。
敏感な村人は
それ以上は考えないようにしました。
月満ちて、ご次男の奥様は
男の子をご出産されました。
お屋敷の方々も、村人たちも大喜びです。
「生むな」から「生め」へ
手のひらを返した要望であろうとも
ご次男の奥様は「人格否定」などとはおっしゃらず
お家のために命懸けの任務をはたされました。
しかし、ほとんどの村人は何も知らないまま
「奇跡が起きた」と喜びました。
さて、サイコ様の方は小学校へ入学されました。
お屋敷の他のお子様たちのように
お辞儀やご挨拶をされませんし
お声も滅多に聞けませんが
「内気でおとなしいご性質なのだ‥」
村人たちは、そう思うように努めました。
学校でのいじめや不登校がおありだと
聞きはしましたが
これは庶民にもよくあることなので
かえって親しみがわきました。
村人たちがサイコ様に同情し
通学や授業に付き添われるまさか様の
お暇をうらやんだり
ご心痛をおもんばかったりしているうちに
サイコ様は中学生になられました。
この時、サイコ様は初めて
村人の前でご挨拶をされました。
「ありがとうございます」
一言だけでしたが、村人たちは喜びました。
村ではその少し前から、自分の健康に
自信の持てない人が増えつつありました。
たまに見かけるサイコ様が
太ったり痩せたり、身長が伸びたり縮んだり
髪質や仕草が違っていたり
時にはお顔さえも別人に見えることがあるからです。
村人たちは「まさか!」とつぶやいた後で
自分の目や記憶力の異常を疑うようになりました。
正常では困ります。
サイコ様が時々、別人と
入れ替わっていることになるからです。
何より、ご両親であるご長男とまさか様が
平然とご一緒されているのです。
「平然ではないと思う。
サイコ様が違って見える時の
ご長男の微笑みは緊張感があり、目が笑ってない。
まさか様は『いつもより余計に笑ってます』
でありながら、目は『いつもより余計に開いてます』で
周りを見ている」
などと言う者もいますが
しもじもが憶測で騒ぐのは、無礼千万です。
村人たちは、じわじわとふくらむ「まさか!」を
自分の目や頭のせいにして、加齢を嘆くのでした。
どっとはらい。
この物語はフィクションであり
実在する団体や人物とは一切関係ありません。
森のお屋敷に嫁がれた、まさか様。
ご結婚されたら、待たれるのはお子様です。
ことに森のお屋敷では
代々男の子が家督を継ぐ決まりがあります。
男児の出産は、希望というより義務でした。
まさか様にご懐妊の兆しは
なかなか訪れませんでした。
「子供はコウノトリのご機嫌にお任せして‥」
ご婚約の際、ご長男は名言をおっしゃいましたが
コウノトリのご機嫌は、ずっと良くないようです。
気をもんで8年、とうとうまさか様は
可愛い女の子を出産されました。
村は大きな喜びに包まれ
「やがては男の子もお生まれになるだろう」
誰もがそう思いました。
生まれた女の子は「サイコ様」と名付けられ
それはそれは大切に育てられました。
大切にされ過ぎて、滅多に人目に触れることは
ありません。
隠されると見たくなるのは人の常。
村人がうるさくなると
チラッと見せてくださいます。
それを見ては
「大きくなられた」
「いっそう可愛らしくおなりあそばした」
と目を細めながら、次のお子様を待つ村人たちでした。
何年かが経ちましたが
次のお子様がお生まれになる気配は
いっこうにありません。
コウノトリのご機嫌は、再び悪くなったようです。
お屋敷の存続について、村はかしましくなりました。
男系男子が家督を継ぐという厳格なルールで
野心の発生を抑制し
血なまぐさい後継者争いを回避しながら
長い歴史をつないできたことを知らない馬鹿者は
「男女同権の時代なんだから、決まりを変えて
女の子が当主になってもいいじゃないか」
などと、とんちんかんなことを言い出す始末です。
そんな中、すでに2人のお嬢様の母である
ご次男の奥様がご懐妊されました。
「お許しが出たのでね」
ご次男が語られたこの言葉に
敏感な村人はハッとしました。
ご次男夫妻は、3人目のお子様を作るのを
誰かに止められていたのだと気づいたからです。
もしも止められていなかったら‥
今さら言っても仕方がありませんが
ご次男夫妻はもっとたくさんのお子様たちに
囲まれておられるはずであり
後継者について、他人からゴチャゴチャ
言われることもなかったはずでした。
「お許し」
この言葉は、目上の人にしか使いません。
お屋敷で、ご次男より目上の方といえば‥
家族計画というデリケートな問題に触れることができ
ご次男が従わざるをえない相手といえば‥
この失策を不問にできる立場の相手といえば‥
「まさか!」は、まさか様だけで充分です。
敏感な村人は
それ以上は考えないようにしました。
月満ちて、ご次男の奥様は
男の子をご出産されました。
お屋敷の方々も、村人たちも大喜びです。
「生むな」から「生め」へ
手のひらを返した要望であろうとも
ご次男の奥様は「人格否定」などとはおっしゃらず
お家のために命懸けの任務をはたされました。
しかし、ほとんどの村人は何も知らないまま
「奇跡が起きた」と喜びました。
さて、サイコ様の方は小学校へ入学されました。
お屋敷の他のお子様たちのように
お辞儀やご挨拶をされませんし
お声も滅多に聞けませんが
「内気でおとなしいご性質なのだ‥」
村人たちは、そう思うように努めました。
学校でのいじめや不登校がおありだと
聞きはしましたが
これは庶民にもよくあることなので
かえって親しみがわきました。
村人たちがサイコ様に同情し
通学や授業に付き添われるまさか様の
お暇をうらやんだり
ご心痛をおもんばかったりしているうちに
サイコ様は中学生になられました。
この時、サイコ様は初めて
村人の前でご挨拶をされました。
「ありがとうございます」
一言だけでしたが、村人たちは喜びました。
村ではその少し前から、自分の健康に
自信の持てない人が増えつつありました。
たまに見かけるサイコ様が
太ったり痩せたり、身長が伸びたり縮んだり
髪質や仕草が違っていたり
時にはお顔さえも別人に見えることがあるからです。
村人たちは「まさか!」とつぶやいた後で
自分の目や記憶力の異常を疑うようになりました。
正常では困ります。
サイコ様が時々、別人と
入れ替わっていることになるからです。
何より、ご両親であるご長男とまさか様が
平然とご一緒されているのです。
「平然ではないと思う。
サイコ様が違って見える時の
ご長男の微笑みは緊張感があり、目が笑ってない。
まさか様は『いつもより余計に笑ってます』
でありながら、目は『いつもより余計に開いてます』で
周りを見ている」
などと言う者もいますが
しもじもが憶測で騒ぐのは、無礼千万です。
村人たちは、じわじわとふくらむ「まさか!」を
自分の目や頭のせいにして、加齢を嘆くのでした。
どっとはらい。
この物語はフィクションであり
実在する団体や人物とは一切関係ありません。