無用者の系譜 唐木順三
この『歓楽』のなかで、よき詩、芸術を作るためには、血縁の繫累を断って、寂寞を愛さねばならぬこと、通常の家庭を離れて彷徨、無頼の徒にならねばならぬこと、己が父母兄弟の代表する俗社会を離れて、無用の徒になり、社会の悪草、雑草となって、そこに「悪の花」を咲かせねばならぬことが、繰返し語られている。
荷風の明治三十六年のアメリカ行、それにつづくフランス行は、荷風にとっては、まさに俗社会からの脱出であり、彷徨であった。「昔から、生れた郷土の迫害を憤つたものの心に、『外国』といふ一語は何れだけ強い慰藉であつたらうか」(『新帰朝者日記』明治四十二年)。外国で彼は、寂寞と孤独を、無頼と自由とを心おきなく味った。
荷風のロマンチシズムは柳北にはないといってよいだろう。 さらにいっておきたいのは、柳北にとっての文学が福沢諭吉等の啓蒙家の実学に対する反撥であったことである。実学を有用の学とすれば文学は無用のものでありながら、柳北はそれに文明の尺度を求めている。『柳北遺稿』下巻のなかの一文を引いてみよう。 「世は開化に進みし歟、曰く然り。世は文明に至りしか、曰く否。若し我輩は何故に斯る奇怪なる答を為すと問ふ者有らば、将に其問に対へて言はん、汽車走り汽船走せ電信達し瓦斯燿く、人民の智見も亦漸く蠢愚の幾分をか脱し去れり。我輩之れを目して開化に進みしと云へるのみ。然り而して今日の天下文学の凋零し、文辞の卑甚しきを見れば、知らず何れの処に文明の二字を下す事を得んや。夫れ文明とは其邦の文運隆盛にして士君子各其品行を整粛にし、其言辞を高雅にし、所謂郁々乎たるの景況を称して謂へるものに非ずや。我輩窃に今の所謂大家先生なる者(其他は咎むるに足らず)に就て論ずるに、能く高妙の和文を草するか、曰く我輩之を保証せず。能く精巧の漢語を綴るか、曰く我輩之を保証せず。然らば則能く泰西諸国の学士に愧るなき洋文を書し得るか、曰く我輩亦保証の二字を呈し難し。若し然らば縦令其人実学を研磨し、政治律令其他百般の技術に熟達するも是れを文学の大家と称して可ならんや。而して世間の文学の大家の斯く寥々たるは是れを文明の邦と称するも妨げ無かる可きや。我輩は未だ之を信ずる能はざるなり。」
日本の文化的カウンターにはこのような無用者がしばしば登場する。現代はどうだろう2022年2月、54歳で急逝した芥川賞作家・西村賢太さんのように無頼に生きる文化人はいるが、無用者まで徹底はしない。一定の日本人が憧れている。社会に無用者の捨て場がなくなると世間が行き詰まる。都市に下水が必要なようにテロルや潜伏者は人の捨て場所として現代の快適に必要な衛生社会である。
玉袋筋太郎さん
「芸人のほうが今、こんな生き方できねえから。やっぱりすげえなって…。やりたいんですよ、賢太みたいな生き方。でもできない」
「芸人のほうが今、こんな生き方できねえから。やっぱりすげえなって…。やりたいんですよ、賢太みたいな生き方。でもできない」
岡田康志さん
若い人へのメッセージを求められた際には「学生を見ていると、みんなすごく慎重に先のことを考えるんやね。「5年後はどうでしょう、10年後はどうでしょう」と言われても、「そんなんわかりまへんて」と言いたい(笑)。石橋を叩くように慎重に考えて選ぶんじゃなくて、もっと軽いノリでアレ、コレ、ソレって無節操に手を出して、いろいろやっているうちにおもしろいことと出会えることもあるでしょう。とにかく、あまりマジメすぎないほうがいいのではないか、とだけは思いますね。」と語っている[47]。