夫の姉カンジワ・ルイーゼの姑さんが亡くなった。
認知症が進んだ2年前、老人施設に入所したものの
やがてお決まりの肺炎。
しばらく前から危ないと言われていたので、誰も驚かなかった。
その朝、ルイーゼはうちに来て言った。
「お義母さん、さっき死んだんよ。
白いシーツ、無い?」
遺体を寝かせる布団が花柄のシーツじゃあ、ちょっと‥
ということで、調達に訪れたのだ。
無ければ買えばいいようなもんだけど
この人は昔から、実家には何でもあると思い込んでいる。
母親が打ち出の小槌みたいに、出していたからだ。
確かに昔はもらい物の多い家だったし
贈答品やお返しの品として多用されていた石鹸やシーツの類いは
押入れに山積みだったが、今じゃ打ち出の小槌も期限切れ。
しかし、長年の刷り込みは消えない。
実家に無いという現実を認められない娘と
何とかひねり出してやりたい元打ち出の小槌は
細い4つの目で私を振り返るのだった。
死人が出そうな家は、新品の白いシーツを用意しておくのが常識‥
希望的観測ながら、私はそう考えて常備しているので
それを献上。
あとはお茶っ葉や、葬儀で着る和服に必要な小物などを揃え
打ち出の小槌代理を務める。
農村地帯の兼業農家、本家、一人息子の嫁‥
何かと厳しそうな立場のルイーゼだが、そこはさすがの彼女
初めての不幸にも、いたって平常心である。
だって彼女の義理親は、どちらもアラ90。
毎日の里帰りを37年続けるうちに
嫁ぎ先の親類縁者は代替わりを済ませた。
舅は病気で、庭の離れから出てこられない。
旦那は一人っ子なので、小舅小姑やその配偶者も存在しない。
あとは過疎で、近隣住民も無関心。
口うるさい者がいない環境は、余裕をもたらすらしい。
そんなわけで夕方、一家揃ってお悔やみに行ったら
静かな遺体(当たり前か)とルイーゼ夫婦だけの
静寂とくつろぎの世界。
弔問に駆けつけた我々に、ルイーゼの亭主キクオは言う。
「人が少ないので、通夜と葬儀には皆さんで来てもらいたいんです」
我々もそのつもりだと答えると、嬉しそうだった。
亡くなる前から、義母ヨシコに言われていた。
「キクオさんは一人っ子で身内が少ないから
家族みんなで行ってやりたい」
もちろん私も同意した。
ええ、細かいことは言いませんとも。
私の父が死んだ時、キクオは一切来なかったなんてね。
あ、そうだわ、古い話になるけど
私の祖父が死んだ時も、ルイーゼ夫婦は完全無視だった。
いやいや、それ以前に義父母も来なかったわ。
当時、夫は長男の小学校の先生と熱烈交際中。
義父母はそっちとの再婚を望んでいたので
いつ交代するかわからない嫁の身内の葬式なんて、どうでもいいわけよ。
親がこれじゃあ、ルイーゼ夫婦も従うわよね。
25年も前のことを覚えてるんだから、私も執念深いわ。
でも、全て過去だもんね。
ルイーゼの姑さんは、私や子供たちに良くしてくれたもの。
お祭に呼んでくれたり、子供たちにお年玉をくれた。
だから私は、できることをやるだけよ。
「あんなに毎日実家へ帰られたら、嫁も孫も可愛がる暇が無い」
姑さんは会うたび、そっと私にこぼしたものだ。
時には私の手を取り
「うちの息子は何であの人を選んだのか‥
私はどうしてもあきらめきれない」
涙を浮かべてそう言った。
年寄りは雰囲気で適当なことを言うので鵜呑みにはしないが
おそらく彼女と私は同士。
一卵性母子と家族になってしまった者として
同じ気持ちを確かに共有していた。
長かった姑さんの苦悩は、とても他人事には思えない。
私と同様、彼女も耐え忍んだ37年であった。
「今までありがとうございました。
大変でしたね、お疲れ様でした」
亡骸に向かい、そうねぎらう私だった。
この日曜が葬儀と初七日だったため
どこの誰とは言わないけど、例の記者会見をライブで見られなかった。
怪しさやキモカワを好む私にとって、非常にソソられたお方。
