「サットグル(真の師)はあなたの内側にいる」『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』p174
ラマナ・マハルシはちょっと怪しげな師の多いこの世界ではまともに思える。なぜならばグルとは自ら言ってはいないからだ。真我をみつけることは簡単であると、シュリー・ラマナ(ラマナ尊師)は言う。「サットグル(真の師)はあなたの内側にいる」インドまでゆく必要はない。この旅は一人だ。
「沈黙は絶えず語っている。沈黙は話すことによって妨げられてきた絶え間ない言葉の流れである。」『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』p192
西郷隆盛の敬天愛人も同じことを言っている。そのように行動できた人でもある(月照との入水、安政5(1858)年11月16日、西郷吉之助30歳)。
以下「南洲手抄言志録」の二十番、二十一番を参照のこと。
二十
生物皆畏レ死。人其靈也、當下從二畏レ死之中一、揀中出不レ畏レ死之理上。吾思、我身天物也。死生之權在レ天、當レ順二受之一。我之生也、自然而生、生時未二嘗知一レ喜矣。則我之死也、應三亦自然而死、死時未二嘗知一レ悲也。天生レ之而天死レ之、一聽二于天一而已、吾何畏焉。吾性即天也。躯殼則藏レ天之室也。精氣之爲レ物也、天寓二於此室一。遊魂之爲レ變也、天離二於此室一。死之後即生之前、生之前即死之後。而吾性之所二以爲一レ性者、恒在二於死生之外一、吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原レ始反レ終、知二死生之理一、何其易簡而明白也。吾人當下以二此理一自省上焉。
生物は皆死を畏おそる。人は其靈(れい)なり、當に死を畏るゝの中より死を畏れざるの理を揀出(けんしゆつ)すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の權(けん)は天に在り、當に之を順受(じゆんじゆ)すべし。我れの生るゝや自然にして生る、生るゝ時未だ嘗て喜(よろこ)ぶことを知らず。則ち我の死するや應(まさ)に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死(ころ)す、一に天に聽(まか)さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殼(くかく)は則ち天を藏(おさ)むるの室なり。精氣(せいき)の物と爲るや、天此の室に寓(ぐう)す。遊魂(いうこん)の變(へん)を爲すや、天此の室を離(はな)る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而て吾が性の性たる所以は、恒(つね)に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ晝夜は一理りなり、幽明(いうめい)は一理なり。始めを原(たづ)ねて終りに反(かへ)らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡(いかん)にして明白なるや。吾人は當に此の理を以て自省(じせう)すべし。
二一 畏レ死者生後之情也、有二躯殼一而後有二是情一。不レ畏レ死者生前之性也、離二躯殼一而始見二是性一。人須レ自二得不レ畏レ死之理於畏レ死之中一、庶二乎復一レ性焉。
〔譯〕死を畏るゝは生後の情なり、躯殼くかく有つて後に是この情あり。死を畏れざるは生前の性なり、躯殼くかくを離はなれて始て是の性を見る。人は須すべからく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に自得じとくすべし、性に復かへるに庶ちかし。
〔評〕幕府勤王の士を逮とらふ。南洲及び伊地知正治いぢちまさはる、海江田武治かいえだたけはる等尤も其の指目しもくする所となる。僧月照げつせう嘗て近衞公の密命みつめいを喞ふくみて水戸に至る、幕吏之を索もとむること急なり。南洲其の免れざることを知り相共に鹿兒島に奔はしる。一日南洲、月照の宅を訪とふ。此の夜月色清輝せいきなり。預あらかじめ酒饌しゆせんを具そなへ、舟を薩海に泛うかぶ、南洲及び平野次郎一僕と從ふ。月照船頭に立ち、和歌を朗吟して南洲に示す、南洲首肯しゆかうする所あるものゝ如し、遂に相擁ようして海に投とうず。次郎等水聲起るを聞いて、倉皇さうくわうとして之を救ふ。月照既に死して、南洲は蘇よみがへることを得たり。南洲は終身しゆうしん月照と死せざりしを憾うらみたりと云ふ。
この西郷を、札幌農学校に水産学を拓いた大先輩、内村鑑三は『代表的日本人』の中で以下のように評している。
「正義の広く行われることが西郷の文明の定義でありました。西郷にとり『正義』ほど天下に大事なものはありません。自分の命はもちろん、国家さえも、『正義』より大事ではありませんでした。」
「1868年の日本の維新革命は、西郷の革命であった」(略)「一度動き始め、(日本の)進路さえきまれば、あとは比較的簡単な仕事であります。その多くは、西郷よりも器量の小さな人間でもできる機械的な仕事」とし、内村鑑三は西南戦争の動機について「反乱は自分の生涯の大目的が挫折した失望の結果である」(略)。西郷は「言いしれぬ魂の苦悩を覚えていました」。と魂を代弁している。「正義の広く行われることが西郷の文明の定義でありました。西郷にとり『正義』ほど天下に大事なものはありません。自分の命はもちろん、国家さえも、『正義』より大事ではありませんでした。」(内村鑑三著、鈴木範久訳『代表的日本人』、岩波文庫)
魂ほど大切な自分の一部分はない。人間は誰でも魂のない人間として生きてゆくことが可能(人間という地獄)であるからこそ、内村鑑三の西郷隆盛に対する評価の重要性を忘れてはいけない。目に見えるものだけが現実ではない。言葉になるものだけが思想ではない。沈黙は絶えず語っている。それを聞くことができる人のために命がある。
