自慢じゃないけど、熱を出して10日ほど寝ていた。
年末で還暦、還暦といえば大厄。
本人や身内の病気、あるいは死
思わぬ怪我や仕事のアクシデントなど、去年から今年にかけて
同級生たちに次々と襲いかかる大小の不幸を目の当たりにするたびに
それなりの覚悟はしてきたが
いよいよ私にもその前兆が現れたような気がする。
元気だけが取り柄、元気しかない私から
元気を取ったらただのババア。
年を取るってこういうことなのね。
強いて言うなら、こうなるきっかけに心当たりはあった。
決算期で仕事が多少忙しく、家事は相変わらずオーバーワーク気味。
ちょっとしんどいかな?と思っていたある日
懐かしい人物に会ったのだ。
10才年下のクミちゃん。
我々夫婦が新婚時代に住んでいたアパートの住人である。
当時中学生だった彼女は、2人の妹と入れ替わり立ち替わり
よく遊びに来て、小さかったうちの長男の世話をしてくれたものだ。
しつけの行き届いた三姉妹は、ともすれば私よりしっかりして見えた。
数年後、我々が夫の両親と同居するためにアパートを出てからも
姉妹は時々遊びに来た。
姉妹の人懐こさと、はちきれんばかりの明るさには
きつい義父もタジタジで、私は密かに溜飲を下げたものだ。
以来、付き合いはずっと続いている。
クミちゃんとは、この何年か会わなかったが
今回、スーパーの駐車場でバッタリ、というわけだ。
久しぶりに見たクミちゃんの顔は、心なしかやつれて見えた。
この子も50才‥仕方ないわよね‥
と思っていたら、何だか訳がありそう。
私に駆け寄るなり、「うぇ〜ん」と泣き真似をする。
「どしたん?」
「旦那の母親と暮らしょうるんよ‥」
「ええっ?」
「3年前に旦那の父親が死んで、お義母さんが心細がるけん
一家で帰ったんよ。
今、2年目じゃけど、つらい‥」
「姑さん、70代じゃろ?先は長いで?
寂しい、なんて泣きつかれて、任しとき!って言うたんじゃろ」
「当たり‥」
「で、助けてあげたつもりが、いつの間にか女中にされて
タカラれ放題のむしられ三昧。
心細いのはハートじゃなくて、一人分になった年金じゃった、と。
今となっては自分が先走っただけで
向こうが本当に同居を望んでいたかどうかは不明、と」
「何でわかるん!」
「経験者は語る」
自分だけでなく、ここにも火中の栗をうっかり拾った者がいた‥
しかも長い付き合いのクミちゃんが‥
私は無念だった。
が、今さら嘆いても仕方がない。
「あんまりつらかったら、同居を解消しなさい。
相手がマジで欲しいのは家族じゃなくて
あと数万円の生活費だったりする。
実際、多くのおばあちゃんが本当に欲しがっているのは
血を分けた我が子限定の温もりと、生活の余裕。
月々の経済援助を条件に話し合って
同居を解消した後は、ご主人がお母さんの所へ通えばいい」
そのような趣旨のことを言い聞かせた。
両親とも他界して久しい彼女に
こういう話をする者はいないからだ。
クミちゃんはパッと顔が明るくなった。
「どうにもならんかったら、別居してもええんじゃね?」
「そうで。
無理して向かんことして、寿命縮めること、ないで」
「ありがとう!おばちゃん!」
「大丈夫よ、いつでも相談に乗るけん」
そう言って別れた。
さっきクミちゃんに言った言葉を
8年前の自分に言いたかったぞ。
姑と暮らす8年は長い。
小姑が毎日来る8年は、もっと長い。
そうよ‥いつぞや職場のシフトが変わって
義姉が何週間か来なかったのは、すでに過去の話。
ペースをつかんでからは、相変わらずの連続里帰りだ。
一緒に暮らすことを決めた時、こやつら母娘を相手にするのは
生易しいものではないと覚悟した。
娘の言うことしか聞かない母親と
いまだに我が物顔で実家を牛耳りたい娘‥
一卵性母子のねっとりした鬱陶しさは
経験した者でなければ理解できないだろう。
が、それも年寄りが亡くなるまで‥
せいぜい5〜6年のことだろうとタカをくくっていた。
それがどうだ。
確かに義父の方は5〜6年でケリがついたものの
もう片方は、口うるさくて手のかかる伴侶がいなくなって