でも発表が終わってみると、どうでもよくなった。
認知症が進んだ2年前、老人施設に入所したものの
やがてお決まりの肺炎。
しばらく前から危ないと言われていたので、誰も驚かなかった。
その朝、ルイーゼはうちに来て言った。
「お義母さん、さっき死んだんよ。
白いシーツ、無い?」
遺体を寝かせる布団が花柄のシーツじゃあ、ちょっと‥
ということで、調達に訪れたのだ。
無ければ買えばいいようなもんだけど
この人は昔から、実家には何でもあると思い込んでいる。
母親が打ち出の小槌みたいに、出していたからだ。
確かに昔はもらい物の多い家だったし
贈答品やお返しの品として多用されていた石鹸やシーツの類いは
押入れに山積みだったが、今じゃ打ち出の小槌も期限切れ。
しかし、長年の刷り込みは消えない。
実家に無いという現実を認められない娘と
何とかひねり出してやりたい元打ち出の小槌は
細い4つの目で私を振り返るのだった。
死人が出そうな家は、新品の白いシーツを用意しておくのが常識‥
希望的観測ながら、私はそう考えて常備しているので
それを献上。
あとはお茶っ葉や、葬儀で着る和服に必要な小物などを揃え
打ち出の小槌代理を務める。
農村地帯の兼業農家、本家、一人息子の嫁‥
何かと厳しそうな立場のルイーゼだが、そこはさすがの彼女
初めての不幸にも、いたって平常心である。
だって彼女の義理親は、どちらもアラ90。
毎日の里帰りを37年続けるうちに
嫁ぎ先の親類縁者は代替わりを済ませた。
舅は病気で、庭の離れから出てこられない。
旦那は一人っ子なので、小舅小姑やその配偶者も存在しない。
あとは過疎で、近隣住民も無関心。
口うるさい者がいない環境は、余裕をもたらすらしい。
そんなわけで夕方、一家揃ってお悔やみに行ったら
静かな遺体(当たり前か)とルイーゼ夫婦だけの
静寂とくつろぎの世界。
弔問に駆けつけた我々に、ルイーゼの亭主キクオは言う。
「人が少ないので、通夜と葬儀には皆さんで来てもらいたいんです」
我々もそのつもりだと答えると、嬉しそうだった。
亡くなる前から、義母ヨシコに言われていた。
「キクオさんは一人っ子で身内が少ないから
家族みんなで行ってやりたい」
もちろん私も同意した。
ええ、細かいことは言いませんとも。
私の父が死んだ時、キクオは一切来なかったなんてね。
あ、そうだわ、古い話になるけど
私の祖父が死んだ時も、ルイーゼ夫婦は完全無視だった。
いやいや、それ以前に義父母も来なかったわ。
当時、夫は長男の小学校の先生と熱烈交際中。
義父母はそっちとの再婚を望んでいたので
いつ交代するかわからない嫁の身内の葬式なんて、どうでもいいわけよ。
親がこれじゃあ、ルイーゼ夫婦も従うわよね。
25年も前のことを覚えてるんだから、私も執念深いわ。
でも、全て過去だもんね。
ルイーゼの姑さんは、私や子供たちに良くしてくれたもの。
お祭に呼んでくれたり、子供たちにお年玉をくれた。
だから私は、できることをやるだけよ。
「あんなに毎日実家へ帰られたら、嫁も孫も可愛がる暇が無い」
姑さんは会うたび、そっと私にこぼしたものだ。
時には私の手を取り
「うちの息子は何であの人を選んだのか‥
私はどうしてもあきらめきれない」
涙を浮かべてそう言った。
年寄りは雰囲気で適当なことを言うので鵜呑みにはしないが
おそらく彼女と私は同士。
一卵性母子と家族になってしまった者として
同じ気持ちを確かに共有していた。
長かった姑さんの苦悩は、とても他人事には思えない。
私と同様、彼女も耐え忍んだ37年であった。
「今までありがとうございました。
大変でしたね、お疲れ様でした」
亡骸に向かい、そうねぎらう私だった。
この日曜が葬儀と初七日だったため
どこの誰とは言わないけど、例の記者会見をライブで見られなかった。
怪しさやキモカワを好む私にとって、非常にソソられたお方。
でも発表が終わってみると、どうでもよくなった。