ラマナ・マハルシはちょっと怪しげな師の多いこの世界ではまともに思える。なぜならばグルとは自ら言ってはいないからだ。真我をみつけることは簡単であると、シュリー・ラマナ(ラマナ尊師)は言う。「サットグル(真の師)はあなたの内側にいる」インドまでゆく必要はない。この旅は一人だ。
「沈黙は絶えず語っている。沈黙は話すことによって妨げられてきた絶え間ない言葉の流れである。」『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』p192
西郷隆盛の敬天愛人も同じことを言っている。そのように行動できた人でもある(月照との入水、安政5(1858)年11月16日、西郷吉之助30歳)。
以下「南洲手抄言志録」の二十番、二十一番を参照のこと。
二十
生物皆畏レ死。人其靈也、當下從二畏レ死之中一、揀中出不レ畏レ死之理上。吾思、我身天物也。死生之權在レ天、當レ順二受之一。我之生也、自然而生、生時未二嘗知一レ喜矣。則我之死也、應三亦自然而死、死時未二嘗知一レ悲也。天生レ之而天死レ之、一聽二于天一而已、吾何畏焉。吾性即天也。躯殼則藏レ天之室也。精氣之爲レ物也、天寓二於此室一。遊魂之爲レ變也、天離二於此室一。死之後即生之前、生之前即死之後。而吾性之所二以爲一レ性者、恒在二於死生之外一、吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原レ始反レ終、知二死生之理一、何其易簡而明白也。吾人當下以二此理一自省上焉。
生物は皆死を畏おそる。人は其靈(れい)なり、當に死を畏るゝの中より死を畏れざるの理を揀出(けんしゆつ)すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の權(けん)は天に在り、當に之を順受(じゆんじゆ)すべし。我れの生るゝや自然にして生る、生るゝ時未だ嘗て喜(よろこ)ぶことを知らず。則ち我の死するや應(まさ)に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死(ころ)す、一に天に聽(まか)さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殼(くかく)は則ち天を藏(おさ)むるの室なり。精氣(せいき)の物と爲るや、天此の室に寓(ぐう)す。遊魂(いうこん)の變(へん)を爲すや、天此の室を離(はな)る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而て吾が性の性たる所以は、恒(つね)に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ晝夜は一理りなり、幽明(いうめい)は一理なり。始めを原(たづ)ねて終りに反(かへ)らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡(いかん)にして明白なるや。吾人は當に此の理を以て自省(じせう)すべし。
二一 畏レ死者生後之情也、有二躯殼一而後有二是情一。不レ畏レ死者生前之性也、離二躯殼一而始見二是性一。人須レ自二得不レ畏レ死之理於畏レ死之中一、庶二乎復一レ性焉。
〔譯〕死を畏るゝは生後の情なり、躯殼くかく有つて後に是この情あり。死を畏れざるは生前の性なり、躯殼くかくを離はなれて始て是の性を見る。人は須すべからく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に自得じとくすべし、性に復かへるに庶ちかし。
〔評〕幕府勤王の士を逮とらふ。南洲及び伊地知正治いぢちまさはる、海江田武治かいえだたけはる等尤も其の指目しもくする所となる。僧月照げつせう嘗て近衞公の密命みつめいを喞ふくみて水戸に至る、幕吏之を索もとむること急なり。南洲其の免れざることを知り相共に鹿兒島に奔はしる。一日南洲、月照の宅を訪とふ。此の夜月色清輝せいきなり。預あらかじめ酒饌しゆせんを具そなへ、舟を薩海に泛うかぶ、南洲及び平野次郎一僕と從ふ。月照船頭に立ち、和歌を朗吟して南洲に示す、南洲首肯しゆかうする所あるものゝ如し、遂に相擁ようして海に投とうず。次郎等水聲起るを聞いて、倉皇さうくわうとして之を救ふ。月照既に死して、南洲は蘇よみがへることを得たり。南洲は終身しゆうしん月照と死せざりしを憾うらみたりと云ふ。
この西郷を、札幌農学校に水産学を拓いた大先輩、内村鑑三は『代表的日本人』の中で以下のように評している。
「正義の広く行われることが西郷の文明の定義でありました。西郷にとり『正義』ほど天下に大事なものはありません。自分の命はもちろん、国家さえも、『正義』より大事ではありませんでした。」
「1868年の日本の維新革命は、西郷の革命であった」(略)「一度動き始め、(日本の)進路さえきまれば、あとは比較的簡単な仕事であります。その多くは、西郷よりも器量の小さな人間でもできる機械的な仕事」とし、内村鑑三は西南戦争の動機について「反乱は自分の生涯の大目的が挫折した失望の結果である」(略)。西郷は「言いしれぬ魂の苦悩を覚えていました」。と魂を代弁している。「正義の広く行われることが西郷の文明の定義でありました。西郷にとり『正義』ほど天下に大事なものはありません。自分の命はもちろん、国家さえも、『正義』より大事ではありませんでした。」(内村鑑三著、鈴木範久訳『代表的日本人』、岩波文庫)
魂ほど大切な自分の一部分はない。人間は誰でも魂のない人間として生きてゆくことが可能(人間という地獄)であるからこそ、内村鑑三の西郷隆盛に対する評価の重要性を忘れてはいけない。目に見えるものだけが現実ではない。言葉になるものだけが思想ではない。沈黙は絶えず語っている。それを聞くことができる人のために命がある。