ますます元気バリバリ。
完全に目測を誤った‥そんなことを思いながら家に帰り
晩ごはんの支度をしていると
義母ヨシコがフラフラと台所へ来る。
「目が‥目が‥」
白目が真っ赤だ。
珍しいことではない。
ヨシコの血管年齢はとうに終わっているので
手足や結膜の毛細血管が破れて、時々出血するのだ。
手足の場合は破れた箇所の周辺が紫色になり
目の時は白目が真っ赤になって黒目の色が明るく変化する。
痛みは無いらしい。
血管年齢が寿命を決めるなんて、あてにならんね。
しかしその日は出血の範囲が広く、ヨシコも気分が悪そうなので
急いで眼科に電話をし、連れて行く。
診察時間が終わっていたので、先生やスタッフが総出で迎えてくれ
上機嫌のヨシコ。
さっきまで死にそうだったのは、何なんじゃ。
気がつきゃ、眼科へ行くにあたって
わざわざよそ行きのネックレスまでぶら下げとるじゃないか。
‥脱力。
これがいけなかった。
これでガックリきてしまった。
8年間の疲れがドッと出たのだ。
その夜から発熱して私は寝込み、前後不覚の日々を過ごした。
こんな時のために日頃から夫と息子たちを鍛え
買い物や洗い物の役割分担を明確にしてある。
ヨシコも頑張った。
洗濯を引き受け、味噌汁を作り、庭の掃除をした。
やればできるらしい。
こうして私は9月の中旬を寝て過ごし
やっと回復しかけた3日前の夜‥
寝ていたら、ムカデに刺された。
しかも下唇。
ガーン!
「泣きっ面にムカデ」「弱り目に下唇」
私の叫びを聞いて駆けつけた男どもは
薄ら笑いを浮かべて言い合う。
だが、不思議なことに痛くない。
刺された時は痛かったし、犯人のムカデは長男が退治した。
アゴの辺りを這う、ヤツの感触もありありと残っている。
でも痛くない。
こういうこともあるのね。
翌朝も痛みや痺れは無い。
しかし多少腫れた。
下唇だけ、叶姉妹。
ちょっと、ええ感じ。
私の冷酷そうな、そしていかにもおしゃべりそうな薄い下唇が
ぽってりと色っぽいじゃないの。
整形で唇を膨らませる人の気持ちがわかるわ〜。
しばらく、このままでいたい‥
できれば来月の女子会まで維持して
みんなに見せびらかしたい‥
そう願っていたけど、2日で元通りになってしまった。
残念だ。
年末で還暦、還暦といえば大厄。
本人や身内の病気、あるいは死
思わぬ怪我や仕事のアクシデントなど、去年から今年にかけて
同級生たちに次々と襲いかかる大小の不幸を目の当たりにするたびに
それなりの覚悟はしてきたが
いよいよ私にもその前兆が現れたような気がする。
元気だけが取り柄、元気しかない私から
元気を取ったらただのババア。
年を取るってこういうことなのね。
強いて言うなら、こうなるきっかけに心当たりはあった。
決算期で仕事が多少忙しく、家事は相変わらずオーバーワーク気味。
ちょっとしんどいかな?と思っていたある日
懐かしい人物に会ったのだ。
10才年下のクミちゃん。
我々夫婦が新婚時代に住んでいたアパートの住人である。
当時中学生だった彼女は、2人の妹と入れ替わり立ち替わり
よく遊びに来て、小さかったうちの長男の世話をしてくれたものだ。
しつけの行き届いた三姉妹は、ともすれば私よりしっかりして見えた。
数年後、我々が夫の両親と同居するためにアパートを出てからも
姉妹は時々遊びに来た。
姉妹の人懐こさと、はちきれんばかりの明るさには
きつい義父もタジタジで、私は密かに溜飲を下げたものだ。
以来、付き合いはずっと続いている。
クミちゃんとは、この何年か会わなかったが
今回、スーパーの駐車場でバッタリ、というわけだ。
久しぶりに見たクミちゃんの顔は、心なしかやつれて見えた。
この子も50才‥仕方ないわよね‥
と思っていたら、何だか訳がありそう。
私に駆け寄るなり、「うぇ〜ん」と泣き真似をする。
「どしたん?」
「旦那の母親と暮らしょうるんよ‥」
「ええっ?」
「3年前に旦那の父親が死んで、お義母さんが心細がるけん
一家で帰ったんよ。
今、2年目じゃけど、つらい‥」
「姑さん、70代じゃろ?先は長いで?
