ここで予備校の話を記述するのは珍しい。なぜなら私は予備校に行った事がなく、赤本(教学社)さえも書店で立ち読み。出題レヴェルで見てはいたが、対策は、なんか自分の勉強と違う気がして買った事がない。最近になってようやくYouTubeなどで古文の【古文】助動詞総合ー意味中心ー入試問題にチャレンジ②【文法講座第45講】吉野敬介(よしの けいすけ、1966年6月25日 - )などの塾講師の達人的人気者の存在を知ったわけだ。当時は代ゼミのヨの字も知らない。何せ私の芸のない古文受験勉強はただ面白いので、徒然草を端から端まで読むだけだった。
通信添削のZ会の存在は知っていたが、金のかかる勉強は初めから論外だった。Z会と双璧を張っていたというオリオンなんかあることさえ60歳余過ぎて先週知人から聞いて初めて知ったぐらい。
そのくらい私の周囲には受験の常識を促す大人がいなかった。上級の大学を目指す同級生は勉強していたんだろうが、お互い仲は良くてもあまりそういう話をしなかった。
むしろ大人になって初めて話をするようになった。
Z会の主席添削者で英文解釈の多田正行という人物(故人)を受験時代から50年過ぎて、今ごろ「思考訓練の場としての英文解釈」を『発見して』古本を読みながらその論理性にビックリしているぐらい、自分は根っからの不勉強家なのだ。
私みたいな大学不勉強的留年者に 大学でアイドリングすることも無意味じゃない。そういう動画今は無き ただよび 現代文の講師 宗先生曰く
『継続は力』だけど それよりも凄いのは、やってる事が楽しいって事。
【勉めて強くなる】事が勉強だが、性に合っているのは【楽しみ深める】うちに強くなる、楽強(ラッキョウ)しかしたことがない。私は無免許ラッキョウ人生なのさ。
私はアタ○の良い子競争の社会構造は否定的に見ているが予備校周辺の文化というか独自の教育技術の世界がある事は否定しない。
人生で成功をつかむためには何が必要なのか。東大を首席で卒業し、財務省官僚、弁護士、ハーバード留学と輝かしい実績をもつ信州大学特任教授の山口真由さんは「私は人生の早い段階で、自分は『天才』に生まれてこなかったと気づいた。『天才』ではない人が成功するには、『努力型』の人間を目指すべきだ」という山口真由 東大主席卒業
多田正行先生の著作を読み始めて、改めて受験地獄などと言う言葉がメディアによってつくり出されていたことを思い出しながら確信する。それはー受験天国とまでは言えなくても受験桃源郷という世界はあるのだろうー
ここで以下に引用する代ゼミの宣伝をしているかのようなブログ、著者不明がある、を紹介するが。経営者の経験として言うが、ここに書かれていることは全部間違っている。
むしろ文化的考察としては、こちらの見解が当たってる。
後藤によると「日本は学歴社会だ」というのは神話にすぎない。むしろそのような神話があったことによって、社会階層の再生産化(つまり社会階層が固定化してしまうこと)が起きている、という。“誰でも努力すれば、良い教育を受けられるし、いい学歴を得れば誰でも良い職業を得られる” などという考えは神話にすぎない、事実ではないという。実際には、高学歴の親を持つ子が高学歴となり、学歴が低い親を持つと子は学歴が低くなってしまう傾向があるという不平等が実際にあるにもかかわらず、神話によってそうした現実が隠蔽されてしまっていたのである。また「学歴によって生まれ変われる(階級を超えられる)」などとする神話は、あくまでブルーカラーからホワイトカラーへの移動について妥当なだけで、学歴ではその先のホワイトカラー同士の階層、ミドル階層と資本家(経営者)階層の間の社会階層差は乗り越えることができないと後藤は指摘している。
都合が良いので、日本風の学歴社会の形成をハビトスによるものとして考えてみよう。後藤の言うように学歴を形成する選抜が支配階級の価値に従っているかどうかは疑問だが、私の受験の仕方は言ってみれば外道のやり方だった。
ある階層の独占する常識、それはある意味受験文化として独立した価値観を世界に形成しいた、これらを全く知らずに選抜に臨むことはハビトスを無視していたこと、普通の言葉で言うと単に【世間知らず】ということになる。
ハビトスに加わるには親をはじめとして、世間という人的結合が必要だったが、すでに述べたように私の周囲にその暗黙の受験至る世間文化を知る人がいなかった。
