このお二人ほど、その関係を不思議がられた夫婦はいないかも。
長い別居生活はもとより
ご主人のほうはトラブルメーカーと呼ばれ
生活力も父親の自覚も見受けられない。
誰が見ても夫婦を続ける必要は無さそうなのに、別れない。
奥さんの胸先三寸でどうにでもなるのに、捨てない。
それは愛情なのか、慈悲なのか、達観なのか、意地なのか…
世間では、深い謎として扱われている。
この謎が、少しは理解できるような気がすると言ったら
傲慢であろうか。
それは責任感だと思うのだ。
彼が日本の人ではなかったとしたら。
狂気と背中合わせの異形に走り、幽鬼のごとき姿で
「ラケンロー!」と叫べば思考停止になるあたり
その特徴を表していると私は思う。
となると、魂の枯渇は遺伝子レベルなので
誰にも、本人ですらどうにもならない。
ただし彼の場合、枯渇の多くがロックと外見に注がれたため
煮えたぎる嫉妬や憎悪は昇華された。
ラケンロー!の他には、子供のような純粋が残るのみ。
奥さんが、そのわずかな純粋を愛(め)でたかどうかは不明だが
彼女にとって彼は、弱者であった。
その彼を伴侶として選択した責任、父親にした責任を
引き受ける意思が存在したと思えてならない。