夏の昼間は仕事以外、できるだけ外出しない。
暑いのが嫌いなのもあるが、姑と暮らしていると
出る機会を失いがちなのもある。
「今日は疲れたので、家事はテキトー」
これでは済まないからだ。
体力の消耗が激しい夏は、出かける回数を減らすのが唯一の安全策。
それに私には、健康不安があった。
この数年、夏はしょっちゅう気分が悪くなる。
夕方から夜にかけて急な吐き気に襲われ
頭がクラクラしたり、冷や汗が出たりするのだ。
私はこの症状を加齢による精神の衰えと考えた。
「姑仕えもはや7年、平気なようでも心は正直なものね‥」
自分はハガネの精神力だと信じていたが
そうでもなかったことを残念に思いつつ
「夏はやっぱり、お家でいい子にしていましょう」
と決意するのだった。
そんな私が、今年の夏は実によく出かけた。
同級生が集まった7月末の花火見物を皮切りに
なんやかんやと出かける機会がやってくる。
一回弾みがつくと、なぜか次から次に予定が入り
しまいには考えるのが面倒になって、「ええい!行ってまえ!」となる。
例年では考えられない行動をとったわけよ。
その最たるものは演歌歌手、三山ひろしのコンサート。
コンサートは、私が最も苦手とする分野だ。
なぜって人が多い。
しかも三山ひろし‥‥ ビミョ〜。
実家の母が三山ひろしのファンだと知ったのは、この4月。
「歌がうまくて苦労人で性格がいい」
彼女は言うが、私は興味がなかった。
けれどもちょうど同じ頃、私に少額の金が入った。
今年の3月に解散した同窓会の分配金だ。
毎年積み立ててきた会費で還暦旅行に行った後
残ったお金を会員で分けて口座を閉じた。
この分配方法には規定があった。
ふた親とも亡くなっている者‥つまり同窓会からの香典を
すでに2回受け取っている者は分配金は無し。
片方だけ亡くなっている者‥つまり同窓会からの香典を
1回受け取っている者は1万7千円。
ふた親とも存命の者は3万4千円を受け取る。
香典の金額よりずいぶん少ないが、還暦旅行で使い過ぎて
それだけしか残らなかったのだ。
そういうわけで、香典の前渡しのような1万7千円を受け取った私は
これをぜひ、母のために使いたいと思った。
そしたら生協の宅配のカタログに、三山ひろしのコンサートチケットが
載っているではないか。
生協の宅配には、こういうのもあるのだ。
私は母に、三山ひろしの実物を見せたくなった。
コンサートは8月、チケット購入は抽選だそう。
暑そうなので一応は躊躇はしたが、元気な母も85才。
いつどうなるかわからないので、思い立ったが吉日と
ダメ元で申し込んだら当たってしまった。
これはもう行くしかないということで
8月の猛暑の中、母を伴って出かける。
はたして三山ひろしは、キャッチフレーズがビタミンボイスというだけあって
確かに歌がうまい。
頭がいいらしく、トークもうまい。
バンドも迫力があって良かった。
ターゲットを高齢者に絞っているらしいのも知った。
うちの長男と同い年なのを知り、多少の親近感も湧く。
ただ、苦労人と呼ばれる人は、誠実で常識があるものだ。
誠実で常識があるため、歌の師匠や作曲の師匠といった恩人を大切にする。
せっかく歌がうまいのに、恩人とやらが作曲した持ち歌は
ありきたりな「ファシ無し」で、インパクトに欠ける。
ファシ無しとは、ドレミファソラシの音階の中でファとシを抜き
ドレミソラの5つで構成した、演歌特有のメロディラインだ。
世の中にあまた存在する、演歌というものを思い浮かべてもらいたい。
曲中にファとシは、たまにしか出てこない。
音階が少ないため、似たり寄ったりの曲になりがちなのが演歌なのである。
この少ない音階で、大ヒットを作るのが大作曲家。
この少ない音階に、一度耳にしたら忘れられない歌詞を乗せるのが大作詞家。
多くの人々が気軽に口ずさめ、また聴きたくなる、歌ってみたくなる‥
三山ひろしさんには、そんな歌を歌ってもらいたいような気持ちになった。
「恩人を裏切って、大御所に曲を書き下ろしてもらえばいいのに‥」
などと思いながら見ていた無責任女だが
母はとても喜んだし、私は分配金を有効に使えて満足だった。