寂しい、なんて泣きつかれて、任しとき!って言うたんじゃろ」
「当たり‥」
「で、助けてあげたつもりが、いつの間にか女中にされて
タカラれ放題のむしられ三昧。
心細いのはハートじゃなくて、一人分になった年金じゃった、と。
今となっては自分が先走っただけで
向こうが本当に同居を望んでいたかどうかは不明、と」
「何でわかるん!」
「経験者は語る」
自分だけでなく、ここにも火中の栗をうっかり拾った者がいた‥
しかも長い付き合いのクミちゃんが‥
私は無念だった。
が、今さら嘆いても仕方がない。
「あんまりつらかったら、同居を解消しなさい。
相手がマジで欲しいのは家族じゃなくて
あと数万円の生活費だったりする。
実際、多くのおばあちゃんが本当に欲しがっているのは
血を分けた我が子限定の温もりと、生活の余裕。
月々の経済援助を条件に話し合って
同居を解消した後は、ご主人がお母さんの所へ通えばいい」
そのような趣旨のことを言い聞かせた。
両親とも他界して久しい彼女に
こういう話をする者はいないからだ。
クミちゃんはパッと顔が明るくなった。
「どうにもならんかったら、別居してもええんじゃね?」
「そうで。
無理して向かんことして、寿命縮めること、ないで」
「ありがとう!おばちゃん!」
「大丈夫よ、いつでも相談に乗るけん」
そう言って別れた。
さっきクミちゃんに言った言葉を
8年前の自分に言いたかったぞ。
姑と暮らす8年は長い。
小姑が毎日来る8年は、もっと長い。
そうよ‥いつぞや職場のシフトが変わって
義姉が何週間か来なかったのは、すでに過去の話。
ペースをつかんでからは、相変わらずの連続里帰りだ。
一緒に暮らすことを決めた時、こやつら母娘を相手にするのは
生易しいものではないと覚悟した。
娘の言うことしか聞かない母親と
いまだに我が物顔で実家を牛耳りたい娘‥
一卵性母子のねっとりした鬱陶しさは
経験した者でなければ理解できないだろう。
が、それも年寄りが亡くなるまで‥
せいぜい5〜6年のことだろうとタカをくくっていた。
それがどうだ。
確かに義父の方は5〜6年でケリがついたものの
もう片方は、口うるさくて手のかかる伴侶がいなくなって
ますます元気バリバリ。
完全に目測を誤った‥そんなことを思いながら家に帰り
晩ごはんの支度をしていると
義母ヨシコがフラフラと台所へ来る。
「目が‥目が‥」
白目が真っ赤だ。
珍しいことではない。
ヨシコの血管年齢はとうに終わっているので
手足や結膜の毛細血管が破れて、時々出血するのだ。
手足の場合は破れた箇所の周辺が紫色になり
目の時は白目が真っ赤になって黒目の色が明るく変化する。
痛みは無いらしい。
血管年齢が寿命を決めるなんて、あてにならんね。
しかしその日は出血の範囲が広く、ヨシコも気分が悪そうなので
急いで眼科に電話をし、連れて行く。
診察時間が終わっていたので、先生やスタッフが総出で迎えてくれ
上機嫌のヨシコ。
さっきまで死にそうだったのは、何なんじゃ。
気がつきゃ、眼科へ行くにあたって
わざわざよそ行きのネックレスまでぶら下げとるじゃないか。
‥脱力。
これがいけなかった。
これでガックリきてしまった。
8年間の疲れがドッと出たのだ。
その夜から発熱して私は寝込み、前後不覚の日々を過ごした。
こんな時のために日頃から夫と息子たちを鍛え
買い物や洗い物の役割分担を明確にしてある。
ヨシコも頑張った。
洗濯を引き受け、味噌汁を作り、庭の掃除をした。
やればできるらしい。
こうして私は9月の中旬を寝て過ごし
やっと回復しかけた3日前の夜‥
寝ていたら、ムカデに刺された。
しかも下唇。
ガーン!
「泣きっ面にムカデ」「弱り目に下唇」
私の叫びを聞いて駆けつけた男どもは
薄ら笑いを浮かべて言い合う。
だが、不思議なことに痛くない。
刺された時は痛かったし、犯人のムカデは長男が退治した。
アゴの辺りを這う、ヤツの感触もありありと残っている。
でも痛くない。
こういうこともあるのね。
翌朝も痛みや痺れは無い。
しかし多少腫れた。
下唇だけ、叶姉妹。
ちょっと、ええ感じ。
私の冷酷そうな、そしていかにもおしゃべりそうな薄い下唇が
ぽってりと色っぽいじゃないの。
整形で唇を膨らませる人の気持ちがわかるわ〜。
しばらく、このままでいたい‥
できれば来月の女子会まで維持して
みんなに見せびらかしたい‥
そう願っていたけど、2日で元通りになってしまった。
残念だ。