受験ハビトスは阿部謹也が解説した『世間』というものと同じ次元の特殊なものが今も再生産されている立派な社会構造であると思う。
すべての若者に共通のゲート受験はハビトスに立脚した立派な産業であり文化的資産の一種だろうと思う。日本風の誤解はこのゲートが18歳の若者に機会が均等にあるという幻想で、これは実は受験に関係しながらもハビトスには含まれない、むしろハビトスを拒絶した基礎学習重視の公教育が作り出す上級大学への受験現実を無視した自己都合の講釈である。
現実に経済上学費・生活費の見込みのない若者には、ゲートの口は向いていない。私の時代は受験に必要な交通費宿泊費が受験校選択に限界値を与えていた。
ブルデューはその後、「文化が危ない」というメッセージを投げかけるようになった。そして、文化を危なくさせている元凶は一にグローバリゼーションであることを告発するようになった。「松岡正剛の千夜千冊より」
ハビトゥスというラテン語は、「状態・態度・外観・服装・たたずまい・習慣」といった意味をもつ。反省や自覚によって認識されるものではなく、「一見してそれとわかるもの」というニュアンスをもつ。ギリシア語なら「ヘクシス」にあたるもの、英語なら”have”から派生する語感をもっている。「松岡正剛の千夜千冊より」
今風に言えば、あの人持ってるということがハビトスだ。
現代フランスの代表的社会学者、(1930-2002)の「階層再生産」 の議論(ブルデューについては邦訳を多く出している藤原出版の HP に、彼の経歴や多くの 著書の目録等の情報が、出ている http://www.fujiwara-shoten.co.jp/book/bourdieu.htm)。 ・よい学歴(学校歴)のある人のディスタンクション DISTINCTION(卓越化<distinguish) の構成要素<br="">
1.能力そのものの差(頭の良さ、努力の結果の差) 能力・・・専門的能力の差、一般教養の差、それに立ち居振る舞い(ハビトス habitus
▽ハビトスとウェーバーのエートス概念との類似性にブルデュー自身が言及(恩師のレイ="" モン・アロンがフランスでは数少ないウェーバーのシンパであったという)。▽ブルデュ="" ーの写真論について▽<br="">
2.周囲の評価の差
3.ネットワーク、人脈の差(社会資本) ・高学歴、高地位(支配階級)の親の戦略・・・子供に対する階層再生産戦略を施す。要 するに、親と同じ高評価の学校に行かせて、それ相応の教育を受けさせて、よい就職をさ せて、よい地位につけようと試みる。つまりは教育投資を行う。また学校教育が、子供に求める能力は、支配階級の好む文化によって育まれてきた知識や教養であるので(正しい言葉遣い、正しい趣味・・・クラシック音楽、抽象絵画、純文学)、支配階級の文化に身近に接して育った子供は、学校教育に、ついていきやすいし、 入学者選抜で高得点を獲得しやすい。。
・その結果 1.学歴が階層流動化の要因にならなくて、階層再生産の道具としてのみ機能するように なってしまう。(学歴が属性価値か達成価値かということにも関係する)。 ・・・職業の世襲を他人に納得させる根拠づけとして、学歴というタイトルが利用される。 優秀な家庭教師をつけて。 2.同じ一流とされる学校の卒業生において、親が一流の職業に就いている人の方が、早
く高い地位に就ける。 ←学歴が専門的能力の証明であるよりは、教養の高さ、文化資本の伝達・授受の証拠に使 われる。
・これに対して日本でもいえること。いえないこと。
1.東大・早慶の学生の親の年収が他大学より高く、特に東大が高い。また慶応と東大の 隔世遺伝?もよくいわれる。慶大生の親は東大卒が多く(私の場合も)、東大生の親は慶 大卒が多い(芸能界でいえば市川猿之介と香川照之)。あるいは、中央の政治家の息子の ほとんどは早慶や東大に行っている。
2.日本では、階層の格差がフランスなどに比べ少ないという説と、日本でも階層の格差 があるという説がある。少なくとも収入の格差は少ない方である(→「9割が中流意識」。
また日本は「地位の一貫性」が弱い社会ともいわれる。他方で「資産格差」はむしろかな りあるという指摘も多くなされてきた。また昨年は「下流社会」をタイトルに含めた著書 が話題になったりして、その意味でも日本の「中流社会」が過去の神話になりつつあるの かもしれない)。</have,></distinguish)>