それ以降も同級生ユリちゃんの実家のお寺へ
盆勤めの食事を作りに行ったり
滅多に会わない友達と遊んだりと、たびたび出歩いた。
8月の後半は、実家の母が白内障の手術をしたので通院の送迎。
送迎とは名ばかりで、帰りの買い物や外食がメイン。
そうこうしているうちに、私は自分がずいぶん元気になっていることに気がついた。
だって、例の症状が出ないのだ。
「やっぱり外出してリフレッシュするのは、精神的にいいんだわ!」
私はそう思い、これからはもっと出かけようと心に誓う。
ところが先日、久しぶりに吐き気と目まいが。
この時、義母ヨシコは台所で「あること」を行っていた。
その「あること」とは、彼女の趣味。
その趣味とは、漂白。
ヨシコは昔から、塩素系の漂白剤にフキンや食器類を浸けるのが好き。
何でも真っ白にしてくれる魔法の液体として
花王のキッチンハイターを信奉している。
どれほどの信奉者かというと
私の趣味で買ったフキンを並べていると
片っ端から原液に浸けてボロボロの繊維にしてしまう。
「気に入らない」の意思表示だ。
このように無言の抗議や圧力を示すアイテムとしても
キッチンハイターは一役買っていた。
家事をしなくなった今も、この漂白だけは楽しいらしく
ずっと続けている。
神妙な面持ちで、洗い桶の中へ漂白剤をドバドバ入れる光景は
さながら儀式のようだ。
そこへ熱湯を注ぎ、フキンや食器を浸けられるだけ浸けたら
儀式は終了。
あとのことは忘れるので、残されたそれらを洗うのはもちろん私の仕事である。
よくよく思い出せば、気分が悪くなる日は
必ず漂白の儀式が行われていた。
夏はエアコンをつけるので、換気が十分ではない。
台所に居る時間の長い私は、熱湯で蒸発するキッチンハイターを
しっかり吸い込んでいたらしい。
だから夏になると気分が悪くなっていたのだ。
この夏が大丈夫だったのは
出かけることが多くて台所に居る時間が短かったからだ。
私は健康になったのではなく、ヨシコの趣味で健康を害されていただけであった。
な〜んだ。
ヨシコには、室内で漂白をしないよう厳重に言い渡した。
暑いのが嫌いなのもあるが、姑と暮らしていると
出る機会を失いがちなのもある。
「今日は疲れたので、家事はテキトー」
これでは済まないからだ。
体力の消耗が激しい夏は、出かける回数を減らすのが唯一の安全策。
それに私には、健康不安があった。
この数年、夏はしょっちゅう気分が悪くなる。
夕方から夜にかけて急な吐き気に襲われ
頭がクラクラしたり、冷や汗が出たりするのだ。
私はこの症状を加齢による精神の衰えと考えた。
「姑仕えもはや7年、平気なようでも心は正直なものね‥」
自分はハガネの精神力だと信じていたが
そうでもなかったことを残念に思いつつ
「夏はやっぱり、お家でいい子にしていましょう」
と決意するのだった。
そんな私が、今年の夏は実によく出かけた。
同級生が集まった7月末の花火見物を皮切りに
なんやかんやと出かける機会がやってくる。
一回弾みがつくと、なぜか次から次に予定が入り
しまいには考えるのが面倒になって、「ええい!行ってまえ!」となる。
例年では考えられない行動をとったわけよ。
その最たるものは演歌歌手、三山ひろしのコンサート。
コンサートは、私が最も苦手とする分野だ。
なぜって人が多い。
しかも三山ひろし‥‥ ビミョ〜。
実家の母が三山ひろしのファンだと知ったのは、この4月。
「歌がうまくて苦労人で性格がいい」
彼女は言うが、私は興味がなかった。
けれどもちょうど同じ頃、私に少額の金が入った。
今年の3月に解散した同窓会の分配金だ。
毎年積み立ててきた会費で還暦旅行に行った後
残ったお金を会員で分けて口座を閉じた。
この分配方法には規定があった。
ふた親とも亡くなっている者‥つまり同窓会からの香典を
すでに2回受け取っている者は分配金は無し。
片方だけ亡くなっている者‥つまり同窓会からの香典を
1回受け取っている者は1万7千円。
ふた親とも存命の者は3万4千円を受け取る。
香典の金額よりずいぶん少ないが、還暦旅行で使い過ぎて
それだけしか残らなかったのだ。
