殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

行いと運命・1

2019年10月31日 10時00分59秒 | 前向き論
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さて、前々回の記事『台風とダム・2』のコメント欄で


いかどんさんと「日頃の行い」について話した。


「日頃の行いがいいから‥悪いから‥」


この言葉は、大小の幸運や不運の根拠として気軽に使われるものだが


彼女はこれが何げに深いとおっしゃる。



そして私もまた、そう思っている。


なぜなら行いとは言動のことであり、言動は心の表れだ。


つまり日頃の行いとは、その人が日々心で思う内容そのものである。


この日頃の行いが、運命にどのような作用をもたらすか


私が見てきたことをお話ししたい。




結婚して6年目、次男の出産と同時に夫の両親と同居が始まり


家を出るまでの約10年間、散々な目に遭った‥


私は折に触れ、そう話してきた。


この散々には夫の浮気癖と


嫁いだ小姑が毎日帰ってくる習慣に加え


舅の仕打ちも同じウエートで含まれる。



これら三重苦は、文字通り三位一体となって私をさいなんだが


中でも義父の行いは人生上、また商売上において


私に多くの教訓を遺した。


その点、義父は私の恩人といえよう。




嫁舅と聞いたら、義理親と暮らした経験の無い人は


首を傾げてこう思うだろう。


「いじめられるのは、本人にも何らかの問題があるからではないのか。


人のことを悪く言う前に、我が身を振り返ってみてはどうか」



当事者である私も、最初はそう思っていた。


義父のヤクザまがいの恫喝に身を縮めつつ


自分にあるらしき問題を探し


我が身を振り返って改めようと日々試みた。


若かりし私は、謙虚であった。


けれどもその謙虚は


ひたすら怒鳴り声を聞きたくないがために用いられた。


今にして思えばそれは徒労であり


無知な若者が陥りやすい自虐だった。



私の置かれた環境がどのようなものだったかを少しご披露しよう。


私は義父から、名前ではなく「ブス」あるいは「バカ」


時に「デブ」と呼ばれた。


私の靴だけ、いつも庭に投げ捨てられていた。


私に届いた郵便物は必ず開封の上、中を確認された。


我々夫婦の部屋にこっそり入ってタンスやゴミ箱を探索し


レシートなどのつまらぬ物を発見しては、刑事気取りで責め立てた。



私の食事量は常に監視され


「こんなに食いやがった!こんなに!」


親指と人差し指で分量を表現しながら執拗に叫んだ。


わかりにくい場所へゴミを隠しておいては


時間を置いて発見を装い、「掃除が足りない」と怒鳴った。


子供が泣いたり騒ぐたびに、うるさがってヒステリーを起こし


「ワレの里の血がボロなんじゃ!」とわめいた。


ことあるごとに「帰る実家が無いヤツは躾けがなってない」


と言い、結びの言葉は「死ね」で締めくくられた。



ほんの一部だが、これが私の日常だった。


生活費は折半、同居のために増築した家のローンは


我々が払っていたので、両親に養われているわけではなく


目上と目下の立場を除けば対等のはずだ。


それでもこのようなことが起きるのである。



思い起こせば数々の嫌がらせの中で


私を最も苦しめたのは朝の牛乳。


義父は毎朝、起き抜けに宅配の瓶牛乳を飲む。


同居を始めた際、室温より少しだけ冷たい温度にしておくことを


言いつけられた。



熱で人工的に温めるのは匂いが出るからダメだそうで


自然に好みの温度にするのは骨が折れた。


季節によって室温に近づく速度が異なる上に


義父の起床時間が決まってないからだ。


ゴルフや旅行の時は5時か6時、行かない時は9時か10時


この時間に合わせるのは難しかった。



義父は故意に、翌朝の予定を言わない。


そのため私は毎朝、冷蔵庫から牛乳瓶を出し入れしては


目標の温度を目指したが、OKが出ることはなかった。


「冷たい」と言って怒り、「ぬるい」と言って責め


「牛乳ぐらい、ちゃんとできんのか!牛乳ぐらい!」


大音量で怒鳴られたあげく


最後は「出て行け!死ね!死にやがれ!」


これが朝の行事であった。



糖尿病患者、あるいはその予備軍に


朝の機嫌がすこぶる悪いタイプが多いということを


当時の私は知らなかった。


義父にとって牛乳は


毎朝怒鳴り散らしてスカッとできる格好のアイテム。


よって、どんな温度でもガミガミとしぼられるのは決定事項だった。


これがホントの乳しぼり。



ともあれ、この作業は女房の仕事である。


しかしその女房は、冷たい、ぬるいの騒ぎを耳にしながらも


絶対に寝室から出てこない。


人当たりの良い義母が、後先をいくら取り繕ったところで


義父と共犯であることは間違いなかった。



ここで今一度、冒頭の疑問に立ち戻る。


「いじめられるのは、本人にも何らかの問題があるからではないのか。


人のことを悪く言う前に、我が身を振り返ってみてはどうか」


年を取った現在、その返答は簡単である。


乳飲子と幼児を抱え、身動きが取れないとわかっていたからだ。



逃げ場の無い者を虐げるのが、いじめの王道。


身軽に移動できる者を虐げても面白くない。


すぐ逃げられてしまうし


逃げた先で言いふらされては困るからである。



逃げ場の無い者‥


つまり抵抗できる状況でない者を虐げていると


つい癖になるものだ。


そしてどんどん残酷にエスカレートしていくものだ。



私に問題があるとしたら


泣いて詫びることをしなかったからである。


義父は私が傷ついて折れ、泣いて詫びるのを待っていたし


私の方は死んでもそうするものかと思い


どんなに怒鳴られても無反応を通した。


可愛げがなかったのが、問題といえば問題だった。



このように私を苦しめた牛乳だが、8年後にあっけなく解決した。


義父は糖尿病が悪化し、タンパク制限になったので


医師からタンパク質の豊富な牛乳を止められたのだ。


牛乳から解放された私は、密かに狂喜乱舞した。


《続く》
コメント (6)
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