そういうわけで、香典の前渡しのような1万7千円を受け取った私は
これをぜひ、母のために使いたいと思った。
そしたら生協の宅配のカタログに、三山ひろしのコンサートチケットが
載っているではないか。
生協の宅配には、こういうのもあるのだ。
私は母に、三山ひろしの実物を見せたくなった。
コンサートは8月、チケット購入は抽選だそう。
暑そうなので一応は躊躇はしたが、元気な母も85才。
いつどうなるかわからないので、思い立ったが吉日と
ダメ元で申し込んだら当たってしまった。
これはもう行くしかないということで
8月の猛暑の中、母を伴って出かける。
はたして三山ひろしは、キャッチフレーズがビタミンボイスというだけあって
確かに歌がうまい。
頭がいいらしく、トークもうまい。
バンドも迫力があって良かった。
ターゲットを高齢者に絞っているらしいのも知った。
うちの長男と同い年なのを知り、多少の親近感も湧く。
ただ、苦労人と呼ばれる人は、誠実で常識があるものだ。
誠実で常識があるため、歌の師匠や作曲の師匠といった恩人を大切にする。
せっかく歌がうまいのに、恩人とやらが作曲した持ち歌は
ありきたりな「ファシ無し」で、インパクトに欠ける。
ファシ無しとは、ドレミファソラシの音階の中でファとシを抜き
ドレミソラの5つで構成した、演歌特有のメロディラインだ。
世の中にあまた存在する、演歌というものを思い浮かべてもらいたい。
曲中にファとシは、たまにしか出てこない。
音階が少ないため、似たり寄ったりの曲になりがちなのが演歌なのである。
この少ない音階で、大ヒットを作るのが大作曲家。
この少ない音階に、一度耳にしたら忘れられない歌詞を乗せるのが大作詞家。
多くの人々が気軽に口ずさめ、また聴きたくなる、歌ってみたくなる‥
三山ひろしさんには、そんな歌を歌ってもらいたいような気持ちになった。
「恩人を裏切って、大御所に曲を書き下ろしてもらえばいいのに‥」
などと思いながら見ていた無責任女だが
母はとても喜んだし、私は分配金を有効に使えて満足だった。
それ以降も同級生ユリちゃんの実家のお寺へ
盆勤めの食事を作りに行ったり
滅多に会わない友達と遊んだりと、たびたび出歩いた。
8月の後半は、実家の母が白内障の手術をしたので通院の送迎。
送迎とは名ばかりで、帰りの買い物や外食がメイン。
そうこうしているうちに、私は自分がずいぶん元気になっていることに気がついた。
だって、例の症状が出ないのだ。
「やっぱり外出してリフレッシュするのは、精神的にいいんだわ!」
私はそう思い、これからはもっと出かけようと心に誓う。
ところが先日、久しぶりに吐き気と目まいが。
この時、義母ヨシコは台所で「あること」を行っていた。
その「あること」とは、彼女の趣味。
その趣味とは、漂白。
ヨシコは昔から、塩素系の漂白剤にフキンや食器類を浸けるのが好き。
何でも真っ白にしてくれる魔法の液体として
花王のキッチンハイターを信奉している。
どれほどの信奉者かというと
私の趣味で買ったフキンを並べていると
片っ端から原液に浸けてボロボロの繊維にしてしまう。
「気に入らない」の意思表示だ。
このように無言の抗議や圧力を示すアイテムとしても
キッチンハイターは一役買っていた。
家事をしなくなった今も、この漂白だけは楽しいらしく
ずっと続けている。
神妙な面持ちで、洗い桶の中へ漂白剤をドバドバ入れる光景は
さながら儀式のようだ。
そこへ熱湯を注ぎ、フキンや食器を浸けられるだけ浸けたら
儀式は終了。
あとのことは忘れるので、残されたそれらを洗うのはもちろん私の仕事である。
よくよく思い出せば、気分が悪くなる日は
必ず漂白の儀式が行われていた。
夏はエアコンをつけるので、換気が十分ではない。
台所に居る時間の長い私は、熱湯で蒸発するキッチンハイターを
しっかり吸い込んでいたらしい。
だから夏になると気分が悪くなっていたのだ。
この夏が大丈夫だったのは
出かけることが多くて台所に居る時間が短かったからだ。
私は健康になったのではなく、ヨシコの趣味で健康を害されていただけであった。
な〜んだ。
ヨシコには、室内で漂白をしないよう厳重に言い渡した。